俺があいつであいつが俺で?(2)
ハルと奈美が入れ替わって、早一日。
早くもハルはグロッキー。
そんな彼に、更なる試練が訪れようとしていた……。
正直、甘く見ていた。
身体が入れ替わった程度、難なく乗り越えられると思っていた。
事実、相手が同性であったのなら、ここまで困らなかっただろう。
だが現実は厳しい。
女性である奈美の身体を持ったハルは、絶望的な状況に追い込まれていた。
入れ替わり翌日。
ハピネス事務所に呼び出されたハルは、傍目にも分かるほど疲れ果てていた。
「こんにちわ……」
「来ましたねって……随分お疲れの様ですけど」
「ははは……正直もう限界です」
日常生活を一日足らず送っただけで、ハルは根をあげた。
しかし、誰が彼を責めることが出来よう。
お風呂やトイレ、着替えと言った行為がどれほどハルを蝕んだか。
ハルが受けた精神的ダメージは計り知れない。
「不謹慎ですけど、意識のない奈美が羨ましくなります」
「……そんなハル君に伝えるのは、少々酷かもしれませんが……一つお願いが」
「もう何でも来いです」
「では遠慮無く。明日から学校に行って下さい」
「……は?」
思わず聞き返してしまう。
「学校って……大学じゃ無いですよね?」
「貴方は今奈美でしょ。だったら当然、白百合女子高校に決まってます」
「絶対嫌です!」
日常生活だけでも、もう参っているのだ。
女子高に通うなど冗談じゃない。
「俺はこれ以上、男としての尊厳を失いたくありません」
「ですが、奈美を欠席させるわけにも行かないですよ?」
「病欠なりなんなり、理由つけて休めるでしょうが」
「……まあ普通はそうですが……あの子の場合、普段が普段でして」
千景はハルに、奈美の通知票を見せる。
見事にロースコアが並ぶそれに、ハルは思わず顔を引きつらせる。
「これは酷い……」
「そして、こっちを見て下さい」
「……欠席無し……早退一……遅刻…………へっ?」
「時間にルーズですから」
諦めたように千景は告げる。
実に出席の半分が遅刻という、アホの所行をやってのけていたのだ。
「これ相当やばいんじゃ」
「ええ。成績と素行の合わせ技一本、留年や退学の可能性もあります」
「……あの馬鹿」
これからは、朝起こしてやろうと固く心に誓った。
「まあそう言うわけで、どんな理由でも欠席するのは不味いのです」
「自業自得ですけどね」
「最終的な判断はハル君に任せますが……どうします?」
ハルは目を閉じ、暫し思考を巡らせる。
数分間考え、結論を出す。
「……やります」
「良いんですね?」
「あいつの泣き顔は見たくないですから」
「……わかりました。装置完成まではこちらに顔を出す必要はありません。そちらに専念を」
頷き事務所を立ち去ろうとしたハルに、千景は一冊のファイルを手渡す。
「これは?」
「あの子のデータです。学校での交友関係やクラスの座席等、参考にして下さい」
「助かります。でもどうやってこんな物を?」
「……企業秘密、としておきましょうかね」
クスリと笑う千景。
問い詰めるのは無駄、とハルはお礼だけ言い事務所を後にするのだった。
ドクターの発明が完成するのが先か。
ハルがギブアップするのが先か。
まさに、男の意地を掛けた死闘が始まろうとしていた。
そして、翌日。
抜かりは無いはずだ。
服装も何もかも、奈美の普段通りの筈。
後は、自分の演技力次第。
「……行くか」
ハルは覚悟を決め、白百合女子高校の門をくぐるのだった。
奈美のクラスは1-B。
意を決して、教室のドアを開ける。
「あ、奈美ちゃんおはよう。今日は珍しく早いね」
「お、おはようございます」
「……あれ、身体の調子悪いの?」
「べ、別に普通ですけど」
「だっていつもの奈美ちゃんなら、『はよ~』とか『やっほ~』って言うし」
(あいつは普段どんな挨拶をしてるんだよ!)
お嬢様学校と言うことで意識しすぎた様だ。
ハルは瞬時に誤差を修正する。
「は、はは、ちょっと昨日テレビで見たお嬢様っぽくしてみただけよ」
「そうなんだ」
クラスメイトの女子は、何とか納得してくれたようだ。
ファーストコンタクトから冷や汗ものだった。
(早く、早く座席について……なるべく会話をしないように……)
「あら奈美。今日は早いのね?」
「げぇ、秋乃……」
某三国志の軍師様より怖い相手が現れた。
「何よ、げって。随分なご挨拶ね」
「あ、あはは、ごめんね。ちょっと考え事をしてて、つい」
「……どこか悪いの?」
「別に平気だけど、どうして?」
「だって、奈美が考え事なんて、今まで一度も無かったし」
(読めない、あいつの行動パターンが読めない!)
