第12節
アファの王都からはやや外れた位置に貴族の邸宅が並ぶ地域が存在する。
都市部とそれほど大差のない面積の中において、人口の百分の一にも満たない貴族が数多く居を構えていることは、この国においても貴族という存在はそれほどに重要な位置を占めているという表れでもある。
その一角にヒューバート侯爵家は館を構えている。
近く、といえども馬車を使用して数十分のところに同じ侯爵家であるファラージュの邸宅も存在していた。
「たあぁぁっっ!!!」
カーンッ!!!
カッ、カッ!!
どちらかといえば、閑静な雰囲気が相応しい一画ではあったが、この日ばかりはどこまでも激しい怒号に近い気迫のこもった声と、小気味よい木と木が弾かれ合うような音が響き渡っている。
滞在しているヒューバート邸の庭で、黒髪の少年は長閑ともいうべき景観にそぐわない掛け声をあげながら、銀髪の青年とお互いに木剣を手に取り、手合わせを行っている。
それは実戦さながらの動きに等しいもので、見たものの誰もが息を呑むほどである。
「そこっ!!」
「くっ!」
黒髪の少年の動きに合わせて剣を振るうカミルは、ガイナーの隙あらば瞬く間に剣を突き入れてくるのを紙一重で避けながら、持ち前の素早い動きをもって距離を取りながらも、相手の懐深く飛び込んで斬り払っていく。
ガイナーもカミルの斬撃に呼応して身を低くしながら、互いに譲らぬ様相で木剣を擦り合わせていく。
「ふぅ、やるね。」
「チッ、まだまだぁっ!!」
形勢的に勢いがあって優位にあるのはガイナーの方に見えるも、実際にはカミルが常に平静を保ちながら少年の剣戟を受け流していくことで、より一層ガイナーの剣に力みを生み出してしまう。
結局のところ、剣筋を見切られたままのガイナーに決定打があるはずもなく、徐々に疲労を見せ始めていた。
それでもカミルにはガイナーからのこれまでとは異なった気迫を身で感じ取れていた。
“こんな荒ぶった戦い方・・・一体どうしたんだろう?”
カッ!
カカッ!!!
何合目かの打ち合いの末、二人はいったん距離を取る。
「ハァ・・・ハァ・・」
二人の動きはほぼ互角に見えるも、肩で息をするガイナーに対し、カミルの方は平然とした状態にあることから、どちらの方に軍配が上がったのかは、お互いに明らかではあった。
「ハァ・・・ハァ・・・
クソッ、もう少し・・・」
「ガイナー、何かあったのかい?
随分と力んできたような感じだったけど・・・」
「ハァ、ハァ・・・
やっぱりわかるんだな。」
互いに剣で打ち合うことで、相手の思惑といったものが見て取れる領域にある銀髪の青年の存在に、ガイナーは改めて感じ入る。
ラクローンでの戦いから、ガイナーは赤眼の傭兵からの助言による戦い方を実践していた。
ライサークの戦い方と同様の闘気を纏うこと。
これまで、自身の剣に闘気を纏ったことは何度かあった。
だが、意図的に生じさせることが出来たのは一度としてない。
今後の戦いにおいて必須となることであろう、己自身の力量を上げるという術は、どこまでもガイナーに圧し掛かかり、焦燥感を募らせる。
「もう少しで何かが掴めそうな気がするんだ。」
自分であまりにも抽象的な表現であると思えている。
それでもこれまでの戦いの中で得たものの中に、必ず答えがある筈と己に言い聞かせながら、少年は暗闇にも等しい中をがむしゃらに突き進んでいくかのように、剣を振るう。
その先に光明が訪れることを信じながら。
「わかった。一息入れたらもう一度やってみよう。」
