第08節
「ふっ、こいつはどうやら本能で私に何かあるとでも見たかな!?」
やや悪態じみながらも目の前の巨竜に対して敵視される自身の姿に不意にヴァルカノンには口元を歪ませてしまっていることを自覚する。
逆に目の前に纏わり付かれている状態にある巨竜は苛立ちを募らせているのか、それらを払いのけようと長い首を振り、尾を叩きつけ、前足を振りぬく。
僅かにかするだけであったとしても巨竜の前足の先端にある巨大な爪は目の前の邪魔者を屠るだけの勢いを十分備わっているだけに回避する側の身のこなしの高さを要求される。
空気を斬るような轟音を響かせながら振りぬかれる爪の応酬の中、それでもヴァルカノンは身一つで回避に専念する。
ここで反撃に転じようものであれば、たちどころにその攻撃は弾かれ、そのまま巨竜の爪にはヴァルカノンたちの血肉を付着させてしまうことになるだろう。
ある程度の距離に達した時、爪による攻撃が届くことがないと判断した巨竜はヴァルカノンへの攻撃を諦めたかに見えた。
だが次の行動によってその考えはたちどころに払拭させられようとしていた。
巨竜はその長い首を天高く持ち上げると、大きく息を吸い込み周囲の空気を取り込もうと自身の肺の中を膨らませてゆく。
「ちっ、まずいな…」
この時点でヴァルカノンにはこの巨竜の意図するところを正確に読み取っていただけにこの次の展開を予測できていた。
「カミル、アルティース、ドラゴンの動きから目を離すな!!」
「っ!?」
ヴァルカノンの言葉に二人は身を締める。
次の瞬間、ヴァルカノンの立つ方向に巨竜はその自らの口を上下に目一杯開け放たれていた。
ヴァリアス、かつてドラゴンと呼ばれた種族が地上最強と呼ばれた由縁がここにある。
その巨大な体躯、剣をも通すことのない堅い鱗で覆われた皮膚、岩をも貫き通す牙と爪を有している最強の生物。さることながらドラゴンという種族の最大の武器といえば、その口から吐き出される強大なブレスであると言われている。
ドラゴンの種によってブレスの種も多様さを見せてはいるが、目の前に立つドラゴンの口からは真っ赤に燃え盛る炎がうなり声を上げ、吐き出される空気に乗じて凄まじい速さで纏わりつく邪魔者を焼き払おうと襲い掛かる。
「くっ…」
ヴァルカノンの羽織るマントの一部をドラゴンの炎で焦がしはしたものの、僅かな差をもってヴァルカノンは炎の直撃を浴びることなく身を翻す。しかし炎の熱はヴァルカノンの身体を蝕もうとしていた。
「さすがに厄介なものだ…」
そういいながらもヴァルカノンはドラゴンの立つ辺りに駆け出し始めていた。
「!?
ヴァルカノン!!」
カミルはヴァルカノンの行為を見て思わず声を荒げる。ドラゴンに近付くことになれば再び鋭い爪と牙の応酬が待っていることは明白であるだけに。
ヴァルカノンとてカミルの思う辺り承知はしている。それを知っていながらなおもドラゴンに向けて駆け出す。
「いかにドラゴンの炎が強力とて、懐に飛び込んでしまえば、なんということではない!!」
ヴァルカノンはドラゴンの首もとめがけて剣を突きたてようとする。
いかに剣を弾くほどの堅い鱗を有するドラゴンであっても、むざむざと突きたてられまいと前足を振り上げて対応しようとしていた。
ビュッ!!!!
