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FINAL MASTER  作者: 飛上
Act.08 動乱の指標~Route~
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第09節

陽は翳り周囲を闇に包まれるころには、北の離宮での騒動はひとまずの落ち着きを見せたらしく、風に乗って流れてくる音は北の海独特の大きな波音だけだった。

この時期のラクローンの海は年中吹き荒れる北からの強い風により穏やかなものとは異なり、激しく荒れ狂う荒波となるほうが多く、心地よい響きというものよりはむしろ激しいまでの昂ぶりを覚えてしまうほどのものであった。

王城の海側に位置する大きなテラスの柵に身体を預けるライサークはしばらくの間その波音の荒ぶる旋律に耳を傾けていた。

ライサークにとってラクローンの波音はどこか懐かしさを覚えるものでもあったが、同時に憤りを併せ持つものを与えるものでもあった。

なぜそのような感情にかられるのかもライサーク自身にはわかっている。

テラスに立ちその時のことを思い出したのか、ふとライサークは思わず苦笑するのを自覚した。

「フッ…今更どうなるわけでもないのだがな…」

だがそれを表にすることはなく、しばしの間激しい波音を耳にしながらその場に佇んでいた。

「…こちらにいらしていたのですね。」

「!?」

背後からの女性の声に気づくも、ライサークはその声に応えて振り向くことはなかった。

姿を見ることがなくてもその声の主が誰であるのかライサークには認識出来ていた。

「・・・・・」

こちらに振り向くこともない青年からの応答は来ないであろうということを承知していたのだろう。そのまま声の主はコツコツとテラスのタイルを小気味よく鳴らして近づいてくる。

やがてライサークの背後で立ち止まると、ライサークと同じように夜風に身を晒しながらただじっと青年が振り向くのを待ち続けているように背中を見つめ続けて佇む。

テラスに吹く夜風はラクローンの荒海からくる潮の香りを漂わせる。

ふと強く吹き込んだ風を受けて流れるように靡かせる長い髪とドレスの裾を手で押さえる。

ドレスの姿のまま風を受けてしまえば身体ごとよろめかせてしまいそうになるが、こういったことは慣れたものなのか、うまくバランスを保ちながらその場にとどまる。

この城の主でもあるラクローン女王がここに訪れるということはライサークには承知のことでもあった。

「・・・・・」

だがライサークは一向に背後に立つ女王に振り向く仕草を見せることはないまましばらくの間沈黙が続いていた。

「夜風は傷に障りますよ。」

「・・・・・」


北の離宮の広間において繰り広げられた血生臭さの残る戦いは誰にも想像できないような結末を迎えていた。

赤目の傭兵ライサークも人の姿から変貌したドミニークの攻撃を受けて幾重にも傷を負う形となっていた。

“これは、腕を潰されたか…”

