柚子の秘薬
事務所に響いた歓喜の声。
その発生源は、何やら上機嫌の柚子だが……。
「遂に出来ました~♪」
ハピネス事務所の奥にある研究室から、柚子の声が響き渡る。
何事かと一同が視線を向ける中、ゆっくりと研究室のドアが開かれ、柚子が現れた。
ニコニコと満面の笑みを浮かべ、ご機嫌であるのが一目で分かる。
「柚子、一体何が出来たんだ?」
「よくぞ聞いてくれました。私が長年研究してきた秘薬が、遂に完成したのです」
ハルの問いかけに、柚子は薄い胸を張って答える。
「そりゃ良かったな……で、どんな薬なんだ?」
「名を「チート君1号」。強制成長促進薬です!!」
某青狸ロボットのように、薬を高々と掲げる。
それを見て、事務所にいる全員は同じ事を考えていた。
((絶対、ろくな事にならない))
「人が成長するメカニズムを解明し、それを人工的に促進する働きがあります」
「それってぇ、かなり危険なんじゃない?」
「うむ。人為的な成長、身体に歪みが出ると思われるが」
ローズと紫音が疑問を口にする。
「副作用は覚悟の上です。ですが、もはや後戻り出来ないのですよ」
「……柚子、そこまで追いつめられていたとは」
「早まるな。もし命の危機に関わる副作用なら、成長したって意味無いだろ」
「そうですよ。大体試しもしないで飲むなんて、自殺行為です」
ハルと奈美が必死に説得をする。
奈美のは説得ではない気がするが……。
「……奈美さんの言うことはもっともですね。動物実験はクリアしましたが」
人体実験はまだらしい。
柚子はキョロキョロとハル達を見回して、うん、と頷いた。
「と言うわけで蒼井さん。グイッと飲んでください♪」
「何でだぁぁぁ!!」
「大丈夫。一口だけなら、精々五年分の成長しかしませんし」
「そう言う問題じゃない。何故吾輩がそんな得体の知れない物を飲まねばならんのだ!」
ごもっとも。正論です。
しかし、暴論は時に正論すら押しつぶす。
「誰かが飲まなければならないんです。だったら、蒼井さんが適任ですから」
「異議を申し立てるぞ!」
「異議は却下します。と言うわけで、さあグイッと♪」
「誰が飲む……な、貴様ら……まさか裏切るつもりかっ!?」
逃げようとする蒼井の身体は、ハル達によって取り押さえられた。
「すまん蒼井。お前の犠牲は無駄にしない」
「女の子に飲ませる訳には行かないでしょ。頑張ってねぇ」
「貴様らぁぁぁぁぁぁぁ……ゴクゴクゴクゴク」
叫んでしまったのが運の尽き。
大きく開かれた口に、虹色の液体が容赦なく流し込まれた。
「即効性ですから、効果は直ぐ出る筈です」
「……ちょっと待ってくれ。あれって、一口で五年分成長するんだよな?」
「ええ、概算ですけど」
「蒼井、今凄い量飲んだぞ」
「……………………」
気まずい沈黙が事務所を包む。
「……ねえ千景。蒼井さんって、今何歳?」
「確か、今年三十三だったかと」
「…………うん、大丈夫。老衰ギリギリで踏みとどまるはず」
ごめんドクター。
本当にごめん。
十秒ほどすると、突然蒼井が悶え苦しみ始めた。
「ぬ、ぬぬぬ、ぬぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
うめき声に合わせるように、身体も次第に変化していく。
髪の色、皮膚、筋肉、その他モロモロが凄まじい速度で老化する。
一分も経つ頃には、
「……蒼井……」
若き奇人科学者の姿は何処にもなく、ただ一人の老人がそこに居るだけだった。
もはや喋ることすら困難なのか、何か言いたげにハル達に視線を送る。
「な、何も言えない」
「これはちょっとぉ、洒落にならないわねぇ」
「流石に……可哀想かも」
哀れみの視線で蒼井を見るハル達。
同時に、自分が飲まなくて良かったと心底思っていた。
「それで柚子殿、これは元に戻るのか?」
「試作品ですから、当然戻っちゃいます。効果は十分ほどだと思いますよ」
それを聞いて一安心。
このままでは、幾らなんでも夢見が悪すぎる。
「とにかく、効果があるのは実証出来たみたいですね」
充分すぎるほどに。
「ふふふ、では満を持して、私が飲みましょう」
柚子は危険な笑みを浮かべて、虹色の液体を見つめる。
そして、コクコクと二口飲んだ。
「十年分か……」
