第03節
「ガイナー!」
カミルの声にガイナーは馬車が進む方向に眼をやった。
「この先にゴブリンがいる」
それは道から外れた草原に動く影がいくつか確認できた。
「パウロさん、馬車を止めてくれ。
数は・・5匹くらいか…」
その言葉にパウロは従って手綱を引いた。馬車はゴブリンの影が見えるあたりで止まってなりを潜めることにした。本来ならば無駄な戦いを避けてゴブリンが去るのを待つのが得策なのではあるが、カミルはその策を撤回しなければならなくなったことをガイナーに告げた。
「ガイナー、急いで駆けつけたほうがいい。誰かが襲われているみたいだ」
「人が!?」
遠巻きにしか見えないので詳しくはわからないが、たしかにゴブリンたちは何かを囲んだように動いていた。
人が襲われていることがわかれば、このままゴブリンたちが去っていくのを黙ってみているわけにはいかず、その言葉に二人とも馬車から降りて駆けつけることにした。
「パウロさんはここにいてくれ」
「あ、ああ、わかった。二人とも気をつけなされよ」
パウロを遠ざけるように促したあと、二人はゴブリンの影に向かって駆けつけながら、剣を鞘から抜いた。
二人は気配を殺しながら、姿勢を低く保ったままゴブリンたちのもとに近付いていった。ゴブリンたちはガイナーたちから見た“誰か”を囲うようにして動いていたためか、ガイナーたちが斬りかかって来た時に完全に無防備な形を晒していた。
二人は目で合図を送りながら、すぐさま行動を起こした。
「たあぁぁっっっ!!」
まずガイナーの掛け声一つで剣は後ろ向きにいたゴブリンめがけて振り下ろされた。
本来ならば背後からの奇襲攻撃に際しては掛け声などかけるべきではないのではあるが、今回に関してはゴブリンたちに後ろに注意を引かせるために必要なことであったといえる。そしてその声は功を奏した。ゴブリンが背後を気にした瞬間、ゴブリンたちに隙を生じさせることに成功した。
ズシャァァッッ!!
袈裟懸けに振るった一太刀によってそのゴブリンは左肩から股にかけて二つに割かれ、その体重に見合った出血とともに一瞬にしてただの肉片と化した。
あっという間の出来事に残りのゴブリンたちも振り向いたのだが、その瞬間にまた別のところから一つの剣閃がおこり、もう一匹のゴブリンの首を飛ばした。
瞬く間に二匹の仲間を失ったゴブリンたちは先ほどまで狙っていた“獲物”から襲ってきた二人に向けて構え始めたが、全ての行動が後手に回っていたのは言うまでもない。
ゴブリンたちが構えるより早くガイナーは一番近くにいたゴブリンに向かって剣を振り下ろしていた。すでに後手に回っていたゴブリンは手にしていた棍棒で剣を防ぐことに手一杯であった、初撃は防ぐことが出来たものの、さらに振り上げた剣が打ち付けられ、叩きつけられた剣はゴブリンの頭部を脳天から直撃し、完全に頭を潰された形になった。そのゴブリンもまた、ただの肉片に変わり果てた。
ガイナーはすぐさまにゴブリンをにらみつけ威圧した。それが功を奏したのだろう。この瞬間とも言える時間の中でたちどころに数の上で五分以下に成り下がった。数の上で劣勢か同等になるとゴブリンは人を襲うことはなくなる、ゴブリンたちは草原の中へと逃げ出していった。
二人は剣に付着したゴブリンの血を一振りのうちに払い飛ばし鞘に収めた。一息ついたあとに襲われていた人のもとに駆け寄る。
「大丈夫か・・・」
平原を行く旅人が襲われたと思って声をかけたガイナーだが、眼にしたものは、考えていたものとは少し違っていた。
その姿はガイナーよりもまだ年端もいかないであろう、年齢にして14、15くらいだろうか…
髪は見栄えのよい金色の髪をちょうど頭の後ろで束ね、なおも腰にまで伸ばしていた。瞳の色はライティンには比較的多い茶色、肌の色はガイナーよりもやや白い感じがした。
驚いたのは襲われていた人物が少女であったことだろう。
