ハルを巡る物語3《思わぬ所に名探偵》
ハルと夕食を共にすべく、帰宅した奈美。
今日に限って、そこに同行者の姿があって……。
ハルが攫われた日の夕方。
「ふんふふ~ん♪」
「ご機嫌ね、奈美」
鼻歌を歌うほど機嫌の良い奈美と、秋乃がアパートに向かって歩いていた。
普段寮暮らしである秋乃が、奈美と一緒に居るのは珍しい。
「だって、遂に本当の闇鍋が食べられるんだもん。もう楽しみで」
「……まあ、喜んで貰えるなら良いけどね」
「きっと長靴とか、空き缶とか入ってるのね。ん~燃えてきたわ」
「一応言って置くけど、今回は初心者用。全部食べられる食材だから」
暴走一歩手前の奈美を、秋乃は冷静な口調で戒める。
先日、ハルと鍋料理を食べた奈美は、すっかり鍋の虜になっていた。
水炊きから始まり、キムチやすき焼きなど一通り制覇したのだが、何かが足りなかった。
そう、以前大惨事を引き起こした闇鍋だ。
食べたいと駄々をこねる奈美に、ハルが出した条件は、
「材料を全部秋乃と一緒に買え。それならやってもいい」
と言う極めて安全なものだった。
そこで奈美は、早速秋乃に事の次第を話した。
秋乃は快諾したが、自分も参加することを条件に出したのだ。
品行方正、成績優秀の秋乃にとって、門限の例外申請など朝飯前。
三人の都合を合わせた結果、本日夜に闇鍋が行われる運びとなった。
二人は夕暮れの道を進み、アパートまで辿り着く。
「……ねえ奈美、お兄ちゃんには言ってあるのよね?」
「勿論よ。準備しておくって言ってたわ」
「でも、居ないみたいよ?」
秋乃は視線をアパート二階に向ける。
大分暗くなってきたというのに、二階にある全ての部屋は明かりがついていなかった。
「ありゃホントね。何か買い物にでも行ってるんじゃない?」
「……かもね」
両手にスーパーの袋を持ったまま、考えていても仕方がない。
奈美と秋乃はひとまず、ハルの部屋へと向かった。
そして、ドアの前で動きを止める。
「何よこれ」
「…………」
『急用が出来た。悪いが三日ほど留守にする』
一行だけの簡潔なメモが、ハルのドアに貼られていた。
「秋乃、何か聞いてる?」
「……何も。奈美は……って私に聞くって事は同じよね」
互いに連絡が無かったことを確認する。
「もぉ~ハルめ~。ドタキャンなんて良い度胸してるじゃない。帰ってきたら……」
袋を下に置き、指をパキポキと鳴らす奈美。
楽しみにしていた鍋がお預けとなり、より一層怒りに拍車が掛かったようだ。
秋乃にもその気持ちは分かるし、普段なら止めることもないのだが、
「……変ね」
奇妙な違和感を感じて、小さく呟いた。
「何が変なのよ?」
「教授のお付きで出張、例えば学会の手伝いなんかで遠くに出かける事はあると思うわ」
「まあね。それで?」
「でも、約束していた私達に一言も無く、と言うのはちょっと変じゃない?」
「ん~言われてみると確かに。ハルってそう言うとこ細かいし」
ルーズな奈美と違い、ハルは約束事などの取り決めに煩い方だ。
時間に遅れるときなど、必ず一報入れる。
「それだけ急いでたんじゃない?」
「メモを書く時間があれば、メールを送ること位出来るわよ」
「そりゃそうね。じゃあ何で連絡くれなかったかな?」
「携帯が壊れていた可能性が高いけど……」
秋乃は少し思考を巡らせる。
「中に入れないかしら」
「あ、それは平気。えっと、たしか……」
ゴソゴソと、奈美は鞄を漁り、
「じゃじゃ~ん。ハルの部屋の合い鍵~」
某猫型ロボットのように、高らかに鍵を掲げた。
「これで中に入れるわよ♪」
「……ねえ、どうして合い鍵なんて持ってるのかしら?」
「え……」
「ひょっとして、二人はそう言う関係? ふ、ふふ、まさか私の知らない間に……」
「ち、違うってば。これはハルが」
「お兄ちゃんからアプローチしたのね。妹の友人に手を出すなんて……少しお灸を据えなくちゃ」
「だから違うって。話を聞いて!」
危険な光を瞳に宿す秋乃に、奈美は必死に弁明する。
自分の部屋でテレビが見れないため、ハルのテレビを借りていること。
依頼で不在の時の為、合い鍵を作ってもらったと。
「そう言う訳だから、決して秋乃が言うような……ふしだらな事なんて無いの!」
「ふふ、勿論分かってるわ。ちょっとからかっただけよ♪」
絶対嘘だ。
奈美は目だけ笑っていない秋乃を見て、心底そう思った。
何はともあれ、二人は合い鍵を使ってハルの部屋に入った。
室内は暗く、主が不在であることを示している。
ひとまず荷物を置いて室内に上がり込むが、当然ハルの姿は無い。