凄まじい轟音をあげながら鋭い爪を振り上げるもそこにヴァルカノンの姿はなかった。
近付く前よりすでに前足の迎撃を読んでいたヴァルカノンは剣を突き立てるのではなく、深く身を沈めドラゴンの懐にもぐりこみ、ドラゴンの視界から姿を消した形をとっていた。
巨竜はヴァルカノンの姿を見失うや長い首と尻尾を振り回して姿を捉えようとする。
だがヴァルカノンは巨竜の懐を通りぬけ、すでに視野の外に抜け出していた。
そしてヴァルカノンが巨竜の視界から姿を消すのと同時に新たに視界の中に入ってくる姿を巨竜は捉えていた。
「ドラゴンよ、僕はここだ!!」
声を張り上げ存在をアピールするかのごとく、カミルは巨竜に向けて剣を手に駆けつけていた。
当初の目標を見失っていた巨竜もヴァルカノンに執拗になるわけにはいかず、新たに近付いてくるものに対して迎撃しようとカミルに向けて頭を向け始める。
距離がつまっていないカミルに対し、巨竜は再び口を開け頭部ほどもある巨大な火球を吐き出してゆく。
「!!?」
カミルは眼前に襲い来る巨大な火球に対し身を捻って回避する。
一つめの火球を回避した後も巨竜は続けさまに炎を吐き出し続けてきた。
幾重にも襲い来る火球をカミルは持ち前の俊敏さでかわし続けてはいた。しかし絶えず襲い続ける火球の応酬に回避だけでは限界が生じ始めてもいた。
何度目かの火球はカミルが回避しようとしていた位置へと襲いかかろうとしていた。
「まだだ!!」
迫り来る直撃弾に対してカミルは背中にあった大剣を抜き、振り払う。
火球はカミルの大剣の一閃によってその形状を二つに割き、カミルの左右を通過していく。
カミルの大剣は先端が欠けた不完全な形状のものではあるものの、その剣には複雑な魔力を込められて造られた形跡を残されたままでいる。
そのかけられた魔力によりカミルの剣には魔力を弾く力を生じさせていたことをカミルは記憶の新しい位置に刻んでいた。
「ほぅ…」
この様子に遠くで見ていたヴァルカノンも感嘆の声を漏らす。
それが技量によるものなのか、それとも手にする剣によるものなのか、定かではなかった。
さすがの巨竜も吐き出した火球のそのことごとくをかわす、その上に斬りおとされるという様を見せられ業を煮やしたのか再びその巨体を動かし、牙、爪をもってカミルに襲い掛かる。
「!?
こっちだ!」
カミルはそれを待っていたかのように巨竜をヴァルカノン、アルティースから引き離しにかかろうと距離を取る。
巨竜相手にしてまともにぶつかり合うわけにもいかないだけにカミルは追おうとする巨竜に背を向け駆け出す。
すでにカミルに狙いを定めていた巨竜はカミルの思惑のまま、狙いを変える事無く胴体ごとカミルに身を向けていた。
「グオォォッッッ!!!」
すでに怒りで我を忘れているかのように荒れ狂う巨竜は追走しながらも口を開け再び火球を吐き出す。
「くッ…」
ドラゴンの執拗な攻撃を再三かわすことが出来てはいるが、空間が無限に広がっているわけではないために逃げられる場所にも限りがある。
いよいよ追い込まれようとした時、巨竜はさらに大きく口を開き、顎をカミルに向けて曝しては体内に空気を取り込み始める。
「!?まずいぞ…
一気に炎を吐き出すつもりだ!!」
ヴァルカノンの言葉より早く巨竜は体内に溜め込んだ吸気を体内にて生み出す赤く燃え盛る炎とともに銀髪の剣士に向けて一気に吐き出す。
「!?
