第09節
道なき道を進んでいるかに見える様子ではあったが、気配が近付いていることを察知するとこれまでとは正反対に枝葉を踏み鳴らす音も出さないように慎重な足取りで進み始めた。
この先にどれだけの数の魔物が潜んでいるのかもまだここからでは判別がつかない、やみくもに駆け出していって集団に囲まれてしまう恐れもなくはない。
しかし、気配よりも先に感じたのはひとつの悲鳴に近い声だった。
「もぅ!!!あっちに行きなさいよ~!!!」
何が起こっているのかと推察してみようと試みるも、この付近で悲鳴に近い声となるとひとつだった。
“誰かが襲われている!?”
そう認識したガイナーは繁みを抜ける足を再び速める。
ようやく山道と呼べるほどの開けた場所にたどり着いたとき、気配だけでしか認識できなかった存在がようやく視界に入ってきた。
ガイナーの視界には“ヘルハウンド”と呼ばれる大型の犬にも似た四足の魔物の姿が4体。
4体
のヘルハウンドは一人の人間を囲むようにして交代しながら襲い掛かっていた。
それらと相対するように一人短剣を振り回すようにして攻撃をかわしている人物。先ほどの声の主とも思われる者は、やや小柄で体の線の細い姿をしていた。
身なりは多くの旅人がよく身につけている獣皮をなめした軽装の胸当てをしていることからこの山道を抜けようとする旅人の一人ではないかと推測される。
燃えるような赤い髪を振り回すようになびかせて、手にした短剣でヘルハウンドの攻撃を必死にかわしていた。
「お、女の子…」
なぜこんなところにいるのかとも考えようとするが、もはや一刻の猶予も許される状況ではない。
「いい加減にしなさいよね!!!!」
女性の口調は半ば自棄になったような感じに剣を振る腕も規則性もなく闇雲になっていったとき、足元に突出していた木の根に足を取られて尻餅をつくようにして崩れ去る。
「あっ…痛っ!!」
こうなってはヘルハウンドにしては絶好の機会に他ならない。一斉に飛び掛ろうとうなり声をあげる。
「まずい!!」
窮地に陥ってしまっている以上、ガイナー自身息を潜めているというわけにはいかない。
そう考えたときにはすでにガイナーは剣を抜いて飛び出せる体制へと動いていた。
ヘルハウンドの1体がガイナーに後ろを見せたとき、一気に繁みから剣を前に突出する姿勢で飛び出した。
「たあぁっっ!!!!」
突如の奇襲ではあったが、ヘルハウンドは突き出した剣をかわそうとする。
しかしガイナーの突きは直線から軌道を変えて弧を描くようにヘルハウンドめがけて横薙ぎに振られる。
ザシュッッッ!!!!
十分な距離をとっていたと思っていたヘルハウンドだったが、ガイナーの剣はヘルハウンドの1体を確実に斬りつけた。斬撃を受けたヘルハウンドはそのまま手足をばたつかせるようにもがいていた。突如の新手による斬撃は残りのヘルハウンドに対して牽制の効果を十分に発揮した。
「おいっ大丈夫か!?」
「え…!?」
ガイナーはヘルハウンドの囲みを抜け、女性をかばうように矢面に立ち、手にした長剣でヘルハウンドをさらに牽制する。
何が起こったのかよくわからない面持ちのまま女性はガイナーの背中を惚けてしまったようにいるだけだった。
ヘルハウンドは仲間を失ったことに落ち着きを取り戻したのか、前足に力を込めてガイナーにも狙いを定める。
「おいっ。早く立てよ!!
…でないと…」
「わ、わかってるわよ!!!」
先ほどつまづいてしまった根を伸ばす木にもたれかかるようにしながらゆっくりと立ち上がるが、ヘルハウンドは女性が立ち上がるのを待たずに再度の攻撃を開始する。
「ちっ…!!」
ガイナーに向かってくるヘルハウンドは地面を滑走してくるかのように低い姿勢のままガイナーの懐に飛び込もうとしてくる。
それに対応すべく草を薙ぐかのように左から右へと剣を振る。
ヘルハウンドもガイナーの剣をかわすかのようにガイナーの右側に飛び跳ねるが、すかさずもう一匹がガイナーの首元を狙うかのように飛び掛ってきていた。
「くそっ…!!」
剣を振りぬいた体制で固まった状態ではあったが、ガイナーは既に次に襲い掛かってくるヘルハウンドに対して十分対応できるまでの柔軟性を持ち合わせていた。
「なめんな!!! 」
ズシャァァッッ!!!!
