第10節
ただひたすら森の中を走り抜けていった。
枝葉で腕や顔を切ったとしてもお構いなしにただ一直線に走り抜けた。
尋常ではないほどの運動量に心臓は限界を超えんばかりに鼓動を打ち鳴らしつづける。
されども、小刻みにたたきつける鼓動の理由はそのことだけでもなかったかもしれない。
ようやく繁みを抜けたとき、ガイナーの目の前にはこれまでに映し出されていた神々しい光景は一転してどこまでも重苦しい雰囲気に包まれているかのような景色に様変わりしてしまっていた。
草花はすべて踏み荒らされ、水底までくっきりと映し出すほどの泉の水は土色に濁り、赤黒く変色してしまっていた。
その水面からは変色したものが気化したかのような霧にも似たものを漂わせている。
「…なんだよ…これは…?」
ようやく目的の場所にたどり着いたときにガイナーの眼に映ったのは先ほどからの胸騒ぎがまさに具現化された姿そのものだったことに、ガイナーは絶句するほかなかった。
何が原因となっているのか確かめようと、様変わりした泉に向かって近付いてみようとする矢先だった。
「待て!!ガイナー!!!
そこで止まれ!!!!」
「!!!!???」
すぐ近くまで追いついていたライサークの突如の言葉に思わず足を止めたガイナーはまだ冷静な判断力を持っていたといえるだろう。ガイナーが止まったことにライサークもひとまず安堵する。
「一体、何だっていうんだ!!?」
ライサークの指示に従ったとはいえ、それでも急な言葉にはガイナーは焦る気持ちが募る思いも相まって、訝しく思っていたのも事実である。
「焦るのもわかるが、落ち着け!!
こいつは妙だ…」
「…!???」
曖昧な返答にガイナーも釈然としないまますでに泉の前で立ち往生したままでいる。
ライサークの言うように妙なことは泉の水を見れば自明の理である。しかし、鼻腔をつく異臭に二人とも顔をしかめる。
「この匂いは…??」
「!!??」
「ちょっとまってよ二人とも」
二人を追いかけてきたフィレルは恨めしそうにつぶやくが、ガイナーたちとおなじ景色を見てしまったとき、これまでの表情から一変してしまった。
「どうなっているの…??」
「あまり不用意に近づいてそれを吸い込むなよ。毒かもしれん…」
「毒!!!?」
思わず大声を出してしまいそうになった口をあわてて塞ぐ。毒と聞かされたためか、ガイナーは二歩、三歩と後ずさり、ライサークに向きなおす。
「ど、どういうことだよ!?」
「何者かが泉に毒を投げ込んだようだな。この水の色が確かな証だ」
ライサークは口元を押さえながら淡々と話す。
「迂闊に近寄ると危険だ…」
毒と聞かされて思わず息を呑んだガイナーとフィレルであったが、あまりにも無残な光景に意識を奪われてしまっていたが、ガイナーはここにいた泉の主ともいうべき少女のことを思い出したかのように、泉の周囲を見渡す。
「エティエル…!?」
何度も少女の名を連呼しながら周囲を見るが、ここではその姿を見つけ出すことは叶わなかった。
「村のほうは…!?」
毒に包まれた泉を迂回しながら、追いかけてきた二人をそのままに再び村に向かって走り出した。
「ちょっ…!?
