第08節
「まずは船の整備、皆ご苦労さんだった。」
カミルたちが船を停泊地に到着したその夜。船の乗組員、ここを拠点として住まう者達が洞窟の入り口付近の広場を利用して簡易的ではあるも、テーブルが設けられ、その上には近くの海産物を使った料理とエールの入ったジョッキが所狭しと並べられている。
「「「乾杯!!!!」」」
船長であるヘクターの音頭で宴が開かれ、それぞれがエールの入ったジョッキを傾けながら響き渡る談笑の声が、周囲に焚かれた篝火と共に夜空を彩る。
カミルとアルティースもまた、場末で振舞われた料理を口にしていた。
「さて、既に知っている者もいるが…
俺が戻ってこられたのもある恩人がいたお陰だ。
この場で皆に改めて紹介させてもらう。」
ヘクターの声と共にこの場の皆がカミルに視線を集める。
「ほら、あの人だよ。」
「いやぁ…凄いと言うものじゃねぇ。なにせくそワームどもを一人でバッタバッタと薙倒していったんだからな。」
「すげぇ…こりゃぁお頭やゼータの兄貴、ロミアの姐さんとも張り合えるっていうのか?」
「ああ…お頭の命の恩人だって言うんだからな。」
周囲から聞こえてくるカミルへの言動に、どこかこそばゆいものが身体を奔らせてしまう。
「えっ…と、あ、あの…」
「大丈夫ですか?カミル。」
「うん…なんだかちょっと照れくさいというか。」
ややばつが悪そうにカミルは渇いた笑いと共に頭を掻く。
「よお、楽しんでくれているかい?」
酒が染み渡ったのか、上機嫌な面持ちのヘクターがカミルたちの席の前に歩み寄る。
「ええ、おかげで旅の疲れも癒されました。
ただ、どうやら彼はあまり持ち上げられることに抵抗があるみたいですが。」
「アルティース。」
「まぁまぁそのあたりは勘弁してくれ。ともかく、今夜は楽しくやってくれ。」
「ありがとう。楽しませてもらうよ。」
「そいつはよかった。俺も来てもらった甲斐があったというものだ。」
ヘクターは機嫌そのままで笑い声を響き渡らせる。
「そういえばライムは?」
ヘクターに勧められるがままに休息を取ったカミルではあったが、ロミアに連れられてカミルたちから離れたライムのことが気になってはいた。
「ああ、それならそろそろ来る頃だとは思うが…」
「まったく、私達が来る前に始めちゃうだなんて、ちょっとつれないんじゃなくて。」
「ほら…噂をすればだな。」
声のするほうに目を向けると、カミルたちの元に近付くロミアの姿を捉える。
「カミル!!」
ロミアの背後に隠れるように付いて来ていたライムであったが、カミルの姿を見ると飛び出すように駆けてきた。
「え?ライム?」
自身の元に駆け寄る少女の姿がこれまでとは異なる服装だっただけに、カミルは目を丸くする。
「フフフ…どう?お姫様のお姿は?」
腰に手をあてながら、ロミアは満面の笑みを浮かべる。
その表情の奥には、どこか達成感を得たかのような感じが見て取れる。
「ほお。嬢ちゃんも随分と見違えたじゃねぇか。」
「その…どう…かな?」
細い声にやや上目遣いの少女にカミルは、今一度少女の姿に目を向ける。
少女の身に着けたものはこれまでとは随分と印象は異なる。
色味を帯びた薄い布地ではあるも、歳相応に誂えたように仕立てられたものであった。
「うん、いいと…思うよ。」
「本当ですね。とても可愛らしいですよ。」
「本当に…?」
二人の男性の言葉に少女は表情を明るくするも、やはり少しばかり違和感を覚えてしまうのか、僅かに頬を紅潮させていた。
「ね?よく似合うって言ったでしょ?」
ロミアはライムの背後から肩に手を添え、ライムに誇らしげな顔を向けた。
「うん。ロミアありがとう。
でも少し動きづらいかな…」
「そうね。でも、ここにいる間くらいはいいんじゃないかしら?
