第14節
北方の地方特有の荒波が入り江にまで入り込んできては停泊する船を大きく揺らしていた。
しかし、それらの船は出港する素振りを見せることなく帆を畳んで随分と時が経っているように見受けられる。
それよりもやや小型で主に漁に用いられる舟においても沖合に出ることなく、陸地に程近い沿岸でのみ浮かんでいる様子であった。
テラン大陸北部に位置するライティン達の都市国家ラクローン。近年沖合において海竜が暴れ回っているという噂が広まっていた。
実際に見たものがいるわけではない。しかし、沖合に出た船は二度と入り江に戻ることはなかっただけに、その噂の信憑性がうかがえる。そんな事があることにより、外洋船はもとより、漁師の舟においても沖まででることが適わないまま幾日も停泊せざるを得ない現状であった。それゆえに南に位置するアファへの連絡もままならず、両国は孤立した状態となっている。通常であれば船の出入りで喧騒の絶えることのない港も今となっては閑散とした有様であった。
そんな中において港と都市部の境に位置する建物においては未だ喧騒冷め遣らない姿を見せていた。
そこは港で働く者たちが集う酒場であるだけにとどまらず、料理を振る舞い、旅人たちにとって宿となるべきものであった。
人というものが営む場所である以上、このような場が賑わうのはいわば当然のものであるといえる。
しかし、この酒場にはもうひとつの顔が存在していることを知るものはそれほど多くはない。
酒場としての顔の裏には傭兵と呼ばれる金で雇われた戦士たちを統括するギルドとしての一面も有していた。
現に酒場に集まる者たちの何割かは傭兵ギルドに所属する者たちが情報を交わしている姿であった。
その傭兵の中に混じって一人の屈強な体躯をした男がカウンターに立ち店の主であろう男とやや深刻な面持ちで言葉を交わしていた。
「…するとあれ以来、両家の仲が険悪な状況というわけか…」
「そうだな。ゴルドール候は先王からの信頼も厚いがこのところ強硬策が目立つ。それに対してサレス伯はこれまで政治的な発言を控えてはいたものの、やはりゴルドール候のことはよく思ってはいないだろうからな。」
「そうか…あと国政において国王の姿がないというのは?」
「ああ、表向きは若い国王を補佐するべくゴルドール候が政務を摂っているというが、実際のところ、今の王はゴルドール候の傀儡に近いということだ。そのことに際してもやはりサレス伯は少なからず異論を唱えている。」
「…なるほどな。」
主の言葉にカウンターに立つ赤く鋭く光る瞳を有する黒髪の男ライサークはやや面持ちを険しくさせた。
「サーノイドがすぐ近くまで押し寄せてきているというのに、どうにもこの国の内部はきな臭い部分が強い。
しかしまあ、そういうご時世だから我々傭兵は潤うというものなのだがな。」
そう言って店の主は皮肉を並べては肩をすくませた。
平和な時世であるならば傭兵といった職業はたちどころに廃業となるべきものであり、本来であるならば無いに越したことはないものたちである。しかし、サーノイドの襲来以降、傭兵というものの需要が大きく伸びていった。
“ブラッドアイ”と呼ばれ敵味方からも恐れられた赤眼の傭兵ライサークもそういう時世を生きる一人であった。
「そうだな。またなにかわかることがあれば頼む。」
「悪いことは言わないが、この件にはあまり首を突っ込むべきものではないと思うぞ。
お前さんになら他にもいい仕事が数多くあるんだからな。」
「俺自身、割に合わないことをしているというのは思わんでもないのだが、この件は少し気になるところがあるんでな。」
やむなしという感じの態度を見せながら、ライサークは酒場をあとにした。
港から都市へと続く道を歩く中からも見える高い塔がいくつも並んだ形状を見せる巨大な城に目を向ける。
ラクローン、言うなればライティンの主とも言うべき者が住まう居城は西日を背に受け巨大な黒い剣が突き出される姿のように映し出されているようだった。
「ティリア…
お前はまだそこにいるのか?」
その様子はさながらこれまでにあった騒動、そして今後起こりうる動乱の予感を思わせるものに見えた。
ラクローンにおける最大の象徴である王城を見て赤眼の傭兵は一人呟く。
城を一瞥してライサークは再び王都の市街を目指し歩き始めていった。
ライサークの光背にはある程度の距離を置きながらも後を追うように同じ道を進める者の影も映し出されている。