第04節
「ちょっと、どういうことなのよ!!これは!!??」
日が傾いて周囲が徐々に明るさを失いつつあるころに宿屋の中から発せられた怒鳴り声が外にまでこぼれては街の中に溶け込んでいった。
「お…おい、フィレル、ちょっとは落ち着けって…」
「うるさいわね。
私はちゃんと落ち着いているわよ!!」
何の説得力も見出せない怒声に抑え役のガイナーの声もこの時届くことは無かった。
「それよりこれは一体どういうことなのか説明してもらえるのかしら!??」
フィレルの怒りの矛先はガイナーではなく、ただじっと黙ったまま立ち尽くしている宿屋の主に向けられているものであった。
用意された部屋において僅かな時間とはいえ一息ついた3人はそれぞれ空腹を訴えるかのように食堂と酒場を兼用していた一階へと降りてきて同じテーブルを囲んでいた。
そこで用意された料理がフィレルの想像するものとは全く異なるものであったことがフィレルの怒りの源であった。
フィレル自身の思惑はラクローン特有の魚介類をふんだんに使われた料理が振舞われるものであると思っていたのだろう。
白い布をクロスに宛がわれたテーブルに置かれていったのは、干し肉を出汁に使用したスープの皿と何日も前に焼いたような堅いパン、そして芋の蒸したものがそれぞれ人数分置かれていた。
宿屋に設けられている食堂にはまだ時間的に早いのか、それとも他にも酒場が存在しているからなのか、ガイナー達以外に客は誰もいない。当然ながら、フィレルの憤りは宿屋の主に向けられているものであった。
「すまないねぇ、お客さん。」
宿屋の主はフィレルのような怒声を放つ客の対応には慣れているのか、それほど臆すことなく、平然とした態度でフィレルと向き合っていた。
「今のこのご時世、なかなかいい食材が手に入らなくてねぇ…」
主はフィレルの怒りの源に至る経緯を話し始める。
サーノイドの脅威から旅人が入ってくることは滅多になくなってしまったこの時勢においてラクローンでの宿屋での存在理由というものは最早無に等しいものではあった。
ラクローンに住まうものであれば、当然ながらこの地に住処が存在するのだから。
何よりも頭を悩ませるのは食糧の問題であった。
この都市の近郊に広大なまでの農地というものはなく、農作物は王都の郊外から運ばれることのほうが多かった。
それゆえに王都において穀物といったものはいくらかの備蓄として貯蔵されてはいたものの、サーノイドの襲撃が数年来のものとなってしまえば当然ながら備蓄されたものは底を尽きてしまっていた。
さらにラクローンの食糧事情に追い討ちをかけたのが、沖合いに現れると噂される海竜である。
海竜が現れるという話はあくまで噂の範疇を越えることはない。しかし、実際にラクローンを離れた船が無事に戻ったという話を聞くことがないことそのものが一層海竜の存在を色濃く映し出していた。
海竜の出没の噂が広まってから以降、外洋船によるアファとの交易は途絶えてしまい、さらには漁に出ることも叶わなくなってしまい、漁師達はラクローン沿岸でわずかに獲れるものだけになってしまっていた。それだけに海産物といったものも今の王都には貴重なものへと変貌してしまっていた。
「むぅぅ~」
宿屋の主の説明にフィレルはこれ以上の怒声を放つことが出来ずにただ小さく唸り声を出すほかはなかった。
「フィレル、こんな時に贅沢は出来ないんだから。
別にいいじゃないか?」
「そうだけどさ…」
ただの我が儘でしかないだけと承知しているだけに、主の言葉に何の反論も出来ないでいた。何よりもテーブルに置かれた料理に対して静かに祈りを捧げてパンを手にするエティエルの姿を見たとき、フィレルの我が儘な憤りはどこかへと消えうせてしまっていた。
「全くもって、はやくサーノイドがいなくなってしまえばいいんだけどね。
このままだと、この宿も閉めてしまわなければいけないことになってしまいますよ。」
「サーノイド…」
「・・・・・」
サーノイドという言葉に誰よりも表情を変えたのは他ならぬガイナーのほうだった。
しかしガイナーの表情に対面に位置するフィレルは気付くことがなかったのか、一際大きなため息を漏らすにとどまる。
「はぁ…仕方ないわね。ラクローン料理はまた別の機会にしますか…」
溜め息とともに席に着いてスープを一すくい口に入れたとき、フィレルの表情がこれまでとは違う感嘆の声だった。
「あれ?これ結構美味しいじゃない!」
干し肉を入れたスープの味はフィレルの考えていたものよりもいい味に仕上がっていたのか、頬を緩ませながら続けてスープをすすり続けていた。
フィレルの感嘆の声を聞いてややほっとするかのような面持ちで再び調理場へと踵を返していった。
「どうしたのよガイナー。食べないの?
