第12節
城砦の中はすでにこの場に駐屯していた兵力の大部分を出払わせた後だったことから、周囲は閑散としていた。
そんな中を真正面から進み行く人影がひとつ城砦の中へと入っていった。
これまで主のないままでいた城砦の内部は当然ながら手入れがなされることもなく、柱もそのほとんどが老朽して崩れたままでいた。
ところどころに赤黒いものが染みついたように付着し、鉄の錆びたような不快な臭いが鼻につく。
城の片隅のいたるところにおいて、かつて獣の四肢であったものが引き裂かれつくし、屍肉となったものが四散し、すでに腐敗が始まっているものも存在していただろう。
常人が足を踏み入れるのであれば城というよりもむしろ猛獣を放りこんでおくための檻の中のように思い、周囲の景色を見るのであれば、たちどころに嘔吐感がこみあげてくることだろう。
歩を進めながらも赤眼の傭兵は自身に向けてくる殺気を感じるもそのまま歩みを止めることなく進み続けた。
大広間とも思える場に踏み込んだとき、これまでの殺気を具現化させるように複数の人影が赤眼の傭兵に狙いを定めて襲い掛かる。
ドカッ!!!
赤眼の傭兵は襲い掛かってくる初撃をかわし、近付く影に拳を振り放っていた。
気付くことなく進んでいたと思われていた侵入者を確実に仕留めたものと思い続けていたままに暗殺者は逆撃を受け、拳の勢いのまま吹き飛んでいった。
「おのれっ…!!!」
初撃をかわされた影だったが、今度は二人掛りで左右から襲い掛かる。
ライサークは一方を初撃同様に身体ひとつでかわし、逆方向から来る剣より柄の部分に拳を当て、勢いを殺す。
「!!!??」
双方の攻撃を防いだ姿勢のままに身体を捻りながら下段から右拳を暗殺者の腹部に突き入れる。
ズドムッ!!!
「…ぅぁぅ…!!!!??」
その瞬間、暗殺者の口から言葉にならないまでの苦悶の声が漏れ始めながら、その場に突っ伏してしまっていた。
「…っ!!??」
相方を倒されたとしてももう一方の影はそのまま第二撃に移ろうと背後から斬りかかるが、その剣先を見据えたかのように身体を通り抜け右脚を振り上げて暗殺者の顔面に直撃させた。
「かはっ!!?」
思わぬ逆撃を被り、相方と同じ運命を辿った暗殺者をそのままに赤眼の傭兵はそのまま進み続けた。
広間を抜けた先の部屋でライサークは足を止める。
部屋は先ほどの広間よりはやや狭いつくりになってはいるが、天井は高く、石畳を敷き詰め、柱を等間隔に建っているのが見えるのみで、調度品のようなものは一切存在せず、広さ的に100人は十分に入ることの出来る部屋ではあった。
出入り口はライサークが入ってきた一つしか見当たらず、この部屋が最奥部であると伺える。
その部屋の奥にただひとつだけ存在する玉座。
城の状態とは正反対にまだそれほどつくられて時がたっているようなものではなく、推察するにそこだけが新しく設置されたような感じはある。
その玉座に居座っていたのは漆黒の甲冑に全身くまなく覆われた人の形の姿だった。
「随分変わり果てたものだな…」
ライサークは玉座に近付き甲冑に言葉を発する。
遠目から見れば甲冑の飾りとも思われるようなものだったのかもしれない。
これまでライサークが感じていた気配を発していることがなければ…
「…ライ…サーク…」
ライサークが近付いたとき、飾りと思われるほどに微動だにしなかった甲冑は言葉を発する。
その声は腹の底から呪詛のように呻いてくるように聞こえてくるものだった。
「…この機会を待っていたのだからな…」
「・・・・・」
ライサークは甲冑からの動きを待つことなく、掌に力を込め、すかさずに球状の闘気を投げ放っていた。
ドオォンッ!!
