第11節
早くも預言者が不在、それにとどまらず既に死亡していたことが王城の内部において早くもまことしやかに囁かれ始めていた。
その噂における皆の動揺はいくばかりか、計り知れないことであったろう。
王城の者たちが恐れていた事態ではあったが、人の噂に壁を構築させる術などあるはずもなく、噂は一瞬にして王都全域に広まっていった。
その噂を聞いて無関心でいられたものは極めて少なく、多くのものは預言者の死を悼み或いは嘆く者もあれば、現王家に同情する者もいた。しかし、市井は噂を聞いた直後は少なからずの波紋を招いたものの、日々の糧を得るために手を休めているわけにはいかないものの方が多くを占めていた故に、それほど大きな混乱を生じさせることはなかった。
むしろ激しい動揺で混乱していったのは平民より貴族たちの方であるといえる。
ある貴族は王家に絶望し自らの領地のある王都郊外へと身を移すものもあれば、ただ嘆くのみで天を仰ぎ、或いは酒や享楽に逃避するものもいる。いずれにせよ王家に対する忠誠心というものが極めて薄まりつつあるということが露呈されるものであったことは疑いようも無かった。
その件も含めた上で政務を司る立場にある貴族、諸侯たちによって今後のことに関しての談義が幾度も西の宮殿にて交わされていたが、気持ちの上では他の貴族と大差があるわけでもなく、もはや今後の方針を定めるにはあまりにも希薄なものであった。
「まさかこのようなことになろうとは…」
ラクローンにおける絶対的な存在であった預言者の存在が既に死亡していたことが明るみになっていたこともあって、談義は一層暗いものとなっていた。
「我々は今後どのようにしていけばよいというのだ?」
「どのように…だと?」
「預言者様亡き今、今後の方針をどのようにしていくのかだ。」
「・・・・・」
これまで政務といえども全てが預言者による神託とも呼べる言によってすべての方針が定まってきた。
その指針が失われたことによって政務を執り行う者たちにとってはまさしく闇の中へと放り出された心情であったことであろう。
「それに今後我らはどのようにしてサーノイドと戦っていくつもりなのだ!?」
「戦う…!?やつら相手にまだ戦うつもりなのか!?」
「当然であろう。奴らは我々に対して敵対する意思を有しているのだ。戦わずして如何とする!?」
現状は指揮官と橋頭堡と呼べる存在を損失させたことによりサーノイドの軍勢と呼べる集団は周辺に存在することはない。
武官たちの見解としては再び軍勢と整えて襲ってくると考えていた。
「しかし、サレスティン伯爵が失われてしまった以上、誰を以て軍勢を整えるつもりか?」
「・・・・・」
そのことに武官としても即答できなかった。
「それならカストゥール卿を呼び戻してはどうか…?」
「馬鹿な…今更この城を出たものを迎え入れるなど、我らの面目が立たぬ!!」
「では他に候補者はおありかな?」
「・・・・・」
貴族の中には一度城から離れたものを遇するなど到底赦しがたいという思いがある。
しかし、そのしがらみが議論を長引かせていることも薄々は気づいているも誰ひとりとして指摘するに至らずにいる。
「このようなときに…
ゴルドール候はいかがしたのだ?
本来であればかような時こそ候が取り纏めてくれるものを…」
「・・・・・・」
「やはり北の離宮での件が大きいのでしょう。今日も出仕されてはいないとのことです。」
「…そうか。」
これまで政務を取り仕切ってきただけにまとめ役をも担うゴルドール候不在のまま議論を交わし続けていた貴族たちではあるも、それを欠いたままの状態では結論に至るでもなく徒に時を過ごすしかないと現実にやや苛立ちを覚えるものも少なくはない。
政務の一切を侯爵が取り仕切るという点において鼻白んだこともあったものの、こうなったときに侯爵の不在がいかに大きなものであったことが思い知らされることも痛感せざるを得ない。
「陛下の…陛下の御意は如何なものか?」
貴族の一人が女王の存在を確認するかのような発言をするも誰ひとりとして返答があるわけでもない。
連日に渡る議論を繰り返すも、詰まるところ結論を出しうることは叶わなかった。
これまでの談義において女王の姿を見ることもなかった。
席に連ねる貴族たちにおいては女王の姿があったとて結論を出しうるべくもないという思いがあったのだが。
「そういえば…」
「??