もしかして具合悪いの?」
これまでの自らの発言を忘れたかのようにガイナーに料理を勧めるも、ガイナーの表情が険しいものに変わっていることに漸く気がついた。
「・・・・・」
「ガイナー?」
「全てはあいつらが何の罪もない人たちを襲うからなんだよな。
そうだよ、あいつらが…」
宿屋の主の言葉にガイナーは不意にマールでの惨状を記憶に呼び戻してしまっていた。
エティエルが過ごしていた場所であり、瀕死のガイナーを温かく迎えてくれるも、サーノイドの手によって無残な姿に変わり果ててしまった場所。
サーノイドの軍勢を撃退してもガイナーの中にはどうしてもあのマールの惨状が拭い去ることが出来ないでいた。
それは自己を責めるのと同時にサーノイドへの憎悪として蓄積されたままのものでもあった。
「あいつらは俺が…俺が倒してやる!!」
強い決意と共に木製のマグに注がれた水を咽に流し込んでいった。
「はいはい…これ以上は熱くならないの。見ていて暑苦しくなっちゃうわよ。
さあ、食べよ、食べよ。」
「む…」
早々に切り上げてフィレルは再びスープを口に入れる。
「うん。」
フィレルの言葉にガイナー自身納得させようと言い聞かせるように、自らもスープを口に入れる。
しばらくの間、食堂にはスープをすくう音が小さくも響いていた。
「そういや、ライサークは今夜どうするんだろう?」
「さあね。この時間になってまで来ないということなら今日は戻ってこないということじゃない?」
「…
そうだな。」
そう言ってガイナーは暗くなり始めた街に目を向ける。
すでに周囲に人の姿はなく、それぞれの建物からは灯りが燈りはじめていた。
「あ、そういえば、ガイナーは知ってる?ライサークの傷のこと。」
「ライサークの傷…?
それってクリーヤにあった城で受けた傷だって…」
「それじゃなくて。
ライサークの背中にある傷のことよ。」
「背中…?
いや、見たことがないけど…」
「そっかぁ~」
「なあ、それがどうしたんだよ?」
「ん~とね。まだ私たちがカストさんのところに野営していた時なんだけどね。
ちょうど包帯を換えていた時にライサークのいるテントの中を見ちゃったのよ。そしたら、あいつの背中に見たこともないような傷痕があったわけ。」
「背中に傷痕…」
「傷が出来て随分時間が経っていると思うけど、あれはどうみても致命傷に近いものだわ。
一体どんな奴と戦ったらあんな傷が出来るのかしらね…?」
ライサークは傭兵という生業から常日頃から戦いの中に身を置いている。
何よりもライサークは武器を手にするわけではなく、素手での戦闘スタイルであることから相手に誰よりも接近しなければならないことから剣や矢による傷は少なからず存在している。
現にクリーヤの城砦をただ一人で乗り込んでいったライサークである。実際のところは城に仕掛けられたものによって爆発に巻き込まれたものではあったが、その破片や瓦礫が飛び散った傷を腕に身体にいくつも作って帰ってきた。
「ライサークだけじゃなくて、そういえば俺たちってどんな生活をしていたかだなんて知らずにいるものばっかりだよな。」
「まあそう考えれば私たちって結構面白い組み合わせよね。」
「そうかもな。」
辺境とも言うべきメノアで生活していた少年と凄腕の傭兵、ゲリラ活動を続けていた少女にクリーヤの小さな集落の少女。
本来であれば出逢うはずのない者達、この奇妙な組み合わせを思い返してみると不思議な気分になりながらもそのまま出された料理を口に入れていった。
「ガイナー、明日はそのサレスって人に会いに行くつもりなの?」
あれこれ言いながらも料理を綺麗に平らげたフィレルは、ふと今後のことについてガイナーに問いかける。
「うん?
ああ、そうだなぁ、ここにずっと滞在し続けるわけにもいかないし、明日にはサレスって人に会いに行ってみようと思うけど…」
そう答えるガイナーを睨み付けるように見つめるフィレルに思わず視線を逸らしてしまいそうになる。
「な…なんだよ…?」
「もしかしてガイナー…その格好のままで行くつもりじゃないでしょうね??」
「え?
な、なにかマズいか?」
「はぁ…。
当たり前でしょ!!?
あなたそんな汚い格好で行くつもりだったの!!?
そんな格好で行ってみなさいよ。たちどころに衛兵にとっ捕まってしまうのがオチよ。」
かなり呆れたようにフィレルは溜め息をこぼしながらガイナーの着衣を指差す。
すでにメノアからの旅の間でガイナーの着衣は各所において破れるか縫い目が解れた状態が目立ち、ボロボロなものと変わり果ててしまっていた。何よりも洗濯もままならずにあったために、魔物を打ち倒した際に受けた返り血がシミとなってうっすらと付着してしまう有様だった。
「はぁ…。それじゃ、明日は皆でお買い物にでも行こうかしらね。」
ふと何かを思いついたかのようにフィレルはガイナーにとっては突拍子もない提案を打ち出す。当然ながらガイナーは困惑した顔を見せていた。
「いや、でも俺にはそんな時間は…」
「つべこべ言わないの!!
サーノイドの連中だってあれだけ叩いたんだから、当分は襲っても来ないわよ。」
有無を言わせないフィレルの発言にガイナーは閉口してしまっていた。
ここで無駄な時間を費やしたいとは思うものの、フィレルの言にも尤もな道理もある。
それを理解するだけにガイナーも強く否定することはしなかった。
明日の行動予定を取り決めるとともに夕食を終え、ガイナーたちは部屋に戻り、疲れた身体を横たえた。