第13節
ガイナー達が王都を発った頃には既にウェスタリア城壁の上からは、かつてないほどのサーノイドの軍勢の影が確認されている。その数はこれまで襲い掛かってきた魔物をはるかに凌駕するものだった。
その報告が飛び交うや否や、兵士たちは迎撃準備に奔走するも、西の砦はこれまで以上にないほどの戦慄と怒号が飛び交っている。
それはもはや収拾のつかないところにまで陥ろうとしていた。
だが、兵士たちのほうはまだこれまでの戦闘経験もそれなりにあってなのか、ある程度の秩序は維持されている様子は見せてはいるが。
サーノイドの軍勢現るの報告にどこよりも動揺が走ったのは、寧ろ彼らを指揮し街を治める者たちの方であったのかも知れない。
とくにそれは上に行けば行くほど、動揺は大きいものへと変わっていった。
「一体これはどういうことだ!!?」
西の砦、ウェスタリアの市街地のほぼ中央に位置する大きな邸宅の一角から一際怒号に近い声が響き渡る。
声の主は40代手前の細身の男性で、西の砦、及び隣接する都市を治める者であり、名をベルグリッド・フォン・クローニ伯爵という。
先代より伯爵の地位とウェスタリアの運営、砦の指揮権を受け継いで二年余りと、今の地位に就いたのはまだ日は浅い。
さりとて、伯爵自身自己の利に聡く、運営に害するものは容赦なく切り落とし、利あるものへの政策に対しては目を見張るほどの機敏さを見せる。
事実、ここまで都市部での彼の政策に失策らしきものは今のところは見当たらない。
そういった性質もあって都市部は先代のころより幾分にも繫栄させており、さらには近郊の未開の地域においての開発にも意欲的であり、今後十数年の長い目で見れば王都に匹敵するほどの大都市に変貌してゆくのではとも囁かれる。
たとえ親の威光を受け継いだという者は幾人かあれども、政治的に伯爵の位に恥じることのない十分な功績を残してはいるといえる。
だが、相反して軍事面においては先代がそれほど明るいものではなかったこともあって、ほぼ軍事の専門家に任せっきりの状態にあることに一部に不満を漏らす一面もある。
それが悪いことというわけではなく、寧ろ駐屯する士官たちからすれば「部屋で椅子にふんぞり返っていてくれればいい。」と揶揄されはするものの、ある程度の裁量が任されていることもあって関係的には良好ともいえる。
伯爵としては若い時分からそれなりに軍事面での識見は先代よりも有していることもあり、どこかで自らの実績を残さんと画策していたところもあったのだが、この日早朝から緊急に届けられた報告を耳にした途端に、伯爵は今まで見せたことのないほどに表情を青くさせてゆき、その様子はどこまでも狼狽えたものであり、執務机越しに見ていた若い青年武官と既に老齢に近くはあるも屈強な体躯の男は、お互いにどこか呆れた混じりにただじっとその様を伺っている。
伯爵の執務机を隔てて相立つ青年の名は、マルス・フォン・ヒューバート。
アファの六侯爵家の一つヒューバート家の一員であり、当主ジュピタリスの第一子である
彼は、侯爵家の跡取りとしての姿のみならず、アファ国の武官の一人としての顔を持ち合わせ、武門の一角でもあるヒューバート家に恥じることのないように、現在も国家よりウェスタリアの駐在武官の任を受けてわずかな伴を連れて先月程に王都よりウェスタリアに赴任してきたばかりであった。
彼の役どころは戦闘への参加というわけではなく、あくまで本国へのウェスタリアの内情を視察し、状況を報告するというものである。
ただ、“サーノイドの大軍来る”の報を受けたこの日ばかりは、ウェスタリアの実質の主でもあるクローニ伯爵の元へといち早く参じ、伯爵の判断を伺うつもりでいたのだが、状況はマルスの思惑とは大きく異なるものだっただけに、思わず嘆息してしまう。
片や老齢の男はゼルフト・フォン・ザグレブという。
自らは男爵家の次男坊ではあるが、六侯爵であるザルツファクト家の流れをくみ、同じ六侯家であるヒューバート家とともに武門の家柄で育ったことから自らも武人となることに何の疑いもなくこれまで生きてきた。
その甲斐あってか、この西の砦にての主将を務めあげ、これまで幾度も魔物の攻撃を撃退してきた実績もある。
「何故今頃になってこれほどの規模で奴らはやってくる!?
これまで何度もやってきたものの、ここまでの数が押し寄せてくることなどなかったではないか!!?」
まるでこれまで大軍で襲われることなどはなかったことが、これからも継続されるということが当然かのように考えている伯爵の言葉に訝りを覚え、思わず眉を寄せあった二人であったが、一呼吸間をおいてから老将が口を開く。
「伯爵、憤りはごもっともではあることでしょうが、今はそのようなことを言っている場合ではありますまい。
既に魔物の軍勢はこの城壁に襲い掛からんとどんどん数を膨れ上がらせてきています。
少なく見積もってもこちらの3倍の数にまで達しようとしているのです。最早こちらに攻撃を開始するまでそれほど時を必要としますまい。」
「3倍だと!?
