第17節
「いずれにせよ、カミルの記憶が戻らないことには、この剣だって真価を発揮できないわね」
「わかったよ。
いろいろとありがとう。フィレル」
フィレルとしては少々面食らうところがある。
しかし、あまり表情に見せないようにしながら、これまで通りの口調で返す。
「お礼だなんて、嫌ねぇ、そんなお礼を言われるようなものじゃないと思うんだけれど」
「そうでもないさ」
カミルの言葉がどういう心境からのものであったのか、今一つわからないでいたフィレルであったが、周囲に散らかしていた工具類を道具袋に仕舞いながらカミルに問うてみる。
「急にどうしたのかしら?」
「ライムのことさ。
君のおかげであの子はずっと活き活きとするようになった」
カミルは本人の事情で別離を余儀なくされたものではあるとはいえ、ライムにその事情を押しつけてしまっていることに少なからずの自責の念がある。
中でも船上での女性と別れることに関して、ライムとしては堪えるものがあったところもあり、少年と再会するまでの間、寂しさに目を潤ませていたところもある。
少年と再会してから後、船上で懇意にしていた者と雰囲気の似た少女がいたことは、ライムの心情が少なからず和らいだものとなっていたことは疑いようがない。現にアファに入ってからのライムは、これまで以上に活き活きとした表情をみせるようになってきていた。
フィレルとしてはとかく、何かに区別して振る舞うなどということはない。
ガイナーやライサーク、エティエルといった仲間内とも分け隔てることもない。
どちらかといえば、愛らしい姿の少女を愛でるという点においては、少しばかり過剰な接し方をしているようにも見えなくもない。
それはとかくライムに限ることではないのだが。
一通りの緑髪の少女の事情を青年から耳にすると、フィレルは薪を火にくべる。
火は新たな薪を得て勢いを取り戻したかのようにパチパチと音を立てて燃え盛っていく。
それを確認した後にフィレルから発せられた言葉は、カミルにとっては少しばかり意外なものだった。
「もしかして、私と似たような人って、ロミアっていう名じゃない?」
「!!?
ロミアを知っているのかい??」
「やっぱりね。もしかしたらそうじゃないかな、とは思ってたのよ。」
「それじゃ」
「知り合いも何もロミアは私の姉、そしてヘクターとは従兄妹ね」
フィレルとしては、カミル達がラクローンへとやってきたのがトレイアから海路でやってきたという話を聞いて、どこか思い当たる節はあった。
「そうだったんだ」
言われてみれば、雰囲気が似ているとは思っていただけに、フィレルの話に得心がいく。
「でもそれじゃ、ラクローンで彼らに会うこともできた筈じゃ・・・」
「ああ、そういうのは気にしなくてもいいわよ。
お互いにやるべきことをやるために離れているんだから・・・」
「やるべきこと・・・?」
「それよりもよ!!」
フィレルはずいっとカミルを睨みつけながら身を詰めてくる。
あまりの圧に思わずカミルとしてもたじろがせてしまう。
「ど、どうしたんだい?」
「そもそもよ。
カミルとしてはライムのことをどう思っているわけ!!?」
「ど、どうって・・・??」
何故、今そんなことを聞いてくるのか?という心境がカミルにはある。
しかし、フィレルの表情はいつにもまして真剣そのものといった顔を見せている。
「僕は、あの子を僕の都合で連れ出してしまった。
そのことに関して僕は、あの子のことをきっちりと見てあげないといけないと思ってる」
「はぁ~、そういうことを聞きたいんじゃないんだけど・・・」
フィレルとしてはカミル個人としてライムのことにどんな感情を有しているのか、というところを尋ねてみようと思っていた。
迂遠なことを口にしているわけでもなく、カミルは素直な心情を語っていた。
しかし思うような回答ではなかったことで、大きくため息を吐く。
この青年には少女はあくまでも保護の対象。
そう位置付けするものがはっきりと明示されていた。
「ったく、ガイナーといい、男共は・・・
なんでこう甲斐性ってものが・・・」
カミルはおそらく自身のことを言われているのだろうということが理解できるものの、フィレルの呟きに何かを返せるものでもなかった。
「まぁいいわ。
あの子のことちゃんと考えてあげているのなら今はいいわ」
「ああ」
「こんな時間まで何かやっているのか?」
振り向くとそこに丁度、ガイナーが周囲の警戒を終えて戻ってきていたらしく、炎の前に近づいてくる。
「おかえり、見回り御苦労さま」
「どうかしたのか?」
「・・・・・・
別に。ここまで来たらそれなりの準備は必要でしょ?」