ライサークは自身が負ったダメージを冷静に分析する。

胴体への攻撃は身につけていた胸当てによって軽いものではあったが、両腕は槍にも似たドミニークからの攻撃によって突き刺さり、そこからの出血を止められずにいた。

ライサークはその場から動くことなくゆっくりと傷口を押さえようと動かす。

「チッ…」

ほんの僅かに動かすだけで腕は凄まじい痛みを伴う。

常人であればとうに意識を失ってしまっていたことだろう。

その痛みに耐えながら傷口を押さえていたが、ふとその傷口から温かみのある穏やかな感覚を受けていた。

「…!?」

いつからかライサークの背後には傷口を押さえる者の姿、それがラクローン女王であると認識するのにそれほど時をかかることはなかった。

「どうかそのままで…大した力ではありませんが、私にも初歩の治癒魔法くらいなら使えます。」

「・・・・・・」

そう言ってライサークの傷口に手をあてながら、静かに目を閉じて意識を集中させる。

女王の手のひらからは淡い光が生み出されてゆき、光はライサークの傷口をゆっくりと包み込んでゆく。

光を注がれる箇所は徐々に傷を塞ぎ始め、いつの間にか止血されていた。

ラクローンの王族において魔法の習得というものはいわば人の上に立つ者として当然の責務ともいうべきものだった。

女王の治癒魔法によってライサークの腕にある傷は完治するに至らずともある程度は塞がれ、致命傷となることは回避できた。

「これ以上は私の力ではどうすることもできませんが…」

「いや、十分だ。」

そう言ってライサークは腕を動かしてみせる。

治癒魔法の効力があったのか、腕を動かすことに痛みを伴うことはなくなっていた。

「ですが手当てをきっちりしておくことが必要なことです。どうかその辺りを…」

「…承知した。」

本当ならば女王は治癒を施した目の前の青年に問いたいことがあったのか、どこか思いつめたかのような素振りを見せていた。しかし、女王としてこの場を収集すべく責務を優先させねばならず、二人はわずかな言葉を交わすのみで女王はその場を離れていった。


それから一通りの手当を受け両腕に包帯を巻かれた姿のままライサークは何かをすることもないままに城のテラスに身を預けて遠くから響いてくる波音に耳を傾けていた。

「…問題ない。」

「そう…ですか。」

あまりにも淡白な応答にも眉を顰ませることなく女王は一息ついてからライサークの隣へと足を運びテラスの柵に手を置き、闇の奥で荒波が舞い狂うラクローンの海に目を向ける。

すでに闇夜がすべてを覆い隠し視線の先に光るものは何一つない。

二人はしばらくの間、どちらも顔を合わせることもないままに闇の奥から響いてくる荒波の音を聞き入っていた。

この沈黙は二人にとって心地よいものとは言い難いものでもあっただけに、ライサークはただじっとテラスから海に視線を向け続け、女王もまたそれに倣うほかになかった。

「…帰ってきていたのですね。ライサーク。」

その沈黙に耐え切れずに口を開いたのは女王の方からであり、その言葉はライサークとの再会を意味するものでもあった。

二人がこのテラスに並んで立つのはこれが初めてということではない。

以前、ライサークはラクローンの王女、今の国王に当たる者の護衛の依頼を受けてこの城にしばらくの間逗留していたことがあった。

ラクローンは古来よりライティンの主神格である女神ティーラよりも海神ネプトゥヌスを奉り、代々王族がネプトゥヌスの神殿に赴くことは恒例のこととなっていた。

ティーラを奉る神殿は王都の中に存在するが、ネプトゥヌスの神殿は王都から外れた位置にある。

王都の治安は行き届き、王族の威光も伴ったものではあるが、ひとたび王都を離れるとやはりそういったものは通用しなくなるものである。

また長い歴史をもち畏敬の念をもって奉られるラクローンの王家とはいえども、後継者の問題や有力貴族の勢力争いにしばしば巻き込まれた時もある。

そのために多くの護衛を伴って行くこととなるのだが、当時ネプトゥヌスの神殿に赴くこととなっていた現国王の護衛についていた一人がライサークだった。

しかし二年前、前国王と王太子が不慮の死を遂げたときを境にライサークは女王の前から姿を消した。

あれ以来、二人が会うことはあるはずも無く、その理由を知ることもないままにこれまで時を経てきた。

「…依頼を受けた。」

「・・・・・」

ライサークに明確な言動をするわけでもなく、ただありのままに受け応える。

その返答が返ってくることも女王には承知のことでもあった。しかし、その態度は女王には痛かった。ちくりちくりと胸を締め付けられるような感覚を女王は感じずにはいられない。

時折吹き付ける海からの風に身を震わせながら女王は言葉を吐き出す。

「なぜ…?」

声はどこか震えていた。

スカートの裾をつまんだ手に力がこもるのを自覚する。

「なぜ私の許から離れて行ってしまわれたのですか…!!?」

その問いを聞くべきではなかった。そう心の中で叫んでいるような気もしていた。

苛立ちと苦悩が蓄積されて吐き出してしまったのかもしれない。

だが聞かずにはいられなかった。たとえそれが女王に答えがわかっているものであったとしても。いつの日か再会することがあればそれを聞き出したい。

ライサークが出奔してしまった時、誰もが疑いの目を向けることは明白だった。

そのことによって多くの有力貴族たちはライサークに対して多くの追っ手を差し向けることとなった。それが報復を理由としたものではなく、国王を弑虐した者を捉えたことへの名声を得るためのものでしかない。

