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1.白い仮面の男

 その日は、とても気持ちのいい秋晴れだった。

 外でバイクが止まる音を確認し、ジンは長旅の用意とは思えないほどのうすっぺらな荷物を抱え、部屋を出た。すると見計らったように向かいの扉も開いて、金髪の男が半分身を乗り出す。

「気ぃつけてな、ジン。頑張ってこいよ」

  にっこり笑って激励するアレンに、悪意はなさそうだ。

「はい」

 ジンは快くそう答え、階段を下りていった。もちろん、アレンが『頑張れ』といった内容を、半分分かっていて半分分かっていないのだが、まあ、半分分かっただけ大きな進歩といえよう。

 

 階段を下りると、そこにはバーのようなカウンターがあるが、こここそ立派なミカロイド配達屋本店の事務所なのだ。

 カウンターの内側にいる、黒ひげを蓄えた体格のいい中年の男が、この社の社長兼事務の『親父さん』だ。まさに野郎共を統括する親父的存在なのだ。そして外側にいる、サングラスをかけたショートカットの女性。

 彼女こそ、ジンに名を与え、隔離された研究所から連れ出した張本人の、キセキ・アルディアスだ。

 現在、ジンは彼女のボディガード兼アシスタントを務めている。まさに仕事上のパートナーだった。

「おはよ、ジン。昨日はちゃんと早く寝た?」

 彼女に声をかけられ、ジンは微笑んで

「はい、忠告どおり。キセキさんこそ昨日はネットゲーム、夜遅くまでやってないですよね?」

 そう返した。

「む。やってないわよ、長距離は今回が初めてだし」

 腕組をして答えるキセキ。

「はは! ジンもなかなか言うようになったなあ。ん、ほれお2人さん、これパスな。失くすなよ」

 豪快に笑ってから親父さんは2人にそれぞれ関所ゲートを通過するための万能パスポートを渡した。

「おやっさん、これ、もし失くしたらどうなるの?」

 2人は普段は短距離の配達しかしたことがないため、パスをもらうのは初めてなのだ。

「失くしたらまず、目的地には辿り着けんだろうし、帰れんだろうなあ。まあ現金持ってりゃ別だが、この距離だ。馬鹿にならんだろ? 再発行もできんことはないが……まあ万が一失くしたら連絡してこい。でも絶対失くすなよ! 高いんだから!」

 親父さんは大真面目に言う。

「どっちよ」

「そうですね」

 笑いをこらえながら2人はパスをそれぞれポケットに仕舞い込む。あとは運ぶ品だ。

「これだ」

 うやうやしく親父さんがカウンターの下から取り出したもの。それは立方体の箱に入った『命あるもの』だった。

 『命あるもの』。物体でありながら命を持ち、不思議な力を兼ね備えているものをここではそう呼ぶ。これらは世界に点在するが、非常に貴重かつ高価、さらにはその未知の能力という三拍子が揃っているため、裏で不当に取引されたり、強奪の対象となりやすい。そのため移送時は特に気を使う。所在を知られてはならないものなのだ。だからこのミカロイド配達屋にも、『重要物配達専門係』というものが秘かに存在する。言ってみればこれは、『命あるもの』を運ぶ専門機関だ。

 ここに任じられる配達屋は強くなくてはならない。なぜなら時に、最近裏で開発されたらしい『命あるもの探知機』か何かで荷を探知され、追っ手がつくこともあるからだ。

 うまくまいてやりすごすか、戦ってやりすごすか。どちらもこの2人のタッグは経験済みだ。そして未だに、荷を奪われたことはない。その証がキセキが頭に巻いている、青いバンダナだ。これは配達屋となって最初に与えられる、本社に限らず世界の配達屋共通のもので、荷を奪われたりして紛失するなどの失態を演じたとき、このバンダナは剥奪される。これを守っていられるということは、配達屋の誇りなのだ。

