第12節
まさにカミルたちが外に出たその直後のことだった。塔の入り口は役目を終えたかのように閉ざされ、そこに何もなかったかのように岩山が聳えているだけだった。
「これであの空間は消えてしまったわけですね。」
「…そう考えていいだろう。」
そういいながらもヴァルカノンの見解はアルティースのものとは異なっていた。
“おそらくあの空間は本来の在るべき時間へと戻っていった。
現在よりはるかに遡る時間の流れの中に。
それは全ての役目を終えて…“
別に同意を求めようとは思うべくも無く、ヴァルカノンはその言葉をしまいこんだ。
そんな取り残された時間の中でカミルは咄嗟の判断とはいえ緑髪のヴァリアスの少女を抱きかかえたままでいた。
「カミル、本当にその子を連れて行くのですか?」
「この子だけをあそこに置き去りにしたままにしておくわけにはいかなかったわけだし、何より…」
このまま誰もいない廃墟に放り出していくことなど出来るはずも無いということは誰もが思うところではある。それにも増してこの少女を連れて行くということは自身の手がかりとなるかも知れない。それがどんなに些細なことであったとしても。カミルの内にはそんな思惑が強く在ることもまた確かなことではあった。何よりそれこそがこの少女を連れ出した最たるものであるとも今は言うべきものだった。
「その方がいいだろう。ここに置いていくことのほうがこの娘には酷というものだ。」
カミルの言葉をさえぎってヴァルカノンはカミルの思惑を肯定する。
「しかし、この子はただのヴァリアスではありませんよ。」
ヴァリアスの少女をこのまま連れてゆくということにはアルティースも賛成ではある。しかし、やや難色を示していたのもまたアルティースであった。
アルティースも自らの考えが酷なものであることは承知していた。だがこの異形の耳を持つ少女を連れて行くということ、ライティン達はもとより、同種族であるヴァリアスおいても数奇の目で見られることは疑いようもなかった。カミルにしてもそれは重々承知している。
「…我々は同じ世界の住人…」
「…!?
カミル?」
唐突に頭に中で浮かび上がった言葉をカミルは思わず口にしてしまっていた。
突然脳裏をよぎったものであったために、それがいつどこで、誰が発したものであるのか、カミルの記憶の中においてそれを見出すことはもう出来なかった。
しかし、その言葉が強く残されている。
「…まぁそういうことだ。」
本来であればヴァリアスの少女は同じヴァリアスでもあるヴァルカノンが連れて行くべきなのでは、と思うところも少なからずあった。
しかし、ヴァルカノン自身カミルが連れて行くことに異論を唱えることは無く、寧ろ推奨する意向を見せていた。
ヴァルカノンはカミルからこぼれた言葉に口元を綻ばせては、カミルの腕の中で安らかな寝息を立てる少女に目を向けた。
三人の思惑など気にするべくも無いまま、あどけなさの残る無垢な表情がそこにはあった。
「この子を今放り出してしまえばきっと僕は悔やむことになるんだと思う。」
「…確かにその通りです。」
現に種族の隔たりが無いかのように我々がいるといったのは他でもないアルティース自身だった。いくつか懸念は残るものの、カミルの意思を尊重する。
「それで、お前達はこの後どうするつもりなのだ?」
「この後…」
「まずはソルビナまで戻ります。そこから船でセノン大陸に渡って…」
そこまで言ってアルティースは言葉を止め、カミルに今後の方針を問う意味合いで意見を促す。
「僕の仲間がラクローンに向かっている。まずは彼と出会わなければならないと思っている…」
これまで自身の手がかりとなるものをこのトレイアで見出すこと、それがカミルのトレイアに渡ってきた本来の目的であった。しかし結果としてそれらしい成果があったとは言い難く、落胆を禁じえないでいる。とはいえ、全くの骨折り損であったということもまた否定できなかった。
しかし、これ以上いたずらに時を費やしていたとしてもどうにかなるものでもなく、今後はアファで別れたかつての仲間である黒髪の少年に追いつくことにあった。
そう、カミルの今後の行く先ははじめから定まってはいた。
「ラクローンか…」
「ヴァルカノン?」
ヴァルカノンの表情がやや険しいものへと変貌したことをアルティースは見逃さなかった。
「あの海域に近付こうとする船はことごとく海竜によって沈められていると聞く。
もしラクローンへ向かうのであれば、陸路から行ったほうがいいかも知れんが。」
ラクローン周辺の海域の海竜騒ぎはアファの港町であるエルダーンでアルティースも聞き及んではいた。
「どうにかならないものかな…」
ヴァルカノンの言葉どおり、陸路からラクローンへ向かうことになれば、一度エルダーンに戻ってからその上でクリーヤの山道を通ることから大幅な時間の浪費は疑いようも無かった。
「そもそもその噂が広まってから、ラクローンに向けて船を奔らせる者など誰一人としていなくなったといいますので…」
「・・・・・」
「いずれにせよ、ここで論じるものではないようだ。」
このトレイアの奥地において遠くに位置する海域を目指す方法論を唱えあったところで詮無いことと考えたヴァルカノンは自ら話題を切った。
「そういや、ヴァルカノンはこれからどうするんだい?」
カミルからすればヴァルカノンの方こそこれからの行く先が気になるところだった。
この廃墟と変わり果てた地にただ一人立っていたトレイアの生き残り。
目の前に立つ金髪の青年は十数年前に滅び去ったこの地に郷愁を求めてやってきたのだろうか?