今度は何!?」
ガイナーの行動にわけもわからずに二人もまた追いかけるように走り出す
ガイナーは一抹の望みを込めて森を村へと走る。
だがその望みを込めれば込めるほど、その反動に絶望はのしかかるように襲い掛かった。
「…ぁ……」
「この匂いは…」
すでに風がほとんどを運び去っていたものの、周囲の空気は先ほどまで感じた泉の空気に似たものがあった。
だが形の残ったままの家屋の中には泉に漂わせていたものと同じ毒の霧ともいうべきものを漂わせている。同様にその霧を吸い込んだであろう者たちは残らず家屋の中で倒れていた。
ほとんどはうつ伏せに倒れていたため、表情は外からではわからなかったが、顔の見える亡骸は死ぬ間際まで苦しみぬいたのだろう。苦悶に歪みきった形相で倒れているものも少なくはない。
「…っ!!!?」
「ひどい…よ、これは…」
毒に犯され、苦しみぬいた末に最期を迎えた集落の住人の姿には3人とも目を背けたくなるほどのものだった。
それぞれの家屋を調べてみたものの、この村の住人は誰一人として生き残ってはいなかった。
これまで瀕死のガイナーの傷が癒えるまで世話になった、マールの集落の末路ともいうにはあまりにも無惨な光景が拡がっていた。
惨状を前にしながらも、ガイナーには立ち止まることはなく先ほどまで一緒にいた少女のことを探し続ける。
「エティエル!!!??
エティエル!!!!!???」
何度も呼び叫び続けようともガイナーの叫びは虚しく森の中を反響してゆき、やがて掻き消えていくのみでしかなかった。
「生き残っているのは…??」
ライサークの問いにガイナーは力なく首を振る。
「そうか…」
何かを言うということもなく、ライサークは了解する。
「それとガイナー、あなたのいうような子はどこにもいないわ」
「…どこにいってしまったんだ…??」
3人で手分けして生存者とエティエルを探してはみたものの、周囲にそれらしい人影は見当たることはなく、すべては徒労に終わってしまっていた。
エティエルの存在が見当たらなかったことに落胆するが、同時に安堵もしていた。
「だが、死体がないということはある意味よかったかも知れん」
「ちょっと、変なこと言わないでよ!!」
「いや、いいんだ…」
ライサークの言も一理ある。事実、ここにいたままでは毒霧を受けてしまっているか、兵士に殺されていたことだろう。
エティエルの姿が生死を問わずに存在しないということはまだ望みはあるこということだということをガイナーにも理解していた。
「なんで…ここまでするのかな…?」
フィレルの答えには二人とも持ち合わせているわけもなく、沈黙で答えるほかなかった。
「ガイナー!」
「…!?」
しばしの沈黙が流れていた刹那だった。
いきなり呼ばれたことに面食らいながらも、ライサークのほうに顔を向けようとするが
「…まだ振り向くな」
先ほどよりも何段階もトーンの落とし、危うく聞き逃してしまうほどの声で囁くように体制を整えるよう伝えてくる。
この付近に何かがいる。少なくともライサークはそう感じていた。
ライサークの言うとおりに身体を動かすことなく、周囲を眼で追って気配を探ろうとする。
だが向こうもほぼ完全に気配を絶っている様子で、なかなか気配を読み取れずにいた。
「そこの奴、いつまで隠れているつもりだ!!」
がいなーよりも先んじて相手の気配を察知していたライサークは、相手に気取られる前に、すでに右の拳に闘気とも呼べるエネルギーを込めていた。そのまま相手がいると感じられる場所めがけてエネルギーを擲つ。
ドゴォォン!!!!
ライサークの放つ闘気の弾丸はライサークの背後に立つ一際大きな樹木の枝葉の部分に直撃して爆発した。
その爆発によって瞬時に樹木にあたった部分の葉は一気に叩き落され、周囲に青い木の葉を撒き散らせるが、落ちてきたのが枝葉のみでなかったことにガイナーとフィレルは驚愕する。
「…っ!!!」
ライサークの先手を打った奇襲ともいうべき攻撃の前に見事に直撃を受けてバランスをくずしながら現した姿は、背丈はガイナーに近いもので身体の外観で判別するに男性の容姿をしている。
濃いキハダ色をした装束をまとい顔も同様の色の頭巾で覆われていたために素性は勿論のこと、表情も判別つかないでいた。
3人がいる前に落下してしまったためにあわてて逃亡を図ろうとするが、赤目の傭兵がそれを許すことはなかった。
ライサークに存在を気取られた時点で男はすべてが後手に回らされてしまっていた。
ドガッッ!!!!
