第09節
ライサークが洞窟を離れてから丸二日が経っていた。
「そうか…ついに動き始めるか…」
カストのもとにライサークの監視に向かっていた者から“サーノイドが動きだす”の報がもたらされた。
「それと…」
「…どうしたのだ??」
「…あの男はすでに私が尾行ていることを知っていました。」
自身の醜態を晒すことに抵抗はあったが、この後の言葉を話すことの重大性を理解する限り、やむをえないことだった。
「ふぅむ…
さすがは“ブラッドアイ”といったところか…」
「それで…」
「…まだ何かあるのか?」
「…あの男が城には向かわずに軍勢を背後から叩け…と」
「!?
どういうことだ!!??」
「それが…」
物見の男はライサークから受けた言葉をそのままカストに伝える。
物見の男の言葉を受けてカストは腕を組み、眼を閉じる。
「…にわかには信じがたい話ではあるな…
本国が動かないなどと…」
「…もちろん、私もそのような話信じるに足るとは思えませぬ。
ですが、もしあの男のいうことが本当のことであれば、本国はもちろんのことながら、ここも危険になっていくのでは…!!?」
「ふむ…」
しばらく考え込む様子を見せた上でカストは入り口に控えていたマウストに向けて言付ける。
「マウスト、フィレルと…それとガイナー殿を呼んできてくれまいか!!?」
ガイナーはエティエルとともに洞窟内の広間にいた。ここは普段は食堂として洞窟内の者たちが集う場所でもあり、今でも交代で食事を摂る者たちの出入りが頻繁に行われていた。
戦闘とは無縁の存在とも言うべきエティエルはここで戦士達の食事の用意のために奔走していた。
この2日の間にエティエルの人気は凄まじいものだった。
ここにいて何もしないまますごすのは忍びなかったと考えていたのか、あるいは少しでも助けてくれた人たちへの恩返しをしたいということなのだろう。エティエルは戦士たちの食事の用意を自ら買って出ては、広間に集まる戦士たちを迎えていた。
無論、エティエルは言葉をもっていないために、一方的に話しかけられては微笑を返すのみではあったが、それでも緊張の糸を張り詰めながら日々を送る戦士たちにとっては十分癒されるものだったことだろう。
「すごい人気よね、彼女…」
エティエルの様子を見守るように眺めていたガイナーの横にいつの間にかフィレルも並ぶようにしてエティエルを見ていた。
「ああ…」
なんともそっけない返事を見せるガイナーにフィレルは悪戯心が芽生えたような目でガイナーに言葉を投げかける。
「もしかしてさ、あの娘が他の男たちにちやほやされるのが面白くないって顔してない??」
「はぁ?何言っているんだ…??」
唐突なフィレルの言葉にすぐに対応できぬままガイナーは生返事を返す。
「だって、守ってあげたいって思ってたんじゃないの?
あんな娘だったら私だって思っちゃうけどな…」
「そ、そんなんじゃないよ。」
フィレルの問いにあきれるような顔を見せてはいたが、声はわずかに上ずったものになっていることを自覚できていたことが余計に始末の悪いものとなっていた。
「あ~らそぉ…」
思った以上の答えをもらったことにフィレルは口元を綻ばせながら再びエティエルに視線を向けなおしていた。
「フィレル、それにガイナーさんもここだったか、丁度良かった。」
入り口からの声に二人は同時に振り向く。
「マウスト。どうしたの?」
「カストさんが二人を呼んでいる。」
「私と、ガイナーも!?」
カストが呼ぶということにガイナーは来るべき時が迫っているのだということを感じ取っていた。
おそらくサーノイドが動き始めた…
ガイナーの心中には否応なく決断のときがやってきていた。
「二人ともすまないな。」
「カストさん、俺達を呼ぶってことは…一体??」
「うむ、いよいよ奴らが動き出したようだ。」
取り繕うこともなく、カストはやってきた二人の男女に語り始める。
「それじゃ…」
「だが、そう簡単なことではなくなった…」
「??
