第07節
ガイナーがマーキスの元に戻った頃にはすでに周囲は夜の景色へと変貌していた。わずかにこぼれる星の光のみでうっすらと世界は映し出されていたに過ぎなかった。
「そうか、エティエルに会うことが出来たのか」
「ああ、森の中を抜けた泉にいたよ」
妖精も森の奥深くへと帰って行き、二人は暗くなった道を村へと戻ってきた。
エティエルが寝所とする小屋に彼女を送り届けた後にマーキスの元に戻ったガイナーを食欲がそそらせるほどの匂いが出迎えてくれた。
これまでずっと眠り続けて何も口にしていなかったガイナーの胃袋が今まで体感したことがないほどに反応したのは言うまでもなかった。
胃袋が悲鳴をあげるのを聞いたマーキスはさも納得したような笑みを見せてガイナーにスープの入った器を手渡した。
「ありがてぇ…」
器からたちこめる湯気を顔に受けながら木製のスプーンで一すくいしてスープをすする。
「…!?
これは…」
マーキスが用意してくれていたスープの味はガイナーにとっては懐かしいものだった。
スープの具材は近くで採れたものであろう山菜が主だったが、口の中に広がっていくスープの味わいは明らかに魚介類によるものだった。
海に囲まれたメノアのような場所であれば魚介類のスープというのは珍しくもないものであるが、ここのように山に囲まれたようなところでは本来手に入るようなものではないはずだった。
「ほぅ、気付いたかね」
ガイナーの疑問はその場でマーキスから答えが示された。
マールの周囲はクリーヤの山々で囲まれた盆地のような地形である。
だが、集落から東に少し行けば小さいながらも海に面した場所があるという。海といっても岩礁で囲まれて外界とは完全に遮断されている。それでも小さな入り江からはいくつかの種類の魚介類が捕ること出来る。そこで捕ることが出来る魚介類もこの集落の貴重なたんぱく源である。
「そんなところがあるんだ」
マーキスの言葉に頷きながらもスプーンの動きは止まることはなかった。そのうち器を傾けてスープを口の中へと運び、空のままだった胃の中へと注ぎ込む。
「ふふ、よほど腹が空いていたのだな」
ガイナーの食べっぷりはマーキスに思わず笑みをこぼさせるほどであった。
「はは、やっぱり何日も何も食べていないとさすがにね」
自己弁護するかのようなものだったが、事実なのだから仕方がない。
「ふぅ…」
ようやく満たされた腹を軽く撫でながら一息つく。
「そうだ、お前さんにこれを渡しておかないとな。」
「…ん??」
そう言いながらマーキスがガイナーの目の前に持ってきたのは一振りの剣だった。
「これは…」
剣は刀身の具合から見るにまだ新しいものだった。これといって宝飾や細工が施されたようなものではなく柄にはすべりを止める程度に粗布が巻かれているだけだった。
その反面、鞘は剣の本体よりも年季の入っているもので、わずかに彫刻を施されてはいる。何よりも特徴的だったのが、鞘の先のほうは寸断されてしまい、そこからは剣先が飛び出してしまっていることだ。
「こいつはお前さんの剣じゃろう…?
倒れていた近くに落ちていたからの。
ただ、鞘がどこにも無かったから別のものであつらえておいたわい」
ガイナーの剣は通常のものよりも刀身が長く造られている。それゆえに剣の鞘もその剣に合わせて創られたものでなければきっちりと収まらないのは自明の理とも言うべきものである。
マーキスの用意した鞘では収まることが適わず、やむをえず鞘の先を切り落としてガイナーの剣の鞘として生まれ変わった。
「俺の剣…」
「急ごしらえではあるがな…。
以前儂が使っていたものを代用させておいた。
ああ、心配しなくとも元の剣はとっくの昔に剣の役割を終わらせておるからの」
剣を見つめるガイナーにマーキスはそのまま言葉を続ける。
「やはり剣は鞘に収めておかないといかんからな。
そうでなければ剣はただ相手を傷つけるだけのものになってしまうからな」
マーキスの言葉にガイナーは愕然とする。
「マーキスさん…」
「お前さんの剣はまだ造られてそう間もないはずだろう?