では砦が、あの城壁が破られてしまうとでも言うつもりか!?
そのようなこと断じてあってはならんのだぞ!!」
「無論、そのようなこと無きよう我らが食い止めてみせまする。
なれど伯爵、最悪の状況に対応するべくこうしてお願いに参った次第。」
「最悪の状況だと・・・?」
「万が一に砦を突破されてしまった場合、まず狙われるのはこちらであることは必定。
伯爵にはどうか市民に対してこの町からの退去を通達してもらいたく。」
「!!??
何だと!?
そのようなこと許されるわけがなかろう!!!」
「伯爵、落ち着きくだされ。
これはあくまで一時的なものに過ぎません。」
「たとえそのようなことだとしてもだ。
それによってこの町にどれほどの損害が生じることになるのかわかっているのか!!?」
「なれど伯爵・・・」
「くどい!!
お前たちはなんとしてでも砦を死守せよ!!
そのための支援はいくらでもしてやる!!」
ゼルフトとマルスは互いに顔を見合わせると、大きく息を吐く。
「わかりました。我らとて騎士としての矜持がございます。
命に代えても砦は死守してご覧に入れましょう。」
ゼルフトは互いに平行線のままで居続けることを悟ると、早々に話を切り上げて部屋を後にする。
二人のやり取りに呆気にとられながらも、マルスもまたゼルフトの後を追った。
「ゼルフト卿。」
今もなお憤りを覚えたままの老齢の将は、背後から呼びかける青年武官に顔を向けるでもなく、横に並ぶまで歩き続ける。
「ゼルフト卿はどのようになさるおつもりか?」
「論じるまでもない、我らは魔物どもを迎え撃つまでだ。」
「それはそうなのでしょうが・・・」
「言っておくが、別に自棄を起こすというわけではないぞ。
普通に考えれば、魔物が砂漠を進んできたのであれば、あの城壁を越える術などありはしないのだ。我らはあの城壁がある限り魔物をここで食い止めることが出来る。
不本意だが、そこは伯爵の言う通りではあるのだがな。」
「・・・・
ゼルフト卿もお人が悪い。」
この話の中で伯爵を引き出すことがゼルフトにとっては憤りを露わにしているという表れであることは、マルスにとっても理解できる上に、苦笑交じりではあるもほぼ同意見もある。
「ともかく、マルス殿には一刻も早く王都へ持ち帰っていただき、こちらへの増援を打診していただきたいものだ。」
「・・・・
何を仰せられますか!
王都へは既に使者を送っております。私とてアファの騎士の端くれ、この場は何としても食い止めるべく剣を振るう所存。」
マルスとしては父の言葉に従って職務を全うするつもりでいただけに、ゼルフトの言にやや反発めいたものを覚えてしまっている。
ゼルフトもマルスの苛立ちに近い感情を肌で感じながらも、動じることなく言葉を続ける。
「貴公とて王都には家族もあろうに。」
「それは誰もが同じでありましょう。私としてもここで私情を挟むことはないように考えます。」
「ふむ・・・
では無理のないように努めよ。仮にこの戦いに勝利したとてまたこの次、そのまた次とつづいていくのだからな。」
「過分な御心遣い痛み入ります。では私は城壁の様子を見てまいります。」
これ以上の論は徒労に過ぎないと早々に切り上げた老齢の騎士の前で敬礼をした後に、青年武官は城壁へと駆けだしてゆく。
その姿を見てゼルフトは一つ大きな溜息を漏らしながら、ある思いを過らせる。
男爵家の次男坊であったゼルフトには既に家族はなく、先発たれた妻との間にも子が成さなかったこともあり、年若い部下を我が子として見ていたところがある。
そういったこともあり、むざむざと若い命を散らすことはないものとしていたいという思いが常に生じている。
それはすでにこの場から走り去った青年武官にも当て嵌まる。
「これ以上は見たくはないのだがな。」
老齢の騎士の思いは誰かに聞かれるでもなく、ただ風に搔き消されるのみだった。
城壁から見下ろす景色は何処までも続く広大な赤い砂漠である。
しかし地平線のかすかな位置から徐々に黒い影が迫りくる。
城壁の上では砂漠に現れた軍勢を見ながら、誰もが奮い立つかのような声と悲壮的な声が入り混じった緊張感に包まれている。
マルス・バーン・フォン・ヒューバートから見るこの光景は何処までも異様なものであって、足の竦む思いがなかったわけでもない。ただ自己の家族に対して脅威となり得るものに対して二の足を踏むわけにはいかない、ということだけがこの場に踏みとどまっている理由でもある。
ざわついた雰囲気においても一際平静さを保った状態にある部分もある。
よく見ると、そこにはマルスの見知った顔があったこともあって、驚き半分に自然と足を向けていた。
「リーザ!?」
声に応じて顔を向けたのは、長いブロンドを白いリボンで後ろから束ねた同じく茶色の瞳を輝かせた貴族の身なりを纏う少女であり、青年武官が近づいてくるのを見て貴族の少女リーザは顔を綻ばせる。
「マルス兄様。」
リーザの家であるファラージュ家とヒューバート家は同じ六侯爵家としてのみならず交流もあり、兄妹のいなかったリーザにとってマルスは、幼いころよりやや年上の兄のような存在であった。
マルスも妹のように接してきた少女の笑顔は今としては、困惑以外になかった。
マルスとしては輜重隊としてやってきたリーザは、既に物資を運び終え、王都への帰路についているとばかり思っていた。
「どうかされましたか?」
「あ・・・いや。
なぜここに残っている・・・のでありますか?」
「兄様、ここは王都ではありませんので、そのような言葉は。」
今のリーザはの門地を受け継いだ歴とした六侯爵家の一人であったことに気付いたマルスだったが、当のリーザに畏まった言葉を制されてしまい。少しばかり言葉に詰まってしまっていた。
「・・・・
どうしてここに残っているんだ!?