「ん~そう言えば、何か何時もと雰囲気が違う感じだし……」
「気のせい、そう、気のせいよ」
「……まあ良いわ。それで今日は早いけど、何かあったの?」
ふと壁に掛けられた時計を見る。
朝礼開始五分前。
特別早いわけでは無いと思うが。
「そ、そうかな?」
「だって朝礼開始前に奈美が居るなんて、何ヶ月ぶりじゃない?」
(あいつはぁぁぁ!)
「……気持ちを入れ替えたのよ。ほら、ハルにお説教されちゃって」
「お兄ちゃんに?」
「うん。時間を守れないのは、恥ずかしいことだって」
嘘は言ってない。
これから奈美にそうやって、説教する予定なのだから。
「へぇ~あのお兄ちゃんが」
「意外なの?」
「お兄ちゃん奈美には甘いとこあるから」
(……面目ない)
「でも良い事ね。三日坊主にならなきゃ良いけど」
「……暫くは平気だと思うな」
少なくとも元通りになるまでは。
五分後、女性教師がやってきて朝礼が始まった。
そこで教師はハル……奈美を見て、
「は、早瀬さん!!」
滅茶苦茶驚いた。
「私の時計遅れてたのかしら……」
(先生、ご迷惑お掛けしてます)
「いえ、今日から心を入れ替えて、遅刻を無くそうと決めたんです」
文字通りだが。
教師は暫し固まり、思い切り涙を流す。
「おぉぉ神よ、迷える子羊を導いて下さったのですね……」
そんな大げさな、と笑うことは出来なかった。
何せクラスメイト全員が、うんうんと頷いていたから。
(こりゃ戻った後も、本気で頑張らせなきゃいかんな)
ハルは真剣に思った。
学校生活を送っていると、奈美と言う人物が分かってくる。
まず、授業は殆ど聞いていないと言うことだ。
「は、早瀬……どうしたの、授業を聞いたりして」
先生、問題発言ですよ。
「はい、実は心を(以下略)」
「う、うぅぅぅ、先生は嬉しい……」
国語の教師は涙を堪えきれなかった。
「では早瀬さん。この問題を解いてみて下さい」
「はい」
数学の教師に促され、ハルは黒板の前に歩み寄る。
「は、早瀬さん……一体どうして?」
「???」
「いつもなら、分かりません、と言って挑もうともしないのに……」
(……ご迷惑お掛けしてます)
「実は(以下略)」
「…………ぐすん……いけませんね、歳をとると涙もろくて」
眼鏡を外し、ハンカチで涙を拭う教師。
「ここの英文を……じゃあ早瀬に訳して貰おうか」
「はい。トムは――――」
ハルは指定された教科書の英文を、訳して告げた。
特別得意ではないが、それでも高校一年レベルの英語なら問題なく訳せる。
訳を終えて座ろうとして、
「「早瀬(奈美ちゃん)が壊れた!!」」
教師とクラスメイト達に叫ばれた。
「どどど、どうしたんだ早瀬。何か変な物でも食べたのか?」
「奈美ちゃんが英語を喋った……」
「日本語以外は認めないって、今まで一度も和訳しなかった奈美ちゃんが」
「言語を日本語だけにするって息巻いてた早瀬さんが」
「一億人と会話できるから、日本語だけで充分って言ってた奈美が……」
(奈美ぃぃぃぃぃ!!)
信じられない物を見た、とクラス中の視線がハルに集まる。
(不味い……奈美の行動は俺の予想を遙かに超えてた)
言い訳を必死に頭の中で考え、最善な物を選び取る。
「実は家庭教師がついて……少し喋れるようになったのよ」
「お前に英語をやる気にさせたお方……是非お会いしたいものだ」
「は、ははは、まあ機会があったら」
色々あったが、どうにか昼休みまで乗り切った。
「はぁ~疲れた」
「じぃぃぃぃぃ」
「……どうしたの秋乃?」
「やっぱり変ね。貴方本当に奈美?」
鋭いぞマイシスター。
「い、嫌ね、決まってるじゃない」
「む~~~」
「大体、違うって言うなら、私は誰なのよ」
「ん~~、奈美であり奈美じゃない、って感じなのよね」
鋭すぎるぞマイシスター。
「ほ、ほら、お昼にしましょうよ」
疑いの眼差しを向ける秋乃に、ハルは話題を強引に変える。
鞄から弁当箱を取りだし、机の上にのっけた。
「……お弁当?」
「え、ええ」
「それ手作りよね? 奈美が作ったの?」
「…………ハルが作ってくれたの」
嘘は言ってない。
真実でも無いが。
「さ~て、中身は何かな~」
パカリと弁当箱の蓋を開ける。
まあ作った本人なので、当然知っているわけだが。
「うわぁ、美味しそうだわ」
「……確かにお兄ちゃんのお弁当ね」
「見た目で分かるの?」
「おかずの盛りつけとかは、結構癖が出るから」
(その癖を何故知って居るんだ、秋乃よ)
「だから言ったじゃない。ハルが作ったって」
「……そうね。ごめん、変に勘ぐっちゃって」
「気にしてないわよ。さ、食べましょ」
結局昼休みも、一時だって気が休まる事は無かった。
午後の授業も、大体午前と同じ感じだ。
普段どれだけ奈美が好き勝手やっていたのか、充分思い知らされた。
一日の授業が終わり、帰り支度をしながらハルは、
(……あいつの将来のためにも、今の内に矯正しておかなきゃ)
まるで親のような決心を固めた。
「ねえ奈美、ちょっと付き合ってくれない?」
「あ、ごめん。今日これからバイトが……」
「時間は取らせないから、こっち来て」
秋乃は有無言わさず、ハルの手を引っ張り、屋上へと移動した。
「一体どうしたのよ、随分強引じゃない」
「…………」
「秋乃?」
「ここの会話が誰かに聞かれる事はないわ。だから、もう良いでしょ……お兄ちゃん」
(!!!!!)