「これをミキシカン海岸沿いの古い屋敷まで届けてほしい。この屋敷は一種の『命あるもの』保管倉庫なんだ」

「……ということは国の建物?」

「ああ、そうなる。お前はサングラスかけたまま応対したほうがいいだろうな。相手もお偉いさんだろうが配達屋にそこまでとやかく言わんだろ」

 ふむ、と頷くキセキ。確かに彼女が国の役員と顔を合わせるのはまずいのだ。

「あ、保管庫ってことは尾行されたら命取りですね」

 ジンが言う。

「ああそうだ。ほかのものも危険にさらされるからな。結構きついが、頑張ってくれよ?」

 そういう親父さんはいつになく真剣な顔だ。

「もちろん。プロですから」

 そう笑顔で、キセキは返した。

 

 

 

 青く光るボディのバイク、のような外見の生き物『機獣』の側面に、キセキは手際よくジンの荷物を掛けた。

「ジンの荷物これだけ? 少ないわねー」

 その荷物の薄っぺらさに驚くキセキ。無理はない。1週間の荷物がこれだけで済むはずがないのだ。たとえ洗濯したりして着まわすにしても、だ。

「あ、僕ほとんど子犬の姿でいるつもりですから。もう変わりますよ」

 と言った途端、背丈のある青年の姿は消え、その姿があった場所に黒い子犬が座っていた。

「まあそのほうが楽よね」

 そう言ってキセキは子犬を抱えて、機獣・レオの前部に備え付けてあるポケットに入れた。これがいつものスタイルなのだ。

「じゃ、行きますか」

 エンジン音を響かせて、青い獅子は颯爽と駆けていった。

 

 

 

 見知った街を抜け、見知らぬ道を行く。ずっと走ったままなのはやはり疲れるといえば疲れるが、もともと彼女は走るのが好きだし、それにレオは機獣で、そんじょそこらの機獣の真似ごとのバイクとは比べ物にならないくらい乗り心地がいいのだ。

「次の街で休憩ですか、キセキさん」

 ポケットから顔を出して風に毛をなびかせる子犬が尋ねる。

「そうね、アプリコット市でお昼にしましょう」

 キセキがそう言うと、何の前触れもなくバイクが加速した。

「うわぁっ」

 子犬は吹っ飛びそうになってポケットに急いで潜る。

「ちょっとレオ! お腹減ってんの?」

 ピカピカとヘッドライトが光る。たまにこんな気まぐれがあるのが機獣の難点なのだが。

 

 

 

 ペペロン市より大きな街、アプリコット。街は昼時で、繁華街の通りは賑やかだった。

「むー。でもあんまり賑やかなところはごちゃごちゃややこしいからもうちょっと静かなところ探そうか」

 キセキは青い機獣を押して通りの端を通る。機獣も実は珍しい生き物で、素人の目には分からないが、ちょっとした物好きは一目でそれを見出す。意思があり、自ら動けるレオが奪われることはないだろうが、その後部に積んでいる荷を取られると非常に困る。

 そういうわけで、表に比べると静かな裏の通りに適当なオープンカフェがあったので外の席を陣取り、軽食を取ることにした。レオには持参しているオイルを与える。ジンも子犬の姿のほうが少量でお腹が膨らむといって、そのままキセキが分け与えたピラフをもしゃもしゃ食べていた。

(うーん、なんとも変な光景……)

 食後のコーヒーをすすりながら、キセキは一見すると妙なお供たちをじっと見ていた。ふとレオに積んでいる荷のほうを見る。

(そういえば今回の配達物は何なのかしら)

 中身は開けて見ることは出来ない。だが開けずとも、彼女にはそれを見ることが出来た。サングラス越しに、じっと目を凝らして、後部に置いた荷物ボックスの白い箱を見る。

 目に力を入れる。

 白い箱の中にもう1つの立方体。

 瞬きも忘れる。

 その立方体の中には、丸い、いや、完全な球ではないなにかが見える。

(上部が丸くて、下部が細い……………って)

「!?」

 驚いてサングラスを外す。もう1度荷物ボックスを凝視する。今度はさほど力を入れずとも簡単にその姿を捉えることができた。

「ぎゃあああ!?」

 急に叫んで席を立ったキセキに、中にいた女性店員が驚いて窓越しに尋ねてきた。

「お客様、いかがなさいましたか?」

「あ、え、いやちょっと蜂が。すみません、はは」

 とっさに嘘っぽい笑いを入れてキセキは言いつくろった。

 ところでこの時、店員は別のことに驚いていた。外の席に座る女性客が、サングラスをはずしているという変化にはすぐに気付いたのだが、その瞳が、人間の目の色とは思えないような、不思議で魅力的な色だったのだ。