いかがされたかな?」
「いや、ゴルドール候もだが、ここしばらくヴェルドナ候のお姿も拝見してはおらんと思ってな。」
「ヴェルドナ候…」
この場にいる貴族の中ではやや若年にあたる貴族の一人が発したその名に誰もが眉を顰めずにはいられなかった。
「諸兄らいかがされましたかな?」
「…たしかに貴殿の言うとおりではある。だが貴殿は知らぬのか?」
「…何をです?」
「ヴェルドナ候は陛下が崩御あそばされたときよりずっと出仕されてはおらぬ。」
「何と…!?」
「このことは我等の間ではすでに承知のことと思っていたが…」
「・・・・・」
候の名を出した若年の貴族は自らの発した言葉があまりにも迂闊なものであったと悟ったのかやや青ざめた表情を見せながら口元を抑える仕草を見せる。
「ですが…確かに今どのようにされておるのか全くわからぬというのも奇妙なものではありますな。」
ヴェルドナ候爵。ラクローンにおいて大貴族と称される名家のひとつであり、代々にわたって王家に娘を嫁がせてはその影響力は現宰相の地位であるゴルドール候よりもかつてはその勢力は大きなものではあった。
たとえ王城への出仕がないにせよ、貴族の間ではいくばくかの交流がみられるものである。
しかし、ヴェルドナ候とは完全に交流も途絶え、いつからか候の荘園、邸宅にさえ出入りするものもなくなってしまっていた。
一時期は候の生存の有無についても貴族たちの噂の種の一つとなりえていたものの、サーノイドの侵攻による混乱からいつしか忘れられた存在となりえていた。
「しかし、今この場におられぬ御仁のことを論じたところでどうにかなるわけでもないと思うが。」
「そうですな。」
そういった貴族の言葉に誰もがうなずきこの場での話題はまとめられる形となっていた。しかし侯爵の名が浮かび上がったことによってその存在が再び表に浮かび上がろうとしていたことはこのとき誰一人として悟りえることはなかった。
北の離宮の騒動があってからすでに二週間が経過しようとしていた。
その間貴族たちが結論を出しえぬままに談義を繰り返す間、女王の命によって賓客として遇され、王城の中央に位置する宮廷に逗留していたが、ガイナーたちとしても他に何かをするでもなくただ徒に時を重ねるのみだった。
エティエルの体調の回復を待つということもありはしたものの、今後の方針や指標も定まらない状態ということがこれまでになかっただけに、どこまでももどかしさを感じざるを得なかった。
「だけど私達いつまでこうしていればいいのかしらね…?」
少し早目の夕食を済ませた後、同じ宮廷内のサロンにてくつろぎながらフィレルは用意された飲み物を口に含みながら呟く。
「わからないけど…」
ガイナーもまた窓際に背を向けたまま首を上げて天を仰ぐほかなく、どこか遣る瀬無い気分でいっぱいだった。
部屋にはフィレル、ガイナーの他に部屋の奥にライサークが壁にもたれたまま立ち、そしてすっかり復調したエティエルも長椅子に腰掛けていた。
「貴族たちもさぞかし慌てふためいているのだろう…。
まさかこのような事態になるとは思いもするまい。」
「…
そりゃそうよね。」
ライサークの言葉に一理あると同意しつつ、再び杯を傾ける。
そろそろ夜も更け始め、それぞれ寝所に移ろうと思い思い発とうとした頃、サロンは新たな来訪者を迎えようとしていた。
「…お邪魔してもよろしいかしら?」
「…!?
