怪盗との再戦は終わったが……
無事に怪盗コレクトから、宝石を守り抜いたハピネス。
となれば、あれが待っているわけで……。
某日、某寿司屋前。
「ね、ねえ千景。一つ聞きたいんだけど」
「何でしょう?」
「今回はご馳走することに異論は無いの。私から言い出した位だし」
「ええ、珍しく殊勝でしたね」
「でもね、ここは流石にちょっと……」
美園は冷や汗を掻きながら、目の前の寿司屋に視線を向ける。
老舗の高級店。勿論まわらない寿司だ。
「何でも食べたいものを、と言ったのは貴方ですよ?」
「限度があるでしょ! こんな店に入る勇気なんて、ボーナス後しか無いわよ!」
「大丈夫、ここはカードが使えますから」
「鬼ですか、貴方は……」
「怪盗コレクトの魔の手から貴方を助けた天使、と思ってますけども」
にやり、と千景は悪魔の笑みを浮かべる。
大きな借りがある美園は、それに逆らう術を持たない。
「……当分カップ麺生活ですね」
「細かいことは気にしない。さあみんな、入店しますよ~」
「「は~~い♪」」
美園を引きずる千景を先頭に、ハピネス一同は寿司屋へと入っていった。
「いらっしゃい」
店内に入ると、カウンター越しに壮年の男性が低く渋い声を掛けてきた。
「お久しぶりです、店主」
「おう、来たな嬢ちゃん」
「今日はたっぷり堪能させて貰いますね」
「へへ、そう言われちゃ下手なものは出せねえな」
親しげに会話を交わす千景と男性。
「で、その子達が嬢ちゃんのお仲間かい?」
「ええ、私の会社ハピネスの所員です」
「ほ~なかなか面白い連中が揃ってるな。っと、客を立たせたままじゃいけねえ」
店主はハル達に、カウンター席に座るように促した。
今回店にやってきたのは、ハルを始めとする主要メンバーのみ。
全員連れてくると流石に洒落にならないので、千景はやむを得ず自重した。
カウンター席に一同は並んで着席する。
「千景、貴方はここの店主とお知り合いなのですか?」
「……昔少々縁がありまして」
千景はお茶をずずず、と啜りながら事も無げに答える。
「へへへ、まあちょいと昔に世話になった事があってな。それ以来の付き合いだ」
「だったら千景、少しくらいお会計をサービス……」
「する必要はありませんよ、店主。他のお客様と同様に扱って下さい」
「うぅぅ」
僅かに見えた光明が即座に費え、美園はガックリと肩を落とした。
「ではみんな、美樹のご厚意に甘えて、じゃんじゃん注文して下さい」
「あの、出来れば控えめに……」
「だが美園殿。この店は品書きも値段も何処にも無い故、控える事が難しいぞ」
「……タダなの?」
そんな訳なかろうに。
「違いますよ。これは「時価」と言うものです」
「じか?」
「ええ。お寿司と言うのは魚を食材とするので、その日の漁獲量や品質、また季節によっても提供できるお寿司の種類や値段が上下するのです。それを逐一修正するのは大変なので、多くのお寿司屋さんでは時価、として品書きや値段を表記しない事が一般的なのです」
珍しく饒舌な柚子の説明に、ハル達はお~と感嘆の声をあげた。
「へぇ~お嬢ちゃんは小さいのに物知りだな」
「…………店主、日本酒を」
合わせて運転免許証を見せつける柚子。
静かな抗議だ。
「おっと、こりゃ失礼。お詫びに秘蔵の酒を振る舞うから、許してくれい」
「分かって貰えればそれで良いです……ただ、そのお酒は頂きましょう」
「……あれもお勘定に入るのかしら」
開始数分、美園の懐に早くも大打撃が加えられた。
「さ~て、そろそろ握らせて貰おうか。じゃんじゃん注文してくれ」
「み、皆さん……出来るだけ、出来るだけ安価なネタを……」
「……店主、今日一番お薦めのネタは?」
ニヤリと美園に笑いかけた後、千景は店主に尋ねる。
「マグロだな。良いのが入ったんだよ」
「……マグロ、うん、それなら何とか……」
「では私は大トロを」
「ぐふぅ」
美園に五十のダメージ、と言った感じか。
「ねえハル。トロって?」
「ん~マグロの身体で、脂がよくのった部位って言えば分かるか?」
