第02節
町の外壁をぬけるとそこには海原に似たほどの広大な草原が広がっていた。そんな草色の海原を一筋の道が地の果てまで続くかのように細く伸びていた。
「へぇ・・」
ガイナーは思わず感嘆の声を漏らしていた。辺境ともいえるであろう離島にこれまで過ごしてきた黒髪の少年にとっては広大な大陸の姿を見るのは初めてだったのだから。
「お二人はメノアから来たというが、それじゃ平原は初めてなのかい?」
パウロの問いにガイナーは頷いた。馬車はリズムのような心地よい揺れを乗る者たちに与えながら一本道を走り抜けていった。
「それじゃガイナーたちも戦いに参加しにいくのかい?」
しばらくの間窮屈な馬車の中とはいえ心地よい揺れに身を預けていた二人にパウロは質問を投げかけた。
「戦いに参加?」
ガイナーはパウロの質問が何のことなのかすぐに理解することが出来ずに質問を反復した。
「これからアファに向かうんだろ?
今あの国じゃ魔物に襲われているというじゃないか。だったら二人とも戦いに加勢しに行くのではないのかね?」
「いや。俺たちはある人に会うためにアファに向かうんだ」
「ほぅ、人に会いに?」
ガイナーはアファに人に会いに行くいきさつとカミルの記憶のことをパウロに話した。誰に会うということはあえて伏せておいた。
「そうかい、カミルのほうは記憶が・・」
記憶がないことを聞いたパウロはしばらくカミルのほうを見て同情にも似た表情をした。
「しかし、ファーレルであって、カミルという名というのもちと出来すぎじゃのう」
「??どういう意味だい?」
「その青い瞳、カミルは間違いなくファーレルじゃろう。たしか“カミル”というのは大戦のときにいたファーレルからは英雄と呼ばれていた戦士の名前だったはずじゃ」
「へぇ、そうなんだ」
「・・・・・」
「すまないね。こんな大昔の話じゃ何の手がかりにもならんじゃろうて」
「そんなことは・・・」
真新しい情報に興味を示したものの、これといった情報でもないのは確かであった。
「今はサーノイドが魔物を率いて俺達を襲ってくるって話だ。これから先どうなってしまうのだろうな??」
「そうだね…でも…」
「でも…??」
「サーノイド達は一体何の目的でライティン達を襲うんだろうか??」
「・・・・・」
その疑問は今この場所では誰も返答の出来るものではなかった。
おそらく今のライティン達のほとんどが思っていることであったろう。
そして誰もがサーノイドの存在に脅えていた。
サーノイド。
先の大戦においてライティン達と存亡をかけて戦いあった種族。
神々を崇拝していたライティンとしてはサーノイドはいわゆる“闇の眷属”、あるいは“悪魔の遣い”とまで言われて忌み嫌い続けられている存在でもあった。
それゆえか、古くからライティン達においては犯罪を犯す者、狂気に触れた者たちなどのことを“サーノイドに堕ちる”ということわざまで生じているほどのものである。
これまではサーノイドの存在というものはあくまで昔話における存在でしかなかった。
今現在においても、ライティン達にとって“悪魔の遣い”となって存在している。
ただし、今度は昔話や逸話の存在ではない。現実を帯びた存在としてではある。
だが、サーノイドの人種を直に見たものは未だに少ない、それゆえにライティン達には一層脅威となって存在している。
太陽が西の地平線に完全に潜ってしまうと、辺りは突然にして闇に包まれた。そして闇の中より太陽に代わって月と星の淡い光が降り注ぎ、わずかに足元を照らすかというほどのものとなった。陽が落ちてしまうと先の見通しが適わず、魔物が襲ってくる際の警戒も不十分になってしまう。あとは、何よりも馬を休めなければならない。街道馬車よりも馬の数が少なく、乗員も3人になっている為、移動速度はわずかなものでしかない。おそらく馬の負担も相当なものであったに違いない。手綱を引いたあとの馬達の息づかいは相当に荒いものであった。
それでも歩いていくよりははるかにましなものではあったが…
これ以上移動は危険なもので、今日はこの場所で移動を止めて火を起こして夜に備えなければならなかった。