…っ!!」
炎の速度は凄まじく速く瞬く間にカミルが立っていた場所まで到達していた。
その周辺を黒く染め上げ、その周囲を跡形もなく焼き尽くす。残されたのは熱によって視界が歪んで映った黒い景色のみだった。
しかし、その炎はカミルの身体を焼くことはなかった。ただその場に残り火が燃えるのみでしかなかった。
このときカミルはドラゴンに向けて一気に踵を返し、炎が吐き出されるその間一髪とも言うべきタイミングでドラゴンの懐深く滑り込むことに成功してはいた。
しかし、巨竜もカミルが懐に潜り込もうとすることを察知していたこともあってか、再び四肢の中に潜られることをよしとせず、カミルを叩きつけようと前脚を振り上げていた。
「くっ…!?」
「守護竜よ!!!」
カミルに向けて前脚を今にも振り下ろそうとするのとほぼ同時のタイミングだった。
さらに別の方向からの声に巨竜は一瞬前脚を振り下ろすことを止めていた。
その一瞬のことでカミルは巨竜の攻撃を回避するに十分な時間だった。
「!?」
突如の声により辛くも巨竜の四肢を掻い潜る中、カミルは離れた位置に立つ先ほどの声の主でもあったアルティースの姿を捉える。
巨竜からは距離があったものの、今の声によって巨竜の意識は確実にアルティースへと向けられてしまっていた。
距離がある分、巨竜はアルティースに向けてブレスを吹きつけようと再び息を吸い込み始める。
「まずいぞ、アルティース!!」
カミルが叫ぶよりも早く巨竜は強烈なまでの炎を帯びた息を吐き出すも、その炎はアルティースにまで届くことはなかった。
巨竜が開口するほんの僅かの間に吟遊詩人の青年は手にしていた竪琴を一度だけかき鳴らし、その手を天高くかざし巨竜に向けて振りかざす。
その手には誰の目にも見えるほどの魔力の光を放っていた。
アルティースが手を振りかざすことによってドラゴンと吟遊詩人との間には一瞬にして巨大な氷の壁が形成されていた。その分厚い氷の壁によってドラゴンの吐き出す炎は吟遊詩人にまで届くことはなく、炎は氷の前で阻まれていった。
「炎を…、すごい…」
カミルはアルティースのまわりに漂う強大な魔力を感じ取っていた。
炎を阻む巨大な氷の壁に巨竜は炎を吐くことをやめ、自らの身を当てて破壊しようと身体をぶつけてくる。
「・・・・・」
巨竜が氷の壁に身を当て、炎を防ぎきった分厚い氷の壁ではあったが、たちどころに幾重もの結晶、破片となって砕け散っていった。
しかし氷の壁を抜け出したその瞬間、何もなかったドラゴンの周囲に白い靄のようなものが立ち込め始める。
「アルティース…!?」
アルティースの手の先に再び魔力が集中する。
それによってドラゴンが立つ周囲は急激に空気が冷やされてゆき、空気の流れはドラゴンの方へと流れてゆく、やがて空気中に漂う水分は水滴と代わりそして結晶へと瞬く間に姿を変えてゆく。
そして、その結晶は徐々に大きくなり、巨竜の四肢を固めてしまうほどの巨大な氷の柱を生み出していった。
「デアブリスト!!!」
アルティースが唱えた魔法は高位の魔導師でなければ扱うことを叶わぬほどのものだった。
その魔法は周囲をも凍てつかせるほどの冷たい空気を漂わせながら、アルティースがさらに手を振り上げると、周囲に漂う冷気は全てを凍てつかせる突風へと変貌し、飛礫とともに巨竜に襲い掛かる。
急激に冷やされた空気はたちどころに氷結され、徐々に結晶が巨大化してゆき巨大な氷の刃が生み出されてゆく。
詠唱とともに放たれた氷の刃は幾重にも巨竜を狙うように襲いかかる。
巨竜に当たる瞬間、氷の刃は衝撃とともに砕け散り、小さな破片からは新たな結晶となって巨竜を包み込み始めていった。
「凍てつけ!!」
大きく手を振り下ろし、空気が張り詰めたような音とともに次の瞬間、巨竜は巨大な氷塊の中に包まれ、その動きを停止させた。
「…
すごい…」
その様子を見ていたカミルはただ呆然と眺めるほかはなかった。
氷塊が微妙な揺れとともに亀裂が生じるまでは。
「!?
まだ、止まっていない!?」
アルティースの放つ魔法であってもドラゴンを芯から氷結させるに至ったわけではなく、ある程度の時をもってすればそれは脆くも砕け散るに過ぎないものだった。
しかしそれはドラゴンを倒すというものではなく、当初の目的どおり時を稼ぎ、ドラゴンの注意を引き付けておくという点においては十分に目標を果たしていたということを金髪の若者は理解していた。
巨竜がアルティースの放った氷を砕きつくした時、すでに巨竜の懐の前に立つヴァルカノンの姿があったことを巨竜が気付くのにはすでに遅かった。
ヴァルカノンは巨竜の腹部を曝す部位に手をかざし、瞬時に魔力を高め、一気に解き放つ。
「デアライトニング!!!」
短い詠唱の後、ヴァルカノンの手のさきより生み出された巨大な球状に凝縮された雷の玉はゼロ距離に近い位置において巨竜にぶつけられた。