第04節
「そういえば…」
「何か…?」
「この道がこれまで誰も通った形跡がないことに、さっき何か言いかけていなかったかい?」
カミルの指摘にアルティースは戦闘前の出来事を思い返す。
「ああ…いえ、それは…」
アルティースの発言はやや歯切れの悪いもので、どこかに言葉にすることを迷うかのようなそぶりを見せていた。
「アルティース?」
「今、ここで詮索してもはじまりません。もうすぐ当初の目的地に到着します。
そこにいけば…」
どこかぎこちないままでいるアルティースの態度にカミルは訝るも、アルティースの言も正論とも言えるものであることと、カミル自身にそれに反論する材料を見出せないことから、それ以上の追求をカミルもすることはなかった。
それから二人は再び前足竜の手綱を振り、東への道を進めていった。
アルティースの推測が現実のものとして目の前に映し出されたのはそれから二日先のこととなる。
すでにソルビナを発って四日が経過していた。
これまでは荒地ながらもまだ平坦な道を進んでいたが、ここにきて道に傾斜が生じ始めていた。
カミルたちは平坦な荒地から巨大な岩山が聳え立つような山岳地帯へと差し掛かった時、二人の行く手に現れたのは巨大な岩の壁ともいうべき鋭い傾斜の岩山だった。
「おそらくトレイアはこの先でしょう。」
「だけどこんな岩山をどうやって…?」
「いえ、トレイアは岩山の中に存在するといわれています。おそらくトレイアに通じる道がどこかにあるはずです。」
「山の中に…」
ほどなくして、アルティースのいうように岩山の一片を綺麗に切り取られたかのような細い道が岩山の奥へと続いていた。
二人は並んで進むこともままならないほどの細い道を進めていった。
道というよりは細い渓谷の谷底を歩いているかのような感じがする。綺麗に切り取られたかのような岩肌をむき出しにした左右の壁面は光を遮断させてしまい、道は昼間だというのに切り立った断崖には光が届くことはなく、足元がよく見えないほどに薄暗いものだった。
天を見上げると青い色の空が一筋の線のように映し出されていた。
「見えてきました。あれがトレイアのはずです。」
「…!?」
薄暗い世界の中の先からやがて光が一筋通り始め、狭い岩肌は徐々に拡がりを見せ始めていた。
谷底の道を完全に抜けた時、カミルたちが目指していたトレイアの姿が二人の視界に広がってくる…はずだった。
だがそこにあった光景は二人に言葉をなくさせてしまうほどに十分なものだった。
街はいくつかの区画に分かれていたことは見渡す限りにおいては見えてはくるものの、それはもはや人の住んでいる気配など微塵も見せることのないものだった。
建物の原型を留めたものはすでになく、残骸のみが各所に散らばるだけの灰色の世界。
「どういうことなんだ?」
「やはり噂どおりでしたか…」
「噂…?」
アルティースはカミルにトレイアにまつわる噂を話し始める。もっとも現段階でこの噂は本当のものとなっているのだが。
「もう十年前くらいになりますか、この付近を巨大な地震が襲ったといいます。
それは大地を揺らすだけでなく、この周囲に点在する火山を刺激させるものだったそうなのです。」
「火山…」
「その噴きあがってきた灰や煙によってここら一帯は…」
そういいながら再び目の前に映し出される廃墟と変わり果ててしまった周囲を一瞥する。
「そうだったのか…」
「申し訳ありません、あくまで噂の範疇でしかなかったのでこうして目の当たりにするまではなんとも言えるものではありませんでした。」
「いいんだ。それに…」
「?」
あるいはこの話を聞いてカミルはここまでくることを躊躇っただろうか。
そんなことでカミルの手がかりを見つけようとする旅に揺らぎなど微塵も見せないという意思の表れをアルティースはカミルの表情に見出していた。
カミルはしばらくの間、言葉を切ったままかつてトレイアがあった廃墟を見続けた。
カミルの記憶の中にはっきりとした光景ではないものの、ここが廃墟となる前の姿をおぼろげながらも知っている…様な気がしていた。
もしかすれば以前にやってきたことがあるのかも知れない。そう思わせる確たる何かがあるわけでもない。もしかすればただ、カミルがそうありたいという願望がそう思わせているだけなのかもしれない。
「…まだ手がかりが見つけられなくなってしまったわけじゃないからね。」
それでもカミルはアルティースにそう言い放つと目の前に見せられた不安を払うように前足竜の手綱を振り、廃墟となったトレイアへと足を運んでゆく。
「…そうですね。
ここからかすかとはいえ感じられる魔力。ここには何かがある証なのかもしれませんね。」
カミルにやや遅れながらもアルティースも後に続いて二人はすでに廃墟と変わり果てたトレイアの地に足を踏み入れる。
二人が足を踏み入れた世界は、周囲を建物の壁面、柱だったものから道に至るまですべてが灰色一色で、文字通り色を失った世界と呼べるものだった。
すでに時間を止めてしまっているこの場所には以前まで人がいたなどという名残すら失われてしまっている。建物は石造りによって形成されたものがほとんどで、もし滅亡することなく現存し続けていたのであれば、ライティン達の住む都市とも遜色のない文明を有していたことであろう。だが今となっては石造りの建物でさえほとんど原形をとどめることのないこの原初に回帰していった灰色の塊に帰してしまっていることが人の生み出した文明を皮肉めいているようでもあった。
