第03節
「くそっ…そういうことかよ…」
近付いてくる影を見たとき、ガイナーは先ほどのオークの咆哮が別の仲間への呼び水であったことを悟った。
背中に焼き鏝をあてられたかのような痛みでガイナーはようやく意識をはっきりとさせた。
「ぐぉぉ…」
地面に突き刺した剣を支えに膝を立てる。肌に張り付いた着衣の背中からはじんわりと赤黒いものが染み出してはいるのだが、すでに着衣がずぶ濡れであるがためか、ガイナーには痛みはあっても出血しているという感じを覚えはしなかった。
「まだいける!!!」
自分を鼓舞するように叫びながら近付く影に向かって駆け出す。
一番近くにいるのはこれまでと同じオークだった。これまでのオークとは違い、盾をもつ手には棍棒を握っている。おそらく両手に棍棒を有し、片方はガイナーに向けて投擲したのだろう。
「うおぉッッッ!!!!」
ガキィィンッッ!!!!
右腕だけで振りぬいた剣はオークの棍棒に阻まれて甲高い音をあげた。
ガイナーの攻撃はそこでとどまることなく、なおも剣の柄に両手を添え、反動を利用して一気に切り上げた。
棍棒は剣にはじかれてオークの手許を離れて天高く飛び去っていった。
一瞬のことにあっけにとられたオーク自身が丸腰になったことを悟るのにわずかな時間を要したが、オークがそれを悟ったときにはすでに後の祭りだった。
ザシュッッッ!!!!
左薙ぎに振るった一撃はオークの首筋を的確に捉えて斬り抜いた。
頚動脈を切り裂かれたオークは飛び出す血を押さえようと傷口を押さえながらもがく。
悶えるオークをよそにガイナーは近付いてくるもう一つの影に向かって走り出す。
もう一つの影はオークよりもやや細身な姿をしていた。
その姿はオークというものではなく、ガイナーと同様に人の姿に近いものだった。
すでにガイナーに向かってきた人影は両手に小型の剣を構えたまま襲い掛かる。
ガッ!! ガキィィッッ!!!! ガキィン!!
いくつかの剣戟を交わした後にガイナーは距離をとる。
「なんだ、こいつ…!?」
これまでとは違う雰囲気にガイナーは戸惑いを見せる。
「貴様!!ライティンか!!?」
「…!!??」
魔物と思われていたものが言葉を発したことにガイナーは一瞬、愕然とした。
「な…に…??」
これまで言葉を発する魔物をガイナーは見たことがなかった。
だが相手は甲冑で全身を纏ってはいるものの魔物の雰囲気を有しているわけではなかった。
「お前、まさか…」
ガイナーは一人つぶやく。
このときのガイナーの推測は的を得ていたといってもいい。
目の前の甲冑を纏った兵士。男の声を発したその兵士。
現在、ライティン達に対して戦いを仕掛ける存在。サーノイドだった。
「ゲリラどもではないようだが、こんなところをうろうろとしているとは馬鹿な奴だ」
サーノイドの兵士はガイナーを見据えながら、間合いをはかった。
ガイナーもまた正面のサーノイドの兵士を見据える。
すでに乾いた部分もない着衣であっても背筋からは血がにじむ感覚はなくともじんわりと汗ばむ感じがなぜか伝わっていた。
これまで戦ってきた相手とはまったく違うものであるということをガイナーは肌で感じているということだった。
ガイナーの手にするのは通常よりも刀身の長い剣を手にしている。柄は両手で持つことが出来るほどに長く造られているため、片手でも両手でももつことができる。
対するサーノイドの兵士は刀身は短いものの両方に一本ずつ手にしている。
間合いはガイナーのほうが長いものの、懐深く入り込まれてはガイナーには不利になってしまう。
じりじりと間合いを詰めるように近づく兵士を牽制するように、ガイナーは懐に入ってこられないようにやや下段に剣を構えて対峙する。
一気に斬りかかっていきたい心境だったが、背中に受けた痛みと雨の中での戦闘で消耗した体力を回復させておきたかった部分もある。しかし、時間をかければかけるほどまた新手がやってくることも考えられる。
このままの状態を持続させるほうがガイナーには不利になっていくことが明白であることを悟らざるをえなかった。
一気に仕掛けるために剣の握りを強めると、活路を見出すためにガイナーはサーノイドの兵士に向かって斬りかかった。
「うおおおおっっっ!!!!」
不意を突かれることもなくサーノイドの兵士はガイナーの斬撃に対応する。
ガキィン!! ガキィ!!! ガキィィン!!!!
