第03節
王都の中央をまっすぐに伸びた街道はラクローンの玄関口として全ての区画を突き抜けて存在する。
南北を横断する形で存在する街道のその行き着く先はいくつかの関門を経てラクローンの主が住まう居城へと続いている。
王城はラクローン国王が住まう場所としてのみというわけではなく、国政を司る場でもある。
全ての決裁を下すのは国王の仕事ではあるも、実際の政務に当たるのは国王により任命された貴族出身の閣僚であり、政務においては一辺倒というものではなく、各省庁として枝葉のように分かれているものであった。
閣僚ではない貴族たちにおいては交流を目的とする場でもあり、日中の王城は多くの貴族がひしめき合うという姿を見せていることもラクローンの王城の大きな特徴でもあった。
いわば王都において最も重要な場としての位置づけされていることは疑いようもなかった。
その王城の門が開き、一台の馬車が走り出されていった。
馬車は二頭立てのもので馬車のつくりを見るにラクローンにおいて高い身分、地位を占める者の所有物であるとうかがえる。
「伯爵、いかがでしたか?」
馬車には御者を除いて二人乗っている。
一人は従者ともいうべき者、もう一人は伯爵と呼ばれるラクローンの貴族である。
身分においても対称的な二人ではあるが、表情においても対称的でいる。
伯爵と呼ばれる者はどこか憤りを溜め込んでしまっているような表情でどこか顔を歪ませてしまっている。反対に従者のほうはその伯爵の表情にどこか戸惑いを見せながら様子を伺う感じが見られた。
「…話にならん。
ゴルドールの奴め、これ以上第3区においての難民を増やすことになんら施行しないつもりのようだ。このままでは王都は難民で占められてしまうではないか!!」
「伯爵…それは…」
「いや、わかっている。
難民が増えてしまうのはこの際致し方ない。
しかし、これ以上何もしないままでいては…」
馬車に揺られながら伯爵と呼ばれる者は溜めに溜めた強い憤りを従者に向けて吐き出す。
身分の上からか、とかく反論するべく材料を見出せないのか、従者はただ伯爵の憤りを受け止めるほかなく、ただ伯爵の言葉を聞いているのみであった。
「カストになんと詫びればよいものか…」
ある程度言いたいことを言い放ってしまった伯爵は一呼吸置いて呟く。
「しかし、カストゥール卿はなんとかサーノイドの軍勢を撃退することに成功したようです。
伯爵が隠密裏に派遣させた傭兵団も王都に帰還を果たしました。」
「…しかし、カストを城内に入れることが出来なかった。」
思惑とは異なる運びになってしまったことは伯爵と呼ばれたものとしては苦虫を噛む想いがあった。
伯爵と呼ばれる人物の名はハシュマン・レグルド・フォン・サレスティン。このラクローンにおいて“伯爵”の地位を有する。一般的にはサレス伯で通っていて、サレス伯本人もそのように呼ばれることのほうが多く、寧ろ歓迎する傾向もある。
一般の市民や辺境の集落の者はその土地の名と名前を挙げるものではある。しかし爵位の有するものたちは主に家名で呼ばれることのほうが多い。
貴族達にとっては自己の名前よりも家名の大きさが浮き彫りにされている当時の風潮がそうさせていたのかも知れない。
歳は40を過ぎた頃で、この地方においてはそれほど珍しくもない亜麻色の髪にライティン特有の茶色の目をしている。40相当にしてはそれほど歳を召したとは思えないほどに瞳には力がある。
容姿もやや長身でありながらもその骨格はしっかりとしたものであることが着衣の上からであっても伺える。
サレス伯は先王、現国王の信頼も厚く人望豊かな者として名声を得ている。また現時点において騎士団を統率することを身でもあり、サレス伯自身、生粋の武人でもあった。
サレス伯は先だってより城外において義勇兵を率いて戦闘を続けているカストの要請を受けて騎士団を派遣する予定でいた。
しかし、その出撃直前において勅命がサレス伯に下された。
“騎士団長たるもの徒に兵の命を消耗させることなきよう。城内の防衛にのみ専念せよ。”
すなわち、目の前の敵に対して出撃することを許されず、ただ城の守りを固めることに専念して城外のことに関しては傍観せよというものだった。
カストとの約定があるため、そのような命令を無視して出撃して同胞を助けたいという思いは誰よりもあった。しかし騎士団を率いるという権限を有するサレス伯ではあるが、国王の命なくして騎士団を出陣させることは当然のことながら許されることではない。
自ら率いる騎士団を動かすこと適わなくなったサレス伯は急遽外部に依頼することでこの場を打開させる策にでた。このとき出撃した一団こそ、アリアン率いる傭兵団のことである。
結果としてサーノイドの撃退に成功するも、旧知の盟友と交わした約定は果たされることはなかったことがサレス伯にとって強い悔恨の念として残されているままだった。
