第10節
「すごいな…」
「大きい都市だね…」
街へとつづく城門をくぐったときに思わず出たガイナーとカミルの一言だった。
「お二人ともアファは初めてなんですか?」
「そうだな。俺はずっとメノアで暮らしてきたからな」
「僕は…多分、初めてだと思う」
これまでの記憶のなかったカミルからすれば当然の答えだった。
そしてメノアの片田舎で暮らしていたガイナーからすればアファの都市は文化の違いをまざまざと見せられることになった。
アファ王国、2千年前の戦いの後、ライティンたちが安住の地として集い、やがて都市は指導者を求め、国家として歩むこととなった。
体制は王政を布いており、王族の諸侯の中から国王を選出する体制をとってきている。
その諸侯の中にはリーザの父も含まれていた。
2千年の歴史の中からすれば、まだまだ浅い年月ではあるが、アファはほんの一握りの数ではあったが、ファーレル、ヴァリアスたちともそれぞれ交わり、やがて交易を盛んにしてさまざまな文明を吸収してゆき、街は次第に栄えていくこととなっていった。
だが、アファの歴史は決して明るいものばかりではなかった。
都市国家である以上、王家、諸侯そして平民といった身分による格差が生じることとなり、商業が栄えれば貧富の差もまた発生した。
その中で人は権力、利益を追求するに至り、ときには内乱が勃発した時代も時にはあった。
そんな暗い時代をも乗り越えて現在の体制が確立されていった。
だが、サーノイドの襲来、魔物の襲撃が度重なるこの時代こそ、ライティンたちはこれまでの時代のどれよりも大きな試練を課せられているのかもしれなかった。
街は全体を高い城壁に覆われて入り口には跳ね橋がかけられている。
これも2千年前の戦いの記憶が生み出したライティン達の防衛策だったかもしれない。
その跳ね橋を渡り市内へと入っていくと、全てが石造りでなされた居住区や商業区が建ち並び、道も石畳で舗装されていた。
何よりもガイナーが驚いたのはアファの都市に住まう人の数だった。
単純に考えてメノアの100倍はいるとみられる。
「これだけいたら誰がどこに住んでいるのかなんてわからないだろうな…」
メノアのような集落であれば村の誰もが村の住人のことを熟知しているものである。
極端な例を挙げれば、その村人の一日の行動が村全体に知れ渡るまでに一日とかからないものだった。
それゆえか、街の中に入ったところでガイナーたちのような余所者を物珍しく見るような視線はまったく感じられることはなかった。
大都市を知らないガイナーからすれば、そういった考えがあるのも無理からぬことだった。
アファでは居住区、商業区をさらに区分けされて、それぞれの中心に役所を設けている。そこに行けば、区分けされることによって手分けして住民の情報を管理できるようになっていた。
「皆様、ひとまず私の家のほうにお越しください」
「それはいいけど、俺たちが行って大丈夫なのか?」
「ふふ…その辺はご心配なく」
ガイナーの心配がどういったものなのか理解したリーザは不意に笑みがこみ上げてきた。
リーザの笑みがどういったものであったのか知らぬまま、リーザを先頭にリーザの家と呼ぶ建物を目指した。
その建物の前でガイナーは自分の心配は杞憂のものであったと思い知ることとなるわけだが…
「……」
もはやガイナーから言葉は発せられることはなかった。
家と呼ぶもののその規模はガイナーのこれまで寝食を営んできたメノアの聖堂のそれをはるかに凌ぐものだった。
ガイナーは知らぬことであったが、リーザの家系であるファラージュ家はアファの諸侯の中でも王家に一番近い家柄である。それゆえに住居も邸宅と呼べるほどに見あう規模が備わっていた。
「お、大きなお屋敷だね」
「みなさん、中へどうぞ」
リーザの屋敷の門をくぐって案内された屋敷は、中庭ともいえる道を通り抜け、玄関口ともいえるエントランスだけでも一般の住居よりも広いものだった。
「お嬢様!!
