第14節
クリーヤ山脈の東側においては南北の地形に関係なく、森林部分が多数存在する。
断崖絶壁のそそり立つような岩山の麓であってもそれは例外ではない。
普段そのような場所では人ひとりとして歩いているようなものではないのだが、このときは四肢を引き摺るようにしながらも開けた場所を目指す人影があった。
「くそぅ…あのガキめ…」
周囲に立つ木々よりもはるかに高い位置から身体を落とした男は強く地面にたたきつけられた身体を震わせ、黒く塗られたような右腕で立ち木を掴むように支えにしながら、足取り重くそれでもなお歩を進めていた。
あのときの男には確かにライティンに対しての驕りがあったことは否めない。
だが油断していたとはいえ、断崖から叩き落されてしまうとはそのときまで思わなかった。
「くっくっ…だが見てろよ…俺がまた動けるようになれば今度こそはお前達を皆殺しにしてやる。」
誰かに言ったわけではない。男の声の中には狂気ともいえる部分が含まれていた。
そんな狂気も目の前に現れた存在によってわずかではあるが下がりつつあった。
「!?
誰だ!!??」
男がざわつく繁みに向けて声を荒げる、その中から現れた姿は“魔神将”と自らを名乗っていたサーズを驚かせるに十分なものでもあった。
「お前は…なぜ同じ“魔神将”であるお前がこんなところにいる!?」
本来誰も近寄ることのないはずのこの場所において、サーズの言葉に目の前の存在はただ黙したままその場に立ったままだった。
「答えろ!!
なぜお前がここに――」
苛立ちから声を荒げて叫ぶ刹那、サーズの目の前に立っていた存在は右腕にあった剣を真横に振りぬいていた。
それほど間をおくこともなく、魔神将と称したサーズの首と胴はそれほど間を置くことなく離されていき、その後二度とそれが繋がることはなかった。
おそらくサーズ自身が時を止められたことを気付くことがなかったほどに。
サーズと対峙した存在の剣速はそれほどまでに凄まじいものだった。
首を失った胴は赤黒い液体を噴出しながらしばらくの間立ち尽くしていたが、やがてその身体はその場に倒れこみ、黒い右腕は身体を遺して消滅していった。
「・・・・・・」
サーズを斬り捨てた存在は木々からこぼれる陽の光をうけて輝く銀色の長髪をなびかせながらしばらくの間かつての魔神将であったものを一瞥し静かにその場を離れて行った。
王都ラクローン、ライティン達による巨大な都市国家は何重にもなる城壁に囲まれたものだった。
その壁に囲まれて区画された一角には多くの邸宅が存在する。
その多くはこの国の重鎮とする貴族と呼ばれるものたちのものである。
その一つの邸宅内ではその屋敷の主が外部よりやって来た者の報告を調度品の並ぶその屋敷の談話室にて受けていた。
「そうか、サーノイドどもは去って行ったか。」
「はっ、カストゥール卿の働きはそれはめざましいもので…」
「そのようなことは聞いてはいない。」
「ははっ…」
屋敷の主の一括で饒舌に報告を重ねていた者は押し黙る。
「それで…?」
「はっ?」
「カストゥールたちは城に入っているわけではないのだな!?」
「はっ、城の第3区まで入りましたるはクリーヤより逃げ延びてきました難民達で、カストゥール卿はそのまま近隣の集落へと引き上げていった模様です。」
自身の見てきた範囲を述べ終わった者は主よりの退出を促され、そのままその部屋をあとにした。
「ちっ、カストめ…余計なことをしてくれたものだ。」
部屋に誰もいなくなった後に屋敷の主は手にしていたグラスの中の物を飲み干し、誰に言うでもなく言葉を投げ放つ。
「こういった事はなかなか上手くはいかないものですよ。」
一人でいるには広すぎる談話室の隅から一つの影が主の元に歩み寄る。
「…聞いていたか。」
屋敷の主は近付く影を一瞥して窓の外に目を向ける。
「さて、どうするつもりだ?
貴殿の言う通りに事は運ぶことがなかったわけだが…
それともこれが貴殿の言う策というものなのかな?」
報告を受けてからの屋敷の主は不機嫌な態度をありありとみせていた。
「そう皮肉をおっしゃいますな。
ですが、ご安心くださいませ。
たしかに予定とはやや異なる運びとなったようですが、私が提示しました計画にはそれほど狂いはありません。」
「ふん、どうだかな。だがそろそろあれも邪魔になりそうだ。今のうちに手を打っておいたほうがいいかもしれんな。」
「左様で。」
「その辺りも任せて問題ないであろうな!?」
「ご安心くださいませ。よき報告をお届けさせていただきますゆえ、いましばらくお待ち願いますよう。」
そう言い残して仮面をつけたローブ姿の男は屋敷の主のもとを離れていった。
「もうすぐですよ。もうすぐ我々の計画も実行に移すことが出来ますとも…
手駒となるものもこのとおり…」
男が誰に言い放ったのか、そばに誰がいたのかは見えては来ないが、その男が手にした水晶球には一つの人影が映し出されていた。
その姿は蜂蜜色のした背中まで伸ばした髪に茶色の瞳をしており、一面の草原の中をただ一人歩く女性の姿だった。