第08節
「なんとも厄介なものを遺してくれたものだ…」
ライサークはただ苦笑しながら城砦を遠くから見ていた。
それはライティンたちを救うための防壁であり堀であったものが逆にライティンたちを苦しめている運命の皮肉を嘲笑うかのようだった。
その昔、サーノイドの攻撃に際してライティンたちが最後の拠点として篭城した城砦に今度はサーノイドが陣取っている。
サーノイドが拠点とする城砦は煉瓦で組み上げられている城壁のところどころは劣化してしまい崩れたまま放置される部分もあったものの、城壁の高さは周囲に立ち並ぶ樹木の天辺を優に見下ろせるくらいに高く積み上げられ、城壁の周囲も樹木がすっぽり入るくらいの深さの堀が備わっていた。
「兵力は…たしかに3000といったところだな…」
カストの推測が正しいものだったことに対し、赤眼の傭兵はやや口元を綻ばせながら城砦を眼下にとらえていた。
その推測が正しかったことがこの際よいものだったのか、あるいはそうではないほうがよかったのか、ライサーク自身頭の中で理解に苦しんだゆえの自嘲気味の笑みだったのかもしれない。
“ブラッドアイ”の名の通りの赤い眼に映る城砦の内外には雑兵として駐留するオークの群れが犇めき合っていた。おそらく近いうちにこの集団が山を降りてラクローン本国へと総攻撃をかけると思われる節が多々存在していた。
「…!?
動きが慌しい…」
フィレルたちが拠点とする洞窟から一晩かけて山地を走りぬけて辿り着いた城砦を視界におさめて立つライサークは更に深く様子を探るために周囲に気を配りながらゆっくりと城砦に向けて歩を進めていたが、城砦からの気配の慌しさにライサークはすぐにでもオークの軍勢の出撃が行われることを予測していた。
「オークごときだけなら問題はないが、厄介なのは奴らだな…」
ライサークの指す“奴ら”とはそのオークを指揮するサーノイドの存在のことである。
オークは獰猛な性格の上に腕っ節や体格はライティンたちよりも優れたものはあるが、知能はゴブリン達とくらべても遜色ない。
だが、それを指揮するサーノイドたちとなれば話は別である。
彼らはどのようにしてオークたちを束ねているのかは不明な部分が多いものの、明らかに知能の上で優れている。
この戦いにおいて重要なことは、どれだけ早いうちに“サーノイドを倒せるか”にあった。
太古の昔、神々に最期まで抵抗し続けた忌まわしいとされる種族。
これまでの戦いの中でわかったことではあるが、姿はライティンたちともよく似たものでありながら、その力はライティンたちを凌駕するものたちばかりだった。
そして何よりもライティンたちは戦うということを忘れきってしまっていた。
「!?
この気配は…??」
不意に足を止めてライサークは周囲に気を配る。
気配を読み取るといった術はライサークほどの実力ならではといってもいいかもしれない。
そのライサークの研ぎ澄まされた感覚は城砦に君臨するであろう主の気配に向けられていた。
ライサークが感じたのはとても常人とは思えない気配。それはとてつもなく凶々しく、底知れないまでの憎悪に満ち溢れたものだった。まるでその憎悪にあたればたちどころにライティンのような脆弱なものは死に至らしめてしまうかもしれないとも思えるほどだった。
「まさか…奴がいるというのか…!?」
その気配をライサークは以前、感じた経験があったからこそ、その気配の主を特定させることが出来たのかもしれない。
そしてその気配の主を確認したことはライサークの両の拳に力が込められ、ライサークの身体の内から漲ってくるような気が形となって表れはじめていた。
「…ドミニーク」
城からの気配を察知したライサークだったが、不意に新たな気配も感じ取っていた。
だが気配は城から発しているわけではなく、ライサークが進んできた方向からであった。
“自身の背後に同じように物見として立つものがいる。”
ライサークとは別の線からの物見ということも考えられたが、明らかに視線はライサークのほうに向けられていることも長年の経験から感じ取っていた。
だが、そのことにライサークとしてはそれほど違和感ないかのように踵を返し、気配のする方向に颯爽と向かっていった。
「・・・・・」
赤眼の傭兵を離れた位置で見張るように覗く男はライサークが動き始めたことにすぐに反応して後を追うように動こうとしていた。
しかし、ほんの一瞬の間に目標を見失ってしまったことに男は目を見開いたまま呆然としてしまった。
その生じた隙が男にとって死を覚悟するまでの戦慄を覚えることになる。
男の前が突如視界を失ったと思った刹那に凄まじいまでの勢いの風圧を身体に受け、男はそのままその場に仰向けに倒れこんでしまっていた。
「!!?…なっ…???」
何が起こったのか把握するまでにわずかな時を要したがそれが先ほどまで遠目で監視していた赤眼の傭兵であったことが男を驚かせる。
「…カストのところの物見か…」
「!!!!!??