「さあ、私の本当の姿を見せてください!」
しかし、何も変化が起きない。
時計を見ると、既に三十秒ほど経過しているのに。
「何も……起こらないですね」
「そんなはずは……」
予想外の展開に動揺する柚子。
「薬の量が足りなかったのかも。後少し、ゴクゴク」
更に二口飲み干す。
しかし、やはり変化は起こらない。
「どうして……理論は完璧、目の前に成功例があるのに……」
ガックリと膝をつき、敗北に打ちひしがれる柚子。
その姿に、誰も声をかけらえない。
「もしや女性には効果が無いのでは? 失敬……ゴクゴク」
「「あぁぁぁぁぁ!!」」
周囲が制止する間もなく、紫音は柚子から薬を取り、二口飲み干してしまった。
そして、
「「男は見るなぁぁぁ!!!」」
事務所にいた男性は、一瞬のうちに視界をふさがれた。
ハルも例外ではなく、奈美が飛びついて両手で目を塞がれてしまう。
目隠しされる前の一瞬だけだが、確かに見えた。
美しい青髪をなびかせた、絶世の美女……の裸を。
「紫音、早く身体を隠しなさい!」
「そうは言うが、服は破れてしまったし」
「タオル、タオルとかありませんか?」
「直ぐに持ってきます!」
女性陣が慌ただしく動き、紫音の裸体を隠そうとする。
「ハル、見てないわよね?」
「……も、勿論」
勿論嘘だ。
子供の裸ならいざ知らず、成長した紫音は絶世の美女。
一瞬でも網膜に焼き付いた映像は、脳裏に記憶されはっきり残っている。
「……十年後に会いたかった」
「…………ふんっ!」
奈美は目隠ししているハルの顔を、思い切り横に倒す。
ゴキッと嫌な音と共に、ハルの意識は薄れていった。
ハルが目覚めたとき、紫音は元の大きさに戻っていた。
残念なような、安心したような複雑な気持ちだ。
「ハルのスケベ!」
「冤罪だ!」
「ふむ、ハルは私の身体を見て欲情したのか?」
「今の姿で言われると凄いやばいから!」
本気で洒落にならない。
「でもこれでぇ、女性でも薬の効果があることが分かったわねぇ」
「じゃあ、どうして柚子さんには効果が無いんでしょう」
結局問題はそこに戻る。
一同が頭を悩ませていると、
「……私に一つ、仮説があります」
千景が言葉を発した。
「それは一体なんなの?」
「薬は効果があった。しかし柚子の外見に変化が無い。ならば考えられるのは一つ」
千景は柚子を指差し、
「柚子、貴方の成長は完全に終わっているのです!!」
「なっっ!!」
衝撃の事実を突きつけた。
「少なくとも四十過ぎまで、下手すれば老衰するまでその姿かもしれません……」
「そ、そんな……」
ショックのあまり、身体を硬直させる柚子。
認めたくない現実と、認めざるを得ない現実がせめぎ合う。
「……柚子、あまり深刻に考えない方が」
「認めない、私は認めない。私だって、グランマと呼ばれるお婆ちゃんになれるんだもん!!」
そして柚子は、残った薬を一気に飲み干した。
十口分はあった薬が、全て空に。
「どんな姿でも良い、私に未来を見せてぇぇぇぇ!!」
その後。
「千景さん、柚子は?」
「……私の部屋で寝込んでいます」
「よっぽどショックだったのねぇ」
「無理もありませんよ」
「優秀すぎるが故の悲劇だな」
「…………吾輩は同情なんかせんぞ。まあ、流石に気の毒だとは思うが」
結局、柚子の身体に変化は一切無かった。
それどころか、
「肌年齢一桁って……そりゃショックだわな」
寧ろ若返ってしまったのだ。
「恐らく泣き疲れて眠るでしょうから、今日は私の部屋に泊めることにします」
「あの薬はぁ、私が処分しておいたからぁ」
「過ぎた技術は身を滅ぼすか」
「……柚子さん」
「まあ何だ。今度飲みにでも連れて行ってやるか」
何とも言えぬ後味を残し、「チート君1号」騒動は幕を降ろした。
柚子は主役の回で、必ず痛い目を見ている気がします。
少し位はいい目を見せてあげたい物ですが。
将来安泰の紫音ですが、彼女には羞恥心が殆どありません。
育ってきた環境が大きいですね。
人の感情の中でも、羞恥心だけは他人に依存する感情ですので。
そのうち、紫音のその辺の事も書いていきたいと思います。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。