この場所においてカミルの手がかりなど手に入れられることなどありえるはずもないということを思わせるのに十分すぎる要素を含んでしまっている。おそらくほとんどの者はこの惨状を目の当たりにしたとき、絶望に拉がれてしまうだろう。しかし、何日もかけた末に、ようやくたどり着くことの出来た、何よりこれまでの旅をしてきたカミルは恩人ともいうべき者と別行動をとってまでここまでやって来たのだ。当然ながらこの惨状を見る限りで納得のいくはずもなかったのは言うまでもない。
そんな思惑のカミルの想いが天に通じたかのように、トレイアの廃墟は奥へと足を運んでゆく二人の目の前にとてつもなく異様な光景を見せようとしていた。
「こ、これは…」
二人が目にしたものは文字通り何もない空間。底が見えないほどにぽっかりと開けられた巨大な空洞だった。
その直径は以前カミルがアファで滞在していたファラージュの邸宅をすっぽりと飲み込んでしまうほどの巨大なものだった。
以前まで町の中心に何があったのかさえ知り得る術さえ失われてしまっているその穴を前に二人は言葉を失ったまま呆然とその巨大な空洞を眺めていた。
「遠くからでは断崖くらいに思っていたけど…」
「まるで地獄の底まで通じているかのような穴ですね…」
「・・・・・」
「これも火山によるものなのだろうか?」
「さすがに今となっては何とも言えるものではありませんが…」
「アルティース?」
「いえ…ただ、感じませんか?この魔力の流れを。」
「魔力…」
この世界のすべての人間、生物、自然において魔力というものは存在している。個々においての差というものはあるとはいえ、ライティンやヴァリアス、そしてサーノイドにおいても例外ではない。
そして魔力の強いものは他の魔力をも感応する術を身体に自然と身についているものである。カミルといえども例外ではない。だが今のカミルにはアルティースの感じ取る魔力を感じるには至っていない。
「おそらく、この廃墟のどこかに何かがあることは間違いないでしょう…
ですが…」
「??」
「残念ながら、あまり時間がないことも事実です。」
結局のところ、日が傾くころまで廃墟を散策し続けてはいたものの、魔力の根源ともいうべきものを突き止めるに至ることはなかった。
何かを得ることなどあるはずもなく、失意のままに二人とも今日のところは適度に夜露を凌げる場所を探して火をおこして夜を過ごすことにした。
周囲を灰色に染め上げたこの世界であろうとも、夜空に瞬く星はどこまでも平等に光を降注ぐ。二人は既に出発のころより半分になった食料を消費させては、前足竜にも飼い葉を与え、持ち合わせていた薪に火を灯しながらしばしの休息をとっていた。
「あまり言いたくはありませんが、このままいたずらに時を費やすのであれば、一度ソルビナに戻ることを勧めます…」
「・・・・・うん。」
この時点でカミルはアルティースの言葉に明確な返答を返すことはなかった。
トレイアにおいて食料の調達をわずかに期待はしてはいたがそれすらもままならず、すでに食料や水も残りを考慮するとアルティースの言い分においては理にかなっている。
アルティースの時間がないと言うところもまさにその点にあることをカミルも承知してはいた。
こうなった以上は一度ソルビナまで引き返し、装備を充実させてからここに戻ってくるという案を取るべきなのだが、カミルはその場に腰を下ろしたまま、顔の前に両手を組み、視線はじっとゆらめく炎を眺め続けながら出した結論はアルティースの提示した案とはやや異なることだった。
「あと一日、明日になって何も得るものがなければ、アルティースの言葉どおりにするよ。」
「…わかりました。そういうことであれば。」
カミルの思惑もアルティースにはそれなりに理解してはいる。
ここまできて何も得られないのであればさぞかし無念極まりないことになるだろう。
その心痛がわかるだけにアルティースもカミルの言葉に否定することはできずにいた。
「ともかく、明日、やれるだけやってみましょう。」
「うん…」
日が昇り始めた頃には二人はトレイアの廃墟の散策を再開していた。
「これほどの文明がこんな奥地に存在していたとは…これは実に興味深いです。」
アルティースは建物の名残に目を向けながら呟く。
ラウナローアの中では一際文明の進んではいるライティンでさえの入ることのないであろうこの奥地において石造りの建物が立ち並ぶ中、きっちりとした区画整理がなされた街並みであったであろう姿を思い浮かべると、その当時の情景を想像してみてはアルティース自身、歴史の探求者としての影を覗かせている。
カミルに引き返すと、この場にとどまることに否定的な発言をした手前アルティースとしては言葉にしにくい部分もあるが、この場にとどまりたいと思うのはアルティースにもあったことは事実である。
ある程度の散策を果たし、二人はまだ足を踏み入れていない箇所を確認しあう。
「…たしかまだこの奥へは進んでいませんね。」
「そうだね…いってみよう。」
魔力を感じることが出来るのであれば、その根源を突き止めることも不可能ではなかった。
だが、空中に浮かんでいる雲をも思わせるような周囲に漂うしかない魔力の元を辿ることは今のアルティースには難しいものだった。
この地に何かがあることはわかっていながら、その核心を見出すことが出来ずにいる。もどかしい思いの中、二人の前に現われたのは岩山に隠れたように建つ山の上にまで伸びた巨大な塔の姿。そしてこの誰も足を踏み入れることのなかった地に立つ一人の男の姿だった。