第03節
早朝には出発する。つまり、今日の陽のあるうちに準備を進めておかなければならない。西の洞窟はこの村から西に普通に歩けば早朝からであれば昼前には到着する。たとえ洞窟の奥に入って戻ってきたとしても、村に戻ってくるまでには丸一日といったところだろう。とはいえ、それなりの準備は必要である。二人の一日分の携帯食糧、念のために二日分を、自分の剣を新品同様に鍛えなおしておかなければならない。その辺の準備に関してはさすがにサリアに任せるわけにもいかず、ガイナーは一人で準備に奔走した。
まずは鍛冶だ、準備しておくことで鍛冶が一番時間がかかるものである。剣を最初から打ち直すわけではないとはいえ、鍛えなおすというのも相当な時間を要するものである。
「新品調達するしかないかな・・・」
ガイナーは確かに村ではケインに次ぐほどの剣の腕前の持ち主にはなったが、剣の扱いの荒さだけは未だになおってはいない。そのため、ガイナーの剣を鍛えなおす回数は自衛団の中ではダントツである。
「親方、剣を頼みたいんだけどさ」
村の鍛冶を一手に引き受ける鍛冶屋である。ほとんど、鍛冶といっても農具がほとんどで、鍛冶がここしかない以上、自衛団が用いる武器なども引き受けていた。
「なんだ、ガイナーか、また剣をぼろぼろにしたのか?」
「またって何だよ・・・
それより今日は急いで剣を鍛えなおしてほしいんだ。」
ガイナーから手渡された剣を鞘から抜き取って刃のこぼれ具合をたしかめる。
「ふむ、たしかに今回はさほどこぼれてもおらんな。」
「親方、毎回こぼして持ってくるような言い方だな!?」
「事実じゃろう?」
「・・・ぅ」
こればっかりは何も言い返せない。
「明日の朝までに何とかしてほしいんだけど・・・」
「!?随分急な話だな、何かあったのか?」
「まぁね。で、なんとかなりそうかい?」
「そうだな、夜にもう一度着てくれるか?
それまでには何とかしよう」
「本当か!?それは助かるよ」
思っていた以上のよい返答だったので、思わず手をたたきたくなるほどだった。
「他ならぬお前さんの頼みだからな」
鍛冶屋を後にすると向かうのは酒場である。別に酒を飲むためではない。この村の規模だと店と呼ばれるようなものが必要としない。
雑貨屋的なことも酒場が一手に引き受けている村もある。酒場は旅人がやってきたときにはあらゆる情報を残してゆく、そのため、人が多く集まってくるため、そこに雑貨屋を設けていても不思議なことではない。もっとも、この村に旅人が訪れるということは滅多になく、主に仕事を終えた男達がその日の疲れを癒すために訪れることのほうがこの村では多い。
酒場を訪れると、まだ昼間だというのに幾人かの客が入っていることをガイナーには驚いたが、ここは昼間、普通に食事も提供するのである。
「いらっしゃい。
あら?ガイナーじゃない。めずらしいわね」
酒場の親父の娘でもあるテナがガイナーを迎える。テナはサリアと同い歳である。ゆえにテナにとってもガイナーは弟のようなものである。
メープルに似た色のブロンドにサリアと同様の茶色の瞳に口元には紅をひいているのではないかとも思えるほどに少々紅い。
酒場で働くということでサリアよりも少し大人びてはいる気はするが…
「ああ、二人二日分の携帯食糧を用意してほしいんだ、後ポーションとパンの実もあればいいんだけど」
ポーションとパンの実とは旅人には欠かせないほどの必需品である。ポーションは薬草を煎じた物を小瓶に詰めたものである。傷口にぬれば止血にもなるし、口から入れれば簡単な病気予防にもなる。パンの実は一見普通の木の実だが、ラウナローアにはこの木の実を好物にする妖精と呼ばれる生き物達が各地に住み着いている。人の姿をして入るが、大人の手のひらの乗るほどの大きさで、よく森や山の中で見つけることが出来る。また、人間に危害を加えるようなことはなく、むしろ人懐っこく近寄ってくる妖精も珍しくない。その妖精たちの好物がこのパンの実である、妖精たちはパンの実を貰う代わりに、道に迷った旅人を案内してくれたりもすれば、疲れや傷を癒してくれる。
