第11節
ラクローン本城を視界に納めることの出来る陸地の一帯は広大な湿原が拡がっている。
見た目はやや高い草木の生い茂る平原のようではあるものの、一帯のほとんどの地域は水捌けも悪く、移動するには別に用意された舗装された道を通らないことには困難を生じることは地元の者には当然のことではあった。
昼夜を通してクリーヤの山道を抜け、広大な平地へと足を踏み入れたオークの集団はそのまま隊列などを組むこともなく、ただひたすら思うがままラクローンの本城を目指して迫り寄ってきていた。
鳥の視点から見ることが叶うのであればそれはさながら湿原をじわじわと犯すかのように蹂躙する姿黒い塊が蠢いているように捉えられたことだろう。
背の高い葦が繁る湿原の中にカストが率いる主力の戦士たちは近付くオークの軍勢に対峙すべく、潜み続ける。
数の上で劣勢であることから、先手をとって奇襲を仕掛けるために本来の道からは大きく外れた位置において陣取っていた。
「見えました、カスト様。オークの軍勢がこちらに迫ってきております。」
「…やはり情報どおりか…城のほうは?」
「未だ、動きはない模様。」
カストからすればここまで駒を進めるも心の奥では誤報であってほしいという願いを未だに持ち合わせていたのかもしれない。
だが、報告がなされた以上、その願望が打ち砕かれたことを早いうちに割り切って、目の前に迫る危機に対処しようと頭を切り替えたのはこれまでの経験からなのだろうか、迅速なものであったといえる。
「よしっ、いま少し身を低くして静かに備えよ。
奴らがここを抜けようとするときに一気に矢を浴びせかける。」
カストはすぐに末端にまで指令を伝達させるために動く。
「ここを抜けられては本国までは何もさえぎるものがない。いわばここが最終防衛線となるわけだ。」
最終防衛線とはいえども本城を目指すオークの集団の前に立ちはだかっては数の上で劣勢なこちらとしてはそのような愚行を犯すわけにはいかない。
本城から援軍が為されることがないまでも、せめて城門を固く閉ざしていてくれるだけでもわずかばかりに時を稼ぐことが可能となる。
さすがにオークの軍勢でもやはり足場が悪い湿原を抜けてくることには困難を極めた様子で、進行速度は極めて遅いものとなっていた。
周囲への警戒もままならぬ状況下においてなお、オークはまっすぐにラクローン本城を目指して進んでいた。
「どうやら神のご加護はこちらにあるようだ。」
オークの進路を看破していたかのようにカストはすでに隊を3つに分けオークを半包囲する形の陣形で潜ませていた。オークの進軍を確認してカストはこちら側が優位にあることを確信することが出来たとき、手を振り上げて総員に弓を構えさせる。
少しでも距離をとっておけるように戦士達には長弓を持たせていた。
長弓であれば狙いは定まりにくいものはあっても飛距離が長く、数度に分けて射掛けることも可能となる。
矢を番え引かれていく弦はきりきりと音を響かせて鏃は天を向けていっせいに葦深い茂みの中からその尖端を曝け出す。
一定の距離を測りながらカストは頃合いをみて振り上げていた手を下ろしたとき、すでに半包囲した状態で500からなる矢は弦から勢いよく飛び出されていった。
ビュッ!!ビュッッ!!!
ババババッッッ!!!
一斉に放たれた矢は一度天に向かって飛び上がってゆき、天上で弧を描くように起動を変え、風を切るように突き進み、いくつもの呻き声をあげるかのような音をたてながら鈍足に進むオークの集団の中心に襲い掛かっていった。
ドシュッ!!ドシュッ!!!
「グォッ!!?」
「ギャッ!!」
「ぐはっ!!」
矢の雨はオークの軍勢のど真ん中に降り掛かり、意表を突かれたオークやサーノイドたちは断末魔の悲鳴とともに崩れ去っていった。
「よしっ、第2射用意!!」
初撃を成功させたカストはすかさずに第2射を射掛けさせる。
もはや狙いを定める必要もない。弓を引き絞り、射角をやや落として再び矢の雨がサーノイドの軍勢に襲い掛かった。
ドシュッ!!!ドカッ!!
