第02節
トレイア大陸西岸には港町が二つ存在する。
南に位置する港をマグニア、主にアファ平原最南端に位置するエルザとの交易が行われている。そしてもう一つの港町であり、アファ最大の港町であるエルダーンとの交易を行う大陸最大の都市でもあるソルビナである。
この大陸特有の赤色を帯びた石を建材にした建物が多く立ち並ぶこの街は別名“赤い港町”としても呼ばれている。
ソルビナはトレイア最大の港として以前まではアファとラクローンにまで船を出してはいた。だがラクローン方面の海路が魔物の頻繁な出没によって事実上塞がれてしまっている。それゆえにソルビナの交易はアファのみで賄われている。
アファからは主に穀物や農作物などを、ソルビナからは多くの資材や宝石といった鉱物がアファへと送り込まれている。
南方に位置するマグニアにおいては鉱物より採取される液体、とある時代においては石油と呼ばれるものが採掘される。だが北に位置するソルビナでは鉱脈が存在しないためか、石油の採取は行われてはいなかった。
ソルビナの人口比はヴァリアスが七割でアファより移住してきたライティンが三割程は存在することも特徴的である。
南のマグニアにおいてもヴァリアスとライティンの人口比が8:2とソルビナほどではないとはいえライティンの移住者が確認されている。
アファにおいてもさることながら、こういった他民族が一つの集落において存在するということは二千年前の大戦のころにおいては忌避されることであったことだろう。
時代の流れはゆるやかではあるものの、そういった風潮の融和を是として動き始めていた。
大型船舶を直接接岸できる巨大なバースの周囲においてはいくつものロープが船から下ろされ、それを手に引き波に巻き込まれないようにしっかりと船を押さえ、とその船を停泊させるために甲板やマストにおいては多くの船乗りがこれまでにないほどの忙しさを見せていた。
エルダーンを出た大型船舶は三日間の船旅を終え、トレイアの地に接岸した。
錨を下ろし、完全に船を停泊させると跳ね橋を架けて乗客が船から陸に足を踏み入れた。
「するとカミルはトレイア地方へと向かうというのですね。」
「うん、そこに何があるのかはわからないけど…」
自身の記憶がないこと、トレイアに手がかりらしきものがあるかもしれないということ。
カミルの事情に関しては船の上である程度のことはアルティースに話していた。
ただガイナーと同じ様にカミルもまたメノアの洞窟の封印のことや、アファの樹海に関することはアルティースには打ち明けてはいない。
トレイア地方、大陸と同じ名を持つことから外部の者からすれば少し混乱を生じさせてしまいがちではあるが、この大陸の住人にとってトレイアといえば、大陸中央に位置した古くからの民族が集まるトレイア唯一の国家ともいうべきものである。
「ただ、ここからそこに行くとなると…
そうですね、徒歩だと五日以上はかかると思いますが。」
「五日か…」
「どうしますか?この街でなら前足竜を調達することも可能ですが。」
「前足竜…?」
トレイアの大地はそのほとんどが岩場や荒地といった地形が拡がっている。
そんな場所において馬を使用するとなると馬の負担が非常に大きく、それほどの距離を奔ることなく馬が倒れてしまうこともある。
岩場や、砂漠といった足場の悪い地形においては前足竜の使用頻度は高いものとなっている。
前足竜とはトレイアの北部に多く生息する二足歩行を行う草食竜の一種であった。
大きさからいえばテラン大陸で使用する馬とそれほど体躯に大差はないが、その強靭な脚力は劣悪な地形において絶大な移動力を誇る。
もともと未だに爬虫類の姿をした存在であることから、ヴァリアスになり損ねた、人になることがなかった罪深いものともいうもはや侮蔑に近い扱われ方をしていた時期もあった。当然ながら、そのようなことは偏見に過ぎない。
だが前足竜は次第にその強靭な脚力からくる労力を買われ、非常に重宝されていった。
今では一部のライティンの都市においてもトレイアからの流れで使用はされており、草原においては馬に速度は劣るとはいえ、馬の労力をも上回っている前足竜を使役する地域も存在していた。
