第06節
たとえ、サーノイドの襲撃に脅かされ、海は海竜の出現により、船を出すことが出来ない状態にあったとしても、人が営む場という点においてラクローンの市街は人々に賑わいを見せてはいるものである。
早朝からラクローンを横切るように流れる運河に数人の死体が浮かんでいるのを目撃されたことによって街は一時騒然とした雰囲気に包まれる時もあったものの、それらの死体はこの都市の傭兵達であったことを確認すると、何事もなかったかのように街はこれまでの状態に戻っていった。
ガイナーの言うようにラクローンの市街の活気というものは寂しいものと感じるものも少なくないとは言え、この王都の住人にも生活というものがあるということは疑いようもない。
だからこそ、物資が流通することが滞りがちではあったといえど、流通は生じるものである。
ラクローンは北方にあることから、日中と夜間の温度差に開きがある。
そのため、早朝から街が動くことを見せようとしない。
太陽が昇りきった頃からようやく街のあちこちから人の姿が現わし始め、ラクローン第2区の港よりの区画の大通りの両側では巨大な市場が開かれるようになっていた。
「そうか、エティエルはラクローンに来るのが初めてだったんだね。」
周囲を興味深く見渡すエティエルを見てガイナーは言葉を投げかける。
クリーヤの山奥で生活していたエティエルにとってはラクローンの市街というものは非常に珍しいものでもあったことにガイナー自身も共感を覚えていた。
ガイナーの言葉にこくこくと頷きながらも周囲の活気のよさにエティエルの表情は明るいものとなり、これまでガイナーたちの後を追う形で歩いていたエティエルだったが、市場についてからはエティエルが先頭を歩く形になっていた。
宿で一泊して後、サレス伯の私邸を訪ねるつもりでいたガイナーであったが、宿屋の主人に「貴族に面会するのに、突然の訪問したところで門前払いされるだけですよ。」と言われながらも、サレス伯に面会の申し立てを取り計らってくれることになった。
ガイナーはカストにしたためてもらっていた書状を宿屋の主人に手渡し、後ほど使いが来るのを待つことにした。
この日はフィレルの提案によってガイナーたちはラクローンの市街に存在する市場を見て回ることとなった。
市街を見て回ることにするわけだから、当然ながら魔物やサーノイドが襲ってくることは皆無に等しいものである。それゆえ物々しい武器や鎧といったものは宿に荷物と一緒に預けていた。
「お、あった、あった。」
先行するフィレルは市場が並ぶ通りの中で主に衣類を扱う店を見つけてはわれ先にと店の中へと入っていき、ガイナーとエティエルもそれに続くことにした。
「ほら、ガイナー見てごらんなさいよ。」
「…え!!!??」
フィレルは展示されていた衣装を手に取り、ガイナーの目の前に立っていた。
「な、なんだよ!?」
「どう?これなんかエティエルによく似合うとは思わない?」
衣類を取り扱う店には様々なものが用意されているというわけではない。
主に衣類というものは庶民にとっては布を購入してその家その家において仕立てるものであり、フィレルが入った店も布地を扱うことを主にした店ではある。
ラクローンに限らず、王都において中流家庭、もしくは下級貴族たちにとっては布地を購入するよりもすでに仕立てたものを購入する例もある。
そういったこともあって布地を扱う店にはこうしてあつらえた衣類を展示しておくことが店の宣伝ともなる。
フィレルが手にしていたのは毛織で作られた長めのチュニックだった。
ラクローンでの繊維といえば毛織のものが主流となっている。
これは北方ゆえに綿や絹、麻といった温暖な地方でなければ作ることの難しいこともあることが主な理由に挙げられる。
そこで羊の毛やそれら動物の毛皮といったもので衣類を仕立てることが多くなった。
何よりも冬の到来が早く、年間を通して気温の低いラクローンでは毛織の衣類でなければ過ごすことが出来なくなってしまう。
この店で扱うものの殆どは毛織で作られたものではある。しかし、一部の貴族たちにおいてはやはり絹や麻といった繊維は高価で気品のあるものとして喜ばれる一面も見せることもあり、こういったラクローン王都の民が着用する物を専門として扱う店でも絹や麻が置いていることがしばしば見られる。
「そ、そうだな。いいとは思うけど…
って、ちょっと待て!!」
あまりこれまで着衣にこだわりを見せることのなかったガイナーだけにフィレルの問いにやや言葉を詰まらせながら相槌程度に返答するも本来の目的を思い出してフィレルに声を荒げる。
「フィレル、俺の服がどうとか言っていなかったか??