第2撃は初撃ほどに討ち取ったものは少ないものではあったが、十分に数を減らし、軍勢の進行を止めたことに関して効果は絶大なものとなった。
「全軍、かかれっ!!!!」
弓矢による奇襲を成功したカストは一斉に突撃を命じた。
奇襲を受けて混乱したところに乗じて一気に攻め立てる。
戦士たちは弓を手放し、各々が携えてきた武器を手に湿原に脚を取られるオークたちとは異なり、湿原を良く識った戦士たちは硬い足場を上手く伝い走ってゆき、混乱するオークの軍勢へと襲い掛かっていった。
「くらえっ!!」
「思い知れっ!!!」
カスト達の軍勢による奇襲により先手を打たれたオークの軍勢はなすがまま討ち
倒されて態勢をくずしていった。
奇襲に成功したとはいうものの、数の上においてはやはりサーノイドの軍勢のほうが圧倒的に優位な状況にあることは揺るぎのない事実である。
それでも崩されることなく戦況を有利に進めることが出来たのはカストの指揮能力もあるとはいえ、これまで戦い続けてきた戦士たちの士気の高さ所以であろう。
だが、いつまでも指をくわえたままでいるわけでもなかった。
オークの軍勢も漸く戦闘態勢を整えなおし、反撃に移行する。
カスト達の軍勢との間に乱戦が繰り広げられていった。
湿原一帯に刃と刃が交わる剣戟の応酬と阿鼻叫喚とも呼ぶべき声にならぬ叫びが輪唱されていく。
その重苦しい奏の中、血飛沫をもあげながら崩れ去るオークと兵士の屍の数だけが積み重ねられていった。
「油断するな。オークよりも指揮するサーノイドに狙いを定めよ。」
事実、本来群れを成すものの、オークがこれほどの軍勢となって動くことはない。
オークを動かすのはオークたちを指揮するサーノイドの兵士の影が随所に存在していた。
カストもその存在を熟知していたからこそ、戦士たちにもサーノイドの兵士を狙うように予め指示を与えていた。
すでに戦端が開かれて半時間は経過しようとしていた。
ここにきて数において優位な地位にあるサーノイドの軍勢が劣勢を挽回させることがないということにカストは妙な違和感を覚え始めていた。
「これは…どういうことだ…?」
敵に混乱を与え引き際を見極めて後退しては再び攻勢に転じようと画策する意図を持ちながら、その都度戦況を冷静に見るカストだからこそ感じ取ったものだったのかもしれない。
すでに戦況は五分の状況に移り変わりつつあったが、すでにこの一帯は両者の屍の数が累々と積み重ねられつつある。
それでもオークの屍の数のほうが多く見られていることがその証となるであろう。
カストの抱く違和感はフィレルと行動をともにしている筈のマウストが駆け込んできたとき、その正体があきらかなものと相成った。
「カストさん、一大事です。サーノイドの軍勢が我々の許にいた村人を狙ってきているという話が…」
「…そういうことか…」
カストは一人、サーノイドの狙いを看破するに至っていた。
「奴らの狙いはラクローン本国ではなく…我々のほうだったのか…」
サーノイドの狙いがカストたちであるということが事実であるのであれば、サーノイドの行軍を裏付けるものとなった。
もしラクローン本国へと軍勢を勧めることになればカスト達は当然の如く本国を護ろうと部隊を出撃させてくる。
だが、兵力から言えば二手に分かれた部隊を同時に迎え撃つことは不可能である以上、本国への防衛を優先させざるをえない。
それが陽動となるものであるのであれば、これまでカスト達とともにあった者達を失うことになれば、その士気の喪失は計り知れないものとなるだろう。
だがあとひとつ、カストには腑に落ちないこともあった。
ここまでの周到な運用はこちらの情報を的確なものとしておかなければならい。
「まるで何者かに踊らされているかのようだな…」
ともあれ今のままでは進むことも退くこともままならない状態に陥ったことにカストはただ歯噛みしたくなる思いを露にする。
思わぬ報告から窮地へと陥っていった状況の中、カストに新たな報告がもたらされることになる。
それはまたしても耳を疑いそうになるようなものだったことに最早驚きの表情は存在しなかった。