プロローグ5《ハピネスにようこそ》
実に数ヶ月かけたプロローグもようやく終わります。
なし崩し的に一人暮らしに突入したハル。
そんな彼に社会の洗礼が……。
一人暮らしというのは、お金が掛かる。
家賃、光熱費、食費等、今まで意識していなかった公共料金が、主な要因だ。
ハルは一ヶ月分の家賃と光熱費を支払い、それを実感する。
「……まあ、まだ何とかなるな」
バイトで貯めた金はまだ大分ある。
一人暮らし中は忙しいので、出来ればバイトをせずに過ごしたい。
今のままならそれは充分実現可能だった。
が、悪いことは重なる物。
「結婚? おめでとうございます。ええ、勿論行きます」
「……お前も結婚? あ、いや、こっちの話。勿論参加させて貰うよ」
「…………本当に結婚? うん、ちょっと驚いただけ」
「………………結婚だろ。言わなくても分かる」
先輩やら友達やら、お世話になった先生やらが続々と結婚した。
それはおめでたい。おめでたいことなのだが……困ったことになった。
ご祝儀やらで、余裕のあった貯金は瞬く間に消えていった。
気づいたときには、
「……やばい」
生活するのもギリギリのお金しか、残っていなかった。
「さて、冷静に現状を整理しよう」
ハルは自分に言い聞かせるように呟く。
リサイクルショップで購入した机に、有り金を全てあげる。
「まず今の全財産は、一葉さんが一人、英世さんが三人、小銭が少々……」
泣きたくなってきた。
「絶対欠かせないのは食費。一日五百円でも……諭吉さんがいるな……」
大学の学食でランチを取るだけでも、五百円は使ってしまう。
一日の食費をそれで収めるというのは、初一人暮らしの男子には厳しいものがあった。
そもそも諭吉さんがいないのだから、それ以下にしなければならない。
この時点でハルは詰んでいた。
それにハルも大学生。色々な人付き合いがある。
飲み会などを考えると、完全に赤字だった。
「こんな事なら、もっとバイトしとけば良かった……」
後悔しても仕方がない。
何か無いかと、財布を逆さにして振ってみる。
すると、レシートに紛れて、一つの名刺が机の上に落ちた。
「ん、これは…………」
ハルはそれを拾い上げると、少しだけ悩む。
「……普段なら避けたいところだが、背に腹は変えられないか」
そう言えば携帯代の支払日も近い。ますます追いつめられたハル。
深く深呼吸をし、名刺の電話番号を打ち込む。
数コールして、相手が出た。
「もしもし、私は御堂ハルと言う者なのですが……」
これが、全ての始まりだった。
一時間後。
ハルがやってきたのは、便利屋ハピネスの事務所だった。
勿論依頼をするためではない。
バイトとして雇って貰うために、面接に来たのだ。
他に幾つかバイトの宛はあるのだが、全て給料は月末の振り込み。それでは間に合わない。
だからこそ、日払いもOKという、このハピネスにやってきた。
事務所のドアの前に立つと、何人かの人の気配がする。
流石に千景と奈美の二人だけとは思っていなかったが、それなりに所員がいるらしい。
少しだけ安心したハルは、インターフォンを押す。
気づいた中の人が、ドアを開ける。
「はぁ~い、いらっしゃいませぇ~♪」
「…………すいません、間違えました」
開いたドアを、ハルは光速で閉める。そして深呼吸。
スーハースーハー
よし、落ち着いた。
再度確認をする。ドアのプレートは「便利屋ハピネス」。間違いない。
閉めたドアを再び開くと、
「いらっしゃいませぇ~♪」
閉じる前と同じ光景が広がっていた。
またドアを閉める。そして開ける。
「いらっしゃいませぇ~♪」
残念ながら状況は変わらない。
言葉だけ聞けば、普通にお客様を迎える所員の対応だろう。
問題なのは、それがとてつもない大柄な男で、しかもお姉系だと言うことだ。
違う店に来てしまったと、勘違いするのも無理ないはず。
ドアを閉めたかったが、今度は目の前の男ががっちりドアノブを掴んで離さない。
「ネタの天丼は二回までよぉ~」
「通ですね」
「ようこそぉ、便利屋ハピネスにぃ。何かお困りかしらぁ、可愛いお嬢さん♪」
「……俺は男だし、客じゃ無いです。千景さんと約束をしてる、御堂ハルです」
不機嫌に言ったつもりだが、男は目を輝かせる。
「あらぁ、貴方が。話は聞いてるわぁ。……新しい仲間が増えるってぇ」
「まだ採用された訳じゃないですけどね」
「そうなのぉ? 千景ちゃん、もう貴方の仕事を割り振ってるけどぉ」
何を馬鹿な、と言いかけてハルは思いとどまる。
会ったのは一度だけだが、あの人ならやりかねないと、感じていたからだ。
「立ち話も何だしぃ、どうぞ中へ」
男に促され、ハルは事務所の中へと入っていった。
事務所の中は、数名の男女が忙しそうに動き回っていた。
ハルに挨拶をするが、直ぐさま仕事を再開する辺り、なかなか鍛えられている。
「……時間通りにちゃんと来ましたね」
「あ、こんにちわ」
「こんにちわ、ハル君。では早速、仕事の話をしましょう」
千景はハルを応接用のソファーに座らせる。
「さて、うちでアルバイトをしたいと言うことでしたが……」
「その前に千景さん、一つ聞いても良いですか?」
「何でしょう」
「あの人は、一体……」
ハルは先程の男について尋ねる。
「ああ、確かに最初はみんな驚きますね。彼は……」
