第08節
樹海はその全てを隠すかのように周囲を霧で包み込み、最早何者も寄せ付けはしない雰囲気を醸し出していた。
このころ、アファ平原にはこの時期には珍しい雨が降り注いでいた。
その雨が樹海の霧をさらに増長させていたのか、それとも別の世界の扉としての役割を終えた故の霧であろうか?
真実は定かではなかった。
あれからどのくらい走り続けていたのだろうか…
4人は霧と靄の中をひたすら走り続けた。立ち止まってしまうと隣にいる者も見失ってしまうほどだった。
ようやく樹海の出口に差し掛かり、木々の密度が薄くなったあたりでようやく安全を確保できると判断した。
こうして4人は霧靄に覆われた樹海を辛うじて抜けることに成功した。
一息つくことが出来た頃にはすでに西の地平線に光は今にも飲み込まれようとしていた。反対に東の空からは瞬く間に闇が世界を包み込んだ。
「ど、どうなってるんだ…?」
「はぁ…はぁ…来るときは一日かかったはずなのに…どうして??」
息も絶え絶えにふと思った疑問を口にしてみた。
「やはり本当のことだったか…」
「本当って何が??」
「この樹海のことさ。
この森そのものが生物のようで、形を変えていくんだという話さ。
元の道に沿って走ってたはずだが、まったく別の場所に着いちまった」
「ラウス様の言っていた森の中がこの世界とは違う世界だってことか…」
ラウスが状況を語ってくれた言葉を思い出していた。
「まぁ、なんにせよ助かったぜ」
ガイナーとは正反対に息も切らすことなくヴァイスは淡々とガイナーの質問に応えた。
「そ、そうなのか…??」
「まぁいいじゃねぇか!!
皆が助かったことに変わりはないんだからよ…」
ガイナー以上に息を切らせた少女に目を向けながらつぶやいた…
鍛え上げられた男性と行動を共にしたリーザは言葉も出せないほどに疲労困憊の状態だった。
「そうだけどさ…」
納得のいかない面持ちではあるが、これ以上問答を続けるわけにもいかなかった。
皆が皆、奇跡に近い行軍を果たし、すでにヴァイスを除く誰もが限界に等しかった。
「ここまでくればもう安心だ。野宿で悪いが、今日はここまでだ」
「は…はい…」
すでに限界を迎えていたリーザは二つ返事で了解した。
4人は樹海の入り口に近いあたりで雨宿りを兼ねた休息をとることにした。
樹海の入り口付近であれば、何か起こったとしてもすぐに平地に移動が叶うし、わずかとはいえ雨露をしのぐことも出来る。ガイナーは木々の間のわずかに開けた場所で火を起こした。
乾いた薪を捜すのに手間取ったものの、ようやく人心地ついた後、そのまま眠ってしまっていた。
「無用心な話しだねぇ…」
ヴァイスは一人火の番を引き受け、3人の姿を眺めていた。
「まぁ、無理からぬことか…」
この場合やむ無しと悟ってただ黙って夜が明けるのを待った。
夜が白み始めても雨はやまなかった。
このまま雨に打たれたまま平原を抜けたとしても、雨によって体温を奪われ続けてしまう。
そのため、その場でそのまま立ち往生をする羽目になってしまった。
ようやく休息をつけたヴァイスはカミルとともに付近の警戒を行うためにガイナーたちと離れていった。
火のそばにはガイナーとリーザの二人が残った。
リーザはあれから言葉を発することをしなかった。ガイナーたちの言っていることには返事をするが、自らはなしかけることはなかった。
ガイナーからすれば二人でいることの沈黙がなんとも痛かった。
沈黙が続けばリーザは父のことを考えてしまうに違いない。
同様にガイナーも行方がわからないままの幼馴染の兄貴分のことを考えてしまっていた。
“ケイン…無事だよな…”
「皆さんをこんな危険なことに巻き込んでしまって、お詫びの言葉もありません…
そして、なんてお礼を言えばいいか…」
「え?」
沈黙はリーザから破ってきた。
「…ありがとうございます」
「リーザ…」
リーザも二人だけの沈黙は気まずい雰囲気と感じたのだろう。出てきた言葉は素直な謝辞だった。
「お礼なんか…
俺は何も…」
不意の言葉にガイナーは戸惑いを覚えた。
結局、ラウスの亡骸は置き去りにしてしまうことになってしまった。
その場からすぐに離れなければならなかったとはいえ、そのことにガイナー達は心残りがあった。
「いいえ、ガイナーさんのお陰で私は父の最期を看取ることが出来たのです。
今の私には…それで…それで十分です」
「・・・・・」
その時点で会話が途切れてしまうかに見えた。
だがリーザはそのままガイナーに質問をつづけた。
「ガイナーさんは…
アファに着いたらこのままラクローンに行かれるのですか?」
「ラクローン…」
ラウスが最期に遺した言葉…
ラクローンにいる預言者に道を示してもらうこと…
“この世界に何が起ころうとしているのか?”