 蒼。

 青い目の色の人はざらにいる。ただあの蒼は、どの人の青とも違う。

 たとえるならば空の蒼。

 見ようによっては薄く、淡く、それでいてとても濃い色に見えるのだ。

 しばらく見惚れてしまったことに気付いて、店員は赤くなって勢いよく頭を下げる。

「しっ、失礼しました!」

 駆け足で去っていく店員をキセキは首をかしげながら見送った。

「なんで謝るのかな」

 ジンに尋ねる。ジンにはなんとなく分かった。店員は彼女の瞳に目を奪われていたのだということを。

「そういえばキセキさんこそ何ですか? いきなり変な声出して」

 それで思い出したキセキは

「そうよ! ちょっとジン、今回の荷物! 中身は髑髏よ!!!」

 そうまくし立てた。

「髑髏ぉ?」

 子犬の顔でも、明らかに信じていない、という表情が見て取れる。

「ほんとだって! あの形は絶対そうよ! 頭蓋骨よーーー!」

「形はそうかもしれませんが本物の骨のはずないでしょう。『命あるもの』なんですから」

 最後のあたりはこそっと声を潜めてジンが言う。

「あー、でも形がそれってちょっと悪趣味よ。でも確かに、そうよね。これが本物の骨だったら『命あるもの』じゃなくて、ただの怨念がこもった恨みの品になっちゃうもんねー……」

 そう納得したのかキセキも小さな声でそう言った。

 

 だが、キセキの勘は少しだけ当たることになる。まだこの時の2人が知る由もなかったが。

 

 

 

 今回は特に配達の期限が決まっているわけではなく、急ぐ必要もないのだが、こんななものを運んでいるというだけでも気が重いので、一行は昼食を終えたあとすぐにアプリコットを出た。まあ、無駄な寄り道を仕事中にするほど愚かではない。

 整備された、灰色のアスファルトの上を延々と走る。両端が塀で覆われているため景色が全く見えない。これは、正直言ってつまらない。

「この辺は都会ですからねー。もっと西に行くと面白いものがありますよ、きっと」

 キセキの心中を悟ってか、ジンが言った。

「そう信じたいわねー。あー、やっぱ自分の縄張りが1番走りやすいっていうか。この辺じゃ勝手がよく分かんないのよ。交通ルール違うのかなあ」

「は?」

「あれ、なんだと思う?」

 そう言ってキセキが見ているのは反対車線のほうだった。反対車線なのだから、自分達とは逆を走るものだと思うのだが、明らかにあの黒いスポーツカーは我々と同じ進行方向を走っている。

「……明らかに違反してますよね?」

 ジンはポケットから顔を出してじっとその車を見つめる。黒いスポーツカーは、違反しているにも関わらず、我が物顔で横暴に走っている。幸い反対車線の車通りは少なく、事故を起こしそうな気配は当分ないが。

「やだ、ちょっとこっち見てたりしてないわよね? もういやよ、公共の道路でデッドヒートするの」

 そう言う彼女は既に何度かそれを経験している。

 というより、この仕事をしていて何事もなく荷物を届けられたことはほとんどない。十回中八回は危ない目に遭うのだ。

 そんな時、天の助けのようにパトカーのサイレンが聞こえてきた。だんだん近づいてくる。

「はー、誰かが通報してくれたみたいね。早く止めちゃってほしいわ」

 ついにミニパトが反対車線に現れた。

「そこの黒い車! 止まりなさい! 直ちに!」

 まだ若い警官が叫んでいるようだ。だが例の車は全く止まる兆しがない。

「ちょっと何やってんのかしらねー、この国じゃ警察は神様よー」

「もと警官がそう言いますか。でも大人しく捕まってほしいですねえ。これじゃ、とばっちりを受けかねない」

 ジンの言うとおり、まだスポーツカーは自分達と同じような速度で、並ぶように走っている。

「止まりなさい! 応援も来るぞ!」

 警官のほうも焦ってきたようだ。が、警官が次の言葉を言い始める前に黒いスポーツカーはこっちの車線に割り込んできた。

「うわあっ! ちょっと何よもう!」

 ちょうどキセキ達の前方に割り込んだのだ。

「でもこれで違反じゃなくなりましたよ?」

「のんきに言ってる場合か! 迷惑よこれじゃ! 一発文句言ってやるわ!」

「は?」

 ジンが何か意見しようとする前に、バイクは加速して、スポーツカーに並んだ。

(自分からデッドヒートしかけてるじゃないですか!?)

