第15節
戦いが終わってすでに空は闇に包まれていた。
ヘクターは最低限の見張りの要員を残して休息をとるべく、投錨してこの海域にとどまることにした。
あれほどの戦闘の中、誰もがいち早くこの海域を抜け出たいという心情にありながら、ここに留まったことはある意味、ヘクターの胆力の大きさを物語るものでもある。
それぞれが7~8人で構成される船室がいくつもある中で、紅一点であるロミアは少し離れた位置に個室が用意されている。その中では客人であり、同じ女性でもあるライムもまたロミアの部屋で寝泊まりをしている。
「ふぇ~ん・・・ロミアぁ・・・」
「はいはい。今更泣きそうな声で言ってもダ~メ。
さすがに今はお風呂ってわけにはいかないから、これで我慢してもらうしかないんだけど。」
「うぅぅ・・・」
先ほどの戦闘の最中にライムは魔物が船に激突した弾みで海へと落水してしまった。
命の危険もありはしたものの、幸いにして少女は海竜によって救われる運びとなった。
問題はまさしくそこで、たとえ救われたこととはいえ、少女は海竜が口の中に入れた状態で保護された。
海水による肌のベタベタ感だけならまだしも、海竜の口内のいろんなものが混ざり合ったものが付着した状態を加味すれば、ライムとしては言葉にしようのないまでの不快感が身体中に纏わりついている。海竜との邂逅時の時点ではそれほど気に留めることもなかったが、今となっては拠点で入ったような風呂の中へと速攻で飛び込みたい気分であったことは間違いない。
しかし、今は航海途上の船の中。水は乗組員にとって生命線であり、何をおいても守り通さねばならない貴重なものだけに、個人的な理由での水の大量使用はたとえ船長であったとしても許容しがたいことではある。
それでも戦いの功労者の一人であったことから、ヘクターの計らいで風呂とまではいかなくとも、洗い水程度にやや多めに水を回してもらえていた。
「よしっ、それじゃ。」
「ふぇ・・・?」
ロミアはライムの肩に手を置き、そこから驚きの早業で着衣の全てを剥ぎ取っていく。
「ぇ?ぇ?・・・なんで・・・?」
あっという間のことに何をされたのかもわからないほどではあったが、いくら女性だけの部屋の中でとはいえ、少女は恥ずかしさのほうが圧倒的に勝り、白い肌と耳の先までが茹ったかのように紅潮し、一糸も纏わぬ姿のままその場に蹲る。
「ひ、ひとりでできる・・・」
「だ~め。いい子だから今日は大人しくしていなさい。」
「ふぇぇ~ん。」
もはや何を言っても覆ることがないと観念したライムは、そのままロミアに身を任せることにした。
それからはロミアに言われるがままに水に含ませた布で、身体と髪を拭われていく。
「どう。さっぱりした?」
「うん・・・」
既に着衣は下着を含め洗濯も済ませ、船室で部屋干しされている。
未だ何も纏わぬままのライムはベッドのシーツに包まってベッドに腰を下ろしている。
「よし、何とか臭いは薄くなったわね。」
一仕事終えたかのような充実感を持つかのようにロミアは自身の汗を拭った。
漸く肌の不快さを払拭させることが出来たライムではあったが、これまでのことを振り返らせてしまうと、身体の震えを止めることが出来ずにいるのか、自らを抱きしめるようにして震えを止めるように努める。
「・・・!?
ライム、大丈夫?」
少女は言葉を出したわけではない。されど、背中や肩、そして長い耳などの随所から影を落としているように見える。
少なくともそう感じてしまう何かがロミアの中にはあった。
「ううん、そういうわけじゃないけど・・・」
少女の言葉にどこか上擦ったもの、歯に何か挟まったような感じに違和感を覚えずにはいられない。
「・・・え?」
少女が気付いた時には、ロミアの身体が自身に背中から覆いかぶさるような抱擁を受けていた。
「・・・ロミア?」
「大丈夫。あなたはちゃんとここで生きている。
ライムが海に落ちたときはね、とても生きた心地がしなかった・・・」
「・・・・・」
少女の震えを止めるべく抱きしめられた腕もどこか小さく震えている。
「無事でよかった・・・」
「うん・・・ありがとう。」
ライムは静かに目を細めた。
まだ少女が塔の中で眠りにつく前の遠い記憶の中。
海のような鮮やかな青い髪を靡かせて、少女を慈しむように微笑みを浮かべる女性の姿をおぼろげながらライムは見えていた。
記憶が完全にあるわけではないものの、今のライムの瞳から涙を流させるに十分なものであった。
「ロミアって・・・」
「うん?」
「なんだかお姉さんみたいだね。」
「どうしたの?突然に。」
「ん・・・
なんだかそう思っちゃった。」
「そっか。」
一呼吸おいてロミアは言葉を続ける。
「私としては、ライムみたいな妹がいると思うと、とっても嬉しいと感じるんだけど・・・」
耳元で甘くささやかれ、少女の長い耳がぴくんと跳ねるように動くのを見たロミアは、悪戯心が芽生えたかのようにそっと少女の頬に唇をあてた。
「ひゃっ!」