少女は歳相応の娘が好んで使いそうなピンク色の大きなリボンで髪の毛を束ねていた。
ゴブリンに襲われてしまって怯えと恐怖に震えていたのだろう。その瞳には涙を浮べたままその場に座り込んでしまっていた。
「あ、あの・・・」
「あ、え~と、どこにも怪我はないか?」
少女の姿を見たときは少し戸惑ったが、ガイナーは少女に手を差し伸べた。しばらくその手を眺めていた少女であったが、やがて危機が去ったとを悟り、安堵感を覚えたのだろう、その手を自らの手と重ねて立ち上がった。立ち上がった姿であれ、ガイナーより頭半分くらい低い位置だったので少女は上目遣いでガイナーに言葉を発した。
「あ、あの・・・その・・・」
少女はいまだにどこか怯えるような面持ちをしながらも言葉を濁しながらガイナーを見据えていた。
「と、とにかく、またゴブリンたちが来るかもしれない、とりあえずここを離れよう。
歩けるかい?」
「は、はい・・」
ガイナーも怯えの残る少女の対応に困惑の色を隠せずいいた。
言葉を濁したままであった少女ではあるが、ガイナーの提案に応じ、その場を離れることにした。ガイナーたちは少女を加えた3人で離れていたパウロのもとに少女を連れて戻ってきた。
「たいへんな目にあったのう…
さあ、これをお飲みなされ」
パウロはその災難に会った少女に水筒を手渡した。緊張感からの咽の渇きがあったのだろう、少女はその水筒を受け取り、その中身をゆっくりと口に含んでいった。その中身を飲み終えると少女は自らを名乗り始めた。
「あ、あ、あの、助けていただいて、あ、ありがとうございます。
わ、私はリーザ、リーザライド・フォン・ファラージュといいます」
「ファラージュ?」
この世界で名乗るときは出身地と名前を出すものであるが、少女のそれは完全に独立した姓を持った名前であった。それはアファ国において王族かもしくはそれに次ぐであろう階位の家柄、あるいは有力な名士の家であることを意味していた。
「これは驚いた。アファ国の王侯貴族のお方の姓ではないか。」
事実、ファラージュ家といえばアファにおいては爵位を有する門地の諸侯の姓でもあった。
「え~と、それがまたどうしてこんなところに・・??」
今ひとつ、王族や階位などに理解に苦しむガイナーであったが、質問はいたって単純なものだった。
今ガイナーたちがいるあたりではアファの城下にはいま少しばかり距離がある。どう見ても普通に城下を出て散策に出かけたときに魔物に遭遇したというものではないはずである。現にこの少女の身体には皮製とはいえこの少女にあわせた大きさの胸当てが身につけられていた。これは城の外にあるどこか別の目的地を目指していることを意味していた。
ガイナーの質問にしばらく視線を泳がしていたが、やがてリーザは口火を切って語り始めた。
「わ、私、お父様の、父の許へ行かなければならないんです。父はわたしに何も言わずに樹海へ行ってしまわれたんです。
そ、それで、それで私、いてもたってもいられなくなって・・・」
この一言のガイナーの印象は我が身を振り返ることなく“随分と無茶をする娘だな”と思ってしまっていた。
「お父様?」
「父の名はマルキース・ラウス・フォン・ファラージュ。この国の宮廷魔導師であり、司政官です。」
「ラウスだって!?」
この名前にガイナーは驚きの色を隠せなかった。その人物こそガイナーが会うためにここまでやってきた本人なのだから。
「俺はその人に会うためにメノアから来たんだけど・・・」
「父に会うために?」
リーザはまだ見知らぬガイナーたちに少し警戒したそぶりを見せる。
「ああ、俺はメノアのガイナー。
じいさん…ジェノア様に言われてここまでやってきたんだ。」
「え!?
で、ではあなたが、ガイナーさんなのですか?」
リーザの言葉にガイナーはさらに驚きの色を強めた。
「え?俺を知ってるのか?