 並んでキセキは隣の車の中を見る。サイドウィンドウが黒いフィルターで覆われていて中の様子が覗けないようになっていた。

 だが彼女になら見える。鬱陶しいのでサングラスを再び外した。

 そして凝視するその先には。

 白い仮面をかぶった人物。その異様な様子とは裏腹に、妙なほど普通に運転している。そんな人物がふと、こちらを向いた。その仮面は、笑ったピエロのような顔をした、なんとも珍妙な、それでいて不気味な表情を浮かべている。

「ぎゃあああ!」

 キセキは本日2度目の叫びを上げる。

「な、キセキさん!? なんですかまた!」

 驚いてこっちを振り返るジン。

「何ってあの運転手、変態よ絶対! 仮面かぶってるわよピエロみたいな!!!」

 半分泣きかけのキセキに呆気に取られたジンは

「……キセキさん、前から思ってたんですけど、幽霊とかそういったオカルトな話、苦手ですか?」

 と冷静に尋ねてくる。

「あんたのその変な落ち着きようがなんかいっつも気に食わないわ!!! ああそうよ! 私は昔肝試しで……ああ思い出したくもない!! つーか関わらないほうがいいわ! さっさと逃げてやる!!」

 アクセルを全開にしてスポーツカーを追い抜いた。

「ちょっとキセキさん!? まだパトカーいるんですから速度違反にならない程度に飛ばしてくださいよ!?」

 ジンが飛ばされないようにポケットの端にしがみつく。

「はん!! サツがなんだっていうのよ! ミニパトごときでレオに追いつくなんて無理無理!! はははは」

「さっきまで『この国じゃ警察は神様』って言ってたのはどこの誰ですかーーーー!!」

 警察の目にも留まらぬ速さで、青い機獣は彼方へ走り去った。

 

 

 

 少し暗くなってから、シモンヌ市にたどり着いた。案外、今日1日で随分走ったことになる。

 あの仮面男を見てからものすごいスピードで走ったのだ。不思議ではない。

 もともとシモンヌは宿場町で、旅館が多い。

 そんなわけで、温泉宿で1泊することになった。

 レオは駐車場。荷物はもちろんキセキが部屋で管理するのだが。

「はあ……なんだって髑髏君と一緒に……はあ……」

 よほど『荷物が髑髏』なことが気に入らないのだろう、部屋に行くまで何度もキセキは溜め息をついた。

「なんなら僕が預かりましょうか?」

 青年の姿になったジンはそう言ってくれたが、一応この役はバンダナを締めるキセキに任されている。荷物の形が怖いからといって簡単に投げ出すのはよくない。

「いや、いいわ。ありがと、ジン。厚意だけは受け取っておくわ」

 と、彼女の暗い表情だったのは部屋に着くまでで、宿泊する部屋に入った途端彼女は急に元気になった。

「うわあ! なんか素敵! 窓広ーい! 畳もいいわよねー、たまには」

「わあ」

 ジンも感嘆の声を上げる。

 この旅館は最近の都会ではめったに見ない、畳の部屋で、明かりやら床の間やら、何もかもがジンにとっては新鮮だった。

 しかしキセキにとってもそれは同じことだった。彼女は都会での生活が長いので、こういう造りの部屋は妙に懐かしい。

 はしゃぐ少女のように彼女は窓際へ行って外を眺めた。この宿は丘の上にあって、見晴らしがいい。シモンヌ市がよく見渡せる。山に囲まれた、すこし田舎っぽい街ではあるが、夜空の綺麗な良い街だ。