陛下…?」
「えっ!?」
突然の城の主の来訪にガイナーたちは襟を正すかのように立ち上がり会釈をしてみせる。
「それには及びません。」
ガイナーたちの礼に女王は手で制しながら部屋を見渡してライサークの姿を確認し、視線を向けるが、お互いの視線は合わさることないままにライサークは眉を顰める。それが女王の胸にチクリと棘が刺さるかのような痛みを覚えるも、それを表情に表さぬままエティエルに視線を向ける。
「お加減は…もうよろしいのかしら?」
言葉を持たないエティエルは返礼の代わりにスカートの裾をつまんで軽く頭を下げる。
「それは何よりです。」
女王もある程度の事情は聞き及んでいただけに、それを見て微笑みで返しながら頷く。
北の離宮における騒動を一通り収集させるべく陣頭指揮を執っていた女王の表情はやや疲労の色を漂わせているかのように見えていた。
それ以上にどこか表情を翳らせる姿にガイナーは奇妙な感覚に捉われていた。
「陛下、このような時間に…お身体に何かありましたら…」
「お気遣い感謝します。しかしそれは無用に願います。」
すでに侍従たちにガイナーと同様の諌言を受けていた女王はガイナーの言葉を遮断するかのように制して部屋を再び一瞥する。
「ガイナー殿。」
「はい…」
改まって名を告げられたガイナーは姿勢を整えて女王と対峙する。
「このような事態になってしまい貴殿には申し訳なく思っております。」
「陛下、そのようなことは…」
「ですがガイナー殿、このような時ではありますが、いえ、今だからこそあなたにお見せしておくべきものがあります。」
「俺…自分に…?」
「ええ。」
そういって女王は手にあった巻物状にしていたものをそのままガイナーに手渡した。
「これは…?」
「あなたにお渡しするようにと…
預言者様から預かっていた物です。」
「…っ!!?」
「どういうこと!?」
「預言者様って…しかし、預言者様は。」
「もしかするとあのお方にはこうなることをご存知だったのかもしれません。
この国の危急の際、南方より来訪する者があったときに手渡すようにと私に預けられていました。」
「南方より来訪する者…つまりそれが自分のことだと…?」
「そう考えています。」
「・・・・・」
やや半信半疑といった具合を残しつつも、ガイナーは中心の麻紐をゆっくりと解き、巻物状にあったものを広げてみせる。
そこに綴られていたものにガイナーは驚きの表情を浮かべてしまっていた。
「…!?
これは!!?」
「な、何よこれは!?」
恐る恐るガイナーの背後から覗き込むように見るフィレルもまた怪訝な表情を浮かべる以外ないなかった。
「!?
予言者様は何と!?」
「あ…いえ、そういうことではなくて…」
無意識に驚きの声を上げてしまったことに口元を抑えながらガイナーは預言者の手紙の文面を女王に見せた。
「何て書いているのか全くわからないじゃない。いったいどういうことなの!?」
「この文字は…?
これまで見たこのないものです。」
「そうですか…」
「ガイナー殿はこれを読み上げることは…?」
「ええ…何とか。」
「本当に…」
女王の言葉にガイナーはやや歯切れの悪い返答を返す。
女王には初めて目にする文字に目を丸くする様子ではあったが、一方のガイナーには見覚えのあるものではあった。
文面には以前樹海で見た碑文と同様の文字によって綴られている。あの時もなぜかガイナーだけが読み上げることが出来た。この文字がいつの時代で使われたものであって、どこでどの民族が使用してきたものであるのかということも今のガイナーには知りうることはなかった。
釈然としないものを胸の内に残しながらも、ひとまず預言者が遺した手紙に目を通す。
「!?
