悪は静かに牙を研ぐ
スポットライトは再び悪の組織に。
苦労人の黒田に、謎の声が報告を行う。
その内容とは……。
午後六時。
業務を終えた黒田は、誰もいないオフィスで大きく背伸びをする。
「~~ふう、今日も忙しかったな」
部下は有能だが、如何せん人数が少なすぎる。
会社の規模にしては異常な程だ。
それ故、黒田に掛かる負担は凄まじい物があった。
「とは言え、あの無能に任せれば、三日と持たずに倒産するだろうしな」
名ばかりの社長、馬鹿息子と内心蔑む男を思い浮かべて、黒田は苦笑する。
彼はあくまで御輿。
精々持ち上げてやればいい。
「まあ、社員のみんなを路頭に迷わせるわけには行かないからな。そう思わないか?」
「……仰るとおりです」
誰もいないオフィス。
しかし返事は影から返ってきた。
「提示報告は先の筈だが……何かあったかな?」
「例の『ステルス』について、ご報告が」
「聞かせてくれ」
黒田は足を組み直し、声に促した。
「はい、まず『ステルス』を投与した者が身柄を捕らえられました」
「へぇ、あれを捕らえられる者が居たのか」
「……捕らえたのは便利屋ハピネスの構成員です」
一瞬驚いた表情を見せた黒井だが、直ぐさまいつものポーカーフェイスに戻る。
「詳しく聞かせてくれるかな?」
黒田の要求に応え、声は詳細な報告を行う。
監視していた対象が、偶然『ステルス』を投与した相手と遭遇。
見事身柄を捕らえ、彼らの事務所に連れ帰った。
そして、その姿が元に戻ったと。
「……そうか、彼らには『神の手』がいたか」
「はい、それにマッドサイエンティストとして名高い、蒼井賢と言う男も在籍しています」
「秀才を百人揃えても、一人の天才には敵わないと言うが……正にその通りだな」
僅かに悔しさを込めた声色だった。
ステルスを始めとする薬は、黒田達が総力を挙げて開発した自信作。
それを二人で、しかもこの短期間で破られてしまった。
効果を解除する事は開発に比べて容易とは言え、あまりにスペックが違いすぎる。
「とは言え、それを妬んでいては仕方ないな。効果の確認が出来ただけ良しとするか」
「幸い、投与者から私達の情報が漏れた様子はありません」
「正体不明の連中に、突然薬を飲まされた。こんな感じかな?」
「恐らく」
ふむ、と黒田は手をアゴに当てて暫し考える。
(私達がハピネスの事を調べたことは、耳に入っているだろう。だとすれば、当然私達のことを調査しているに違いない。今回の件、恐らく私達の存在に気づいただろう)
声の主は、黒田の思考を遮らぬよう沈黙している。
(だが今回は偶発的な遭遇。彼らと私達を結びつける要素は無いはずだ)
思考を終え、黒田は小さく息を吐いた。
「……計画に支障は無いだろう」
「なによりです」
「そして、そろそろ計画も次の段階に進むとしよう」
黒田の瞳が、怪しい光を宿す。
「下準備は整っている。後は、試験体にお越し頂くだけだ」
「…………」
「とはいえ、計画の進行には大きな問題がある」
「監視をしてる正義の味方ですね?」
「実のところ、それはさほど問題ではない」
声は黒田の言葉に少し驚いた様子を見せた。
「正義の味方とは言え、たった二人。奇襲を掛ければ無力化は充分可能だ」
「……なるほど、そう言う事ですか」
「ああ、応援に関してもやりようがある」
「では問題とは?」
「……便利屋ハピネスだ」
黒田は椅子から立ち上がり、窓から外を眺めなる。
「あそこには、とんでも無い化け物が所属している」
「確かに『死刑宣告者』と『完璧な兵士』は驚異ですが、動きますか?」
「ハピネスの所員は彼女の身内同然。間違いなく動くさ。それも本気でね」
「…………」
ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。
「正直な所、もし彼女に計画が洩れたら、その時点で私達は終わりだ」
「貴方の力を持ってしても、ですか?」
「器が違いすぎる。彼女と対峙してしまえば、万が一にも勝機はない」
少し自嘲気味に黒田は言った。
「彼女の目を盗んで攫ったとしても、恐らく一両日中には気づかれるだろう」
「……時間が足りませんね。最低でも三日は必要です」
「だが、攫うというアクションを起こせば、本拠地の特定にさほど時間はかかるまい」
「八方塞がりですか……」
悔しそうに声が呟く。
「故に待つ。天が私を見捨てていなければ、必ず機会は訪れるはずだ」
「ブラック……」
「あの馬鹿親子は私が抑えておく。君はその時に備えてくれ」
黒田の目には、一切の迷いは無かった。
会話が終わり、いつもの通り声の主は姿を……消さなかった。
「ブラック」
「おや、珍しいな。君が姿を見せるとは」
背後から掛けられた声に、黒田はゆっくり振り返る。
そこには、月明かりに映し出された一人の女性が立っていた。
二十代中頃だろうか。
ビジネススーツを着こなした、黒いショートカットの女性。
美しい顔立ちだが、その左半分の皮膚は焼けただれていた。
「ブラック、貴方に一つだけ伝えておきます」
「……聞こう」
「私達は貴方を信じております。本当の目的を知って尚です」
「…………」
「あんな奴らではなく、貴方という人間の為に私達は動きます」
「…………」
「だから貴方は目的を達成しなければなりません。例え、どんな犠牲を払ったとしても」
「全てを失うぞ?」
「みんな貴方に惚れていますから。勿論、私もですが」
「……ありがとう」
女性に向かって、黒田は深々と頭を下げた。
普段本心を隠している男の、本心からの言葉だった。
非日常は動き出した。
日常と交わる日は近い。
悪の組織、その姿が少しずつ見えて来ました。
時を待つ、の言葉通り、次に彼らが動き出す時には、
日常と非日常が交わる時です。
果たして彼らが待つ機会とは何なのでしょうか。
そんな思惑など知るよしもなく、ハル達は日常を過ごします。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。