 少しばかりと彼女の部屋に上がったジンも、彼女に負けず劣らず、好奇心を隠せないでいた。じっと座布団を眺めてから座り込み、畳を撫でている。

「あーそっかー。ジンって畳見るのも初めて?」

「タタミ……ですか。変わった床ですね。でもなんだか落ち着く感じが……」

 今日1日走りっぱなしで疲れているのか、ジンの目元は眠そうだ。

「ジン、お茶飲む?」

 キセキが部屋の隅のポットの横に置いてある籠の中から昆布茶のパックを取り出す。

「あれ、それ使っちゃっていいんですか?」

「こういう旅館で備え付けてあるやつは自由に使っていいのよ。そうね、余ったらもらって帰りましょ」

 

 お茶を飲んでから、何をする気も起こらないので風呂へ行くことになった。

「どっちかがこの髑髏君見てないといけないから先入ってきていいわよ、ジン」

 キセキがそう言うと

「え、いいんですか? じゃあお言葉に甘えて……ところでロテン風呂って、普通のお風呂と何が違うんですか?」

 ジンはそう尋ねてきた。

 ああ、とキセキは考え込む。

(ジンってば大衆浴場は初めてかー)

「外にあってね、広いのよ、普通のより。まあ入ってみれば分かるわよ。あ、タオルは湯船に浸けちゃ駄目よ? あと……」

 正直キセキはジンのことが気にかかるのだが、まさか一緒に行ってやることもできないので、浴衣の着方と、出来る限りの忠告をした。大衆浴場にはいろいろなルールがあるのだ。

 彼の背中を見送りながら、ふとキセキはひとりでに笑ってしまった。

(まるで母親みたいね。……母親なんか知らないのに)

 

 自分の部屋に備え付けてあった浴衣と、持参のバスセットを持ってジンは男湯の暖簾をくぐる。独特の、硫黄の臭いが鼻をつく。それに慣れるのにしばらくかかったが、脱衣所には彼以外誰もいなかったため、しばらくぼけっと突っ立ている彼を不審に思う者はいなかった。

 まず平日だから、といのもあって客も少ないのだろう。荷物置き場を見渡した限り、今風呂に入っているのはジンのほかに1人だけのようだった。

 がらりと戸を開けると、白い湯煙。少し肌寒い気温。

 なるほど、なかなか風情がある、と彼は思った。

 キセキに言われたとおり、シャワー室のほうで先に体と髪を洗ってから、タオルを浸さないように湯船につかる。

「ふう」

 お湯は熱いがこれもなかなかいい。外を見ると、風情ある竹垣で囲われている。それも今日の道路の塀のように高くはなく、さらにその外を見渡すにはちょうど良い高さだ。外は暗いが、自然に囲まれた静けさを感じることが出来る。明日の朝早く起きて、もう1度入ってじっくり景色を眺めるのも良さそうだ。

 しばらくして、ふとと思った。

 確か先客が1人いるはずだ。だが湯船にもシャワーのほうにもいない。まさか沈んで……はいなかった。

 見回すと、彼から見て左側の塀に擦り寄っている人影があった。

(……何してるんだろう……)

 壁に何かあるのだろうか。気になったので声を掛けてみた。

「あのー、どうかしました?」

 びくっと肩を震わせて、その男はこちらを見た。

「っ!?」

 今度はジンが驚くほうだった。

 振り返ったその男が、ピエロのような白い仮面をかぶっていたからだ。

「あ、あ、あ、あなたは黒いスポーツカーの……」

 意識せずともどもってしまった。すると

「あ、いやいや怖がらないでくれたまえ青年よ、理由あってこの仮面、はずせんのだよ」

 そんな言葉が返ってきた。案外落ち着いた、上品な声だ。声から判断するにはなかなか難しいが、そこまで若くもなく、年でもない声だった。

「は、はあ……。え、と、そこで何を?」

 相手が仮面を付けているというほかは普通であることに少し安堵して、ジンは最初の問いを繰り返してみる。

「む。青年、それを聞くのは野暮というものだろう」

 男はそう言って、ウインク……したのかは仮面で隠れて見えないが、近しい人にこういう人がいるよなー、とジンは思い、考えを巡らせてみる。

 ここのすぐ左隣は、確か……

 女性用の風呂だ。

(こ、この人犯罪者ですキセキさん!!!)

