第01節
Act.06尖塔の竜姫 ~Lime~
ガイナーがラクローンへ向かうころ、カミルはただ一人トレイアへ向かおうとしていた。
自分自身のわずかな手がかりを得るために…
トレイアで待っていたのは荒廃した大地、すでに滅んだ文明の名残、そしてその中心にそびえ建つ塔にカミルは視線を向ける。
旅先でであった吟遊詩人アルティース、戦士ヴァルカノンとともに上る塔の中でカミルを待つものは…
登場人物
カミル・・・推定20歳ファーレル
記憶をなくしたファーレルの青年。
アファまで行動をともにしてきたガイナーと離れ、単身トレイアへと向かう。
アルティース・・・推定24歳不明
吟遊詩人として旅をする青年。
エルダーンにてカミルと行動を共にするようになる。
ヴァルカノン・・・推定27歳ヴァリアス
亡国トレイアの皇子だった旅の剣士。
「トレイアの黄金竜」という異名を持ったトレイアの皇子。
トレイアの尖塔に入るべくカミルと行動を共にする。
ライム・・・推定16歳ヴァリアス
トレイアにいたヴァリアスの少女。
その姿は現在のヴァリアスとは異なり、尖った耳と小さな角を有している。
“また出逢える日はきっとある。どうかその時まで…”
そんな約束をしたことがずっと遠くの記憶の片隅にあった。
それがいつ、どこで、誰と交わしたものだったのか、肝心のその辺りには靄がかかっているように不透明で何もわからなかった。
彼の記憶の中には、その約束だけが残滓のように小さく残されているだけにすぎなかったのだが、それだけが彼が手にしたいと願う自分への手がかりとなっていったのかもしれない。
その答えは未だに闇の中へと溶け込んでいくように遠ざかってゆき、自身の意識は光の中へと押し戻されようとしていた。
「…そろそろ到着しますよ。」
「ん…!?」
その言葉に青年の意識は夢の中から引き戻されていくかのように現実の世界に戻り、閉じていた瞳をゆっくりと開き始める。
「…っ!?」
ゆっくりと瞼を開けたものの、飛び込んでくる強烈なまでの陽射しを受けて再び目を閉じてしまいそうになるほどに細めてしまう。
船の上特有の穏やかな海風と暖かな陽射し、響いてくる波の音と船の揺れがなんとも青年の身体を心地よくさせてくれていたのだろう。
いつのまにか甲板の上に用意されていた長椅子に身を預けたままその心地よさに意識を遠くに運び去ってしまっていた。
いまだに夢心地のままにあった青年は頭を左右に振り意識を現実に引き戻そうとする。
その仕草に彼の銀色のしなやかな髪がゆらめき、陽の光を反射して煌びやかに輝いていた。
青年の名はカミル。端正な顔立ちに万人を惹きつけてしまいそうになる細くなめらかな絹糸を思わせる銀色の髪にあつらえたような蒼い瞳を輝かせている。
身につけているものが、鉄を薄く延ばしたプレートと呼ばれる肩から胸にかけて着けられた軽装の鎧に腰に帯びた剣を見るに、顔には似合わずに戦いを生業とした旅人であると伺える。
さらにその傍らには彼の身長の半分はあるような長い大剣を鞘に収めたまま置いていた。
「眠ってしまっていたのか…でも…」
カミルは先ほどまで見ていたであろう夢を振り返ろうと記憶の奥に意識を向けようとする。
だが今となってはどのような内容だったのか、その断片さえも思い出すことが出来ないでいた。
「…たしかに、以前にあったような気がするんだが…」
思わず海鳥が飛ぶ空に向けて一人つぶやく。
「…どうかしましたか?」
カミルの前に立った青年の声にカミルは我に返り、自分を夢から引き戻してくれたその青年に顔を向ける。
カミルの目の前に立つ青年は瑠璃色の髪を肩まで伸ばし、ヘイゼルの瞳をした一見すると女性にも見えてしまいそうなほどの美丈夫である。
水鳥の羽飾りをあしらった草色の帽子に同色のマントを羽織った青年の腕に持つ竪琴から見るに、吟遊詩人であると容易に推察できた。
彼の持つ竪琴は幾重にも金や銀で細工が施されたものである。その煌びやかさは竪琴というよりも一つの調度品としても十分に価値のあるようなものだった。
竪琴を持つ青年の名はアルティース。吟遊詩人として諸国を放浪しては多くの詩を綴ってまだ見ぬ世界を伝達する旅人である。