常人であれば右腕の筋繊維が千切れてしまうかと思われるほどに一度振りぬいた剣を更に飛び掛ってくるヘルハウンドにあわせて真っ向から振りぬいた。
ガイナーの斬撃はヘルハウンドの前足を切断し、さらに胴体に食い込む形で斬り込んだ。
剣の勢いはそのままにヘルハウンドは吹き飛ばされるほどのものだった。剣の軌跡にはヘルハウンドの血とも体液ともいえる赤黒い液体を飛び散らせていった。
「よしっ…!!」
ガイナーはそのヘルハウンドが絶命するのを確認する前に残りのヘルハウンドを見据えようと頭を向けた矢先、突如生じた衝撃音とともに起こった出来事はガイナーを驚愕させるものだった。
「「ギャゥンッッ!!!!」」
「え…!??」
ガイナーが残りのヘルハウンドの悲鳴とも取れる奇声のするほうに顔を向けたときにはすでにその二体が地面に崩れ去ったように突っ伏した状態となっていた。
「一体どうなって…
…!!??」
二匹のヘルハウンドはそのいずれも胴体を抉られたかのような傷痕をつけたまま倒れていた。まだ息がある様子だったが、牙のむき出しにした口をわずかに動かしながら、ただ絶命のときを待っているのみであった。
「危ないところだったようだな…」
ガイナーの驚きの表情はその場に姿を表した男の顔を見たときに最大のものに達した。
ガイナーが来た位置から逆の方向から現れた男はガイナーの見知ったものであった所以であるのだが。
黒髪の男は軽装の胸当てを纏い、その両腕には胸当てよりも重厚ともいうべき篭手を嵌めていた。
何よりも印象的に写るのはその男の瞳の色が真紅に輝いていることだろう。
真紅の瞳を持った人物はガイナーの知るところ一人しかいなかった。
「ラ、ライサーク…??」
「お前は…メノアにいたガイナーとかいったか…」
「あ、ああ…」
思わぬ人物と再会したことに生返事で返すガイナーだったが、ガイナーの足もとで未だに立ち上がれずにいる女性に顔を向ける。
「あの…大丈ぶ…!?」
「…なわけないでしょう!!!!!」
これまでにないほどに響き渡る女性の絶叫とも言える声にガイナーは思わず耳を塞ぐ。
「ちょっと、ライサーク!!!私をこんな目に合わせておいてどこに行っていたのよ!!!!!??
もうちょっとで危うくこいつらの晩ごはんになっちゃうところだったじゃない!!!!
何が凄腕の傭兵よ!!!傭兵が聞いて呆れるわね!!!」
これ以上ないというくらいに内に溜め込んでいたものを爆発させるほどに言いたいことを言い切った。そのせいで息が続かなくなってしまったのか、女性は言い切ってからは肩を上下させながら息を整えるが、その姿にもまだ怒り収まらぬといった様子が窺えた。
「お、おい…いくらなんでも言い過ぎなんじゃ…」
罵声とも取れる女性の言葉に少し宥めようと思うガイナーだったが、この時点で被告となっているライサーク本人は全く動じることなく、ガイナーの弁護しようと言葉を発するのを手で制しながら、女性に向かって口を開いた。
「フィレル、これだけは言っておく。俺は雇われている以上、護衛の依頼であれば全力で護りぬく。
…だが」
そこにライサークの傭兵としての自信のあらわれがはっきりと存在していた。
一呼吸おいた後にライサークは淡々と語る。
「それはあくまで俺のそばを離れないでいることだ。お前のように勝手に先走っていった様なときにはどうすることもできん」
「ん…??」
ふとライサークの言葉とフィレルと呼ばれた女性の言葉に辻褄が合わないようなものを感じたガイナーは思わず首を傾げて考え込んでしまった。
「…ということは…」
「う…」
一気に形成を逆転させられた感じに身をたじろぎながらライティン特有の茶色の瞳は天を仰いでいた。
「こいつらとは自分で勝手に突っ走って、襲われたって事じゃないのか???」
「はっきり言うな!!!!」
自分でも自覚はうっすらとあったのか、大人にいいように言い負かされた子どものような顔のままガイナーを睨み付けていた。
「睨むなよ…というか俺が悪いのか??」
「おい、こんなところでじゃれ付いている場合ではないと思うが…」
「誰のせいだよ!!!…??」
思わず突っ込んで言いたいことを言おうと思ったが、ライサークの視線を向ける先に近付いてくるものを見つけたとき、表情を一変させる。
「ちょっと…!?」
「!?
