第06節
アファの最終防衛線である西の砦、砂漠からの侵攻に対して建設されたこの拠点の北はクリーヤの山岳地から、南も平原に連なる山岳地を結んでおり、陸上における軍事行動においてこの拠点以上の要衝は大陸においても存在しないといっても過言ではない。
多くの騎士や兵士、傭兵が集っている一大軍事拠点ではあるも、戦闘員だけで運営されていけるものである筈もない。
兵士が数多く常駐するのであれば、当然ながら糧秣が必要不可欠になる。同様に、炊事を担うものも必要とされれば、それらの糧秣を長期にわたって保管しうる倉庫施設が用意されねばならない。ひとたび戦闘が起きれば、武器が必須となってはそれらを製造、修復、補充のために鍛冶や製鉄の施設を。傷病した者たちの為に医療施設が建設された。
また、十万単位の人員の食料を王都よりの輸送で賄い続けるわけにもいかず、平原側に新規の耕作地が開墾されはじめることになり、それに伴って新たに多くの農夫が砦に集うことになる。そしてそれらの人員が居住するための宅地からはじまり、商業施設、娯楽施設と次々と建設されてゆくと、いつしかただの軍事施設に過ぎなかった場所は、すでに王都とまではいかなくとも、それに近い商業都市に比肩するほどにまで成長しているのが現状の姿であり、西の砦という名も都市として機能したころから“ウェスタリア”という名で呼ぶものも現れ始めていた。
砦の城壁からわずかな距離にあるウェスタリアの歓楽街は、王都よりの物資が届いたことにより、一層の賑わいを見せていた。
その中でも一際大きな宿泊施設に兼ね備えられた酒場では、各テーブルに数多くのジョッキと料理が並べられて砦の兵士、街の住人が混同しながら、喧騒が絶えずにいた。
それらのテーブルとは別に何箇所かに設置された個室の中に、傭兵として常駐するヴァイス、デュナ、サリア、そして王都よりの使節であるリーザが一つのテーブルについていた。
「それじゃ乾杯といこうか!」
高らかにジョッキを掲げながら、ヴァイスは他所のテーブルにも勝るやも知れぬほどの声で音頭を取ると、一気に手にしたジョッキの中を喉の奥に流し入れる。
その様子を目の当たりにしてしまう皆は、ただ唖然とする他なかった。
「ハハ・・・まったく呆れた話だねぇ、こりゃ。」
「ちょっとヴァイス。もう少しペースってものを考えなさいよ!」
「フフフ・・・でもとても気持ちのいい飲みっぷりですね。」
ヴァイスの豪放さはリーザにはとかく不快なものとはなるものでもなく、見ていると得も言われぬ爽快さも感じられた。
「ハハハハ・・・明日はどうなるのかがわからねぇのが俺たちの商売だ。
飲むときは飲む。美味いものを食う時は尚更だ!!」
そう豪語するヴァイスは、テーブルに置かれた肉料理にナイフを入れた。
「ま、確かにそれは一理あるわよね。」
「ええ。皆さんもどうぞ遠慮なさらずにどうぞ。」
ヴァイスに倣ってサリアたちも出された料理を口にする。
何度目かのジョッキを空にした頃においても、個室の外では宴はこれからといわんばかりに喧騒は絶えることはなかった。その様子を感じ取ったヴァイスは、空のジョッキをテーブルにおいてリーザに向きなおる。
「嬢ちゃん。折り入って耳に入れておきたいことがあるんだが。」
「??
どうかされましたか?」
「旦那・・・?」
「あまり大きな声で言えるものでもないんだが・・・」
不意に改まった態度とヴァイスらしからぬ迂遠な言い方にリーザは息を呑む。
「近いうちにこの砦はヤバいことになる。」
「それはどういう意味ですか?」
「ヴァイス・・・?」
それからヴァイスは空のジョッキを片手で弄びながら逡巡するも、意を決して再度目の前の少女に向きなおる。
「サーノイドの攻撃だ。これまでとは違う、かなりの数でのものだ。」
「・・・っ!!!?」
「本当なのそれは?」
ヴァイスからの言葉は女性二人にしてみれば、かなりの動揺を生み出すに足りるものではあった。
隣にあるデュナに関して言えば、以前から聞き及んでいたものであるがゆえに、とかく平静なままでいる。
「・・・・・
ヴァイスさんがそう言われるのであれば、それだけの根拠があるということですね。
そのあたりをお聞かせいただいても・・・?」
初めて耳にしたものにしてはあまりにも衝撃的なものではあったが、リーザはすぐに心を落ち着けるように努めると、ヴァイスからの言葉を待つ。
その姿勢にヴァイスも少しばかり口角を上げながら、僅かばかりに声のトーンを落として口を開いた。
「実際のところを言うと、俺の癇の領域を出たわけじゃねぇ・・・」
前置きを口にしてから一呼吸おいて、ヴァイスは言葉を発する。
「ここのところの魔物の攻撃の規模があまりにも小さいというのが一つ。
二つ目は奴らがこれまでここを本気で攻め落とそうとしているような素振りが、どうにも感じられなかった。」
「そうね。私もここに来た時からそれは不思議に思っていたわ。」
サリアがここにきてまだ日は浅い。しかし、繰り返されてきた戦闘はそれほど規模の大きなものといえるものではなく、これまでの戦闘を振り返ると、砦の城壁に向けて武装したオークが壁に取り付いて昇ってくるという戦法を何度も繰り返しては、城壁の上で迎撃するという図式が成り立っていた。
故にこちらの被害は何度か飛び交う弓矢の応酬によるものが殆どであり、戦死者が出る日ということが少ないものにはなってはいた。
しかしヴァイスの目から見れば、遠く離れた位置にあるサーノイドの兵士の姿を見逃すことはなかった。