二人が並んだ姿はなんともどこかの貴族がお忍びで旅をしているかのような姿にも見えなくもない。おそらくこれほど端正な顔立ちの美丈夫を二人も並べて立つことは世界中を捜してもそう例を見ることもないだろう。
「いや、なんでもないんだ。」
そう言葉を濁すようなカミルを見たアルティースだったが、深く追求することはなく、広大な海原の先に見えるこれから足を踏み入れようとする大陸に目を向けた。
二人が出会ったのは今から三日ほど前のことである。
アファから東に二日ほどの歩いた距離に位置する港町エルダーン。
サーノイドの脅威に未だに晒されることのないこの港町は、ある意味でアファよりも活気に満ちているかもしれない。
だが以前まではラクローンへの玄関口として栄えてはいたが、ラクローンへの海路においての魔物の襲撃が頻繁に起こるようになってからは次第に交流が途絶え始め、今となってはラクローンの事情を知るものはいないほどになってしまっていた。
そのため、エルダーンが港として船舶を受け入れるのはエルダーンの沖合いにて漁に出る舟とラクローン以外のもう一つの連絡船、すなわち東に位置する大陸、トレイアへの船のみである。
トレイア大陸、アファやラクローンが存在するテラン大陸の東に位置する大陸である。
大陸のほとんどがごつごつとした岩場、荒地で占められ、耕作地となりうる平地は辛うじて大陸西部において存在するも、その面積は極めて少ないものだった。その大陸には独自の文化をもった人種が存在していた。
その種族の祖先はかつてドラゴンと呼ばれる生物として世界に君臨していたとも云われている。
トレイアに住んでいた民族をヴァリアスと呼ぶ。
そのドラゴンたちが人に姿を変えた名残としてライティンとは異なる先の尖った耳にその上に生える角を持つ容姿が特徴的ではあったが、それはもう過去の話である。
現在はライティンとなんら変わらぬ姿で存在し、ライティンの中に紛れてしまえばもはや判別がつかないほどにまでなっていた。
その大陸をめざしてカミルはアファから単身トレイアに渡ろうとしていたその矢先にアルティースと出会うことになるのは、その港の喧騒の中でのことであった。
通常なれば、カミルは吟遊詩人の唄など聴くこともなく、ただ三日おきにしか出ることのないトレイアへの連絡船に乗り込むところであったが、カミルはその歌声に足を止めた。
目の前の青年が竪琴の旋律に乗せて唄っていた詩に聞き覚えのある言葉を耳にしたからであった。
“おお偉大なる竜の姫君よ、大いなるときの流れに逆らいて… …戦士を待つのか…”
「!!??」
ふとこの一節を耳にして足を止めた。
カミルはファラージュ邸にて受けた言葉が脳裏をよぎらせた。あの時、傭兵ヴァイスがカミルに投げかけた言葉が浮上してくる。
『トレイアに行ってみろ、そこで待っているものがいる。』
それはガイナーたちには理解しがたい言語で語られたものではあったが、その言葉をカミルにだけは訳することが出来ていた。
それに類似するような響きを目の前で竪琴を奏でながら唄う青年から発せられていた。
なぜヴァイスが言っていたことと似たものが詩となっているのか、カミルは思いを巡らせるも結論に達するには至らなかった。
「あの…何か?」
思いを馳せるカミルの前に、不意に青年のほうから声を掛けてきたことにカミルは我に返る。
いつの間にか演奏は止み、青年はカミルの前に立っていた。
「あ…いや、あの…さっきの詩は…」
「ああ、この詩ですか。
これはトレイア地方に伝えられたという詩の一節です。」
「トレイアの…」
「この詩に興味がおありでも?」
詩人としての青年からすれば自身で奏でる曲にあわせて紡ぎだす詩に共感を持てる者があるということに目を輝かせる。
「いや、少し聞いたことがあるような言葉を耳にしたような気がしたんだが…」
「…」
カミルの言葉に青年は再び手にしていた竪琴をかき鳴らしはじめ、目の前で同じ歌を唄い始める。
「これに語るは竜族を愛した戦士の話。
大いなる神よ、ここに一つの歌を捧ぐ。」