思いがけない言葉に、ハルは動揺を抑えるのに必死だった。
「ふぅ、やっぱりね」
「な、何を言ってるのよ」
「あのね、結構バレバレだったよ」
秋乃の言葉に、ハルは動揺しながらも反論を考える。
「じょ、冗談は止めてよ。どう見ても私は私じゃない」
「……身体はね。だとすると……心が入れ替わったとか、そんな感じかな」
(何処まで鋭いんだマイシスターよ)
「今日は最初から様子がおかしかったしね」
「だからそれは、心を入れ替えて……」
「そこは流石お兄ちゃんね。嘘は言ってないんだもん」
全て見切った、と言わんばかりに秋乃は小さく笑う。
「細かな仕草や癖、立ち方歩き方食べ方、全部お兄ちゃんそのもの」
「……い、一緒にいたから、移ったのかもしれないわ」
「そして決定的なのは……お兄ちゃん、奈美は文字を左手で書くのよ」
「なっ、そんな筈は……」
そのハルの反応に、秋乃は満足げに頷く。
やられた。
まんまと、罠に嵌ってしまった。
奈美が右利きなのは知っていた筈なのに。
「まだ何か、反論はある?」
「…………はぁ~」
ハルは両手を上に、降参の意思を示す。
「お前は将来探偵にでもなるつもりか?」
「ふふ、それも悪くないかな。さあお兄ちゃん、話して貰えるわね?」
「……ああ。だけど他言無用で頼む」
秋乃が頷いたのを確認し、ハルは今まで起こったことを説明した。
説明を聞き終えた秋乃は、複雑な表情を見せた。
「何というか……奈美らしい話ね」
「全面的に同意する」
「それで、お兄ちゃんは……お兄ちゃんの身体は平気なの?」
「命は取り留めた。医者の見立てでは、数日中に意識が戻るらしい」
「よかった~」
心底ホッとしたように呟く。
本気で心配してくれたようだ。
「まあ、事情は分かって貰えたと思う」
「えっと、千景さんだっけ。その人の判断は大正解よ」
「やっぱりやばかったのか?」
「うん。一週間も休めば、恐らく留年は確実だと思うわね」
首の皮一枚とはこの事か。
「あいつは……」
「でもこの間のテストは凄い頑張って、いい成績だったの。あんまり怒らないであげて」
「……知ってるよ」
実は仕掛け人の一人ですから。
「まあそんなわけで、元に戻るのは早くても一週間かかるらしい」
「その間はお兄ちゃんが?」
「……不本意ながらな」
不満そうに告げるハルに、秋乃は何故か笑顔を向ける。
「何だよ、随分嬉しそうじゃ無いか」
「だって、その間はお兄ちゃんと一緒に居られるもん♪」
「頼むから人の居るところで呼ぶなよ?」
「任せてよ。こう見えても外面の使い方は上手いんだから」
褒めて良いやら……。
「えへへ、そう言えばお兄ちゃんと一緒の学校に通うの、小学校以来だね」
「お前は中学から私立だったからな」
過保護の父親に、女子中学へ強引に入れられた。
あの時の親子げんかは、今でも思い出せるほど激しかった。
「奈美には悪いけど、折角のチャンス、堪能させて貰うとしましょう」
小悪魔の笑みを浮かべる秋乃に、ハルはただ祈るしか無かった。
妹が、Sじゃありませんように、と。
奈美の学校生活については……ご想像通りだと思います。
皆さんのクラスにも居ませんでしたか?
朝先生と同時に、教室へ飛び込んでくる強者が。
奈美はそのパターンです。そして大抵遅刻にカウントされますが。
早々と秋乃に正体がばれました。
彼女の場合、ハルと奈美両方と親しいので、ある意味仕様がないかと。
ハルに不利益なことを絶対しないので、強力な味方ではありますけどね。
あまり引き延ばすのもあれなので、学校生活はこれで最後。
ハルの名誉のため、どうかご容赦下さい。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。