「そうだね。ここは効率のいいほうを選ぶほうがいいだろうからね。」
「わかりました。それでは前足竜を扱う者に声をかけてみましょう。」
「だったらこれを預けておいたほうがいいね。」
そう言いながらカミルは自身の腰に付けていた巾着状の袋をアルティースに手渡す。
袋の中身はアファを発つ前にリーザが路銀の足しにして欲しいと手渡してくれたものだった。ただ、路銀の足しとはいうものの、その中身だけで地方であれば数ヶ月は十分に暮らしてゆけるほどの金額であったことをカミル自身気付いてはいない。
そのあたりがカミルのやや世間からずれた存在であった印象を持たせてしまう。
「いえ、ここは提案した私がご用意させていただきますので、ご心配には及びません。それに前足竜を調達するくらいであればそれほど必要にはならないでしょうし。」
袋を受け取ることなくアルティースはカミルに袋をそのまま返し、前足竜を取り扱う者をたずねてこの場を後にしていった。
そう言ってからのアルティースは妙に手際がよかったことにカミルは思わず感心してしまっていた。
しばらく間をおいた後、アルティースは二頭の前足竜を手に入れてきたことをカミルに知らせるためにカミルのもとに戻ってきてから首尾を伝える。
「話を通しておきました。
明日の朝、街の出口で引渡ししてくれるそうです。」
「すんなりと手に入ったんだね。」
「トレイアであれば前足竜は馬よりも手軽に手に入るものですよ。」
アルティースの言うように、実際この付近においても前足竜の繁殖は行われてはいることから、この地方での前足竜の価格は買取りといってもそれほど高いものにならない。
アルティースもその辺りを熟知しているのか、そういった前足竜の生産者ともいうべき者に声をかけて前足竜を調達してきていたという。
その後、旅に必要となる携帯食料と前足竜のための飼料となるものなど、気が付けば新たに買い足したザックに背負うのにも苦しいほどの荷物になっていた。
「随分な量になるんだね。」
カミルの場合、ガイナーと二人で旅をしていたときでもそれほどの荷物にならなかったことからか、膨らみきったザックを見てやや驚きの色を見せていた。
「まぁ、前足竜に載せてしまえばそれほど苦しいものにはならないですから。
さて、今日はどこかの宿にでも入って明日に備えることにしましょう。ベッドの感触を味わえるのも今のうちですからね。」
「…そうだね。」
二人はすぐ近くに営んでいた酒場と一体となった宿に部屋を取り、明日からの陸路の旅に備えることにした。
夜もすでに更け、階下にて開けられている酒場からの喧騒もやや下火に入った頃になっていてもカミルはベッドに入ることもなく、月明かりを身体に受けながらただじっと窓際で佇み続けていた。
夜が明けたら大陸を抜けていくことになる。わずかな間であっても身体を休めておくことが肝要である。それはカミル自身十分承知してはいた。
だが、今のカミルの中で身体は理解してはいても心のどこかでそれを拒んでいるかのような感じが残されたままだった。
トレイア、大陸で最も古い都市、そして古代ヴァリアス、すなわちドラゴンと呼ばれた種族の力を色濃く残した人種を主とした場所。
そこに行くことが出来ればカミルの手がかりとなるものがあるかもしれない。
それはほんの些細なことかもしれない。もしかすれば空振りに終わってしまうかもしれない。何よりファーレルであるはずのカミルにヴァリアスとの接点を見出すことのほうが難しいはずである。
そんな思考が脳裏をよぎると、言いようのない不安が募ってくる。
だがたしかにファラージュ邸にて屈強の大男が言い放った言葉を頼りにするほかはない。
何より、ガイナーたちには理解できなかった言葉、あの男が口にした言葉こそ、ヴァリアス特有の言語であった。そしてその言語をカミルは理解していた。
それこそがファーレルであるカミルとヴァリアスが存在するトレイアとの接点ではないだろうか。
「それでも僕は…」
それでも未だに図柄の把握が出来ないほどのバラバラにされたパズルのピースを埋めるように、カミルは自らの手で自身の存在理由を手繰り寄せようと足掻こうとしていた。
カミル自身の為に、そして今のカミルを知る人の為に…




