第12節
これまでガイナーが経てきたことを耳にするたびに周囲から深い溜息と唾を呑み込む音だけが聞こえてくる。
はじめの経緯を知っていたライサークだけが静かに頷くだけであったが、概ね聞き終わったとき、誰もが呼吸を忘れていたかのように大きく身体に空気を送り込む。
「な、なんだかややこしいことになってきたわね。」
ガイナーの口から発せられたものでなければフィレルのみならず、誰しも信憑性の薄いものとして一笑に付していたのかもしれないだろう。
世界が終わる…
そのような事を信じるほうが皆無というものなのだから。
しかし、この場にいたものたちはその言葉に現実味を帯びたものであるということをいやというほど見せつけられた。
中でも女王は改めて自身の認識の低さを痛感せずにはいられなかった。
「ではメノアに現れたという仮面の男というものがクレイドに現れるというのであれば…」
「確証があるわけではありません、ですが…いや、きっとクレイドに…」
「…現れるのだろうな。」
ライサークの言にガイナーもまた力強く頷いた。
この点においてガイナーの中にはどこか確信めいたものが存在しているからこそライサークの言葉に無言で頷く。
「・・・・・」
「サーノイドと封印、もしかすればこれが何らかの関わりがあるのかもしれません。」
「関わり…?」
「私達ライティンが最も疑問に思うことです…
何故サーノイドは私達に襲い掛かってきたのか…」
「!?それは…」
「勿論、全く見当違いの見解かもしれません。あくまで可能性の話です。」
「・・・・・」
「けど一体どういうことなのかしら!!?
わざわざサーノイドの地にある封印を護れだなんて…!?」
「それは私にもわかりません。それが予言者様の申されたことであるのならきっと何かがあるのだ…と。」
「・・・・・」
この国において預言者の言葉は国王の言葉以上に重く受け止められる。それは国王とて決して例外ではない。
「今の時点ではまだ定かなものではありません。しかし、封印がクレイドにあり、その封印を解かんとする者がいる。そしてそれが解かれたとき、世界がどうなってしまうのかはかり知れるものではありません。
そんなことを許してしまっては…」
女王ですらそれ以上の言葉をいうことを憚られるも、ガイナーにとっては十分に伝わるものであった。
「これまでは襲いくる者達に対して抗うことだけで手一杯となっていました。ですが今後は考えねばならないこととなるのでしょうね。」
「・・・・・」
女王の言葉にはガイナー自身大きな衝撃を受けずにはいられないものだった。
これまでの戦いは襲ってくるからこそ抗い倒す。ただそれだけのみを考えて戦ってきた。
しかし、サーノイドは魔物とは異なり知性がある。それらはライティンとなんら遜色はない。彼らにとっても戦うべき然る理由が存在していることだろう。
ガイナーとてそれらは頭の隅にはたしかにあったし、考えたこともあった。だがサーノイドの軍勢によって引き起こされた惨状を目の当たりにしてしまったとき、それらはすべて憎悪によって吹き飛んでしまっていたのも事実である。
「私達はどうあっても知らねばなりません。なぜサーノイドがライティン達に対して危害を加えようとしているのか。なぜ今なのか…。」
「陛下…」
此れまでラクローン以外の情勢を把握していなかったことに関して女王に全ての責があるというわけではない。
ラクローンというライティンたちを統べる身であるということにおいて女王はまだ成熟してはいなかった。何よりラクローン以外の情勢を知る術などあろうはずもなかった。
これまで父である国王がいて、兄である王太子がいた。
それを突然失ったことによって急遽即位せざるを得なくなり玉座という巨大な神輿の上に担ぎ上げられたという事情もある。
女王の即位後の政務のほとんどはゴルドール候をはじめ、多くの有力諸侯らによって摂り仕切られていた。
「私はこれまでの政務を全てゴルドール候に委ねる以外にありませんでした。」
「ゴルドール候…」
これまでの風聞とは異なり女王を補佐し続けていた存在であったという事は女王の口から伝わっているも、その名前にフィレルとしてはまだ微妙な感情が残ったままであるというのも否定出来ずにいる。
「それでも、この国を何とかしなければならないという思いは私にも当然持っていますしそうありたいと努めてまいりました。」
「・・・・・」
「ですが、これは我が国だけの問題で済ますわけにはいかないものです。」
これまで大事に関する事柄に携わることのないままに日々を過ごす他になかった女王ではあったが、ここにきて王としての責務を全うするということが彼女の中で大きな意味を持つようになりつつあった。
同時に大きな決断を迫られるときでもあった。