というと…??」
カストはガイナーとフィレルに物見がライサークから受けた言葉をそのまま告げた。
その言葉に二人の反応は当然ながら揺れ動いていたことは言うまでもない。
「正気じゃないわ…!!
あの城砦を一人で落とそうと考えるなんて…」
「ライサーク…」
「正直なところ、私にも判断に困る部分がある、そこで二人を呼んだわけなのだが…」
カストはひとつ間を置き、意を決したように自身の疑問を提示する。
「二人はあの男のこの言葉をどう思う?」
「!!??
それって、どういう意味??」
この時、ガイナーは思わずライサークが去り際に残した言葉を口に出してしてしまっていた。
「…本国が動かないということは本当なのかもしれない…」
「…
どうして、そう思うのかね?」
「俺は…それほど長い付き合いがあるわけじゃないけど、ライサークが何の根拠もなく言うとは思えない…」
「ガイナー…!?」
「でも、わからない…
なぜそのことで俺達の考えを聞くことがあるんだ!?」
「・・・・・」
「それと…
なんでライサークを監視するような真似をしているんだ!!?」
「…!!
何よ、それ…!!?」
バンッ!!!!
カストはガイナーの言葉に反応したのか、手のひらを机に大きく叩きつけていた。
「…そのようなこと、私としては断じて信じ難いものではある…」
カストは机の上で拳に力を込めながら身体を震わせていた。
これまでカストは騎士団長を辞するまで、辞してなお祖国ともいうべき国を守るために戦ってきた。
その国が我々のみならず、自らも危険に晒そうとしていることなどと…カストには到底信じられるものではなかった。
「ちょ、ちょっとまってよ!!カストさん、監視ってどういうこと!!??
まさか、ライサークのことを信じていないっていうの…?」
「そういうことではない…!」
言葉を濁すカストにフィレルはさらに詰め寄るように問いかける。
「カストさん、何か隠していない??
前に言っていたよね。ライサークがラクローンにいたって。
もしかして、それが何か関わりのあることだったんじゃないの!?」
フィレルとしても納得のいかない部分はあっただろう。
自身が連れてきた傭兵を監視するような真似をさせていたということは自身も疑いの目で見られているのではないかという思いにも駆られていた。
張り詰める空気がまるで周囲を乾燥させながら身体を切り刻んでいくかのようにも思わせるようだった。そんな中、カストは重い口を開く。
それはガイナーとフィレルには衝撃的な部分が確かにあった。
「…2年前になる。
ラクローンは国王と皇太子を一度に失ってしまった。」
「・・・・・・」
「…表向きは流行り病にて、として公表されたものだ。
しかし、それは偽りだ。」
「偽り…!?」
「国王陛下と皇太子殿下は何者かに殺害されたのだ。」
「国王を暗殺…!?」
「そして、国王と皇太子の暗殺にはライサークが嫌疑にかけられているのだ。」
「!!!??
ライサークが…」
「国王、暗殺に…!?」
「…あくまで、疑いがかかっているに過ぎない。
現場を見たという者もなく、物的証拠があるわけでもない。」
「それじゃ…」
「だが、あの時、陛下が崩御された日、あの男が城にいたことは確かなのだ。」
「…そんなことが…」
ガイナーはその言葉でカストがライサークに監視をつけること、そして自身の判断で赤眼の傭兵の言葉を信じることが出来ずにいることに合点がいった。
それと同時にライサークの力であれば、城に入り込むことなど容易いものなのではないであろうか…とも。
“あとはおまえ自身で考えることだ。”
ふとライサークが残していった言葉を思い返す。
もしかすれば、この事態をライサークは予期していたのではないだろうか…
意を決したガイナーは自身で導き出した答えともいうべきものをこの場で述べはじめる。
「俺は、ここを出てラクローンに向かう軍勢を叩くべきだと思う。」
「!!??」
「でも、それじゃ…」
「たしかに、城砦を落としておかなければ数の上でも不利なこちらが背後から襲われることになって、一気に全滅してしまうだろうな。
でも、ライサークは城を落としている間に本国が落とされてしまう可能性を危惧しているんだと思う。それに…」
「それに…?」
「ライサークが敵だというのなら、ここも襲われるなんてことを俺達に伝えるだろうか?」
ガイナーの言葉は根拠があって言っているわけではなかったが、知らず知らずのうちに核心を突いていたということはこの時点において判断できる者は誰もいるはずもなかった。
わずかな間とはいえども、ライサークのことを見てきたガイナーであるからこそ、そう考えることに至っていた。
「…
私はあの時、陛下や殿下を守ることが出来ぬままにいた無能な騎士だ。
その責めを負い、たとえ野に下ろうとも国への忠誠はかわるべくもない。
だからこそ、私はこの国を守るためにここで戦士たちを募らせて戦ってきたのだ。
もし、今、その国そのものの存続が危ぶまれているというのであれば…」
「カストさん…」
「申し上げます!!」
カストの心中の内に在る決意が固まろうとする中、別の物見から新たな報告が飛び込んできた。
「カスト様、サーノイドの軍勢、途中で二手に別れ、一方はこちらへと向ってくる模様!!