そこである仮説が浮き上がってきていた。
「おそらくだが、やつらは砦の規模や士気の度合いを見計らっていたんじゃねぇかと思う。」
「どうしてそんなことを?」
「どれだけあればここを落とせるのか、ってのを見極めるためさ。」
「っ・・・!!」
「それで、そろそろ機は熟したってわけか・・・」
「そんなところだな。」
ヴァイスの言葉に衝撃を覚えるも、リーザは手にしていた杯にした果実水を一口喉に流し込む。
ある程度喉を潤してから再びヴァイスに目を向ける。
「ヴァイスさん、これを誰かには・・・?」
「ああ・・・いちおうここのお偉いさんには通しておいてくれ、とだけは伝えておいたんだが・・・もう一つ伝わってねぇのかもな。
どうにもここが落ちることはねぇっていうことに自信がおありのようで。」
「そんな。どこにもそんな根拠はないわ。」
「まぁお偉いさんにもそれなりの面子ってもんがあるんだろう。
たかが一傭兵の言葉を真に受けるという方が、どうかしてる。ってなもんよ。」
こればかりはどうしようもないという部分を示そうとしているのか、ヴァイスは両手を上げる仕草を見せていた。
「こういっては何だが、どうにも平和ボケしすぎた部分はあるのかもしれねぇな。」
「・・・・・」
二千年前の大戦の後、ライティンが軍事力を持つことはなかった、ということでもない。実際は辺境の魔物の討伐や、盗賊や山賊の類との戦闘といった具合が殆どで、それ以外に大きな戦いを経験しているわけでもない。国家としての最低限の軍事力というものはあれども、それらの規模での戦闘行為はヴァイスたちのような傭兵で賄ってきていた。
そういったかつての大戦の記憶さえ有している者がいない現状で、“戦争”を間近で見ていないことが今となっては大きく災いしてしまっている。
曰く“平和ボケ”という言葉はいろいろな意味でライティンを締め付けてくる。
どこか嘲笑めいた感じでヴァイスは語っていた。
「けど、砦の・・・ううん、ここには街だってある。戦える人たちだけがいるわけじゃないのに・・・」
「正直、人死にが多数出てしまうというのはある程度やむなしという部分があるんだが・・・」
そう言ってばつが悪そうに頭をかく。
その様に目の前の少女はどうにも言い淀む部分があるところを察していた。
「ヴァイスさん、私にお話しいただけたということは、私であれば何かできることがあるのではないかと思われたからではないですか?」
アファの貴族の門地を受け継いでまだ日は浅いものの、アファの貴族としての責務というものは幼少より教えられてきていた。その教えを軸にリーザ自身、この場には似つかわしくもない年齢でありながらもここにいる。
リーザの言葉にサリアやデュナも感嘆の息を漏らす。
ヴァイスは待っていました、と言わんばかりの笑みを見せて首肯する。
「こいつを嬢ちゃんに頼む、というのは少しばかり心苦しいものもあったりするんだが・・・
ともかく、ここを落とされるということだけは在っちゃぁならねぇ。」
「はい。」
砦が落とされる。そんな事実があってはならないということは誰もが思うところではある。
まずはそれが大前提である。ということをしめすようにヴァイスは強調させた。
「まぁそう簡単にここをくれてやるつもりはねぇよ。
・・・っていいたいところだが、こいつばかりは俺がいたからといってどうにかなるもんでもねぇし・・・
ともかく数だ。兵力が有るに越したことはねぇ。」
リーザは一呼吸おいてから首を縦に振る。
「わかりました。それでは明日にでも私の名で王都へ使いを送ります。」
「あぁ・・・出来る事なら、嬢ちゃんにはこの話を持って王都に戻ってくれるのが一番いいんだがな・・・」
リーザに話したもう一つの理由。それは少女を戦火の中に晒したくはない。という一言に尽きるものだったが、少女の目の奥には自らも何かを為すべきであるというものが宿っているのをヴァイスは感じていた。
「私もここに残るつもりよ。」
リーザの意思に沿ってサリアもまたどこか決意めいたものが存在しているのか、この場に留まる意を示したことは男二人してわずかに眉を上げていた。
「だっだら、姐さんは俺が守ってみせるぜ!」
サリアの言葉に反応するように、デュナもサリアに向けて大きく拳を上げてみせる。
「そうね。少しは期待しておくわ。」
「姐さん・・・」
「ったく・・・あまり血生臭い戦場に美しい女性が立つ姿を見たくはないから話したんだがなぁ・・・」
ヴァイスの意図とは裏腹の行動に出る姿を見て溜息交じりに吐息を漏らさずにはいられなかった。
「あとは・・・ここの警備や配置をどうにかしねぇとならねぇんだが、ここの長がどうにもなぁ・・・」
「そのあたりも私の方から話してみることにします。」
「すまねぇ。重ね重ね頼む。」
「はい。」
そう言ったリーザもまたどこか不安は拭えるものでもないことは自身で理解できている。
この戦いで砦が、街が、ヴァイスたちが、そして自らがどうなってしまうことになるのか、そういった感情に負荷をかけて、一度に寄せてきては潰されてしまいそうになるのを押し殺していた。
「・・・・大丈夫です。」
己に言い聞かせるようにリーザは呟きながら、手に汗を滲ませているのを感じていた。
リーザがウェスタリアに着いた時から一週間が経った早朝、砦の見張りからの急報が各所にもたらされることとなる。
“かつてない規模による、サーノイドの軍勢出現。”
砦には今までにない緊張と戦慄に包まれていった。