竪琴は歌にあわせて旋律を奏でてゆく。
「この地獄へと変わり果ててしまった無慈悲なる世界よ、あなたは私の周りから全てを奪い去って行った。
私の愛するものまでも…」
「・・・・・」
カミルは青年の唄う詩の一部始終に耳を傾けた。
すでにカミルの周りには多くの聴衆が集まってきていたことにも気付かないほどに。
「…偉大な存在にして哀しき竜の姫君よ、大いなるときの流れに逆らいてまで戻ることのない戦士を待つのか…
その流れる時を傍観してまで見つめ続けている先に何がある。」
一通り唄い終わり竪琴の音色が止むと、カミルの周囲には拍手の渦が巻き起こっていた。
青年は帽子を取り、周囲に軽い会釈を交わし、カミルの前に再び立つ。
「…いかがですか?」
「…この詩の内容に僕がどのように関係しているのか今はわからない。でも…」
カミルの中に何かが引っかかるような思いが残るのは否定できなかった。
「私はアルティース。見ての通り吟遊詩人として諸国を旅するものです。」
「あ、こちらこそ名乗るのが遅れてしまった。
僕は、カミル。」
「カミル…?」
その名を聞いたとき、アルティースの表情が不意に変化したことをカミルは目にした。
「僕の名前に何か?」
「いえ、その青い目、ファーレルでカミルとは…これはまた…」
「・・・・・」
カミルは以前にもそういったやり取りを聞いた覚えがあった。
アファの平原において馬車に揺られながら。聞いた遠い時代のファーレルの英雄の名と同一であるというものだった。
だがアルティースの次の言葉にカミルは愕然とした表情を見せる。
「だがこれはおもしろい。この詩において姫君の待つ者の名前こそ詩には表されてはいませんが、カミルという名であったともいわれています。」
「!!?」
この偶然ともいえるものにカミルは何らかの力が働いているのではないか?とも思わせてしまっていた。
「…見たところカミルさんは剣士のようですが、どちらへ向かわれるのですか?」
カミルの風貌を見れば剣士ということは誰もが思うことだろう。身体にはプレートと呼ばれる板状の金属を貼り付けた鎧を身につけ、腰と背中にはそれぞれ剣が納められているのだから。
「僕はこれからそのトレイアに向かおうと思っているんだ。」
「トレイアに…」
見知らぬものではあったが、別に隠すものでもなかったのでカミルは普通に回答する。
だがその回答は目の前の青年の表情を変えるに十分なものだった。
「これは…実に興味深いです…」
そうつぶやいた青年はカミルに唐突な意見を投げかけてきた。
「もしよろしければですが、トレイアまでの道中をご一緒させていただきたくわけにはいきませんか!?」
「え…?」
あまりにもの唐突な申し出にカミルは当然ながら戸惑いを覚えてしまっていた。
「私は見ての通り吟遊詩人として諸国を旅して回っています。
とはいえ、最近は魔物の数も増えている現状です。本来なら傭兵でも雇うのがいいのでしょうが…
それに…あなたの探すという手がかりというものを個人的な見解で見てみたいと言うことも本音です。」
目の前の青年は旅の連れ添いを求めている。何より、青年はカミルの素性に何故か興味を示していた。
その応えにカミルは回答するのにやや間を置いた。
カミルの直感でしかないのだが、目の前の青年は諸国を巡っているという、そういうのであれば旅の途中、もしかすれば自身の手がかりとなることを掴めるのではないだろうか?
本来であれば淡い期待に過ぎないものであるのだが、カミルの場合はたとえ淡いものであろうとも手にしたい手がかりであることに変わりはない。
「僕は僕自身のためにトレイアに向かいます。その道中どこに進むことになるのかはわかりません。そういうことでよければ。」
カミルは青年の提案において、あくまで行く先が定まってはいないことを伝えてから一応の肯定を以って回答する。
青年もカミルの行く先を聞くこともなく、返礼した。
「ありがとう。そう言っていただけると助かります。」
こうしてエルダーンにおいて新たな旅の連れ添いを見つけたカミルは三日おきに出ている連絡船に乗り、二人でトレイアを目指すことになる。