唇の触れた頬が似たような色に染めあがるのを見たロミアは童子のような笑顔を見せて少女抱擁していた手を離す。
「あはははは・・・
いやぁ、こんなに可愛らしい妹がいてくれてよかったわ。」
「も、もうロミア。」
未だ熱の冷めやらぬままに、ライムは頬を膨らませながらやや恨めしそうに目の前の女性をジト目で見返す。
「ふふふ、さて、今日はもう休みなさい。
明日か明後日には陸地が見えてくるだろうから。」
何処までも可愛らしい仕草を見せられて頬を緩ませるロミアは少女の身体をそっと動かしてベッドの中心に導く。
「うん・・・」
ライムも身体の不快感が消えると徐々に眠気が強くなってくるのを感じていたこともあり、素直にそのまま横になる。
「おやすみ、ライム。」
「・・・おやすみなさい。」
少女から小さな寝息が立ち始めるのにそれほどの時を要することはなかった。
皆が寝静まる中、ヘクターは一人、甲板に立ち天上に散らばる星々に目を向けていたが、近づいてくる人の気配に意識を向ける。
「どうした?まだ休んでいてくれて構わないんだが・・・」
誰よりも率先して当直に当たっていたヘクターの前にやってきたのは、客人である吟遊詩人であったことに驚くこともなく、言葉を投げかける。
「いえ、少しばかり差し入れをと思いまして。」
言葉通りにアルティースの手には二つの瓶があった。
「おぅ。そいつはありがたい。」
本来であれば、当直中には以ての外ではあるのだが、ある程度の黙認とともにアルティースの好意を受け取る。
「二人はどうしている?」
「カミルは部屋で休んでいます。ライムは・・・ロミアと一緒でしょうね。」
「ああ・・・」
なんとなく理解したヘクターは手にしていた腰に帯びていた短剣で器用に開栓すると、おもむろに口へと持っていく。
「・・・それで?」
瓶の中身をある程度口内に注ぎ入れると、アルティースの真意を推し量るように促す。
アルティースも、ヘクターに促されるがままに口火を切る。
「このラクローンの海域で海竜に遭遇して、尽くが沈められていくという話を聞いてはいましたが、違っていたという解釈ですね。」
「まぁ、そうだな。」
アルティースの言葉にヘクターは同意を示すとまた手にした瓶を口へと運ぶ。
「簡単に言えば、海竜が船を沈めていたわけじゃねぇってことだ。」
「ええ、船を沈めていたのは、この海域にいたあの魔物の集団だったってことですね。」
「まぁな。沈められた連中も多分、俺たちと状況が似ていたんだろう。
船が襲われているところに海竜がやってきた。だが、海竜を見たやつらは普通に魔物の集団の中に海竜が追い打ちをかけてきたとでも思ったんだろうさ。」
「・・・・・。」
言われてみれば、海竜が現れたときを思い返せば、普通に魔物の親玉が襲ってきたと考えるのが普通である。
アルティースもまた同意を示すのに沈黙で返し、ヘクターに続きを促す。
「単純に俺たちにはあの二人がいた。
それだけ俺たちにツキがあったってことさ。」
「では、あの二人をラクローンへ運ぶという話をまとめたのは、こういうことがあると予想出来ていたという事ではないのですか?」
「ああ・・・まぁ偶然。といえば偶然。としか言えねぇわな。」
「ヘクター。」
「今じゃ珍しい純血種である嬢ちゃんがいるという事がきっかけだったというのは確かにあるさ。」
「っ!」
「海竜が或いはヴァリアスの先祖、みたいなものだとしたら、嬢ちゃんがいればもしかすれば、ってくらいの淡い期待だったんだが、実際は俺の予想の斜め上をいっていた。てところだな。」
「・・・・・」
ライムがヴァリアスの中でも“純血種”であるという事は、少女の容姿を見れば誰もが容易に判別できることはアルティース自身が危惧していただけに、ヘクターが知るところにそれほど驚きはない。
ライムの耳はラウナローアの人種においてヴァリアスを特徴づける最たるものではある。
最も、時代とともにそれらの特徴も薄れてきてはいるため、今ではそれほど数がいるわけでもないことから、ライムのような耳を有した者は“純血種”と呼ばれることもしばしばある。
それはヴァリアスの起源でもある、ドラゴンの力を色濃く受け継いでいるという表れでもあるとされているのだが。
「ではあなたの本当の目的は・・・?」
「俺の目的は・・・いたって単純さ。
ラウナローアの海という海を股にかけて商いを取り仕切る。そのための手段としてこの船がある。ラクローンに向かうのも今回がいい機会だったということだけであって、別にカミルや嬢ちゃんをどうにかしようとかは思っていないさ。」
「それを全部信じろと!?
この船は外見からは言い表せない異様さがありすぎます。いったいこの船はどこで造られたものなのですか?
これほどの技術はアファにもラクローンにもまだない筈・・・」
「たとえば最近見つけ出されてきている古代の遺物の一つじゃないか。と思っているんだろ?」
「まさか、本当に!?」
「そうだな。ラムダインって言えば、あんたならわかるんじゃねぇか?」
「!!!??」