…どういうことだよ!?」
「…!?」
そこに書かれていた内容はあまりにも簡潔で、ガイナーは驚くというよりむしろ呆気にとられるといったことのほうが強いものではあったため女王をはじめ、皆不安げな面持ちで様子を伺う。
「…
予言者様は何としたためておられておいでだったのですか…?」
「それが…
“クレイドの封印を護れ”とだけ…」
「クレイド…?」
「…!?」
「封印…??」
「・・・・・」
ガイナーが読み上げた文面にそれぞれが異なる反応を示す。
「封印…それはもしや…」
「陛下は知っているのですか…!?」
「ええ、以前、予言者様がお話くださいました。」
「・・・・・」
「遥か昔にこのラウナローアで起こった大戦において使われた巨大な力。あまりにもの強大さに恐れたものたちによって封じられたものがある、と。」
「巨大な力…」
「それがどのようなものなのかはわかりません。しかし、その力によってこの世界の半分以上は人の住むことの適わない世界へと変貌させてしまったものだったとも聞きます。」
「世界の半分…」
あまりにも突拍子のないものではあったがその言葉に各々生唾を呑み込む音を耳にする。「それほどのものが…」
その言葉にガイナーの脳裏に樹海で読んだ碑文が浮かび上がる。
たしかに碑文には“われが遺せし力、人が使役するに余りあり、この世界にわが力を封じよ。”とあった。
「それと…クレイドって一体…??」
ガイナーは頭の中にラウナローアの地図を浮かべてみるも、これまでクレイドといった地名は耳にしたことはないだけに、位置を特定するに至らなかった。
フィレルとエティエルに聞くかのように顔を向けるも二人も聞き覚えのあるものでないのか、首を振るかお手上げといった仕草を見せる。
「ガイナー殿。」
「…はい。」
「アファより西に何があるかご存知ですか?」
「はい…ズィーグ砂漠のことですね。」
唐突の問いではあるもガイナーは的確に答えてみせる。
アファ平原の西側には南北に連なる山脈が存在する。その山脈から西側は人が住むことが不可能に近い砂漠地帯となって広がっている。
女王は一度赤眼の傭兵に顔を向けるも、再びガイナーに顔を向けて口を開く。
「その通りです。ではズィーグ砂漠のさらに西のことは…?」
「…!?
さらに西ってまさか…!?」
ズィーグ砂漠を越える。それを成し得てくる者たちは今現在ライティンたちの驚異として存在する者の存在を強く印象づけるものでもあった。
まさにガイナーにとっては“敵”という認識で脳裏に刷り込まれているものでもあり、ガイナーにとってはあまりにも衝撃的なものであったといえよう。
「ええ。大戦の後、姿を消したサーノイドの安住の地となった住処。そこがクレイドと呼ばれる地であったと聞き及んでいます。」
「・・・・」
「…
要するにクレイドにも封印があるということなのだな。」
「!?」
「…も??ちょっとライサーク。
“も”ってどういう意味よ!!??」
「封印っていうことは…」
「封印を護れということはどこかに解こうとするものがいるということなのだろう。」
その言葉に一人の姿を浮かび上がらせようとしていた。
「まさか、あの時の…!!」
あの時…メノアの洞窟の最奥部にて突如として現れては幼馴染の意識を奪い、封印を解き放たせた張本人。不気味な仮面をした魔導師風の男。
その仮面の男がクレイドに現れるという可能性がないわけでもなく、あのときと同じように封印を解こうとしているというのであれば…
「関わりのないこととはどうにも思えんな…。」
「…
どうやら何か心当たりがあるようですね。
よろしければ経緯をお話願えますか?ガイナー殿。」
「こうなった以上、私も聞かせてもらうわよ。」
「…わかりました。」
一呼吸おいた後ガイナーはこれまでの経緯を含めて話す。
メノアでの封印が何者かに解かれたこと。
アファの樹海での碑文。
ラウス導師の言葉によってラクローンまでやってきたこと。
そしてガイナーと今はこの場にいない銀髪の青年が聞いた言葉…
その全てを話した。