隙を与えないように小刻みに剣を振るうが、兵士は剣の圧力に押されながらも両の手の小剣で素早く斬撃を捌く。
「くっ…」
反撃を避けるように一度距離をとり、剣を構えなおす。だが、常に全力で剣を振るうガイナーの腕には限界が近付いていることを身体が警告していた。
すでに手から腕にかけて痺れが感じる。
これまでの戦闘に加えて雨に晒され続けたガイナーの身体にも残された体力はわずかなものだった。すでに呼吸にあわせて肩が上下しているのが誰の目にも明らかになっている。
それはサーノイドの兵士にとっても同様なことではある。
すでに両者の口から吐き出される息は雨で気温が下がったのも加わってか、口元のあたりだけ白くなる。
ガイナーは痺れを回復させるために時間を稼ぐのと同時に今なお敵対しようとする異民族にガイナーが持つ疑問に対して詰問する。
「お前ら、サーノイドの目的は何だ!!?
なぜライティンを襲う!?」
「…!?」
サーノイドの兵士はガイナーの問いに一瞬身体をこわばらせるが、兜から露にしている口元を歪ませる。そこにはあきらかな怒気を含んだものが存在した。
「ライティンがそれを語るか!!!」
答えを言い切る前に今度はガイナーに向かってサーノイドの兵士がガイナーへの怒気を含んだまま両手の剣を繰り出す。
「なん…だ…!?」
ガキィ!! ガキィィン!!
ガイナーは未だ痺れの止まぬ腕で二本の剣を捌いていくが、懐深く飛び込まれてしまっては限界がある。
何より兵士の攻撃は明らかにガイナーの急所を狙っていた。
ザシュッ!!!
「…っ!!」
片方の剣を捌く間にもう片方の剣がガイナーの左肩を掠める。
僅かに身体を反らしたことで受けたものだが、まともに食らえば頚動脈を切断されていたことだろう。
幸い傷口は深くはなかったのか、出血はさほどではない。
だが、サーノイドの剣に毒の類でも塗っているのであれば、わずかな傷であっても致命的なものになってしまっていたことだろう。
「ちぃ…!!」
牽制を含めて袈裟懸けに大振りする。
「ふんっ!!
甘い!!!」
ガイナーが生じさせてしまった隙を見逃さずに兵士は剣をガイナーの身体めがけて突き入れる。
ドシュッッ!!!!!
「がはっ…!!!??」
「ぐっ…!!!!」
兵士はガイナーの心臓を完璧にとらえて二本の剣を突き入れた。
…と確信したであろう。
だが兵士の剣はガイナーの身体を貫くことはなかった。大きくガイナーの身体から外れてはいたものの、剣はガイナーのわき腹をわずかに掠めていったらしく、着衣を切り裂き、肉を削いでいった。
その逆にガイナーの剣がサーノイドの兵士の中心を伝って大きく軌跡を残していた。
ガイナーは大振りに振りぬいた状態から瞬時に剣の柄頭に左手を添え、サーノイドの兵士の突きよりも早く剣は兵士の甲冑を突き破った。
ガイナーの剣は通常よりも刀身が長く、切っ先も通常よりも鋭く造られている。その剣は斬りつけるよりもむしろ突きに特化していたといってもいい。
その鋭い剣先は兵士を背中まで突き破った。
「ぬぅ、貴様っ!!」
兵士から剣を引き抜いたときに身体からは多くの血と体液が噴き出す。
ガイナーはその返り血を全身に浴びることになった。
「おの…れ…ライティンが…」
呪詛のようなうめき声を残しながら兵士はガイナーの足元に崩れ落ちた。
「ハァ…ハァ…」
全身に返り血を浴びてその着衣を朱に染めあげた、自身のかわり果てた姿を呆然と見下ろす。
「はぁ…は、は…かっ…」
呼吸はこれまで以上に荒くなり、もはや呼気と吸気の量に格段の違いが生じ始めていた。
鼓動も今まで経験したこともないほどに細かく刻みながらも、その音ははっきりとガイナーの耳に伝わっているのを感じる。このまま心臓が身体から飛び出してしまうのではないか、とも一瞬考えてしまうほどだった。
目の焦点もだんだんとあわせられなくなり、世界が歪んで見えてきていた。
バランスが乱れ兵士の亡骸から二歩、三歩と後ずさり、今立ちの滴り落ちる長剣を手からこぼれ落とした。
もはや立っていることもままならずその場に膝をついた。
「ぅぇ…ッッ!!!!」
同時に赤黒く付着した鉄の匂いが鼻腔を抜けていったとき、なんとも言い難いまでの不快感に耐えられず、胃の奥にあったものすべてを吐き出してしまった。
これまで数多くの戦闘を経験していった。
その戦闘で何百といった数の魔物も倒してきた。
だが、このときガイナーは初めて人を斬るということを経験した。
ガイナー自身で生み出した赤い溜りは、追い討ちをかけるように嘔吐感をさらに引き出していった。
まともな神経の持ち主であればこの場にいることに耐えられるものではないことだろう。おそらくガイナーの精神が自己防衛本能を働かせたのかもしれない。落とした長剣を手にしてその場から逃げるように赤い流河を渡り去った。
雨はガイナーの身体に染まった朱を洗い流すわけではなく、ただ無慈悲にガイナーの身に打ちつけていった。