「ありがとう、助かるよ。」
カミルとしてもどこかでガイナーの成長を見届けたいという思いもあったのか、焦るガイナーの想いを汲む。
「ガイナー、侯爵様が呼んでいるってローザさんが・・・
って、あなた達何やってんのよ!!?」
フィレルがガイナー達を呼びにやって来たのは丁度、二人が一息を入れて汗ばんだ上着を脱いだ直後のタイミングのことだった。
意図せず二人のあられもない姿を目の当たりにしたことで、思わず声を呆れ混じりに荒げていた。
「何って、別に俺たちは・・・」
「ハァ・・・まぁわかっているんだけどさ・・・
!?ねぇガイナー、それって・・・??」
フィレルはふと、ガイナーの首から着けられているペンダント状にされていたものを目にしてそれを指差す。
「え?」
ガイナーもフィレルの指差すところが、つけられたペンダントだったことに気づき、そっと手に触れる。
「ああ、これはメノアから俺が持ってきたものだよ。」
「へぇ、そうなんだ。」
実際にはガイナーが旅発つときに預かったというものではあったが、この時のガイナーはそのあたりの説明を省いた。
「これがどうかしたのか?」
「ううん、なんだかちょっと珍しいな、って思っただけよ。
それじゃ、侯爵様がお呼びだっていうから、急いで来なさいよ。」
「あ、ああ。」
折しも、フィレルからジュピタリスが呼んでいるとの言伝を耳にしたことで、この日の手合わせはここで打ち切り、ガイナー達は一度汗だくになった着衣を替えてからジュピタリスの待つ部屋へと向かう。
ガイナー達と別れた後もフィレルの脳裏にはガイナーのペンダント、正確にはメダル状のものが色濃く残されていた。
「あれってロストメダリオ・・・って、まさかね。
こんなところにあるはずもないか・・・」
フィレルの中である筈もないという部分が強く占められていたのか、それっきりメダル状のペンダントについて考えることをやめた。
部屋には既にライサークが先に到着しており、ジュピタリスと待つ形となっていた。
「来たか。」
「待っていたよ。」
「侯爵様、何かありましたか?」
ガイナーから見る二人の表情は何処か浮かないものだっただけに、眉を顰める。
それだけで、あまり良い知らせでないことはガイナーにも悟り得た。
「王宮に知らせが届いたよ。」
「!?それじゃぁ」
「・・・ただし、ウェスタリアから発せられたものが届いた。というものだが。」
「ウェスタリア。」
その一言で何事が起ったのか理解する。
「つまり懸念していたことの方というわけだ。」
「!!
まさか、サーノイドが攻撃を!?」
「ちょっと落ち着きなさい!」
慌てて身を乗り出しそうになったところを、フィレルに制される。
「幸い、というべきか・・・まだ攻めてきたという知らせではない・・・
近いうちに大規模な攻撃が予想されるというものだ。」
焦るガイナーを制するように言葉を出すジュピタリスではあったが、どこか言葉を濁す様子に一瞬違和感を覚える。
「手紙にあったのは増援の要求だった。
それもかなりの物量で。」
「増援・・・」
「確かにブラッドアイの言った通りのもので、近いうちにサーノイドの攻撃の可能性が高い。ということを示唆している文ではあったらしい。
攻撃の規模を想定して、それに見合った物量の増援を要請していることも理には適っている。
ただ、その差出人というのがどうやら、ファラージュ侯爵であったというのが王室では問題になっているのでな。」
「ファラージュ・・・リーザが!?