一体…??」
ガイナーの頭上に複数の疑問符が浮かんでいたことだろう。それも無理はなかった。しかしその答えもリーザが提示してきたのである。意外な人物の名を携えて。
「あ、あの、ガイナーさんのことはケインさんからお聞きしましたから」
「ケインに!?」
「は、はい、お父様はケインさんとわずかな供を連れて樹海に行ってしまわれたんです。
どうしてこんな時に…」
すでにリーザは今にも泣き出しそうな面持ちだった。
「樹海・・・」
すでに驚きの連続が続く会話であった。ガイナーは一度情報を整理させるために思考をめぐらせた。
ジェノアにラウスに会うように言われてアファに向かっていたところに、偶然とはいえその娘であるというリーザに出会った。
リーザが言うにはラウスはアファにはいなくて、自分達より先に旅立ったケインとともに樹海に向かった。
“どういうことだ??なんでケインが?”
不思議なつながりに奇妙な感覚がまたさらに強まっていくようだった。
「ふむ、樹海とはな・・・」
よこで会話を聞いていたパウルはなるほどといった顔でつぶやいた。
「パウルさん、樹海のことを知ってるのか?」
その質問にパウルは東に顔と指を向けて返答を返した。
「ほれ、ここからも見えるじゃろう。
平原から東にある広大な森じゃ。以前からあの森には太古の遺物が眠っているとも言われておるが、実際に見たものはおらんで、定かではないがの」
「太古の遺物・・・そんなものが・・」
「もしかしたら、リーザの親父さんとやらはその遺跡を探しに出かけて行ったのではないのか??」
「・・・・多分、そうかもしれない。
じいさんもラウス様という人は大昔の事を調べている人だと言っていたから…」
しばらくの間があってからリーザはあわてるようにして3人に向かって声をかけた。
「あ、あの、わ、私そろそろ行かなければ、何もお礼が出来なくて申し訳なく思うのですが・・・」
お礼とも陳謝ともいえる言葉を述べたあとに立ち去ろうとしていたのだが、ガイナーはリーザを呼び止めた。
「待ってくれリーザ。だったら俺も樹海に行くことにするよ」
「え?え?・・・しかし・・・」
思いがけぬ提案にリーザは一瞬困惑した。
「俺はリーザの親父さんに会うために来たんだ。その人が樹海に行ったというのなら俺もそこに行くことにする」
そういってガイナーはカミルのほうに眼をやった。カミルもまたガイナーと同意見であるということを確認するためにであったが、カミルも頷きでガイナーに返した。
ガイナーの言葉にリーザは一瞬迷ったが、ガイナーの同行を快く受けることにした。
「あ、ありがとうございます。なんとお礼を言ったらいいか・・ああ、これも女神ティーラ様のお導きなのでしょうか?」
「気にしなくてもいいよ。俺も樹海に何があるのか気になるからね」
一人での行動が心細かったのか、よき協力者を得たことへの喜びなのか、リーザの眼には再びうっすらと涙をうかべていた。
リーザとの同行を決めた以上、これまで同行していた者に対しても断りを入れようと馬車の主に顔を向けた。
「パウロさん、申し訳ないんだけど俺たちは・・」
ガイナーはこの場においてパウロとの別離をする旨を伝えようとした。道中の護衛を引き受けるからこそ、これまで馬車に乗せてもらっていたのである。これに関してパウロは申し訳なさそうな表情のガイナーに笑顔を見せて快く送り出してくれた。
「なぁに、心配はいらんよ、ここまでくればアファはすぐそこじゃ。
それよりもお前さんらのほうが道は険しいぞ」
そういいながら、パウロはガイナーに小さな筒を手渡してくれた。
「こいつがあれば火を起こすのもたやすいだろうで、持っていくといい」
筒の中身はパウロが運んできた。あの石油が入っていた。
「何から何までありがとう。パウロさん」
「お父さんに会えることを祈っておるよ、気をつけて行きなされよ。お前さんたちに女神ティーラのご加護があらんことを」
草原に残る3人をあとに馬車はアファへの道を進み始めていった。
「さあ、俺達も行こうか」
馬車が見えなくなるまで見送った後、3人も進路を東へ向け、道すらない草原の海を渡るかのようにその果てにある樹海へと進んでいった。