「美味しいの?」
「おいおい嬢ちゃん。うちの店で美味しくない寿司なんて無いぜ。特に今日のトロは絶品だ」
「じゃあ私も大トロ!」
「ごふぅ」
美園に百のダメージ。
「あいよ、大トロお待ち」
店主は千景と奈美の前に大トロを差し出す。
「……ふふ、見事です」
「うわ~美味しい。凄い、こんなの初めて!」
「そうかいそうかい。そんな喜んで貰えると嬉しいね」
グルメリポーター顔負けの奈美のリアクションに、嬉しそうに笑う店主。
それを見てハル達も黙っては居られない。
「店主、俺にもお願いします」
「私にも」
「握って頂こう」
「お願いねぇ」
「ふん、頼むぞ」
「……げふぅ」
畳みかけるような連続攻撃に、美園のライフは零に近づいていった。
何事も最初の一歩が肝心だ。
その意味では、ハピネスの面々は最高のスタートを切ったと言える。
美園にとっては最悪の、だが。
スタートダッシュが決まれば、後は最高速度まで加速するだけ。
もはや彼らは止まらない。
「次はイクラお願い」
「ウニに挑戦してみるか」
「店主、ヒラメを」
「私はカレイにするわぁ」
「う~ん、エビかな」
「私はイカで」
「吾輩は貝類を並べて貰おうか」
美味しいお寿司に舌鼓を打ちながら、食欲を満たしていく。
「こうなってくると、全部の種類食べてみたいわね」
「……奈美、それは流石に」
ハルはチラリと、隅っこで生気のない顔をしている美園を見る。
だが、無邪気というのは時に残酷なもの。
「ねえおじさん、全部頂戴!」
食欲魔神の好奇心は、美園の懐にとどめを刺すに充分な一撃だった。
それから一時間ほど。
すっかり満足しきったハル達と対照的に、
「…………」
この世の終わり、とばかりに凹む美園。
これからお会計の時間だ。
ハル達を店外に出し、千景と二人レジの前に。
「はは、随分食ったな。勘定はしめて……」
安い新車が買えそうな額だった。
美園は財布を開き、震える手でカードを取り出し店主に渡す。
「まいど。じゃあこいつにサインを頼むぜ」
「はい…………あれ?」
渡されたレシートを見て美園は気づく。
先程言われた額の、半分しかそこに記載されて居なかった。
「これは……」
「ああ、残り半分は千景嬢ちゃんから、もう貰ってんだ」
店主の言葉に、驚きの表情で千景を見る。
「千景……貴方」
「今回のご馳走は、貴方に反省を促す為。でも、私も反省する点があったので」
「一体何よ。報告を聞く限り、貴方にミスは……」
「怪盗コレクトを捕獲出来たのに、個人的な事情で見逃しました。その戒めです」
無論、それは千景の役割ではない。
ただ千景は、美園の誇りのためコレクトを捕らえる、あるいは仕置きをするつもりだった。
しかし、個人的な取引で彼を見逃した。
あくまで自分自身への戒めだ。
「へへ、千景嬢ちゃんは変わらねえな。自分に厳しいくせに、身内には甘い」
「……気のせいでしょう。私は自他に厳しいですから」
「ま、そう言う事にしとくぜ」
澄まし顔の千景からは、その本心はうかがい知れない。
だが美園には、彼女に後光が差しているのがハッキリと見えた。
「ありがとう千景……」
美園は涙ぐみながら、残り半額の支払いをするのだった。
結局、美園は気づかなかった。
半額とは言え、ご馳走で多額の出費をしたこと。
そして、千景が出した半額も、自分が払った依頼料から出ている事を。
(依頼料は残っていますし、コレクトからの情報料とすればお釣りが来る)
(そして、美樹の心証は良くなり、多少無理なお願いも聞いてくれるでしょう)
「……計画通り、ですね」
千景は人知れず、クスリと笑みを浮かべるのだった。
回らない寿司、良いですよね。
数えるほどしか行った事はありませんが。
毎回痛い目を見ている美園。
いつか彼女の優秀な面も、書いてみたいものです。
相手がコレクトで無ければ……。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。