男が落下してきたのと同時に当て身を食らわせた。男は当て身を受けてふっ飛ばされた勢いそのままに先ほどまで潜んでいた立ち木に受身も出来ぬままその身を直撃させた。
「カハッ…!!!」
立ち木まで飛ばされた男はその衝撃で咽かえるが、その間にライサークは男の背後に回りこみ、片方の腕で男の首元をもう片方で男の両腕を掴み、そのまま締め上げる形で捕獲した。
「くっ…」
瞬く間に起こった事象に男はライサークの手を振り解こうと試みるが、ライサークは男の間接を完全に固めた状態にあるため、敵うべくもなかった。
「無駄だ、動けば、このまま首をへし折ってしまうこともできる!!」
最終警告ともいわんばかりにライサークは締め上げる腕に力を込める。
「…ぐぁ…」
力を込めたことによって、男からは苦悶の声を絞り出しながら、抵抗しようとした力を削ぎ落とした。
「こいつ一体…??」
「まさか、村を襲った奴!!??
あんた、あの山の向こうのサーノイドね!!?」
「それをこれから聞き出すことにするさ」
辛酸を舐めさせられた男は、ライサークに身体の動きを完全に封じられたまま歯軋りを続けていた。
「答えるんだな。この村を潰したのは一体誰だ?」
しばらくの間、男は黙秘を続けていたが、やがて口を割るかのように言葉を発する。
しかしそれはガイナーにはまったく聴いたこともない言語ではあったが…
「な、なんていっているんだ…??」
言語の相違という事態にガイナーたちは途方にくれる姿をほくそ笑む様に男は眺めていた。
「…なるほど。
サーズの仕業か…」
「…!!????」
「サーズ…??」
だが意外なところから発せられる言葉に驚愕を示したのはむしろ男のほうだろう。
『貴様…なぜわれわれの言葉を…!!??』
『誰も理解しないと思っていたのだろうが、残念だったな。俺は以前にお前達の言葉を聴いたことがあるんでな』
『くっ…なんてことだ…』
『ついでももうひとつ聞いておこうか…?』
『――――――――――』
もはや呆気にとられたガイナーたちをよそにライサークと男とで尋問という会話が続けられていたが、突如として会話は途絶えた。
男が奥歯を“ガリッ”と削るかのような音を立てたとき、糸が切れたかのように男の身は崩れていった。
「!!!?
…毒か!!!」
もはやこれまでと悟った男は奥歯に仕込んでいた自決用の毒を噛み、自らの生命を絶つ行為に出た。
身体を固めておくことに意味を成さなくなったことにライサークは男から手を離し、既に死体と化した男はライサークの足許に突っ伏した。
「一体どうなっちまったんだ…!?」
「…死んだ。自分で毒を飲んでな…」
淡々と語るライサークであったが、その拳を振るわせるほどに握り締められていた。
「ライサーク、あなたさっきサーズって言わなかった?」
ふと思い出したかのようにフィレルはライサークに問いかける。
「ああ、この村を襲ったのはサーズと言っていた。」
「やっぱりあのサーズだったのね…」
「知っているのか?」
完全に取り残された形でガイナーも問いかける。
「サーズっていうのは、たしかこの山に陣取るサーノイドの親玉みたいなものよ。
物見に入った仲間から聞いたことがあるわ」
「そいつがこの村を襲ったっていうんだな!!!?」
「こいつが言っていたのが本当だったらな…」
「でも、ここには何もないわ。一体どうして…?」
「さてな…こいつに聞き出せればよかったんだが…」
そういいながら男の亡骸に目を向ける。
「前に戦った奴はまるでライティンに恨みを持っているようだった」
「私たちが何をしたって言うのよ!!??」
「お、俺に聞かれたって…わからないよ!!」
フィレルもガイナーを責めるように問うのはお門違いであることを頭の中では理解している。それでも答えを求めずにはいられなかった。