こいつら…」
三人が視線を向けた先にはヘルハウンドを追いかけてきたのか、すでに3体のオークが近付いてきていた。
「まずはあいつらを片付けてからだな…」
「あ、ああ…」
オークたちはそれぞれに棍棒と木製の盾を装備した状態でガイナーたちに向かって走りよってきていた。オークたちもヘルハウンドの死体を確認するやそのまま戦闘態勢をとる。
「行くぞ」
「ああ…」
ガイナーも再び剣の握りを強くする。すでに剣を抜いたときに起こっていた不快感はすでにどこかに消えてしまっていた。
「たあぁぁっっ!!!」
ガイナーは一番近くのオークに向けて剣を振る。
真っ向から対峙したオークは難なくガイナーの剣を盾で受け止めるが、ガイナーの斬撃はそこでとどまることなく切り上げ、刺突と繰り返しながらオークを圧倒していた。
数の上では3対3という図式である以上、十分に対抗できる。
「すぐに倒せよ。
こいつらは仲間を呼ぶぞ」
ライサークは一体のオークをガイナーに任せるかのように残り二体に向かって走り寄る。
丸腰の状態で突っ込んでくるライサークをオークは手にした棍棒で振りぬこうと試みるが、ライサークの動きはその刹那に身体を反らして棍棒をすり抜けた。
『!!!??』
一瞬呆気にとられたオークであったがそれもつかの間であった。
オークの棍棒を抜けたライサークは身体が交錯する前にオークの腹に左の拳を突き入れる。
ズンッ…と鈍い音を響かせながらもオークの横腹に抉りこんだライサークの左拳はオークの表情を一変させるに足りるものであったことは言うまでもない。
横腹への鈍い音とは正反対に襲いくる激痛に苦悶の表情をみせながらその場にうずくまるオークではあったが、ライサークの攻撃はそこでとどまることはなかった。
ベギィッッ!!!
ライサークの身体を捻らせて振り上げられた右足はうずくまるオークの首筋を直撃させた。
ハンマーを打ち下ろしたかのような強い衝撃はオークの首の骨を容赦なく叩き折る。その勢いのままに、オークは首を直角にうなだれたまま前のめりに倒れていった。
しばらくの間ガクガクッと小刻みに身体を震わせていただが、やがてその動きを停止した。
仲間のオークが瞬時に倒されたのを見たオークは戦意を落としたのか、ガイナーへの攻撃が一瞬とはいえ止まる。その隙をガイナーが逃すことなく。再び手にした剣をオークの身体めがけて振りぬいた。
ザシュッッッ!!!
剣閃はオークの胴体を袈裟懸けに斬り抜けていった。
長剣が抜けたとき、心臓を斬り破られたオークの身体からはおびただしいまでの体液を斬り口から噴出し、オークは仰向けに倒れていった。
身体からは斬り口を源流として噴出していた体液が赤い河となって地面へと流れ始めていった。
仲間を瞬時に失い、一体残されたオークは他の仲間を呼び込むための咆哮をあげようと肺を膨らませようとしていたときだった…
ドゴォォォンッ!!!!!
咆哮をあげようとしたその瞬間、オークの顔面に痛烈な爆発が生じる。
「!!!??」
それはライサークの手から放たれた闘気を弾丸状にして放たれたものだった。
爆発はオークの首を吹き飛ばすかの勢いでオークを仰け反らせる。
「グゥゥゥ…」
オークは何が起こったのかわからずにその場で唸りながらその場に踏みとどまろうとした。
「!?
チッ…浅かったか…」
瞬時に放ったものだったのか、オークには致命打にはならずにオークは倒れることなくその場に留まった。
すぐさま体制を整えようとするがそれもわずかの間のことだった。
ドシュッッッ!!!!