闘気の球は甲冑の兜の部分に直撃し微少ながら爆発を生じさせる。
その衝撃でわずかに頭を揺らすものの、甲冑は無傷に等しいものだった。
「ドミニーク!!!!」
ライサークの動きはそこでとどまらず、爆発に乗じて身を乗り出し、ドミニークと呼んだ甲冑に向かって拳を振るう。
「…っ!?」
拳はドミニークの開かれた左手に阻まれる形で止められていた。
「・・・・・」
そのまま甲冑の腕は蠅を叩き落すような仕草のままに纏わりつくものを遠ざける。
後方へ飛び退いたライサークを追撃するかのように甲冑は玉座から飛び出し、右の手に有していた巨大な戦斧をライサークめがけて振り下ろす。
ドゴオォォンッ!!!!!
猛烈なまでの勢いの斧は敷き詰められていた石畳をめくりあげ、砂煙撒き散らす。
「くっ…」
間一髪で飛び退いたライサークは退きざまに掌を砂煙に向け、今一度気弾を放った。
気弾は命中したかに見えたが、砂煙の中からは漆黒の甲冑の姿が飛び出してきていた。
「チッ…」
際どいタイミングではあるものの、ライサークはドミニークと呼ぶものの繰り出す体当たりを右へとかわす。
猛牛を思わせるような体当たりは左肩を前に出し、ライサークの背後にあった石柱に直撃させ、その勢いそのままに石柱を文字通り粉砕していった。
舞い上がる砂煙の中、ドミニークはライサークが立つほうに身体をむけ、正面から対峙するかのような形をとる。
「あいかわらずの馬鹿力め…」
「…ちょこまかと…小うるさいガキが…」
ドミニークの体躯は甲冑を纏うとはいえどもライサークの頭二つ分は高いものだった。
その体躯から放たれる威圧感は常人であれば圧倒されるに違いないことだろう。
だが、ライサークはそんな威圧を肌で感じている。だが、それをまともに受けて怯むほど脆弱というわけでもなかった。
「…なかなか…味な真似を…するではないか…」
ドミニークと呼ばれた甲冑姿をした城の主とも言うべき存在は片言のようにつづられる言葉で対峙する赤眼の傭兵を見下ろす。
「以前とは違うさ…」
「…小童が!!!」
ドミニークは右手にある戦斧を横薙ぎに振りぬく。
ライサークはその斧の軌道を読み取っているかのように飛び跳ね、そのままドミニークに距離を詰め右足を前に向け跳ねる勢いをもってドミニークの胴体部に蹴りつける。
ガッ!!!
戦斧を振りぬいた直後のモーションからハンマーで鉄板を打ち付けるまでの威力を見せる蹴り脚を受けてドミニークの巨躯はわずかにバランスを崩しよろめくが、そのまま何事もなかったかのようにその場に立っていた。
「ガキが…」
バランスを取り戻す体制そのままに手にしていた戦斧を振り上げ、今度はまき割りの如き様で一気に振り落とす。
ドゴォォン!!!
凄まじい威力で戦斧は石畳に差し込まれていき、再び砂煙とともに石畳の破片が飛び散っていった。
「くっ…」
ライサークは飛礫となって飛び掛ってくる破片を拳で打ち払いながらもドミニークの懐深くに飛び込む。
「全く…単調な動きばかりだな…」
そう言いながらドミニークの脇腹にあたる部分に左拳を突きいれる。
ドゴォォッ!!!!
「グヌ…」
兜で覆われていて表情は把握できないが、確実に苦悶の表情を浮べていることが理解できるような声が漏れてくる。
だが、ライサークの動きはそこにとどまることなく、わずかに膝を折りそこから一気に跳びあがり、闘気を浮かび上がらせた右拳を伸ばしてドミニークの顔面に直撃させた。
ドミニークの頭部を覆っていた巨大な角の付いた兜は音を立てて石畳に転がっていった。
「グオォォッッ!!!!‼」
猛獣の咆哮にも近いドミニークの声が玉座の間に反響する。
兜が脱げて素顔を晒してしまったドミニークはその顔を手で覆うように添え、もう片方の手でライサークを遠ざけるように振り払う。
「貴様…よく…も…」
「…っ!!