しかし、カスト同様、ラクローンの貴族としての禄を食む身として勅命というものはいかなる形であるにせよ遵守する義務が課せられる。
「あのときの勅命もゴルドールめのものであるということは分かっている。あやつがこれまで勅命を欲しい侭にしていることがわかっているとはいえ、それに異を唱えることが出来ないでいる。まったくもって口惜しいことだ。」
「伯爵…」
今から2年前、この国は存亡危ぶまれる状況に陥ってしまっていた。
国王と皇太子の両方を失ってしまったのである。
表向きにおいては病死ということになっている。しかし、その真相は何者かによる暗殺であることは当時の閣僚において隠匿されたものであった。
その後、新たに国王を奉ることを急務とされた貴族達は、前国王の末子であった者を国王とした。
しかし、あまりにも突然に起こった国王の交代劇によって至尊の冠を戴いた若い国王は、政務、威厳という部分においても経験不足ということもあり、国王を補佐するという名目で先々代の国王以来、数十年ぶりにラクローンに宰相という地位が用意された。その任はラクローンにおいて有力貴族の一人でもあり、前国王の信任も厚かったゴルドール候が就くことと成った。
いわばゴルドール候こそが国王に代わり政務を摂り仕切る事によって、若い国王を意のままとし、国王の発する勅命をも意のままとするただ一人の人物であるということはラクローンの王都の人間の誰もが思うこととなっていた。
それが権限をほしいままにすることがサレス伯や他の有力貴族との確執を生むきっかけともなっていた。
しかし、サレス伯を除く残りの有力貴族たちはゴルドール候によって意のままにされる勅命によってそのことごとくがゴルドール候に取り入られることとなってしまっていた。
元々サレス伯は騎士団の団長という地位にあって、いわば武人である。
本来であれば政務において口を挟むべきものではないということも自身はわきまえてもいる。
それでも、サーノイドの襲来において騎士団の出撃を見送られ、今尚も難民における救済策を出すことのない状況にただ黙認していることはサレス伯の武人としてではなく、ラクローンを護る者としての矜持が許すことが出来るものではなかった。
今しがたにおいても城内において政務を摂り仕切るゴルドール候との論争を繰り広げてきたばかりであった。
「しかし、預言者様は一体なぜこのような時期に何もおっしゃってはくれないのでしょうか??」
「・・・・・」
サレス伯の従者が漏らしたことにサレス伯も考えてはいた。
ラクローンは単一の君主が統治するものと定められてはいる。しかし、国王に次いで力を有したものは政務を補佐するゴルドール候ではなく、預言者と呼ばれるものであった。
これまでもサーノイドの襲来、近年起こった地震などの自然災害において預言者の言葉があったことはラクローンの誰しもが知りうることであった。
これまで預言者の指標をもって国家が成り立っていたといってもいいほどにラクローンにおいて預言者という存在はとても大きな位置を占めている。
だが誰しもその姿を知るものはいない。サレス伯においてもゴルドール候においてもそれは該当する。何世代にもわたってラクローンに絶対的な地位を有する預言者という存在は半ば神格化された扱いとなっている。
預言者の存在を知りうる者はただ一人、歴代の国王となる者のみであった。
「前々から思ってはいたことではあるが、この国は預言者の言葉に頼りすぎた面があったことは否めない。だからこのような事態においてもまだ預言者の言葉に頼ろうとする。
預言者とて常にあるわけでもあるまいに…」
「伯爵…滅多なことをおっしゃいますな。たとえどのような場所でも耳に届くことがございますれば、このようなこと言葉で伯爵のお立場をお悪くなさいますな。」
「これは…私としたことが、言葉が過ぎたようだ。
そうだな。まだ私自身で何らかの機会が巡ってくるやも知れん。今は慎むことにしよう。」
「いえ、私などが伯爵に対して無礼な言を…どうぞお許しを…」
従者の諌言を素直に聞き入れた伯爵は窓の外に目を向ける。伯爵の視線の先には今しがた出てきたばかりの王城の壮健な姿があった。
ラクローンの象徴。いわばライティン達にとって正義の象徴でもあるラクローン王城。
その塔の上には青地に金色の羊を模したラクローンの旗は風を受けて勇壮に靡いていた。
「…今一度サーノイドが襲ってくるかも知れん。そのときのために騎士団をいつでも出撃できるようにしておくほかは無いようだ。
もっとも、此度もゴルドール候の口出しが入るだろうがな。」
「そのように取り計らいますれば…」
馬車はそれほど時間をかけることなく王城の周囲に建てられた貴族達の邸宅が立ち並ぶ区域をそれほど速度を出すことなく通ってゆく。やがて馬車は一つの邸宅の門を潜っていった。