にもかかわらず剣には随分と魔物を斬ったような脂の跡が残っておったわい」
「それは…」
「何も言わんでもいい。わかっておるよ。
こんな時代だ、いろんなことがあるだろうて」
まるですべてのいきさつを悟っているかのようにそれ以上はガイナーの言葉を遮った。
「そういやエティエルをどう思ったかね??」
「ん?」
マーキスは気を利かせて話題を変えてくれたのか。しかし思わぬ質問であったために首を傾げる。
しばらく考えた末に。
「不思議な印象を持った娘だよな。なんて言い表せばいいのかわからないけど…」
素直に思ったことを答えながら、先ほどまで時間を共にしていた少女の様子を思い返す。
泉に素足をつけて妖精と戯れて微笑みながら佇む姿。もし泉の女神というものが存在するのであればエティエルのようなものなのかもしれないと一人で納得させていた。
「なるほど、まんざらでもないわけじゃな…」
「いや、そういうことじゃなくて…」
思わぬ言葉に狼狽するばかりのガイナーを尻目に高笑いを浮べるマーキスであった。
ガイナーは何とか平静を取り戻そうとしながらも、ふとした違和感をも持つようになっていた。そのまま、逆にそのことをマーキスにたずねてみる。
「そういや、エティエルに身内とかはいないのかい?」
エティエルが寝屋とする小屋に送ったときもエティエルのほかに誰も住んでいる様子はガイナーの見る限りなかった。
「ああ、あの娘に肉親は誰もいないんじゃ。
そう、もう何年前になるだろうかな…」
マーキスが語るにエティエルはクリーヤの森の中に一人ずっと立っていた。
しばらくしても誰も来ることのない様子に村の住人がマールに連れ帰ってきたのだという。
それから何の手がかりもなくエティエルはただ一人マールの村で過ごしてきた。
「…同じだ…」
幼いころから似たような境遇で育ったガイナーはエティエルに不思議と近しいものを感じてやまなかった。
「ただ、エティエルがずっとこのままここにいるのが少し不憫でな…」
「不憫…??」
「ああ…
ガイナーはこの村をどう思うかね?」
ガイナーの疑問をよそにマーキスは思わぬ質問を投げかけてくる。
だがその質問にガイナーは答えることに言葉を詰まらせてしまった。
昼間に散策していたガイナーには集落の住人はほとんどガイナーがやってきたことに無関心な感じに見えたからである。
実際はガイナーに限ってというわけでもない。だが別に余所者を受け入れない風潮があるわけでもなかった。
この村の住人は人生の岐路を越えた者たちがほとんどである。すでにマールに生まれた若者たちはこの地を離れ、人の多く集まり利便性も高いラクローンやアファへと移り住んでいってしまい、もはや人生の終焉を迎えようとするものたちばかりが取り残されてしまうものだった。
それゆえに一日、一日を懸命に生きるというよりもやがて訪れるその日を指折り数え続けているかのような日々を送っていた。
「ここはもう世の中とはすでに無縁の中で過ごしてきているのかも知れん」
「いや、そんなことは…」
マーキスの言葉に否定の言葉を投げかけようとするが、ガイナー自身もその言葉を肯定してしまいそうな雰囲気が頭の隅にあったことも否めないでいた。
「だが、このままではいずれエティエルは一人になってしまうのでな…」
この村の中で一番の年少がエティエルである。順当に人生を終えるとエティエルは一人になることは明白であった。
そのことだけでもこの集落は滅びの道を着々と進んでいる。
「ガイナー、お前さんがエティエルをここから連れ出してはくれまいか?」
「な…!!??」
あまりに素っ頓狂な声を上げてしまったこと今更ながらに自覚する。
「なんでそんなことを…??」
正直なところガイナーには理解できなかった。いくら老齢のものがほとんどとも言うべき集落とはいうものの、これまでずっと育ててきたといってもいいエティエルを今になってこの村から出すようなことをいうのか。
「いやいや、これは仕方のないことなんじゃ。わしらはもう十分に生きた。今更別の生き方も出来るわけでもないからな…
だがな…」
唐突に言葉を濁すが、そのままマーキスは言葉を続ける。
「あの娘にだけはせめて生きた者の住まう街で人並みな暮らしをさせてやりたいと思うのじゃ」
マーキスが言う『人並みな暮らし』とはエティエルと同じような世代の住まう場所で人並みに恋をして愛情を育み、子を産み育て、つつましいながらも暮らしていけることを指している。
ここでもつつましい生活というのであれば可能であるが、マーキスの言うものは不可能といってもいい。
「でも…」
「うん…?」
ガイナーもマーキスの言うことは理解していた。しかし、肝心な部分が抜けていることをマーキスに告げる。
「エティエルは、エティエルはそれを望んでいるのか…??」
「…!?
そうじゃな…
まずはあの娘の意思も考えないで、詮無いことを言ってしまったな…」
ガイナーの指摘は的を射たものであったのか、マーキスは思わず苦笑してしまう。
「まずはあの娘の意思を聞くのが先じゃて」