「やっぱり居ないみたいね」
「……パソコン?」
秋乃はちゃぶ台に置かれていた、パソコンに目を留める。
「何でも友達から安く買ったって言ってたわよ」
奈美の言葉を聞きながら、秋乃は開いたままのノートパソコンのキーを押す。
すると、低いうなりと共に画面が映し出された。
「秋乃、勝手に弄ったら怒られるわよ?」
「…………」
「ちょっとどうしたのよ、怖い顔してる」
秋乃は答えず、部屋のあちこちを調べる。
十分ほど経った時、
「……気のせいみたい。今日は諦めましょう」
そう言って、奈美の手を引き強引に部屋の外へと連れ出した。
二階の廊下に出て、ドアを閉めた所で奈美は秋乃に問いただす。
「で、一体何なの?」
「ごめんね。でもあの部屋、盗聴されてる可能性があったから」
「盗聴って、あのドラマとかで出てくるやつ?」
「ええ。確証は無いけど、一応用心でね」
秋乃の真剣な表情に、奈美はそれが冗談でないことを察する。
「何か分かったの?」
「お兄ちゃん……何か事件に巻き込まれた可能性があるわ」
思わず奈美は息を飲む。
「まず引っかかったのはパソコン。三日も留守にするのに、作業途中でスタンバイモードだった」
「変なの?」
「元々少しの時間、作業から離れるときに使うモードなの。三日も離れるなら、電源切るはずよ」
奈美は良く理解できないのか、首を傾げている。
「次は洗濯物。籠の中に入っていた物が、全部湿っていたわ」
「選択前だったんじゃ無いの?」
「それにしては、湿りすぎてた。あれは干している途中で取り込んだ感じよ」
「今日はよく晴れてたし、確かに変ね」
秋乃の言葉に奈美も頷く。
「そして、さっきからお兄ちゃんの携帯に電話を掛けてるんだけど、一向に繋がらない」
「電源切ってるんじゃない?」
「それだけならね。でも、全部の違和感を合わせると、ある可能性が浮かんでくるの」
「それは?」
秋乃は少しだけ躊躇したが、自分の考えを告げる。
「お兄ちゃん……誘拐、あるいは拉致されたのかもしれない」
「ゆ、誘拐~~!!」
「あくまで可能性だけど、そう考えると辻褄が合うわ」
秋乃は努めて冷静に続ける。
「私の考える筋書きはこう」
まず犯人は、部屋に居たお兄ちゃんを捕らえる。
そして、不自然にならないように、干していた洗濯物を籠に放り込む。
何時も夕食を一緒に食べる貴方が不審がらないよう、メモを残す。
そうすれば、このアパートには他に人は居ないし、ハピネスもお休み中。
大学は高校と違って、欠席に煩くないから、そっちは問題ないわ
「メモに三日と書いてある以上、少なくともその間は怪しまれないと思うわ」
「そ、そんなドラマみたいな事、現実に有り得るの?」
「確証は無いわ。でも、もし万が一そうなら……」
少なくとも、ハルの身が危険なのは間違いない。
「それじゃ警察に……」
「この程度の話じゃ、鼻で笑われるのがオチね。警察は証拠がないと動きにくいし」
「どうしよう、どうすればいいの」
「……こう言うときこそ、ハピネスの人に頼れれば良いのだけど」
とある事情で、現在活動休止中と既に聞いている。
依頼をすることは出来ない。
「これを狙ってた? だとすれば、相当計画的な犯行……」
呟きながら思考を続ける秋乃。
だが答えは出ない。
自分の手札の中で、この事態を打開する術は無かった。
そんな時、
「ねえ秋乃。千景さんの所に行こう」
奈美が不意に言いだした。
「千景さんって、ハピネスの所長さんよね。でも依頼は出来ないし」
「依頼じゃ無くてお願いするの」
「えっ?」
「家族が誘拐されたとき、秋乃は両親に依頼する?」
「それはしないけど……」
「ハルはハピネスの仲間よ。きっと力になってくれるはず」
予想外の言葉に、呆然とする秋乃。
奈美は早速千景に電話を掛ける。
「大丈夫よ、千景さんならきっと……」
祈るように呟く。
そして、通話が繋がった。
完璧に思えた黒田の計画。
それが秋乃の登場で、少し狂ってきました。
秋乃の事は当然知っていましたが、寮暮らしと言うこともあり、ほとんど警戒していません。
文面で表現していませんが、闇鍋をやることに決めたのは、当日の朝です。
ハルが「アレ」と言っていたのは、闇鍋の事でした。
黒田にとって、本当に予想外です。
ハピネスに気づかれない事を前提にした計画。
それが崩れてしまった。
果たして物語は、どの様な展開を見せるのか。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。