ゆえに旅人たちからは守り神のような扱いを受けるが、結局のところ妖精たちの目的はパンの実をもらえることなのである。この単純な取引が成立している間、妖精たちは旅人を助け続けることだろう。
「食糧を二日分と、ポーションとパンの実ね?」
「あと松明を二つ」
「随分と必要なのね?どこに行くつもりなの?」
「西の洞窟さ、じいさんに言われたから行かなきゃならないんだ」
「西の洞窟に!?」
これにはテナも驚きの顔を見せた。西の洞窟といえば村人は入ることを許されてはいない場所だったのだから。
「ガイナー、一人で行くつもりなの?」
「いや、二人だけど」
「あっ、そうか、ケインさんね」
本当はサリアと行くことになっているのだが、テナには言うのを伏せておくことにした。「どんなところなのかもわからないからね。準備は怠れないということさ」
「わかったわ。少し待っていてちょうだい。」
テナはガイナーにカウンターの席を勧めると店の奥に入っていった。
カウンターの席から店を見渡してみると、窓際に立っている男の姿を見つけた。
自衛団の仲間かとも思えたが、それにしては見た事がない顔である。背はガイナーとあまり変わらないが、そのむき出しになった両腕からは鍛えに鍛え抜かれたであろう隆々とした筋肉を晒している。髪の色もガイナーと同じような漆黒の髪であるが、何よりもガイナーに印象付けさせたのは今まで見たこともないような真紅の瞳であった。その鋭き刃のような瞳からは今までの戦いの経験の高さが見て取れるほどだ。しばらくの間ガイナーはその真紅の瞳の男に視線を向け続けた。
「お待たせガイナー。用意できたわよ」
テナの言葉に我に返ったガイナーはテナのほうに顔を戻す。
「はい、この袋に詰めてあるからね、80ラルクね」
ラルクとはアファ、ラクローンの通貨である。
「はいよ」
ジェノアから前もって受け渡されていた財布から払いを済ませる。
「なぁ、あの窓際にいるやつって誰なんだ?」
どうにも気になるのでテナに尋ねてみる。
「ああ、私もお客さんから教えてもらったんだけど、傭兵らしいよ」
「傭兵?」
「なんでも“ブラッドアイ“とまで呼ばれるほどの凄腕なんですって。そんな傭兵がいったいこんな村に何の用なんだろうね?」
たしかにここは魔物が現れるとはいえ、自衛団があるわけだから、傭兵に依頼するほどのものでもない。
「そうだ、西の洞窟に行くのならガイナー雇ってみたら?」
「冗談言うなよ!
傭兵雇うような余裕なんかないよ」
当然ながら、傭兵を雇うにはそれなりの金がかかる。さすがにガイナーには傭兵を雇うほどのお金は持っているはずもない。
「いいよ、見慣れない人だったから、ちょっと気になっただけだよ」
「そっか、あんまり無茶しないようにね」
「ああ、また来るよ」
一通りの準備するものはそろったわけだから、あとは剣の鍛えあがるのを待つだけである。
ガイナーは夜を待って、鍛冶屋に剣を取りに行った。
「気をつけて行けよ」
鍛冶屋の親方の言葉を背中に受けて鍛冶屋を後にする。すっかり日も暮れて、それぞれの家の窓からは灯りがこぼれはじめていた。
今日も一日が終わり人々はそれぞれの安らぎの時間を迎える。
通り過ぎてゆく若者の中にはこれから夜中の見回りに勤める者もいた。
「お疲れ」
「ああ、がんばってな」
すれ違うたびにガイナーと声をかけ合う。
そろそろ聖堂への道に差し掛かったときにふと立ち止まった。このまま北へ向かえば自分の寝所でもある聖堂にたどり着く。ガイナーが目にしたのは、少し西側に外れたところにある一つの家であった。さほど大きい家ではないが、明日の朝に行動を共にするサリアの住む家である。
「・・・・」
やはり初めてのことである以上気になるところもある。
もしサリアの家の灯りが消えていたのであれば、さっさと聖堂に向かっていたのであろうが・・・
「少し顔を覗いてみよう」
西側に歩を進めサリアの家の前に立つと、ドアを数回ノックした後サリアを呼んでみる。
「!?こんな時間にどうしたの?」
さほど待つまでもなく、サリアはガイナーの前に姿を見せる。
「いや、ほら、準備のほうはできてるのかな?とか思ってたんだけど・・・」
「準備?うんそれは大丈夫だよ。
ここじゃなんだから入って」
ガイナーを部屋の中に招き入れる。
「でもどうしたの?