今までどちらに!!?」
誰にも告げることなく屋敷を離れたリーザを迎えたのは長年ファラージュ家に仕えていたであろう、すでに壮年を迎えている容姿の執事だった。
「ただいま、マイセン。
ごめんなさい、黙って家を離れて…」
ずっと心配をしていたことが顔に出ていたマイセンと呼ぶ執事に対しえてリーザは素直に謝辞を示した。
「いえ、よくご無事でお戻りになられました」
謝辞を受けたマイセンはそのままリーザが伴ってきた客人に目を向ける。
「お嬢様、そちらの方々は?」
「この方々は私をここまで守ってくれた人たちです。
マイセン、私たちは長旅で疲れています。
すぐにこちらの方々にお部屋をご用意して差し上げて。
話はそれからにさせてください」
「…
かしこまりました。では早速…」
唐突な申し出であったものの、その申し出を承ったマイセンはすぐに動きはじめ、ガイナーたちはマイセンの案内でファラージュ邸の客間にそれぞれ案内された。
ようやく屋根のある部屋の中で皆が一時の休息をとることができた。
思えばメノアを出てから何日かぶりになるであろうベッドの感触をガイナーはありがたいものだと素直に感じた。
一昼夜あけた後、リーザはガイナーたちを屋敷に残して城へと登城していった。
現国王に父親であるラウスの死を奏上する為にである。
リーザが城から未だ戻らぬ中、ようやく疲労を取り払うことが出来たガイナーはエントランスで一人の男が屋敷から出て行こうとする姿を見つけた。
「ヴァイス」
ガイナーの声にヴァイスは声のするほうに顔を向けた。
「よぉ。
もう疲れは取れたか?」
「ああ、そりゃぁまぁ…
それより、どこに行く気だよ!?」
「俺の仕事は終わったからな。次の仕事に向かうさ。
貰うものもちゃんと貰ったしな…」
そういって硬貨がはいっているであろう袋包みを見せてみせる。
「次の仕事…」
「こんな時代だからな。なにかと仕事は飛び込んでくるものさ」
「そうか…そうだよな…」
ヴァイスは傭兵として生業を立てている以上、ガイナーにはこれ以上何も言うことはなかった。
「ありがとう、ヴァイス。いろいろと助かったよ。ヴァイスがいなかったら今頃皆どうなっていたか…」
屋敷の門前まで見送りながら、ガイナーはヴァイスに礼を言う。
「別に俺は何もしちゃいねぇさ…
お前のほうこそがんばったじゃねぇか」
「でも俺だけじゃここまで無事に来られることはなかったよ」
ガイナーの内心では自身では誰も助けられなかったという自責が常に残されたままだった。
「そうでもないだろ!?
お前さんがいたからこそ嬢ちゃん…リーザは笑顔を取り戻せているじゃないか!」
「…!!」
ヴァイスの言葉にガイナーは樹海の入り口での顛末を思い出して今頃になって狼狽した。
「あ…いや…あれは…」
何とか取り繕おうとする中、門前に馬車の止まる音が聞こえてきた。
「リーザ」
出会った頃の旅の装束とは違い、家柄に見合ったドレス姿をしたリーザが城から戻ったばかりだった。
「お二人ともこちらで何をなさって…
…!!」
ヴァイスの旅装束のいでたちを見たリーザはスカートの裾をつまんだままヴァイスを見送るために近付いてきていた。
「もう行かれてしまうのですか…?」
リーザは自分が不在のままここを後にしようとしていたヴァイスを少し責めるかのような表情を少し見せていた。
「ああ、世話になったな嬢ちゃん。これからいろいろ大変だろうが、まぁ頑張れよ」
「はい、ありがとう…ございます。
ヴァイスさんも…お気をつけて」
「おお、またいつでも呼んでくれよ」
「…はい」
少し瞳を潤ませていたリーザの頭を軽く撫でていたヴァイスだったが、ガイナーの背後から近づいてくる姿を見て顔を向けた。
「カミル…」
「よぉ、お前さんも見送りに来てくれたのか?」
カミルは黙ったままヴァイスを睨み付けるように立っていた。
「ふぅ…」
カミルの態度にやれやれと言わんばかりに肩をすくめてから、ヴァイスはカミルのほうに向かって口を開いた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・なに??」
その言葉はライティンの言語ではない別の言語での言葉であったろう。
「???」
ガイナーとリーザには何と言っているのか理解できずにお互い顔をあわせて首をかしげる。
「ヴァイス、今の言葉は…?」
「なに、古い言語での旅の無事を祈るおまじないみたいなものさ。
さてと、そろそろ行くことにするか…
それじゃぁな」
そう言い残してヴァイスはファラージュ邸の門をくぐって行ってしまった。
「行っちまったか…」
「…そうだね」
ヴァイスの去った後にカミルはヴァイスの残した言葉を頭の中で繰り返した。
“トレイアに行ってみろ、そこで待っている…”
ヴァイスの言葉はライティンのものではなく、別の種族の言語であった。
だが、カミルはその言葉を理解していた。
そしてそれはカミルに対しての言葉であったことも同様に悟っていた。
「トレイア…」
カミルの頭の中にはヴァイスが発した言葉が脳裏に焼きついていた。
「カミル、俺達もそろそろ出発の準備をしておこうぜ」
カミルの心情を知る由もなく呼びかけるが、カミルはその場でガイナーからすれば意外な提案をあげてきた。
「ガイナー、僕は僕の手がかりを探すためにトレイアに行ってみようと思う」
「トレイアに…!?
カミル…記憶が…!?」
「記憶が戻ったわけじゃない、ずっとトレイアという言葉に引っ掛かるものがあったんだ。もしかすればそこに何かあるんじゃないか…って」
「それだったら俺も…」
「それは駄目だよ。
ガイナーはラクローンへ向かわないといけないはずだ。
僕の向かう方向とは逆方向だよ」
「カミル…」
カミルの表情に決意の表れがはっきりと出ていた。それを見たガイナーはカミルもまた別々の方向に進むのだと悟らされた。
「そうか…カミルからすれば大事なことだもんな」
「すまない、ガイナー。勝手なことを言っているのは十分にわかっているんだ」
「いいさ。手がかりがあるといいな」
カミルの決意に水を差さないようにガイナーはカミルの提案を呑むことにした。
「…ありがとう。ガイナー」
ガイナーとカミルが別々の旅路を行くことになることはメノアから旅立つときに覚悟はしていた。それでも複雑な思いは隠しきれることは無かった。