始まりは唐突に、そして理不尽に
ハピネスでのバイト生活にも大分慣れてきたハル。
そんな彼の元に一本の電話が。
何事も初めて体験する事は楽しいものだ。
ハルにとって一人暮らし、ハピネスのバイトは正にそれ。
始まりこそ無理矢理だったものの、今ではすっかりこの生活を満喫している。
そんなハルにとって三週間という時間は、あっという間の出来事だった。
「ふぅー、今日もよく働いたな」
ハピネスのバイトを終え家に戻ったハルは、一人ごちながら電気を着ける。
安っぽい照明が部屋を照らし出す。
ちゃぶ台だけしか無かった部屋は、バイトのお陰で最低限の家具が揃えられていた。
ハルは鞄を乱暴に放り投げると、BGM代わりにテレビを着ける。賑やかなバラエティ番組の声を聞きながら、冷蔵庫を開けお茶を取り出し一気に飲み干す。
「まだ八時か。風呂入って飯食って……ああ、そう言えば課題が出てたな」
頭でこれからの行動を軽く整理し、まずお風呂を沸かそうとした時だった。
鞄に入れっぱなしにしていた携帯が着信を告げる。
「ん? メールじゃなくて電話か……」
少し急いで携帯を鞄から取り出し通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『俺だ。お父様だ』
ハルは無言で電話を切った。
「…………さて風呂を沸かすか」
無かったことにしようとするハルだが、間髪置かずに再び携帯が鳴る。
「……もしもし?」
『お前が尊敬して止まない、逞しいお父様だ』
「そんな奴に心当たりはない」
言い終わると躊躇い無く通話を終える。
冷たいと言うこと無かれ。
この三週間冬麻から幾度と無く電話があった。
だがそれは近況報告などと言う可愛いものではなく、単なる自慢話だった。
三人旅を満喫している冬麻の自慢げな声を聞くのにも、いい加減ウンザリなのだ。
「暇なときなら相手してやるからな。今は風呂を沸かしたいんだ」
誰に向けるでもなく言い訳をするハルの手で、三度携帯電話が着信を告げる。
無視しようかと思ったが、ディスプレイに映った名前を見てハルは通話ボタンを押す。
「もしもし、秋乃か?」
『……ふっ。と見せかけてのお父――ぐべぇぇ!』
鈍い打撃音が響き、冬麻の声がフェードアウトしていった。
『あ、もしもしお兄ちゃん? 久しぶりだね』
「秋乃……何があった?」
『ん? 何も無いよ♪』
ご機嫌な妹の声に、ハルはそれ以上の追求を止めた。
「まあいいや。一週間ぶり位だけど、今はどの辺りにいるんだ?」
『えっとね、今はドイツにいるよ。ヨーロッパ全部まわる予定なの』
「そいつは羨ましい事だ」
『お兄ちゃんにも沢山おみやげ買っていくから』
「別にいいよ。無事に帰って来てくれるのが一番の土産だ」
ハルが苦笑しながら答えると、何故か秋乃は黙り込んでしまう。
十秒、二十秒と続く沈黙。
何か不味いことを言っただろうかと、不安に駆られる。
「あの~秋乃さん?」
『残念♪ 秋乃ちゃんじゃ無くて菜月ですよ~』
「か、母さん。どうして……」
『秋乃ちゃん今は話せそうに無いから~。ピンチヒッターよ』
「……怒ってるの?」
『ん~、と言うよりも照れてる感じね。何か恥ずかしい事言わなかった?』
無論心当たりは無い。
「俺は何も。無事に帰ってくるのが一番の土産だって言っただけ」
『……不意打ちだったのね。久しぶりの会話だし、無理もないか~』
「母さん?」
『ハルちゃんは気にしなくて良いわ。ま、兄離れには時間が掛かるって事ね』
余計に訳が分からなくなる。
『それよりも、今日はハルちゃんに大切なお話があったのよ~』
急に雲行きが怪しくなってきた。
大切な話を聞く展開は、どうもハルにとって良い結果を招かない。
今すぐ電話を切りたい衝動を必死に押さえながら、話の先を促す。
「何かな?」
『良い話と悪い話があるんだけど~、どっちから聞く?』
「うん、もう嫌な予感しかしないけど……悪い方から聞こうかな」
『でも私は良い方から話したいから、そっちからにするね♪』
じゃあ聞くな。