その数、およそ500!!」
「そんな、こっちにも向かってきているっていうの!!?」
その報告にガイナーのみならず、カストのそばに控えていた者達にも緊張が走るのを感じられた。
だが、ここまでは赤眼の傭兵の予想する範囲でもあったことからだろうか、それほど驚きの表情を見せることはなかった。
「!!…そうか
ここへはどのくらいで到着する??」
「今の行軍速度だと、おそらく半日…」
カストからの問いを想定していたのか、報告に来た兵士は間をおかずに答える。
「…わかった。ご苦労だった…」
「カストさん…」
「どうやら、それほど時間は残されてはいないようだ。」
その言葉にこの場にいる皆が頷いた。
カストはひとまずテーブルに広げていた地図に目をむけながら、しばらくの間、黙したまま凝視していた。
「敵が二手に別れてやってはくるが、こちらは二手に分けるほど戦力があるわけではない。となると、どちらかとしか戦う術はない…どちらにおいても数の上で不利ではあるがな。」
カストは自らに訴えるように言葉を繰り返しながら、地図を凝視しながら模索する。
「こうなった以上、我々はこの場所を離れ、ここで迎え撃つしかない。」
カストが指差したのは、山岳地帯を抜けてラクローン本国まで何も遮蔽物のない平地だった。
「平地だって…!?」
平地での戦闘ともなれば、数の上で負けているこちら側にすれば不利な位置である。
カストの選択にガイナーは訝る。
「どのみち、山岳で戦おうにも今からでは間に合わない。それに平地とはいえども、この辺りは湿地帯が広がっている。
こちらは湿地帯の範囲は十分に心得ている。そこに入り込んでいる間に側面から奇襲をかける以外に奴らを阻む道はない。」
「…湿地帯だったんだ…」
地図には平地にしか見えない部分はあるが、ラクローンの国土の四分の一、とくにクリーヤ山脈側は湿地帯が拡がっている。
当然ながら、舗装された道も存在するが、逆にその部分のみを狙って攻撃が出来れば、仕掛けやすくもなる。
騎兵が存在しないとはいえ、そんな地帯に兵を進めてしまうと行軍が思うように行かなくなるのは自明の理でもあった。
「…危険な賭けではあるな…」
この時点でカストの決意は固まったといってもいいだろう。
「でも、このアジトから戦えない人を出す時間も必要になるわ。
ここに来る奴らを引きつけて迎え撃つ者も必要なんじゃない!?」
「それも道理だ。だが、それほど多くの人員は割けないぞ。」
「うん。それは私がやる。」
「フィレル…」
「…それなら俺も引き受けるよ。あいつらを少しでも足止めさせてみせる。」
「いいの?」
「ああ、戦えない人を守ることも重要なことだ。…だろ?」
「…承知した。
もう残された時はわずかなものかも知れん。
すぐにでも他の場所での仲間ともすぐに連絡と取りたい。各地に使いを送ってくれ。
念のために本国のほうにもな。
それと、ここにいる皆を広間に集めておいてくれ。」
カストの言葉で周囲はあわただしく動こうとしていた。