そしてそれは未だにライサークに対して差し向けられるものでもある。現につい先日においても王都にて傭兵に狙われていたのだから。

「…わかっている筈だ。」

「っ!?」

ライサークは暗闇の景色に目を向けたまま口を開く。

「俺の中にはお前たちが忌むべき血が流れている。

…サーノイドの血がな。」

「・・・・・」

その答えは図らずも父と兄を手にかけたというものとは異なる。その点に限り女王は胸をなでおろす。

しかしそれは女王とライサークが相容れない存在であるということを位置づけるものであっただけに女王の胸は一層締め付けらるものでもあった。

「でも、でもライティンでもあるわ!!」

ひときわ大きな波音が響き渡った。

しばらくの間二人は何も言葉を交わすことなく、沈黙が続く。

ただ汐の引く音だけが周囲に響いていた。

「・・・・・」

「そうでしょ…?

あなたはサーノイドの父とライティンの母を持つ人。」

「…俺の母はこの国の小さな集落の海神の神官だった。」

「…はい。」

それは女王も承知のことだった。


ライティンであったライサークの母は、ラクローン内の小さな集落において海神ネプトゥヌスの神官の家系であり、彼女も海神に仕える巫女としてネプトゥヌスが住まう荒海に向けて祈りを捧げる役目を担っていた。

漁師の多いラクローンの民はライティンの主神ティーラよりもネプトゥヌスを奉ることに重きを置く習性が強いだけに、集落において畏敬の念を払われる者でもあった。

しかし、巫女の身でありながら母は父と出会ってしまった。それだけでも許されるものでもないのだが、それ以上許されなかったのはライサークを身籠ったことである。

ましてやそれがライティン以外の人種、あろうことか後にライティンの驚異となるサーノイドとである。

巫女として神格化されつつあった彼女だっただけにその母の行いは集落の者たちにとって赦し難いものであったことは言うまでもなかった。

古い慣習の残る母の住む集落はそれ以降ライサーク母子を迫害し、遂には集落を追われることとなった。

当時幼い姿のライサークではあったが、ライティンには存在しうることのない赤い眼を見て畏怖し、蔑んだ目を向ける集落の人々の表情を思い出すことがある。

あれからその集落はその時期にたびたび起こった大地震による海嘯によって集落そのものは消え去った。結果としてライサークは村を追われたことによって難を逃れることができたわけであって、ライサークの存在を赦すことが出来ずにいた者たちにとってはこれ以上の皮肉はないことだったろう。