一通り言いたいことを口先から放った少女は、先ほどまで組み立てていた折り畳み式のボウガンを持ち上げてガイナーに披露してみせる。
普段フィレルの腰に帯びたボウガンとは異なり、目の前にあるものは倍からの大きさにまで広がり、持ち運ぶだけでも一苦労しそうな様子が見受けられる。
「随分とでかいな」
思わず率直な意見を口から零してしまったガイナーだったが、それを耳にしたフィレルはやや得意げに鼻を鳴らす。
「ふふん・・・それだけ威力もアップってわけよ」
「へぇ~それは頼もしいな」
「ガイナー、僕はそろそろ交代で見回りに行くことにするよ。ガイナーは先に休んでおいて」
「わかった、気を付けてな」
「フィレルもおやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
カミルはそのまま剣を携え、闇夜の中へと入っていった。
「さてと、それじゃ、私もそろそろ休もうかな。
明日からいろいろバタバタするんだから、ガイナーも早いうちに休みなさいよ」
「・・・ああ」
右手を軽く振りながら、フィレルは二人が休む幌馬車の方へと歩いて行こうとしていた。
数歩足が動いたところで、フィレルは一度その場に立ち止まると、少年の方に向きなおることなく、口を開く。
「ガイナーとカミルにも言っておくことだけど、二人して無理するんじゃないわよ。何かあったらあの子たちが悲しむだけじゃないんだからね」
「フィレル・・・?」
「は〜い、それじゃ、おやすみぃ~」
それだけ言い残してガイナーの返答を聞かぬまま、フィレルはその場を離れていった。
「ったく・・・
何なんだ?あいつは?」
どうにも居心地の悪さが残る雰囲気を搔き消すように小さく悪態をつくと、少年は炎の前に腰を下ろす。
フィレルがその場を離れると、周囲は静寂で、時折焚き火の中で薪が割れる乾いた音だけが響いてくる。
「・・・・・」
青年がはなれた後もガイナーはしばらく火の傍を離れずに佇んでいた。
この日のガイナーはどこか胸がざわついた感じを拭いきれずに、一面が暗闇に覆われた空を見上げている。
月明かりどころか、星の光さえも遮られるほどにこの日の雲は深く、少年の心象に更に追い撃ちをかけてくるかのような暗い空をしばらくの間眺め続けていた。
「眠れるうちは眠っておくべきだと思うぞ」
背後から近付いてきた赤眼の傭兵は、諭すように語ると少年の隣に立つ。
「わかってはいるんだけどな・・・」
未だに胸騒ぎがおさまらず、ガイナーは胸に拳をあてて鼓動を確かめる。
「・・・・・
表向きは救援ということで向かってはいる。だがおそらく、ウェスタリアに着いた途端に戦闘が始まる、と言ってもいいかも知れん。
正直に言ってこの程度の援軍でどうにかなるのか、ってさえ思ってしまうのは俺の悪い癖かも知れんが・・・」
歯切れの悪い言葉ではあったが、赤眼の傭兵は確実に戦闘になることを告げていた。
「そんなことがわかるのか!?」
「多分、お前が今感じていることと同義だ」
「・・・!?
だったら!!」
思わず身を乗り出しそうになる少年を手で制しながら、ライサークは言葉を続ける。
「徒に駆け込んだところで何も伴わないまま戦場に赴いて、全てが仕損じてしまった、とうことにもなりかねない」
「ぅ・・・」
「だから今だけは身体を休めておくことも重要なことだ。
今できることを疎かにする奴は、今後も生き残れる保証はない」
「ライサーク・・・?」
「・・・・・
俺の親父の口癖だ」
「ライサークの・・・」
「・・・・・
数年前に別れたきりになるが・・・
まだしぶとく生きているのかも知れんし、もしかしたら今頃どこかで野垂れ死んでいるのかさえも解らんが・・・
まぁ、生きていたのなら、どこかで会う機会もあるかも知れん・・・」
言葉を出しながら、赤眼の傭兵はどこか自嘲めいた笑みをこぼす。
「今出来ること・・・」
逸る気持ちがどうしても湧き上がってしまう今のガイナーには、ライサークの言葉が刺さるところがある。
「そうだ。今はしっかり休んでいろ。
俺達は明けてすぐ、一気にウェスタリアへ強行する。
それで昼ごろには何とかなるはずだ」
ライサークは闇で見えることのない山々の輪郭を見てウェスタリアまでの距離を目算して
少年に告げる。
「それまでは持ちこたえてくれることを祈るしかない」
「・・・ああ」
ライサークも焦燥に駆られる少年の心情を理解できてはいる。
しかし楽観的な言葉を投げかけることも躊躇われるも、敢えて希望的観測に基づいた
言動を前に出すことにした。
「わかったよ。ありがとう、ライサーク。
それが今俺に出来ることだって言うんなら・・・」
「ああ、わかればいい・・・
・・・・!?」
「どうしたんだ?