「覗きは駄目ですよ! 仮面のおじさん!!」

 ジンががばっと身を起こして怒って叫んだ。

「し、しーーーっ! 聞こえてしまうではないか青年!」

 人差し指を口元に当てて慌てる仮面の男。

「駄目ですってば! キセキさんに言いつけられてるんです!! 女湯を覗こうとしてる無粋な人がいたら容赦なくやってしまえ、って!!」

 と本気で殴りこみに出そうなジンを見てしり込みしたのか、男は降参したように

「わ、分かったから! 見ません、覗きません! 大人しく湯船に戻るから! 暴力反対!」

 と言って、湯船に入ってきた。

 

 ……変な気分だった。仮面の男と肩を並べて湯船に浸かるのは。

「青年、せっかくこの広い世界で、こうも偶然に巡り会い、同じ湯に浸かっているのだ。何か話をせんかね?」

 突然、男がきりだした。

「はあ、構いませんが」

 実のところ、ジンとしてはさっさと上がってしまいたかったのだが、この男がこの湯を去るのを見届けておかないと、安心してキセキとバトンタッチができそうにないのも確かだった。

「うむ。さっき言っていたキセキさん、とは誰かね? これか?」

 男は小指を立てていきなりそういうことを尋ねてくる。その意味くらいジンも知っている。というのは、向かいの部屋のアレンがよく使うのだ。

(この人アレンさんの血縁の人だったらどうしよう)

 そんなことを思いながらも

「違いますよ。仕事でお手伝いさせてもらってるんです」

 今日のジンはいつものように取り乱したりはしなかった。このときばかりはアレンに少し感謝する。彼のおかげで少し耐性が出来たようだ。

「ふうん、そうか。ところで君、私が今日黒いスポーツカーに乗っていたことをなぜ知っているんだ? 私の車のサイドはこの仮面のため、人を驚かせないよう黒く覆ってあるのだが」

 それを訊かれてジンははっとする。

 まさか彼女があの『蒼天の瞳』で黒いガラスを透視した、なんてことは口が裂けても言えないのだ。

「あ、偶然あの道路、僕達も走ってて、フロントから見えたんですよ」

 とっさにジンは嘘をついてみた。フロントガラスは普通のものだったはずだ。

「む、そうか。なんとも奇遇だな。同じ道を走り、同じ宿へたどり着いたか」

 話が逸れたことにほっとしつつ、ジンは尋ね返す。

「ていうかどうしてあんな無茶な運転してたんですか? 反対車線を走るなんて」

「ああ、あれはだな、間違えたのだよ、本当に。はは。慣れない道は困る困る。まあよいではないか、はは」

 いや、よくないだろう、とジンは呆れつつ、結局彼が警察をまいて逃げおおせていることに気がついて

(無理を通しきるあたり、この人案外キセキさんと気が合うかもしれないなあ)

 そんなことを思っていた。

「して、君達はどこから来たのだ?」

 やっと普通の会話になる。

「ペペロンから。あなたは?」

「私はカモミールからだ。ふむ、私のほうが長旅をしているようだな。君たちはどこへ向かう?」

 ジンとしては言っていいのかよく分からなかったので

「えーと、さらに西へ」

 と、答えを曖昧にしておいた。

「おお! 私と同じではないか!! どうだね一緒に行かんかね!?」

 仮面の男の声は、特に企みがあってのことではなく、ただ目指す方向が一緒なのを素直に喜んでいるもののようだった。

「え、あー、いや、僕の判断ではなんとも……それに僕達バイクに乗ってて、車にはついていけませんし」

 と、口では言ってみたものの、機獣のレオが車の速度に引けを取らないことも、キセキならば絶対に拒否するだろうことも、ジンには分かっていた。

「むう、そうか。残念だな。まあ方向が一緒ならばまた会うかもしれん。そのときはまた、話をしようぞ」

 しかしこれといって気を害した風でもなく、仮面の男は風呂場から去っていった。

 ジンはほう、と安堵の溜め息をつく。

 そ れから彼も湯から上がろうとして、くらりと目眩がした。

(う、これは湯あたり…………)

 

 顔色を悪くして帰ってきたジンを看てやったため、キセキが風呂へ行くのは夕食の後にお預けとなった。


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