「ローズって言うのよぉ。よ・ろ・し・く・ね♪ ふぅ~」
「うわぁぁぁぁぁ」
いつの間にか背後に立っていた男に、耳に息をかけられ、思わず飛び上がるハル。
全身に鳥肌が立ち、背筋が凍る。
「もう、可愛いリアクションねぇ」
「……剛彦、その辺にしておきなさい」
「駄目よ千景ちゃん。ローズって呼んで♪……はい、お茶を持ってきたわぁ」
男は慣れた手つきで、ハルと千景の前に湯飲みを置く。
そのまま、ごゆっくり、とウインクを残して去っていった。
「ち、千景さん……あの生き物は一体……」
「花京院剛彦。あれでも一応、うちの所員です」
「ローズって言うのは」
「自分で広めているあだ名です。本名で呼ばれると不機嫌になるので」
何とも厄介な人種だ。
冬麻を一回り大きくしたような体付きは、どう考えても剛彦と呼ぶに相応しい。
角刈りヘアーに、恐らく特注であろう女性用のスーツを着ている姿は、何というか……。
「まあ、彼については諦めてください」
千景の言葉にも、何処か諦めが混じっていた。
「それで、話を戻します」
千景は男、ローズの話を打ち切ると、机に書類を数枚置く。
「アルバイトは大歓迎です。給料は日払いも可能です」
「助かります」
まず第一関門を突破したことに、ハルはほっと一息つく。
「では簡単に仕事のシステムについて説明しますね」
「お願いします」
「まず、ハピネスは便利屋として、人から依頼を受け、それを解決することで報酬を得ます」
頷くハル。それは先日の件で承知していた。
「依頼の内容や報酬は多種多様。それこそお使いの代行から暗殺まで、幅広く取り扱っています」
「あ、暗殺っ!?」
「……というのは冗談ですが、それ程色々な依頼が来ています」
さらりと流す千景。
そのわりに本気の目をしていたが、やぶ蛇になりそうなので、突っ込まないでおく。
「依頼は事務所員で整理して、皆さんに好きな依頼を選んで貰います」
千景は事務所の壁を指差す。
そこには大きな掲示板があり、かなりの数の張り紙がしてあった。
「あの紙は、依頼内容や報酬など、細かな条件が記してあります」
「派遣の仕事と考えても?」
「問題無いかと。あれを取って事務所員に声を掛ければ、依頼が受けられます」
なるほど、とハルは頷く。
派遣会社と殆ど同じシステムを採用しているらしい。
面倒な手続きがない分、こちらの方がより仕事をしやすい感じはする。
「依頼の遂行は、依頼を受けた人間に全責任を持って貰います」
「……失敗したら?」
「クビです」
随分と厳しい職場のようだ。
「まあそれも冗談です。失敗の報を事務にすれば、代わりの人を送りますから」
「……心臓に悪い冗談ですね」
「ただ、あまり失敗が多いと、こちらも仕事を任せにくくなるので、注意してください」
失敗は信用を失い、信用がなければ仕事を失う。
なかなかシビアだが、それだけにやりがいはありそうだ。
「不明な点は、その都度聞いてください。聞くは一時の恥ですから」
「肝に銘じておきます」
「大まかな説明は以上ですね。今の時点で何か不明な点は?」
「一つだけ。張り出されている用紙に、色が違うものが混じっているのですが」
「ああ、そう言えば説明してませんでした。あれは、特別な依頼です」
「と言いますと?」
「薄緑の紙に書かれた依頼は、特別な資格が必要なものです。いわゆる専門職の依頼ですね」
千景は幾つかの薄緑の依頼用紙をハルに見せる。
「重機の運転資格……医師免許……航空従事者……って、こんな無茶な依頼ありですか?」
「ええ。重機や飛行機は剛彦がやれますし、医師免許所持者もいるので」
とんでもない人間が揃っていた。
普通に就職しろ、と言いたくなってくる。
「これは報酬の高さが魅力ですね。勿論、資格が無い人には受けさせませんよ」
「……身の程は知ってるつもりです」
結構、と千景は依頼用紙をしまう。
「じゃあ千景さん。あの赤色の紙の依頼は何なんですか?」
「あれは……まあ、極めて難しい依頼と思ってくれれば良いです」
「随分アバウトですね」
「定義が難しいので。今のところハル君には関係のないものです」
千景は少し厳しい表情で話を切った。
その後細かな説明が行われ、ハルは契約書にサインをした。
「はい、確かに。では現時刻をもって、御堂ハルをハピネスのアルバイトとして認めます」
「ありがとうございます」
「ところで、ハル君は取り急ぎ、お金が必要との事でしたね」
「ええ、情けない話ですが」
「生きるための糧を稼ぐのは、何も恥ずべき事ではありませんよ」
千景は優しい笑顔でハルに告げる。
「幾つか簡単な依頼を選んでおきました。仕事に慣れる意味でも、最適かと」
「それはまた、助かります」
「貴方の働きに期待してますよ。……では、お話は以上です」
千景はそう告げると、書類を纏めて、自分の席へと戻っていった。
「どんな仕事なんだろ……」
ハルは手元の依頼書に目を通す。
ほとんどが雑用程度の、本当に簡単な仕事だった。
「何はともあれ、やってみるか」
事務員に依頼を受ける旨を告げ、ハルは事務所を後にする。
こうして、便利屋ハピネスの物語は幕を開けた。
ようやくプロローグを終えることが出来ました。
更新ペースが安定せず申し訳ありません。
次からようやく本編に入ります。
基本は一話完結。馬鹿なノリでやっていきます。
次回もまたお付き合い頂ければ幸いです。