お前…まさか…!?」
ライサークの目に映ったのはもはや人とは形容しがたいものだった。
すでに獣の皮に包まれた…むしろ獣の顔ともいうべき頭部を晒したドミニークは覆う手の指の隙間から憤怒の形相をもってライサークを睨み付ける。
そこには憎悪が満ちあふれた真紅の瞳が凶々しく光っていた。
「貴様…もはや人であることも捨ててしまったか…」
「・・・・・・・」
ライサークの言葉にドミニークは沈黙をつづけていた。
「ドミニーク!!!」
「グオオォォッッ!!!!」
ライサークの一括と同じくしてドミニークは再び雄叫びのような声を響かせて声の主めがけて体当たりを仕掛けてくる。
ドミニークの変わり果てた形相を見てわずかな間とはいえ、ライサークの中に小さな動揺が起こり、そこから隙を生じさせてしまっていた。
襲い来る甲冑は目標を肩口に的確に捉え、ライサークは真正面から甲冑の体当たりを受けてしまう。
「ぐっ…!!!」
猛牛にでも体当たりされたような衝撃を受けながらライサークは更に後方に吹っ飛ばされてしまった。
「かはっ…」
地面にたたきつけられた衝撃を受けて背中を打ちつける。
ドミニークもライサークに追い討ちを仕掛けるべく拳を叩きつける。
ドゴォッ!!!
拳がぶつかった先にはめくれ上がる石畳があった。
拳を辛うじて回避したライサークはすぐさま身体を後方に一回転させて起き上がる。体当たりの衝撃は思う以上に凄まじいものだったらしく、立ち上がるもやや足元をふらつかせてしまっている。
だがドミニークはそれ以上の追撃はなく、再び顔を手で覆い、再び呪詛に近いうなり声を出しながら、弾き飛ばされた兜を探そうとしていた。
“…すこし肋骨をやってしまったか…“
冷静にダメージ箇所をライサークは自己分析する。その分析が的確であるからこそライサークは自身の動きに無駄が生まれることなく、長時間の戦闘にも耐えることが出来る。
ライサークが凄腕の傭兵という片鱗がここにあった。
身構えたままに自己のダメージを把握すると再びドミニークに向かって飛びかかる。
ガッ!!!
「!!!?」
すばやい動きで再びドミニークの懐に飛び込んだライサークは先ほど打撃を加えた箇所に闘気を込めた拳を叩き込むも、これまでのような手応えを感じられなかった。
「なん…だ?それは…?」
ドミニークは懐に飛び込んできたライサークに頭上で手を組んでそのまま振り落とす。
まともに受ければ地面に埋め込まれるほどの威力もある拳ではあったが、辛うじてドミニークのそばを離れる。
「逃がさん!!」
一気に息を吸い込むような仕草の後に、獣同様に左右に引き裂かれたように開く口からは巨大な光弾が吐き出される。
「…っ!!??」
あたかもライサークに放つ気弾にも似た光弾はライサークの足元に着弾し床に小さなクレーターを生じさせる。同時にこれまでのような砂煙が巻き上がる。
その砂煙の中を貫くように光弾が反対の方向に飛び出す。
ドミニークに向かって飛ぶ光弾は再び手にした巨大な戦斧を振るうことによって弾かれ、誰もいない広間に着弾していった。
砂煙が収まる頃、二人はお互いの有する間合いを測りながら今一度対峙する形をとっていた。
遠くの風の音が聞こえてくるほどに静寂する広間に二人の男が正面から仕掛ける状況にある。
「ぐぅぅ…ライ…サーク…」
「…やはり変わり果てたな…」
ライサークは対峙する目の前の獣の顔を持つ甲冑姿を観察する。
「これがお前達の…リューヴァインの答えか…!!?」
「・・・・・・」
もはやライサークの言葉が届かないかのようにドミニークはその場に立つのみでしかなかった。だがそれでもライサークに向けられる殺意ともとれる憎悪の気は肌に感じてくる。
「それなら…」
ライサークは再び身を低く構え始める。
「人を捨てたお前を…倒す!!」
「グゥゥゥ…!!」
ライサークはドミニークの懐深く潜り込もうと身を低くしながら飛び掛り、ドミニークは近付くライサークを叩き斬るがごとくに戦斧を振り上げた。
再び広間には衝撃を帯びた鉄の擦れあう音が飛び交い始める。