わたしが、初めてのことで緊張してるんじゃないか?
とでも思ったの?」
「ん?
ま、まぁ、そんなところさ・・・」
いきなり核心を突かれてしまったのか、ガイナーは少し言葉が浮わつくのが自覚できた。
思えばサリアの家に入るのは久しぶりだ。
サリアの両親は、母親は10年前にこの地を襲った地震で、父親は3年前に病でなくしている。兄弟もなく、サリアはこの家に一人で暮らしている。要するに、日も暮れた時間に若い男女が二人きりでいるという状態が生じるというにもかかわらず、サリアはガイナーを部屋に入れたというのだ。これまでのところ二人は姉弟同様に過ごしていたわけである。そしてこの関係が今もなお継続中であるということである。ガイナーはその状態にしばらく複雑な想いをめぐらせはしたが、無理やりにでも気持ちを落ち着かせようと試みる。
サリアが言うには、これまでは父親と一緒に郊外の農作業の手伝いをしていたようだが、今はジェノアの許で魔法の勉強をしているらしい。何事にも一生懸命なサリアのことである。聖堂での勉強のみならず、家に戻ってからも勉強を欠かしていないのだろう。その証拠に聖堂から借り受けたであろう本の山が机の上に山積みにされていたままである。
「随分熱心だな」
「うん、がんばってるよ」
「あまり根を詰めすぎると明日に響くぞ、大丈夫か?」
「あら心配してくれるんだ。ありがとう。
それよりも明日に私が待ちぼうけになるほうが心配なんですけど。
そっか、それとも私が起こしに行ってあげたほうがいいのかしら??」
すぐにサリアの悪癖ともいうべきお姉さんぶる姿にガイナーもムキになってしまう。
「バカ、んなもん、自分で何とかするさ!!」
「ほんとぉ~」
「当然だ、いいか、明日はいつものところで待っててくれ!!」
いつものところとは聖堂とサリアの家に道が枝分かれする場所である。
「ふぅ~ん。ほんとにいいんだ?」
「おう、俺は必ず行く!!」
妙なところでムキになるガイナーの姿にサリアの表情が少しほころんだ。
「ふふ、わかったわよ。そういうことにしとくね」
「あ、信じてねぇな・・・」
「あはははは・・」
時にはふざけあっているとはいえ二人はお互いを気づかい、いたわりつづけていられることが出来る。二人にとってそれはいつまでも続くものだと思っていた。そしてそれを信じて疑うことはなかった。
少なくとも今の時点では・・・
明日が早い以上、あまり長居するわけにもいかないので、ガイナーは程よいところで話を切り上げて、サリアの家を後にした。
ガイナーの去った後の部屋は不意に静寂に包まれたかのようである。
サリアは机に散乱していた本を片付けた後、就寝の用意をはじめる。その最中でベッドの前の棚にある一枚のメダルに鎖をつけたものを目にする。
「大丈夫だよ・・・私は・・・」
目の前にいたとしても聞き取れるかどうかというほどの声ではあったが、それは亡き両親に語ったものなのか、それとも自分に言い聞かせることばだったのだろうか。それとも・・・
そこにはサリアの一つの決意のようなものが見て取れた。
ようやく夜も白み始めようとしていたころ、聖堂から外に出てくる二人の姿があった。
「じゃあじいさん、行ってくるよ」
「うむ、サリアのことを頼んだぞ。
あと、お前はくれぐれも無茶はせぬようにな」
昨日のうちに準備していたものを詰めたザックを肩にかけ、剣を左手に持つ。
「ちぇ、信用ないな・・・
大丈夫だよ」
やや不満気な口調を取りながらも勇んでガイナーは歩き出す。
「これが始まりかも知れんのじゃ・・・」
少年を見送っていた老人が不意にこぼす。
それはこれから起こりうることが少年達にとって過酷なものであるにもかかわらず、少年達を送り出した老人が二人のその先の運命を予期するかのようでもあった。