“サーノイドの目的は?”
「そこに行けば、すべてわかるのだろうか??」
「わかりません…けど今はラクローンとの連絡手段がないんです」
「どういうこと?」
リーザはガイナーに二国間の状況を話した。
サーノイドの襲撃以降、アファとラクローンは通信手段が途絶えてしまっている。
その理由として、アファとラクローンの間には2つの道が存在する。一つは陸路、もう一つは海路である。陸路においてはその道中に“クリーヤ山脈”がそびえ連なっている。だが、サーノイドの軍勢がラクローン攻撃のための拠点となっているという噂があった。
もう一つは海路である。アファの東海岸にはエルダーンという港町が存在するが、ラクローン方面の航海は必ずといっていいほど、魔物に襲われる。そのためエルダーンの船もラクローンへは向かわず、主にトレイア方面に向かうことになる。
リーザの説明で概ね理解した。
「そんなことが…」
海路はどうすることも出来ない以上、ガイナーには陸路、すなわちクリーヤ山脈を抜けていく以外に道は無かった。
「すみません、私…差し出がましいことを…」
「いや、いいんだ…
でもそこに行かないと始まらないんだな」
それが自分に示された新しい道である以上、それを進んでみたい。手探りの状態で旅路をつづけるガイナーにとってはただ一つの光明なのだから。
我ながら根拠のない楽観視しすぎた発言だとも思い、肩をすくめた。
でも今のリーザにはひたむきなガイナーには羨ましさすら覚えた。
「リーザは…これから…どうするんだ?」
「え?」
「その…アファに戻ったらのことだけど…」
ガイナーの質問にリーザはしばらく考え込んだ。
「まずは国王陛下に父の死を奏上しなければなりません。その後は…」
「その後は…?」
さらに考え込んだ後、心を決めたように話す。
「父が調べていたことを引き継いでいきたいと思います。
樹海の奥で見たものを今度は私なりに調べてみます」
「そうか…」
気丈に振舞っていたリーザにガイナーは気高さすら感じたかもしれない。
しかし自分より年下の傷心の少女にとった行動は自分でも思いがけないことだった。
「ガ、ガイナーさん…!?」
ガイナーは自らの手をリーザの頭の上に添えて、そっと撫でた。
それはガイナーがまだ幼かった頃、親のいなかったガイナーを姉がわりの少女がまだ少女よりも小さかったガイナーにしてあげていたことと同様の行為だった。
突然の行動にリーザは戸惑いの表情を見せながらも、ガイナーの手を振り払うことなく行為を受け入れ続けた。
そうしていくうちに、リーザの瞳からは大粒の涙がこぼれはじめていた。
「すいません…私、もっとしっかりしないといけないのに…」
ガイナーは今にも心の堤防が決壊しそうなリーザにそっと告げた。
「いいんだ…」
「え…?」
「今はそんなに背伸びすることは無いよ。
こんなときくらい…
こんなときくらいは泣いたって構わないさ」
「ガイナー…さん…」
リーザの声は声にならずにそのまま嗚咽に変わっていき、やがてリーザはガイナーの胸に顔をうずめた。
ガイナーも戸惑いを隠せなかったが、これで僅かでもリーザの心が軽くなるのであればと、ただじっと…昔、姉のような人がガイナーにしてくれたように頭を撫で続けた。
雨音はリーザの泣き声をかき消すかのようにとめどなく降り続けていた。