「…
皆様にお願いしたいことがあります。」
「何でしょう…?」
それから数日経った後、御前会議が開かれることが発せられることとなる。
これまでであればゴルドール候によって開かれることを発せられ幾重にも議論を重ねられてきた議会に関しもはやそれほど大きな関心を持つというものではなくすでに形骸と化しているものともいえた。
むしろ貴族の関心は王家の動向よりも自己の領地の利権をいかに守るかが大きな関心ごととなっていた。
しかし此度の貴族議会を発したのは他ならぬ女王そのものだっただけに、当然ながらラクローンに存在する多くの貴族たちの関心が向けられたのは言うまでもない。
「畏れ多い事ながら此度は陛下も会議に出席していただく運びとなった。
なれども皆これまでどおり忌憚なく意見を交わされることを望む次第である。」
宰相であるゴルドール候による開会の言葉によって御前会議は始まる。
ここしばらく会議に顔を出すことのなかった貴族たちもあったが、御前会議となればどのような理由があろうとも出ないわけにはいかない。
それだけで不忠の汚名を被ることになるのだから。
「会議を執り行う前に…」
議論が始まろうとする矢先に女王は機先を制して口を開く。
「まず私の考えを聞いていただきたく存じます。」
その言葉に貴族たちはもとより、ゴルドール候も表情を変える。
「これまで我が国がサーノイドの攻撃を受けつづけたこと、何より預言者様がすでに亡くなられていたこと、多くの者が不安に駆られたことでしょう。」
貴族たちの表情を見渡しながら女王は続ける。
「これ以上サーノイドと戦うことはもはや無意味なことです。
私達はサーノイドとの戦をつづけるべきではありません。」
女王の言葉に皆が顔を顰める。むしろ“何を今更…”と呆れたといった意味合いのほうが強いものではあった。
言うまでもなくそれは誰もが思うところではある。
「畏れながら陛下。」
「何か…?」
「陛下のお言葉まことに至極尤もな事と存じます。
ですが、我々が無意味なことと考えようにも奴等が襲ってくる以上それに対しての対抗手段は取らざるを得ないことでございます。」
国王の言葉を遮るなど明らかに不敬に値する行為ではある。しかし貴族たちに今の国王に対する忠義心が薄らいだ状態であるということの表れでもあるといえる。
それだけラクローンは混乱していた。
国王の意見を覆す。それだけで貴族としては露骨にしたり顔を見せていた。
「そうですね。我々は彼らが襲ってくる。だから迎え撃つ。それのみを繰り返すほかはありません。」
「それでは…」
「では逆に聞きます。サーノイド、彼等の目的はいったい何であるとお思いですか?」
「サーノイドの目的…」
「そのようなこと我々が知るはずもありませぬ。」
「そうです。私達は知らない、何も知らなさ過ぎる…
ただ襲ってくるから抗う。その繰り返しでは今後も戦いは終わることはないでしょう。」
「・・・・・」
貴族たちは女王が何を言わんとしているのかを量りかねていたこともあった。
その表情を一瞥して女王は意を決する。
「私は何としてでもサーノイドたちと和解することを提案します。」
「!!!??」
「和解…」
サーノイドとの和解。それは当時のライティンにとっては誰しもが考えられない事柄であったのではないだろうか。貴族たちにとってはまさに衝撃的ともいえる言葉であった。
ところどころでどよめきが起こるのを女王はただじっと見守る。
「おそれながら陛下。」
「何でしょう?ゴルドール候。」
「和解を示そうにもいったいどのように執り行うおつもりなのか?
まずはその具体案というものがおありかと存ずるが…お示し願えますかな?」
貴族の多くはゴルドール候の意見にその通りだと声をあげるものもいる。まして候の専横にこれまで鼻白んでいた者達でさえ彼の言葉に頷く貴族たちもいた。それでも女王は落ち着いた様子で小さく頷き、ドアの前に立つ衛兵に合図を送りドアを開かせる。
「!!??」
「この者たちは…!?」
侍従によって広間に招き入れられたのは2人の男性の姿ではあるも、多くの貴族たちは怪訝な表情へと変わっていったことは言うまでもなかった。
「あの者たちは何だ!?」
「…いやあの屈強な男は見たことがある…」
「まさか“ブラッドアイ”ではないのか!?」
多くのどよめきが起こる中、女王はその喧騒を手で制し静寂を待ってから口を開く。
「かの者たちにサーノイドの住まう大地、すなわちクレイドへ和解の使者として赴いてもらいます。」
「!!!!!!?」
「…なんと言われる陛下!!!?」
女王の言葉に驚かされながらも議場の雰囲気は一層騒然としたものへと変わっていく。
その様子をガイナーと傍らに立つライサークは静かに見ていた。