心の中で時差八時間向こうにいる菜月に、全力で突っ込んだ。
『えっとね~、何と家の建て替えが無事完了しました~。パチパチ~』
「そうか……それは確かにいい話だね」
そう、いい話だ。この後に悪い話が控えてなければ、もっと素直に喜べただろう。
「で、悪い話ってのは?」
『パパが日本に帰れなくなりました~♪』
「…………いい話じゃないか」
望みうる最高の結果だ。
ハルは命の危機を感じず、家族三人で穏やかに生活出来る。
『もう駄目だよハルちゃん。幾らパパでも傷ついちゃうよ』
「あの親父に傷を付ける方法があれば、教えて欲しいけどね」
『…………核爆弾くらいかな~』
たっぷり時間を掛けて答えた菜月。それが妙にリアリティを感じさせる。
ハルは慌てて話題を変える。
「で、でもどうして親父が帰れなくなったの?」
『パパのお仕事なの。海外赴任が決まっちゃって、このまま着任する事になっちゃった』
「親父の仕事って、何だっけ?」
『正義の味方よ♪』
嬉しそうな菜月の声。きっと受話器の向こうでウインクでもしてるに違いない。
御堂家では何故か冬麻の職業が秘密だった。
小学校の課題で親の職業を聞いた時も、「正義の味方だ」と煙に巻かれてしまった。
それがハルだけなら気にしなかったのだが、秋乃にも同じ対応だった。
菜月に聞いても同じ。どうやら身内にすら隠さなくてはいけないルールがあるのだろう。
この年になり冷静になって考えれば、ある程度の推測は出来る。
恐らく公には出来ない……平たく言えば堅気でない仕事なのだろう。
今更追求する気もないが。
「まあそれは良いとして、だ。帰れないのは親父だけだろ。二人は何時帰ってくるの?」
『?? 何言ってるのよ~。パパが帰らないなら、私も帰らないわよ』
「…………ホワイ?」
『だって~、パパ一人海外に残すのは可哀想でしょ~』
俺は今一人残されてますが……、とハルは思わずにいられない。
『だからハルちゃんは、そのまま一人暮らしを続けてね♪』
「い、いや。ちょっと待って」
『ちゃんと仕送りはするから安心して』
「そうじゃなくて、秋乃はどうするんだよ」
『秋乃ちゃんは高校の寮に入る事に決まったわ』
既に手回し済みらしい。
「親父が良く納得したね」
『勿論散々一緒に暮らすってごねたけど、女子高の寮なら安心だって最後は納得したわ』
「秋乃は?」
『ハルちゃんと暮らすってずっと言ってるのよ。まあ何とか説得してみるわ』
是非頑張って欲しいものだ。
もし失敗すれば、ハルの命は非常に危険なのだから。
「…………はあ」
『どうかしたの?』
「いや、この間まで一緒に暮らしてた家族が、急にバラバラになったからさ……」
『そうね。でもずっとじゃないわ。パパも私もいずれ日本に戻ってくるから』
「分かってるよ。俺も何時だってガキじゃないんだから」
『頑張ってね、ハルちゃん。電話は通じる国だから、何かあったら連絡頂戴ね』
「うん。そっちも何かあったらよろしく。じゃあ身体に気を付けて」
通話を終えたハルは、大きく息を吐いた。
怒濤の展開に頭が着いていかず、畳の上に大の字に寝ころんだ。
目に優しくない光を放つ蛍光灯を見つめながら、ぼんやりと考える。
家は完成した。
ただそこに住む家族は居ない。
両親は海外に、妹は学校の寮に。
そして自分は、この一人暮らしを続ける。
急には気持ちの整理が出来ないが、今の生活が変わる訳でもない。
ハピネスのバイトを続けていれば生活費も何とかなるだろう。
「……まあ、やるしかないか」
小さく拳を握り、ゆっくりと立ち上がる。
まず最初にすべき事は決まっている。
いい加減風呂を沸かそう。
ハルの一人暮らしは、無期限の延長戦へと突入したのだった。
少しだけ話に展開がありました。
のんびり少しずつ話を進めて参ります。
投稿ペースももう少し上げていきたいと思っています。
まだ序盤と言うこともあり、コメディ成分が控えめですが、
話が進んでいけば馬鹿成分が増していくと思います。
これからもお付き合い頂ければ幸いです。