第05節
「…ぅぁ…」
まだまともに頭が働いていないのか、状況をうまく把握できない。
“ここはどこなのか?”
“なぜこんなところで横になっているのか?”
少なくともここは建物の中であって、十分に夜露を凌ぐことが可能ものであることは横たわっているベッドの感触でなんとか理解は出来る。
ベッドとその近くに脚のバランスがすでに悪くなってしまったようにわずかに傾斜の付いた小さなテーブルがあるだけの簡素な部屋。扉や窓を閉め切っているせいか周囲は薄暗く少し埃っぽい感じがする。そのせいか漸く目が慣れ始めると天井や梁の部分に蜘蛛の巣が張り巡らされているのも見えた。
すでにこの家には生活を営んでいる感じはガイナーには感じられなかった。
頭の中で整理が付かないまま、ガイナーは身体をわずかに動かしてみる。
身体に痛みはないものの、どのくらい眠っていたのか、身体がすっかり固まってしまっていた様子で、腕を持ち上げることさえ、筋肉が悲鳴を上げる。
「…ぐっ…」
あまりのもどかしさにガイナーは思わず低い声で呻く。
幾重もの筋肉に悲鳴をあげさせながらもようやくガイナーはベッドから這い出ることが出来た。
閉じられたままの四角い窓からわずかにこぼれる光に導かれるように歩いていき、押し上げ式に造られた窓を一気に開ける。
「…ぅ!!」
突如にガイナーに浴びせられた光のシャワーに目を細めながらもガイナーは窓から映る景色に目を向ける。
そこには、この建物と同様の丸太を井桁状に組まれた小さな家々が木々の間に疎らに点在しているのが見ることが出来る。規模はかなり小さいながらもここは集落と呼べるものといった様子がうかがえた。
「…俺はどうやってここに…??」
見慣れぬ景色はガイナーの頭の中に疑問符をさらに浮かび上がらせる。
答えが返ってくるわけでもなくただ窓の向こうの景色を見据えていた。
しばらくの間そのままの状態でこれまでのことを頭の中で整理してみようとしていた。
アファから山道を進み、その途中でオークたちと遭遇してしまった。そのときに初めて対峙したサーノイドの兵士。そして…
「…ぅ…」
あのときの光景を思い出してしまったのか、再び不快感が身体を巡り軽い眩暈に襲われてしまった。
丸太を組み上げられた壁面に手をついて倒れることを踏みとどまりながら、それからのことを思い出そうとしてみた。だが、どう考えてもここに至る筋道がまったく見出すことが出来ないでいた。
ようやくふらついていた足をしっかりと立たせてから手のひらを眺める。
あのときに感じた手のぬくもりは何だったのだろうか。
考えれば考えるほど疑問の渦に飲み込まれていってしまいそうな感覚の中、木と木が擦れるような扉の開く音がガイナーの耳に入ってきた。
「気が付かれたかね…」
扉が開くのと同時に聞こえる声にガイナーは首を向ける。
扉の前にはすでに老齢に近い男の姿があった。
頭髪はいまだ残っているものの、すでにこれまでの髪の色もわからぬほどに色を失っていた。
顔の周りには樹の年輪を連想させるかのようなしわがその人の年齢を刻むようにくっきりと彫りめぐらされている。すでに老齢ともいうべきものであったのだろうが、男の今もなお生気衰えやまぬ焦茶色した瞳に年を重ねた顔立ちに顎のあたりに短いながらもたくわえられた髭、その顔立ちと合わさったように体格はがっちりとしたものだった。瞳の色から察するに、この老人はライティンではあるということはわかった。
「もう起きて大丈夫とは…
やはり若いのう」
男はガイナーとの歳の差を考えてしまうためか、ガイナーにむけての最初の言葉はそっけないものだった。
「あなたは…?」
男のほうに近づいていこうと試みようとしたが、眠っていたままの固まってしまった身体は、思うように動かせずに少し進んだ先で膝を突いてしまう。
「…くっ…」
「ああ、まだ無理をしないほうがいい。丸々2日は眠っていたのだからな」
男はガイナーに動かずにいることを手で制すものの、ガイナーはそれに反して一気に身体を立ち上がらせる。
「2日も…」
男の言葉にガイナーは言葉をそのまま返す。
2日も眠っていたことに驚きはなかった。
最早、目をあけることさえ叶わないと思っていたのだから。
「傷のほうはなんともないようじゃが、どうやらずっと長雨に晒されてしまっていたのだろう、まだまだ体力が戻るには時間がかかるよ」