わずかに生き残った者たちの中では海神の巫女を追放させたことへの海神の怒りを買ったと囁くものもあれば、巫女の不義への怒りを一層強めた者もいた。

それからライサークにとってラクローンの荒波の音を聞くたびに思い出すものとなった。

ライサークには未だにあの時のことは鮮明に思い出された。

しかし時が経ち多くの経験を積み重ねてきた今となって集落の住民の心境が少しばかり頷けるものでもあると考え始めてもいた。 

「俺は本来であればこの地に立つことさえ許される者ではない。ましてや国王の側にあることなどな。」

「そんな…こと…」

どちらかと言えばライサークはこの国を追われた身であるといえる。

それが傭兵としての依頼とはいえ、その頂点たる位置に踏み込んでいた。

母を追いやった集落の住民がそれを知ることとなればどのような表情を見せるのであろう。

ふとライサークの脳裏をかすめたときもある。

「それでも…私にとってあなたは…」

古い慣習など今の女王には考えるものではなかった。

しかし、その慣習が根強く遺されていることは周囲に立つ貴族たちを見て思い知るものは少なからずあった。

これまで一度ならず幾度も我が身を救ってくれた恩人。だがそれ以上の存在にもなりつつあった。

「今回のことも、そしてあの時も…」

女王もまた当時のことを振り返る。

今でも鮮明に記憶する赤い眼の少年との想い出。

あの時も今のように傷を負った姿だった。

「私は…まだあなたの傷を癒すことは出来ていません…」

女王の手はライサークの背中のある部分をなぞるように手を添える。

そこは傭兵として多くの戦傷を持つライサークにとって最も大きな傷痕を残す場所でもあった。

ライサークの傷痕を知る者はそれほど多いわけではない。

最近でその傷痕のことを知ったのは偶然に垣間見たフィレルだけだろう。

しかしそれが傷を負わせてしまった当事者であるのなら話は別である。

「あのときから…

わたしは…王族でありつづけることなど…考えることもしなかった。

ましてや国王になどになるつもりはなかった。

いえ、なりたくはなかったです。」

もう声が震えもう言葉になっているのかさえわからないほどだった。

しかしこれ以上の発言は単に国の主としての常軌を逸したものであったのかもしれない。女王自身、それは自覚していた。それでなお敢えて言葉にしようとした。

それこそが女王が渇望してやまないものだっただけに。

「わたしは…あなたと…」

「そこまでだ!!」

「…っ!!?」

だがその言葉は発せられることなく遮られた。

「王よ、それ以上のことを言うべきではない。

今のお前はこの国の主という立場にあるのだから。

…ティスホーン・シンクレア・フォン・エールハルト。」

あえて強調するかのようにライサークは女王の名を告げた。

「…っ!?」

その名を告げられた時に女王の心中に受けた衝撃は決して小さなものではなかった。

それは今の女王にはあまりにも大きすぎる、そして悲しい事実を告げるものだっただけに。

「なぜ…?

なぜあなたまでその名で呼ぶの…!?

ライサーク…」

「・・・・・」

悲しくももどかしいまでの複雑な想いが女王の中に駆け巡っていた。

気づかぬうちにそれは大粒の涙に形を変えて女王の瞳から溢れ、頬を伝っていた。

「私は…ティスホーン・シンクレアなどといった名ではありません!!」

ラクローンにおいて国王となる時、先代の威光を受け継ぐという意味合いで先代の名を襲名するしきたりがある。

すなわちティスホーン・シンクレアとは先代の王の名であった。

「私の名は…ティリアです。今もあの時あなたを愛したティリアのままです!!」

「・・・・・」

これまで溜め込んでいた想いの全てをぶつける勢いで女王は封印された自らの名を叫ぶ。そしてそのままライサークの胸元に顔を押し当てる。

その様子にしばらくの間何も言わずただじっと落ち着くのを待つライサークだったが、女王の両肩に手をかけると自身から女王の身を引き剥がす。

「っ!?」

「もうあの頃のままではいられない。俺もお前も。」

「・・・・・」

国王と王太子が倒れ後継者の問題が起こる中、サーノイドからの攻撃に晒されるラクローン。今まさに北の離宮において侵入者を許し、挙句預言者が既に死亡していたという事実を目の当たりにさせられた。

最早女王の想いを置き去りにしたままに世界は大きく動いてしまった。

それは目の前の赤い眼の傭兵においても同じことだった。女王もそれは自覚してはいる。してはいるも認めることが出来なかった。認めたくはなかった。

「俺には俺のやることがあるように、お前にもお前だけが為すべきことがある筈だ。

今はそれだけを見るんだな。」

「…ではあなたの為すべきこととは何なのですか!?」

テラスから離れこの場を後にしようとしたライサークを引き止めるように女王は問いかける。

「…俺は傭兵だ。俺の行くべき場所は戦場において他に無い。」

「それでも…私は…」

国政を司る立場にある者と戦場において血生臭い行為を繰り返す者。

この立ち位置が二人を大きく分かつものであるという証明を知らしめるものとなった。

その事実にティリアは呆然と立ち去る傭兵の後姿を見送る以外になす術が無かった。



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