ここはもうすぐ戦闘が始まってしまう。」
「ええ。わかっています。けど・・・」
「まだすぐには始まる訳じゃねぇよ。」
「!?」
横からの声に思わず顔を顰めながらマルスは声の主に目を向ける。
そこにはマルスの頭一つは大きな体躯の屈強な男が砂漠に目を向けたまま立っている。
「何だ貴様は?」
「兄様。この方は・・・
ヴァイス、どういうことでしょうか?」
「ここへの攻撃が無くなるってわけじゃねぇだろうが、まだ時間的には猶予ってもんがあるってことだ。」
上位貴族でもあるリーザに向けての言葉に対しての憤りも勿論ながら、ヴァイスの言葉に今一つ理解に苦しむマルスは、眉を顰めずにはいられずにいる。
「何を言って・・・」
「どうだデュナ?」
訝りながらそう言って空を見上げる屈強の男の視線を追う先を見て愕然とする。
「!?あ、あれは・・!!?」
マルスたちのやや上空に灰色の男が立っている、正確には宙に浮いたままでいることにマルスは目を丸くする。
「う~~ん」
灰色の髪を靡かせながら青い目を細めながらじっと遠くを凝視するデュナの視線の先は砂漠の向こうに見える群影がある。
「奴らに動きはあるか?」
「いや・・・・旦那の言う通りだ。
どうも奴ら、動きを止めたみたいだ。さっきからまったく砂塵が上がってねぇ。」
「なるほど・・・な。」
デュナの見えたものにヴァイスは頭を掻きながらやれやれといった様子で同じ方に目を向ける。
「どういうことなのヴァイス?」
ヴァイスの傍らにはもう一人の女性が立っている。
こちらはハニーブロンドに茶色の目を持ち魔導師といった風貌の白いマントを纏った若い女性で、ヴァイス同様に砂漠に目を向けたまま様子を伺っている。
「別に不思議なことじゃねぇさ、単なる休息ってことだろうよ。」
「こんな私たちに姿を晒してですか?」
リーザはヴァイスの回答に首をかしげながら砂漠の向こうの群影を一瞥する。
「こちらから攻撃することがないってわかっているんでしょうね。」
「そういうこった。こちとら、あちらさんのところまでわざわざ出向く、なんてことも出来るわけもねぇし、奴らにとっちゃ存在感を見せつけるだけで結構なプレッシャーになるだろうからな。
・・・嫌味な話だぜ。」
溜息混じりに独り言ちるヴァイスではあったが、こうなることをある程度予想していたところもある。
そのためにこの砦を預かる者へと掛け合ってみたり、少しばかり誇大にして声を上げてみたりとしてみたものの、いずれも不発に終わっていた。
そんな中にやってきた、ファラージュの門地を受け継いだばかりの貴族の少女であったリーザがウェスタリアに現れたのは、意外でもあり、これから血生臭いことになろうとしている場所にあるべきではないという危惧もあるが、またある種僥倖であったとも思えていた。
リーザの助力でアファの本国に増援の申請を早い段階で行うことが出来た。
あとは本国の対応の迅速さに頼るほかにない。
「ここまでやることはやったことだし、今日のところは見張りからの報告を聞くだけでいいだろうよ。
それに今から息巻いたところでどうなるわけでもねぇんだ。
奴らがやってきたときに本領発揮できねぇんじゃ本末転倒といってもいいからな。」
肩をすくめながら、ヴァイスは未だ慌ただしい雰囲気の砦に目を向けた。
「デュナ、もういいぞ。」
ヴァイスの声にデュナはふわっと男の傍らに降り立った。
「しばらくやることはねぇんだ。少しばかりゆっくりさせてもらうことにしようぜ。」
「貴様ら・・・」
「心配しなさんな。
来るべき時が来たらやることはやるさ。」
「兄様、この方の言葉に嘘はないと思います。」
「リーザ・・・」
そのままヴァイスに促されるままに、城壁を後にしていった。