それとも、他に何らかの目的が存在していたのだろうか?
「私には行くところがある。」
「行くところ、それは…」
そこでカミルは言葉を自ら遮らせる。
今ヴァルカノンにそれを聞き出すことはカミルには憚られた。
自らも何も語れる身ではないのだから…。
「ありがとう、ヴァルカノン。」
「では、またお逢いできる日を…。
ヴァルカノンにティーラのご加護を。」
「ふっ、お互いにな。」
旅人たちが唱える常套句とも言うべき別れの言葉を口々にして三人はその場を後にする。
少女を抱いたままのカミルとアルティース、そしてヴァルカノン一人は正反対の方向へと爪先を向けていた。
「アルティースはどうするんだい?」
カミルはこれまで同行してくれた吟遊詩人の青年にも今後の方針を問いかける。
「私はこれからも旅を続けます。」
「うん。」
この世界の歴史の探求する者として旅を続けることこそが生業とするアルティースの返答はカミルにも承知するところだった。
それは同時にカミルとの旅がトレイア大陸での間だけのものであるということでもあった。
この時点でカミルと行動を共にすることになるのはカミルの腕に抱きかかえられたままのヴァリアスの少女だけということになる。
自身の腕の中で未だ寝息を立てて眠り続ける少女を見てカミルは考える。
この見ず知らずの者でもあるカミルを目の前にしてこの少女はどう思うだろうか?
あるいは周りの環境を見て何を思うだろうか?
何よりもこの少女とカミルとの接点というものがどこに存在しているのかさえ、見出せずにいる。
少女の寝顔を見てカミルは思いを巡らせる。
“また出逢える日はきっとある。どうかその時まで…”
いつか見た夢の中で言われたであろう言葉。そしてあのときの幻とも言うべき塔内で輝いていた水晶がカミルに見せようとした幻の中に浮かぶ姿が幽かに重なって見え隠れしている。
あの時、幻の中での青い髪のヴァリアスの女性が放った言葉…
“どうか無事に帰ってきて、カミル、そしてもう一人のカミルも…ね。”
女性はたしかにカミルという人物が二人いることを告げていた。
この名前を持つものは過去において存在はしていたのをカミル自身何度も耳にしていた。しかし、その名を持つ者自身、女性の目の前に立っていたあの青年の姿であるとするのであればあの場にもう一人いたということになる。
だがカミルにとっては、幻の中とはいえ、それが自身に向けられていたものであることのように感じてならなかった。
無論、それが曖昧なものに過ぎないということも理解している。とはいえ、それこそがカミルの中に眠る記憶なのだろうかとも思えてならなかった。それが自身の名前というものにおいてそれはどのような意味があるというのかも現在のカミルには到底知りえることはない。
「でも、僕は…僕だ。」
この先、少女が目覚めたときにどのようなことが起ころうとも、カミルは受け入れる覚悟を決めていた。
それがどんな結果をカミルにもたらそうとも。
そして今は自己の都合で袂を別った仲間の下へ向かうべく、ただ進むことにした。
「行きましょう。」
「うん。」
此処まで来る際に使用していた前足竜に再び跨り、手綱を手にする。
途中何度も振り返るも、降注いだ灰によってすべての時を止めたままだった色の失われた世界に背を向けた。
未だに眠りから覚めやらぬ少女を手綱の間に入れる形で抱きかかえ、カミルは軽く手綱を振って前足竜の歩を進めていった。
「ここも、すでに…
あとは2つ…それだけは。」
その後ろをもう一頭の前足竜に跨り追走するレミュータの吟遊詩人の青年は誰に問うわけでもなく一人呟いた。