馬に飼い葉を与えた後、火を起こすために馬車に積んでいた薪の束を取り出す。森の中を進んでいくというのであれば、薪は現地調達することも可能であるのだが、アファ平原のような草原をぬけていくのであれば燃料となるものは不可欠なものであった。
パウロは壷の中の液体を薪にかけてから火を起こした。
「パウロさん、それは一体何だい?」
「ああ、そいつの中身は水じゃよ。だが、ただの水じゃない。こいつは炎を食らってさらに大きくなってゆくいわば燃える水じゃよ」
そう言ってパウロは火打石で火を起こす。炎はガイナーが想像する以上に勢いよく燃え上がり、一瞬で焚き火が完成した。
「すごいな…
燃える水って油のことかい?」
「油か、そうじゃな、だがこいつはほかの油と違って燃えカスが残ることはない、だから使い勝手がいいのは確かじゃよ」
それはとある世界においては石油と呼ばれる液体のことであった。この世界で油の使用は基本的に灯りとして用いられることがほとんどである。基本的にライティン達が普段使用するのは植物の種や家畜の肉より取れる油である。大きな街では街灯と呼ばれ都市の到る部分にある石柱に灯を燈す。そのために油の需要は非常に大きいものではあるが、従来の油は都市が大きければ大きいほどに油の生産が追いつかずにいるのが現状であった。
トレイアは大陸のほとんどが岩場と荒地で構成された大地ではあるが、少し地下に掘るとその地脈からは膨大なまでの石油の層が存在していた。無論、この時代において掘削技術が発達していたわけではないので、石油の供給もわずかではあったが、産業的な需要にするに至らないため、都市の照明用ということにおいての需要だけを考えれば十分すぎるほどの生産量であった。また一部の生活においては燃料として使われることくらいの需要は存在してもいる。
「そんなものがあるんだ・・・」
ガイナーははじめてみるものに感慨深いものがあった。事実、この油が照明用に使用されれば夜道に危険が伴うことはなくなるだろう。もっとも夜中に出歩くということはメノアでは考えられないことではあるが、それでも夜間の警備において重要な役割を果たすことに違いない、ガイナーの頭の中ではそういった考えがあった。だがカミルのほうはガイナーとは異なって表情にかげりがあった。
「どうしたんだよカミル?」
カミルの表情が気になったガイナーはたずねてみた。
「これを使うようになってこのさき人はどうなるんだろう、と思ってね・・」
「このさき・・・??」
ガイナーにはこのときのカミルのいった意味がよくわからなかった。
三人はパウロの用意したパンと、エルザで買ったものらしい魚の干したものでとったスープを木製のマグに注ぎ、それを飲み干した。
温暖な気候とはいえ夜は必要以上に気温が下がるものである。3人は外套をはおりながら夜を過ごした。途中でガイナーとカミルは交代しながら火の番と魔物への警戒をおこなっていた。
火の番をしながらガイナーはパウロの質問について考えを巡らせていた。サーノイドが襲ってきていること、そして一足先にアファに向かったカミルと同じ瞳の色をした兄貴分の青年のことを。
「ケインも今戦っているんだろうか?」
ケインの実力はガイナーが一番よくわかっていた。ケインに限って簡単にやられることはないということも、それでも奇妙な不安とも呼べる感覚がガイナー中をめぐらせていた。
「ガイナー、交代だよ」
その言葉にガイナーは思考を停止させて周囲を見渡した。月はすでに天頂に到達し一番高い位置から光を降り注いでいた。周囲は静寂を保ちながら聞こえてくるのは薪が炎で割れる音と馬車の持ち主の寝息くらいだった。
「ああ、それじゃ後は頼むよ」
「うん、任せておいてくれ」
カミルと交代でガイナーは外套を羽織るように身を包ませて体を横たえた。
そのあと夜が明けるまでにもう一度交代を取って明るくなるのを待った。
東の空から陽の光が顔をのぞかせ始めると、再び馬車は道なりに走り始めた。
道中、二度目の宿場に立ち寄り、二度の野宿を行い、エルザを出発して5日目の朝日を迎えていた。
その間ガイナーたちはパウロからいろんな話を聞いた。
トレイアのヴァリアスという人種のこと、アファの街並み、もっともパウロの行動範囲もトレイアからアファまでの間での話が主なものではあった。
だが、その5日目の道中、カミルが魔物の影を発見した。