前の服は解れているところもあったことだし、きちんと直してから着ればいいわ。」
「わかった。そうする。」
「ハハハ…嬢ちゃんたちも来たことだし、もう一度乾杯といこうか。」
そう言ってヘクターは新しく注がれたエールの入ったジョッキをカミルたちに手渡して、ジョッキを天高く掲げた。
「うわぁ…これおいしい。」
「え?ライム…?」
ヘクターに渡されるがままにジョッキを受け取ったライムであったが、それをそのまま一気に喉の奥に流し込み、皆が気付いたときは既に飲み干してしまっていた。
「ハハハッ。嬢ちゃん、いい飲みっぷりじゃねぇか!
さあ遠慮はいらねぇ。どんどんやってくれ。」
「うん。」
わずかばかりに上気させた面持ちのままライムはジョッキを両手に抱えながら新しいエールをゆっくりと流し込む。
「ライム。ほどほどにしておくんだよ。」
「ふぁ…い。」
耳元まで赤くなっている少女の姿を見てカミルは、既に遅かったということを悟ったのか、嘆息そのままに様子を見守る他なかった。
ほぼ真円に近い月がほぼ天上に上り詰めようとする頃になっても宴の場はある程度の落ち着いた雰囲気を見せ始めてはいた。
カミルの傍らに離れずにいた少女もまたいつの間にか小さな寝息をこぼしていた。
「なあカミル。そろそろ聞かせてもらってもいいかな?」
新たにジョッキを用意したヘクターは、カミルとテーブルを隔てて腰を落とす。
ヘクターの問うところが己の船を利用してどこに向かうのかということを理解している。
「うん。僕たちの向かうところはラクローンなんだ。」
「!?」
カミルの言葉にヘクターはエールを流し込む喉を一際大きく鳴らしていた。
「そうか、ラクローンか…」
「どうだろう?」
ヘクター自身、その名を口にするときに声のトーンがはっきりと落ちているのを自覚できていた。
「俺達はカミルに命を救われた。
命の恩義は命を以って返させて貰う。それが海の男の流儀ってやつだ。
だからカミルがどこを目指そうとも海の続く限りどこまでも運んでやるつもりだ。」
「うん。」
「一つ聞いておきたい。カミルにとって、ラクローンに何があるというんだ?
興味本位というのも確かにある。だがラクローンの現状をカミルは知った上でのことなのか?」
「それは…」
テーブルに置いたジョッキを持つ手に力が入る。
そのまましばらく逡巡させた後、カミルは口を開く。
「僕にはこれまでずっと旅をしてきた仲間がいる。
ヘクターと同じように僕も彼に命を救われた。彼が旅立つとき、僕も彼と共にあって然るべきだとも思っていたんだ。
だけど僕自身の都合だけれども、アファで彼と行動を別にすることになってしまった。」
この時、カミルの心のうちでアファで別離した黒髪の少年との言葉が蘇える。
『手がかりを掴んだらまた一緒に旅をしよう。』
その言葉をしばらく胸の内で反芻する。
カミルの目的地はすでに定まっていた。
「この地で僕の目的はある程度は達したつもりだ。今度は彼が向かったラクローンに追いついて、僕は彼の助けになりたいと思っている。」
「なるほど…そいつはカミルにとって掛け替えのない者。っていうわけだな。」
黙して首肯する姿を見てヘクターはジョッキに残るエールの全てを一気に流し込んだ後。
「わかった。十分すぎる答えを聞かせてもらった。
俺がカミルたちをラクローンへと連れて行ってやる。」
「…ありがとうヘクター。」
「明日から忙しくなる。今のうちに英気を養っておくとするか。」
「そうだね。」
「この先の航海と旅の幸運に。」
そう言って新たなジョッキに持ち替えて天高く掲げあった。