「グゥァッ!!!!」
爆発で顔を焦がしたオークが動きを止めたときだった、オークの額に一本の矢が突き刺さっていた。
矢を穿たせたまま、オークは言葉途切れたままに仰向けに崩れ去っていった。
ガイナーが矢尻からたどって飛び出された方向を見やると、まだ腰を上げてもいない状態のまま弩を模ったような得物を片手にオークに向けていた。
「ふぅ、危なかったわね」
ようやく立ち上がったフィレルと呼ばれた女性は着衣に付着した砂埃を空いた手で払い、弩をたたんで腰につけた筒に収めなおす。
「変わった武器だな…弓のようだけど…」
弩というものを見たことがなく、それに目が向けられたままのガイナーにフィレルは調子づいたかのように語りだす。
「すごいでしょう!!!
これはボウガンっていうの、私が作ったんだから!!
大きな弓ほどの飛距離はないけど、弓なんかよりも正確に速く飛ばせるわ」
自身の作品を賞賛されたフィレルは先ほど腰につけた筒にしまいこんだボウガンを筒越しになでて上機嫌になっていた。
「へぇ…すごいな…」
「どうやら周りに気配はないようだな…」
ガイナーたちをよそに未だに警戒を怠ることのなかったライサークは周囲を見渡して気配を探っていたが、気配が感じられなくなることを確認すると戦闘体制のまま拳を閉じたままでいた両腕を下ろす。
「しかし、すごいわね…オークをこんなにも早く…やっつけるなんて…」
驚愕とも感心したようにも見えなくもない表情を見せながらも、オークの死体が転がっているのを全く物怖じする様子もなく見まわしながら、ガイナーのほうに目を向ける。
「あんたも、なかなかやるじゃない…!?」
見直したかのようにガイナーに向かって指をさす。
「ライサーク、彼女は…?」
「今の依頼者だ」
傭兵を生業としているライサークからすれば答えることは簡潔そのものだった。
当然のことながら守秘義務というものもあって然りである。このことにはガイナーも追求するべきことではないと承知しているので敢えて聞かない。
もっとも、その依頼者たるフィレル自身から名乗ってくることに関してなら問題はないわけだが。
「フィレルよ。そういやさっきの礼もまだだったわね。
ありがとう。助かったわ」
物怖じすることなく言いたいことを言い放ったこともすっかり忘れたかのようにじっと視線を逸らさないでガイナーを見据える女性に対してやや引け腰になりつつも、自らを名乗る。
「…いや、無事でよかったよ。
俺はガイナー、メノアのガイナーだ。」
ガイナーの名乗りにフィレルは眉をひそめる。
「メノアって随分と遠いところじゃない。なんでこんなところにまで来てるわけ?」
「そうだな。
メノアに住むお前がなぜこんなところにいる?」
ライサークもフィレルと同じ疑問を有していたのか、フィレルと同じ質問をガイナーに投げかけた。
「ん…話せば長くなるんだけど…
今はラクローンへ向かうところだ」
見知った人物であったことからか、ガイナーもライサークには素直に答える。
「ライサークはここで何をしていたんだ…?」
ガイナーも尋ねようとしたが
「あたしが雇ったのよ!!
そうだ、あなたもどうかしら!?」
ライサークへの質問に割って入ったフィレルは唐突にガイナーへ言葉を投げ返してくることに、今度はガイナーが眉をひそめてしまう。
「あなたも、あたしと来ない!?」
まるで娼婦が今宵の相手を誘うかのような仕草を見せながらあられもないことを言葉にするフィレルに戸惑いを覚えてしまう。
「あ…いや…俺は…」
「そいつは腕は立つが傭兵じゃない。
それよりも…」
言葉を遮るようにライサークはフィレルに詰問する。
「ここまでやつらが来ているとなると急いだほうがいいのではないか?」
「あ、そうだったわね…この数だと、多分、斥候ね。こんなところまで来るのは初めてだけど…このままだと時間の問題ね…」
何の話をしているのか今ひとつピンと来ないまま二人のいきさつを傍観しているしかなかったがふと引っかかる言葉に胸騒ぎを覚えずにいられなかった。
「!!?
おい、待ってくれ、ということは…魔物たちはこの近くまで来ているかも知れないって事なのか!!??」
「え…!!?
た、多分そうだと思う…」
突然発したガイナーの言葉に面食らったのか、驚いた顔のまま頷く。
「まさか…」
妙な胸騒ぎの正体が明るみになったときにはガイナーはフィレルたちとは逆の方向へ走り始めていた。