第11節
先ほどまで光を放ち続けていた水晶はすでに見る影も無く、それから全く異なるものにがらりと姿を変えていた。
砕け散った水晶の破片が光を放ちそれが一箇所に集まり、少女の姿へと具現化されていったことにその場に居合わせていた三人に驚きの色を見せるに十分なものであったことは言うまでもない。
最初は何があったのか頭の中で整理し始めようと各々思案する姿が見られたが、床に横たわったままの少女の姿を見たカミルは何の疑いも見せることなく、すぐさま少女のもとに駆け寄っていた。
「この子…」
耳が常人とは異なり先端の尖った形状をしたもの。カミルはつい先ほどに垣間見た女性の姿が脳裏にちらつかされていた。その直後、そのときの女性と同じ特徴を有した少女が目の前にいる。その女性との関連がどういったものであるのかさえ今はわかりようもないまでも、それがカミルにとって何らかの手がかりがあるのかもしれない。
“もしかすれば何かを知っているのではないだろうか?”
少なくともカミルにはそういう思いがあったことは紛れも無いことであった。
床に横たわったままの少女をそっと抱える。あまりにもの軽さに驚きを見せるも目覚めを促すべく身体を大きく揺らすことを試みる。
「大丈夫…?僕の声が聞こえるかい?」
「ぅ…ん…」
何度目か身体を揺らすことに少女は小さいながらも反応を見せる。
「カミル、これを。」
そう言ってアルティースは腰に帯びていた羊の胃袋で作られた小さな皮袋に入った水をカミルに手渡す。
「…ありがとう。」
皮袋を受け取ったカミルは口で木製の栓を抜き、鹿の骨を筒状にくり抜いて作られた注ぎ口を少女の口にあて、ゆっくりと注ぎ込む。
長い間渇ききった口に潤いが戻った少女は無意識のうちに咽を動かすのをカミルは確認してから、数度に分けて再びゆっくりと水を注いでいった。
身体に入り込んできた清涼感を得てわずかに呻いてから、少女はゆっくりと開く。そこには髪の色よりもさらに深い鮮やかな緑色があった。
「…大丈夫かい?」
少女の翠玉のような瞳とカミルの青い瞳の視線が重なり合う。
「……?」
どういう状況であるのかを把握しきれていなかったのか、少女は今一度瞳を泳がせてからカミルと視線を重ね合わせると、問いかけるカミルの声に応じてカミルの腕の中の少女はその容姿に見合う澄み渡る声を響かせた。
「・・・・・・
エスディなの?それとも…」
しかし、そこまで言って再び少女の瞳は閉じられていき、身体を力なくうなだれさせていってしまった。
「!?
エスディ…??」
少女の口から唐突に発せられた名前に心当たりがあるわけでもなく、カミルは一瞬当惑してしまう、それでも少女の言葉をもう一度聞こうと何度も呼びかけようと身体を揺らしはするも、再び眼を閉じてしまった少女はこの場において目を開けることは無かった。
ただ、少女の息遣いをカミルは確認できていたのか、少女を抱きかかえたまま立ち上がる。
「また眠ってしまったみたいだね…。」
「そうですか。」
アルティースはその少女の姿を見て模索を繰り返す。
「しかしこれは…どういった…」
従来の人種とは異なり、先端が長く尖った状態の耳をした者。アルティースの知る限りにおいてそれは一つしか該当するものは無い。しかし、アルティースの中にそれがどうしても辻褄の合わない部分が生じていることも確かにあった。
ただ一人、ヴァルカノンだけはアルティースの疑問に冷静な分析から答えを導き出し始めていた。
「そうか…そういうことだったか。」
「ヴァルカノン…?」
「ここはあの時のまま、ずっと時を止めた空間だったということだ。」
「あの時のまま?」
「…大戦の時といったほうがわかりやすいかもな。」
「…っ!?」
「大戦の時というのであれば…
それでは…つまりあなたは…今我々は二千年前のどこかにいるということなのですか!!??」
ヴァルカノンの言葉があまりにも突拍子の無いものだったのか、アルティースはやや声を上ずったまま問い返す。
「…そういうことになるな。」
にわかに信じられるものでもなく、アルティースは半信半疑のまま周囲を見る。
だが本当にヴァルカノンの言うことが的を射ているというのであれば、アルティースの考えも確たるものへと変わってゆくことになる。
「それじゃ、この子は…?」
「もしここが二千年前であるのであれば、おそらくこの少女はヴァリアスの生き残りと考えていいかもしれません。」
そういってカミルの腕に抱きかかえられた少女の他の者とは異なる形状の耳を指差す。
「この異形の耳が何よりの証です。その当時のヴァリアスというのはこういった形状の耳をしていたと伝えられていますので。」
ヴァリアスは先の大戦時、大きく数を減らしていた。事実、今となっては当時のヴァリアスにあった特徴、すなわち他の種族とは異なる先端の尖った耳の形状をしたものは誰一人としていなかった。ヴァリアスとしてはもっとも上位にあるヴァルカノンでさえもそれは言えることである。
少女の容姿から見て大昔のヴァリアスの生き残りであることは疑いようが無い。
「そういうことだ。」
ヴァルカノン自身もアルティースの仮説に頷くことで同意を示す。
「だけど…それだったら、どうしてこの子は僕を見て…
それにエスディっていうのは…?」
アルティースの仮説に異を唱えるというわけではなかった。しかし、実際に少女はカミルを見て聞いたことのない名を呟いていた。それが本当にカミル本人を指していたのかは定かではない。しかし、この事象を前にして自身の存在というものの所在がますます不確定の要素が混ざりこんでくる思いがあった。
「それは…」
アルティースにおいてもカミルの言葉に対し明確なものを見出すことは出来ずにいた。他人の空似と言ってしまうようなものであれば、これほど陳腐な答えはない。
「…二人とも、この場で論じるのは後回しにしたほうがいいようだ。」
「…?
ヴァルカノン?」
「先ほどから魔力の流れに変化が生じている。どうやらここに何かが起こる前兆かも知れん。」
「魔力の流れ…」
ヴァルカノンの言葉を受けてアルティースも周囲に漂う魔力を感じ取る。
事実、これまでにあった強い魔力は失われ、周囲に漂っていた魔力も断片的なものに変化していた。
「たしかにこれまであった魔力が感じられません…
…これはっ!!?」
途切れ途切れになってしまっている魔力を感知したアルティースからはやや青ざめた様子が伺える。
「もしかするとこの空間を維持していた魔力が失われて行っているのでは…!?」
「それって、どういう…!?」
「もしこの魔力が失われるということであるならば、この空間ごと消滅する可能性があるということです。」
「…!?
ここにいたら僕たちは外に出られないということかい…!!??」
「そういうことだ。」
「だったら、急いで戻らないと!!」
全員の同意の下、カミルたちは踵を返し元来た道を足早に駆ける。カミルの腕の中には再び意識を閉ざしたままの少女が抱きかかえられたままでいた。