「…傷…!??」
思い出したかのようにガイナーは戦闘のときに傷を受けたであろう箇所に手を添えてみる。
あの時、オークの不意打ちで棍棒を背中に直撃させ、サーノイドの兵士の短剣が左肩をそしてわき腹を掠めたはずだった。
たしかに傷跡らしきものはあったものの、すでに完全に傷は塞がり、最早完治したといえるほどのものになっていた。
男はガイナーが2日眠っていたと告げた。だがガイナーが受けた傷は2日くらいで治るような状態ではなかったはずだった。
「どうなっているんだ…?」
そんな疑問をよそに、ここにいたってガイナーは自身の着衣が見慣れぬものに変わっていることに気が付く。
上下ともに木綿で造られたもので、特に何色にも染め上げたものではなく、木綿の色そのままの状態を保ったままの簡素な服だった。おそらく寝巻きといった具合に着用するものであろう。
「…この服…??」
着衣の変化に気をとられていた中で男は助け舟を出すように答えを提示した。
「ああ、お前さんの服は外に干してあるから心配しなくてもいいぞ」
「あ、あれは…」
ふとガイナーの頭の中に真っ赤に染め上がった服が頭をよぎった。
「ずいぶんと災難だったようじゃな」
「え…?」
突然返ってきた答えに目をしばたかせながらも、男のほうに顔を向ける。
「このあたりの魔物に襲われたのだろう。
随分と返り血が付いておったわ」
「・・・・・・」
成り行きを勝手に納得した面持ちで顎にわずかにたくわえてある髭に手を添えながら、様子を話してくれた男に実は人を斬ってきたという後ろめたい気持ちを残しながらも、そのことを伏せたまま男の言葉に肯定で返す。
「ここは…一体…?」
話題を挿げ替えるような思惑をはらませながら、ガイナーは質問を変えて男に投げかける。
「ここはマールという村とも呼べぬほどの小さな集落さ」
「マール…」
ガイナーは聞きなれない地名に首をかしげた。
「まぁ無理からぬことだろう。ここはここを誰も通ることがなくなったときから、地図にさえ載ってもおらん場所じゃからな」
ガイナーの様子を見たのか、そう言って老人は苦笑する。
マールと呼ばれる集落はアファとラクローンが陸路で結ばれたころ、その道中で宿場を目的として興ったのが始まりとされていた。陸路が拓けた頃は宿場町として賑わいを見せる時期もあったらしいのだが、海路で二国間が結ばれた頃から、次第に賑わいは薄れて行き、現在となってはラクローン側に属しているものの、すでに過疎化してしまっているのが現状であった。
「そうなんだ…」
メノアからこれまで出たこともないガイナーからすれば無理からぬことではあった。
今の居場所を聞いて後にガイナーは自分が未だに名乗りをあげていないことにようやく気付いく。
「…ありがとう。
危ないところを助けてくれて」
「いやいや、礼には及ばんよ」
お礼を言ってすぐに未だ名乗っていなかったことに気づき、そのまま自身を名乗る。
「俺はガイナー。メノアのガイナー」
この世界で相手に名乗るときは、自身の名前の前に出身地を付けるのが通例である。
王族や、古くから通った由緒のある家柄でもないかぎり苗字というものが存在しない以上、出身地を離れたときはその出身地を伝える。
無論、出身地を伝えない場合もある。
すなわち素性を知られたくはない場合。そして地元で相手に名乗る者である。
老齢に近い男はマーキスと名乗り返した。
「それにわしはここにお前さんを運んできただけじゃよ。倒れていたお前さんを見つけたのはエティエルさ」
マーキスはそのままガイナーを助けた者の名を告げる。
「エティエル…?」
聞きなれない名詞にガイナーの頭の上に疑問符が並ぶ。
「この村に住んでいる子じゃ。
今は…おそらく山菜でも採りに行っておるかな…」
「そうなんだ…」
「まぁそのうち帰ってくるじゃろうから、そのときにでも会えばいい。
それまではゆっくり過ごしなされ。まだまだ体力も回復しきれておらんだろうからな」
「ありがとう。
でも少し外の空気も吸いたいし、少し歩いてきてもいいかな?」
「そりゃ構わんが…
あまり無理をせんようにな」
「わかってる」
丸2日も眠り続けて身体がすっかりなまってしまったガイナーは未だ重さが残る足取りで部屋を後にした。