・・・・っ!?」
僅かに赤眼の傭兵の方が近づいてくる気配を感じ取るのが早いとはいえ、二人の差にそれほど開きがあるわけではなかった。
「あっちは、ウェスタリアの方だよな?
まさか!?」
「いや気配は一つだ・・・」
ウェスタリアを突破してきたサーノイドの軍勢を脳裏にかすめたが、すぐに払拭させた。
程なくして二人は蹄の音らしきものが鼓膜を刺激すると、闇夜から現われたのは軽装の騎兵の姿だった。
騎兵は篝火を目指し、こちらへと駆けてくる中で二人の姿を確認すると、手綱を引いて馬の脚を止める。
一見すると戦ってきた跡などは見当たらず、ライサークはおそらく王都への伝令の使者ではないかと推察していた。
「其の方らは?こんなところで何をしているのか!!?」
馬上にて威を張る姿はあるも、動じることなくライサークは馬の前に立つ。
「俺達はヒューバート家より依頼を受けてウェスタリアへ向かうところだ。
見たところ、ウェスタリアからの伝令のようだが、向こうで何かあったのか!?」
「ヒューバート・・・
ではアファから・・・」
ヒューバートの名を出したことで警戒心が薄らいだのか、或いは格上の貴族の名に怖じたのか、騎兵は馬を下りて二人に近づいてくる。
「失礼致しました。
私はウェスタリアにてゼルフト卿よりの命を受けて王都へと向かう者です。
現在、砦は砂漠から魔物の大群が迫ってきております」
「!!?」
「魔物の大群だって!?」
「おそらく、今夜には戦端が開かれたと見ていいかと」
「そんな!?
既に戦闘が始まっていてもおかしくない、いや、始まっているんじゃないか!!」
この一週間砦において何をやっていたのかという憤りがガイナーの中にはあった。
しかし、この場で憤慨しようとどうにもなるわけでもなく、ライサークは一先ず少年を落ち着かせてから、ウェスタリアからの使者に問う。
「はい、一週間ほど前から軍勢の影は確認されていました。」
「それまで砦は何をしていたというのだ!?」
「しかし、魔物の軍影は確認すれども、これまで一向に動く気配がありませんでした。
ただ、こちらも警戒態勢を維持し続けていたので、不意を突かれるということはないでしょう」
砦の内情を聞くに赤眼の傭兵は眉をひそめる。
「妙な話だ。
一体、砦の指揮官はこの一週間なにをやっていたというのだ?」
ライサークの指摘が的確なものであっただけに、砦の使者も表情を曇らせる。
「ゼルフト卿は魔物の姿を確認次第、王都への援軍を乞うと同時に市街への非常事態を告げて避難を呼びかけるつもりだったのです
ですが・・・」
そこから先は言葉に詰まらせながら、使者は苦虫を噛むような険しい面持ちを見せ始めている。その相を見てライサークはある程度の状況を把握したのか、使者に対して大きく首肯する。
「どうやら一部の上位陣が何かしらの意図があるようだ」
「それは・・・?」
「それはこの場では何とも言えんな」
「・・・・・・」
「今夜になって攻勢が動く気配があるということが判明し、卿は独断で、王都への増援を再度呼びかけることと、最悪の事態に備えて近隣の村や駐屯地にも相応の警戒を呼び掛けるようにと我々に仰せつかっております」
「それで、どれほどの数が集まってきている?」
「詳しくは量れるものではありません。
しかし、砦を蹂躙させるのに十分な数が押し寄せてきているのは確実です」
「っ!!」
「これはいよいよ本格的に落としに掛ってきたということだな」
「ライサーク・・・」
「サイルとすぐに協議しよう。
これは明けるまでといった悠長なことも言っていられないかも知れん」
ガイナーは無言で頷くと、すぐにこの部隊を率いる指揮官でもあるサイルがいる幕舎へと向かった。