それなのに、なんでエティエルの服が出てくるんだよ!?」
「なによぅ…いいじゃない。こういう場合はまずは女の子の衣装を楽しむものなのよ。」
「だから、そんな時間はないって言って…」
「ああもう…つべこべ言わないの!
あとでちゃんとガイナーの服も探してあげるから。」
ガイナーの言葉など意に介することもないかのようにフィレルは服を手にしたまま店の奥へと入ってゆく。
「…ったく。
どういうつもりだよ。」
フィレルの行動にやや苛立ちを覚えることもありながらも二人の待つ店の奥に行くほかはなく、渋々店の奥へと歩を進める。
店の奥にはすでに仕立てられたものが壁にずらりと掛けられている状態で陳列されていた。
それらを見たり手に取ったりをフィレルは繰り返しつづける。
「この服なんか可愛いと思うんだけどね。」
「なあフィレル、俺は別に今そういうことは…」
「もう、ここまで来て往生際が悪いわね。
ほら、これなんかいいじゃないの。」
とかくフィレルが提示してきたものはガイナーのこれまで着ていた着衣と比べるとやや裾は短くなっていることと、生地が木綿のものから毛織になっているものの、それほど遜色ないものだっただけにガイナーもそれほど違和感がなく着ることが出来るものだった。
「いいから一度着てみなさいって。ほら、エティエルもそう思うわよね?」
フィレルに呼ばれて二人の前に立っていたエティエルもフィレルが手にした服を見て素直に頷いてみせる。
「む…」
いよいよ根負けしたのか、ガイナーは今来ている上着を脱いでからフィレルが手にしていた服を受け取って羽織ってみせる。
「うん、あんまり変わり映えしないけど、いいじゃない。」
「それじゃ、これでいいよ。」
「なら決まりね。」
「な、なぁ…本当によかったのか!?」
「気にしなくていいわよ。お金はちゃんとカストさんから受け取ってるわけだしね。こういった費用も織り込み済みよ。」
あのあと、店の人に声を掛け、支払いを済ませた3人は引き続き市場を散策していた。
フィレルの言う費用というものは先の戦闘においてカストがガイナーへのせめてもの礼ということで用立てたものがあった。
もちろん、ガイナーはそういったものを受け取ることはなかった。
しかし、旅の上においてなんらかの路銀は必要とされることは疑いようもないことから、カストは密かにフィレルに金子を手渡していたのである。
ガイナーたちは店を出てからもしばらく市場を散策しながら、宿へと戻ろうとしていた。
「どう?
今日は買い物にしておいてよかったでしょ!?」
エティエルを見るガイナーにフィレルはしたり顔を見せていた。
「ま、まぁな。」
「気分転換というのも時には必要になるのよ。」
フィレルの思惑通りになっているのがどうにも引っ掛かる部分が残されてはいるものの、エティエルの表情を見て取れば、たしかにこの選択は間違ってなかったものであるとうかがえるものであった。
しかし、フィレルの提案はガイナーの心中に救われた部分があったことも否定しきれないところもどこかにあった。
「ありがとうな、フィレル。」
ガイナーの声が聞こえたのかどうか定かではないがフィレルはガイナーに頷くような素振りを見せていた。