え?問題って、一体何故・・・??」
疑問符の残るガイナーに説明しようと、ジュピタリスは一度顎髭に触れてから口を開く。
「これは、あくまで貴族としての立場から言わせてもらうことではあるのだが・・・
我々侯爵家というのは、アファにおいてはどのような時においても重責を担う立場にある。
故にその発言はどうしても重く受け止められるものなのだ。
これまで一介の傭兵の言葉に過ぎないと高を括っていたものだったようだが、今回の増援をファラージュ侯爵家の名において要請してきたということは、国としても内容を精査してから増援を決定づけるものとなる。」
「・・・・・」
未だに要領を得ないガイナーにライサークは言葉を挟む。
「つまりだ。今度のことでもし、サーノイドの攻撃が杞憂に過ぎないものだったとする。そうなってしまうと、無駄に騒ぎを大きくさせたということで、ファラージュの立場が危うくなるということだ。」
「そんなことが・・・」
「ただ、それはそれとして、現状ファラージュ侯がウェスタリアにあるのは、あくまで輜重隊として向かったことでのことあって、現地での指揮権を有しているわけではない。」
「ええ。」
その部分はガイナーも傭兵ギルドにて話を聞いていたこともあり、小さく頷く。
「ここで一番問題となっているのが、ウェスタリアの指揮官であるクローニ伯爵の署名も印も無かったことなのだ。これはこの手紙がファラージュ侯の独断のものであるということは明白なものなのだ。」
「・・・つまりウェスタリアの将の判断を無視した状態であるということか。」
「ということは・・・もしライサークの言うように何事もなかったのであれば、リーザの家が何かしらの処罰を受けてしまうってことなのか?」
「・・・何事もなければ・・・な。」
「でも今度は・・・」
「ああ。立場がどうというよりも、今度ばかりは現実味があるだけにむしろ身の危険の方が高いかも知れん。」
「だったら・・・」
「国としては随時増援を送る方向で行くつもりだ。
とはいえ、直ぐに動かせる数といってもせいぜい3000といったところだろう。」
「・・・それでは少し心許ないのではないのでは?」
「無論、それだけでは終わらせるつもりは無い。
準備が整い次第ここから総出撃を行えるようにするつもりだ。」
おそらく規模でいえば10000かそれ以上の兵力が投入されることとなる。
実質、王都に常駐する規模の半数の兵力であるものだった。
「ガイナー・・・」
状況を説明したのちにライサークはガイナーのほうに目を向ける。
そこには己の行動理念に沿いたいと常に願う少年の姿がそこにあった。
ライサークは今後の行動の如何を問うつもりでいた考えを払拭する。ガイナーの意志は既に定まっていたのだろう。黒い瞳に決意の表れを示す輝きがあるのを見たライサークは、敢えてどうと聞かれる前に少年に促す。
「お前の好きに動けばいい。
俺はそれをサポートするだけだ。」
「ライサーク。」
おそらく少年は自ら戦地へと馳せ参じる選択をするだろう。
これまでも遠回りの道になろうとも少年は目の前にある危機に飛び込んでは誰かの助けになろうと努めてきた。
そしてそれは今後も同様のことが起こり得るのであろうとも。
ガイナーはラクローンから行動を共にした顔ぶれを見る。
「うん、行こうガイナー。」
「そうね、私たちだって付き合うわよ。」
「カミル、フィレルたちも・・・」
「ヒューバート侯、俺たちは準備が出来次第、ここを発つ。」
「行くつもりか?」
「・・・・いずれにせよウェスタリアが落ちてしまってはそれまでの話になってしまうのでな。」
ライサークも、ジュピタリスもお互いに本来であれば、このような事態においても少年に課せられた使命を全うすることを諭すべきなのかも、という思いがあった。
しかし、少年の意志は確固たるものであったことを垣間見たことで、その考えを一蹴させていた。
「そうか。
では私からも僅かばかりではあるが支援させてもらおう。当家の私兵を50ほどではあるが、そなたにつけることにする。」
「ジュピタリス侯・・・」
「・・・・・」
「本当なら国家として言うべきことであって、この場でこのようなことを頼むことは筋が違うのかも知れん。だが敢えて言わせてもらおう。
この国の行く末をよろしく頼む。」
「はい。可能な限り手を尽くしてみます。」
「やれるだけはやってみよう。」
誰しも確実なものを有しているわけではない。
しかし、この場においてはそれだけで十分なものだった。
翌朝、陽が昇ると同時にガイナー達一行と、ヒューバート家より預かった私兵50の集団は、後背に陣取る多くの騎兵たちより先駆けて王都を離れ、西へと街道を進んでいく。
目的地は西の砦“ウェスタリア”
一行は辿り着くまで城塞が持ち堪えていてくれることを願いつつ、手綱を振るう。