…い、いつの間に…???」
男からすれば心臓が飛び出るくらいに驚いたことだろう。
赤眼の傭兵は瞬時に姿を現しては凄まじい速さで蹴りを仕掛けて男の視界を奪い去っていたのだから。
「だ、だとしたら何だというのだ!??」
男は必死にライサークに対して声を上ずらせながらも虚勢を張るが、ライサークの鋭く光る赤い眼を見たとき、そこで言葉を失ってしまっていた。
それほどにライサークの眼は鋭く相手を射殺すような視線を向けている。
そんな男の胸倉を掴むようにして一気に顔を近づけるとライサークは冷静に口を開く。
「…戻ってすぐにカストに伝えろ。
もうすぐサーノイドの軍勢が動き出すだろう。そのすべてがラクローンに向かう。この城の軍勢が出たとき、お前達の全軍を持ってその軍勢を背後から叩け…とな。」
「!!?
ば、馬鹿を言うな。サーノイドが出撃したときにわれわれがその拠点を抑え、その後にラクローン本国の軍勢と挟撃して叩くという手筈になっているのだぞ!!」
「その本国がお前達の言うように動くことはないと言ってもか!?」
「!!??
な、なぜそんなことがわかる!!??」
「…俺の言葉を信じるか信じないかはお前達の勝手だ。
だが、そうなればラクローンは終わりだ。」
その質問に対してライサークも明快な理由を口にすることはなかった。
男にしてみれば、ライサークの言葉は根拠のないものとしか捉えられることしかできなかった。
だが、ライサークの言葉には言いようのないほどの重みが感じられることも男の中には存在していた。
「だ、だがそんなことをして、城の制圧はどうするのだ…!!?」
男の言い分ももっともなことである、サーノイドが全軍出撃するといっても守備の兵士は残していくことは自明の理である。
城がある限りは防衛の兵力が残留するはずである。
わずかな数とはいえども背後から襲われることになればすべてを合わせた場合、数の上で不利なこちらが今度はたちどころに全滅させられてしまうことになってしまう。
「この城は…
俺が抑えておく。」
ライサークの言葉は男には驚きを隠せなかった。
この傭兵は一つの城をたった一人で乗り込み、制圧しようというのか。
「正気か!?
あの城は一人でどうにかなるようなものでもないぞ!!」
「こっちのことは心配する必要はない。
それと…」
「ま、まだ何かあるというのか…!?」
「これは俺の予想の範囲でしかない…
おそらくだが、カストたちが根城にしている場所も狙ってくる可能性もある。」
「!?
ばかな…あの場所はこれまで誰にも知られることなく…」
「だが対策は立てておくに越したことはないはずだ。
こいつは一刻を争うことになる。行け、そしてカストに伝えろ!!」
ライサークは男にこの場を発たせるために手振りで促す。
「くっ…ほ、本当なんだな…」
矢継ぎ早に繰り出されるライサークの憶測とも等しい言葉にたじろぎながらも男は一刻を争う切迫した状況であるということは頭の隅で理解していた。だがライサークの言葉に未だ半信半疑な部分は隠せずにいる。それでも自身の役割を認識するが故に、ライサークの言葉を受けて持ち前の身のこなしをもってこの場から離れていった。
「さて、あとは…」
男が見えなくなるのを確認してからライサークは城に潜入する機会を伺いながら気配を殺しながら繁みの中へと消えていった。
城砦の門が開き、夥しい数のオークの軍勢がラクローンへ向けて進軍を開始し始めたのは再び東から陽が昇る前のことだった。