プロローグ4《ハルの帰還》
ハピネスの助けを借り、何とか家に戻ってきたハル。
そんな彼に待ち受けているものとは……。
翌朝。
ハルは千景の運転する車で、ようやく家に戻ってきた。
これで全ては元通り、の筈だったのだが。
「………………」
玄関に貼られた張り紙に、ハルは頭を抱える。
『浮気者のお兄ちゃんは入るべからず』
どうやらそうトントン拍子には行かないようだ。
「依頼はひとまず終了です。……何かあれば連絡を下さい」
千景はハルに名刺を渡すと、そのまま車を出す。
それをポッケに入れると、ハルはゆっくり玄関を開ける。
ドアの向こうには、
「ただいま…………秋乃」
三つ指着いた秋乃が待ちかまえていた。
「いらっしゃいませ、お客様」
なるほど、そう来たか。
秋乃の考えを理解し、ハルは苦笑する。
「兄に対してそれは、酷いんじゃないか?」
「浮気者のお兄ちゃんは入って来れません。だから貴方はお兄ちゃんじゃありません」
「だが俺は入ってきた。つまり、浮気者じゃ無いって事だ」
「……屁理屈です」
どっちがだ、と突っ込みたくなるのを我慢。
ここで機嫌を損ねるわけにはいかない。
「話す時間をくれ。それも駄目なほど、お前の兄は信用できないか?」
「……ううん」
首を振る秋乃に、ハルは内心ホッと息を付く。
妙なところで頑固だが、秋乃は元々素直。誤解を解くのも難しくないはず。
後はゆっくり話をすれば万事解決だ。ただその前に、
「ハ~ル~ちゃ~ん~」
秋乃の背後で、お玉を手に凄いオーラを放つ、菜月をどうにか出来ればだが。
「な~んだ、そう言うことだったのね~」
「……ご理解頂けて……何よりだ」
全身ボロ雑巾になりながら、ハルは声を絞り出す。
菜月のお玉乱舞を命からがら耐え抜き、何とか誤解を解くことに成功した。
払った犠牲は全身打撲……菜月相手には格安だった。
「お兄ちゃん、私は最初から信じてたよ」
「……妹よ。どの口が言うのかな?」
「ほひひひゃん、ひひゃひひひゃひ」
俺はもっと痛かった、とハルは秋乃の頬を引っ張る。
「うんうん、二人ともすっかり仲良しさんだね~」
その様子を微笑ましそうに見つめる菜月。
こうして、一夜の騒動は幕を閉じた…………かにみえた。
ハルは身支度を整え、大学へ向かい、講義を受けた。
そして夕方、家に戻ると、
「ハルちゃんお帰り~」
「お兄ちゃん、お帰りなさ~い」
「おう、戻ったか」
何故か家族全員でお出迎え。
「あれ、なんか既視感……てか、親父! 何で居るんだよ!!」
「驚くことはあるまい。父が家にいるのは当然だろ」
「昨日北極にいた人間がいたら、誰だって驚くわ!」
「うむ、流石の俺も帰るのに数日かかるところだったが、運良く上空を飛行機が……」
「もういい。何も言うな」
ハルは疲れたようにため息をついた。
「それで何だよ。また大切な話とか言い出すつもりか?」
ハルはリビングのソファーに腰をかけ、疑いの眼差しを冬麻に向ける。
万が一に備え、財布と携帯が入ったコートは着たままだが。
「そう警戒するな。昨日のような事は無い。……やるなら母さんの居ないときにする」
ちっとも反省してませんね。
「じゃあ何?」
「実はだな、この家を壊すことになった」
「はいっ??」
突然の宣告に、ハルは驚きを隠せない。
「もうパパったら~、ちゃんと説明しなくちゃ~。ハルちゃん困ってるじゃない」
「おお、そうだな。すまんすまん」
「あのねお兄ちゃん。壊すんじゃなくて、建て替えるの」
「建て替え? 何でまた……こんな急に」
朝にはそんな話、全く出ていなかった筈だが。
「今日の昼頃だ。こんなニュースが流れた」
冬麻は夕刊をハルに見せる。
「何々、設計事務所による、耐震強度の偽装が発覚…………て、まさか」
「そうなのよ~。この家、当たっちゃったみたいなの。困ったわね~」
ちっとも困って無い様子の菜月。
「そう言うことで、この家を建て替えることに決めたのだ」
「にしても随分急すぎるだろ。直ぐに危険があるわけでも無いんだし……」
「馬鹿者ぉぉぉぉぉ!!!」
冬麻はハルを一喝する。
「僅かでも危険がある家に、大事な可愛い子供(勿論秋乃)と菜月を住まわせられるかぁぁ!!」
「良い言葉だね、カッコが無ければもっと良かったのに」
「……ハルよ。お前ももう一人前の男。自分の身くらい、自分で守って見せろ」
「パパったら~、格好いいわ~♪」
ひしっと身を寄せ合う馬鹿夫婦に、ハルはため息。
随分幸せが逃げた気がする。
「とにかくだ、建て替えの間家を出なければならん」
「まあそうだね。……それで、その間住む家は決まってるの?」
「うむ。まずこれを渡しておこう」
そう言うと冬麻は、一枚のメモと鍵をハルに手渡す。
「……これは?」
「お前が住む家の鍵だ。住所はこのメモを見ろ」
「随分準備がいいね……ん、お前がって事は、みんなは?」
引っかかる言い方だった。
「俺たち三人は、建て替えの間旅行に行くことに決めた」
「をい、ちょっと待て」
「引っ越しは一々面倒だからな。ならば旅行したほうがよっぽど楽しい」
「だからちょっと待て」
「案ずるな。建て替えは数週間で終わる予定だ。その頃には戻ってくる」
「待てって言ってるだろうがぁぁ!!」
一方的に話を進める冬麻に、ハルは絶叫する。
「何だ一体。何か問題でもあるのか?」
「問題大ありだろうが! 二人はともかく、秋乃はまだ学校があるだろ」
「大丈夫よハルちゃん。ちゃんと学校には連絡してあるから~」
「卒業前に、秋乃に世界の広さを見せ、見聞を広げさせたいと、お願いした」
「学校は何て?」
「『どうせこの時期大した事しないし、どうぞどうぞ』って言ってくれたの~♪」
この国は駄目かも知れない。
ハルはガックリと肩を落とした。
「本当はハルちゃんも一緒が良かったんだけど~」
「お前には大学があると思ってな、断腸の思いで一人暮らしさせることにした」
「……親父。断腸の思いって辞書で調べ直せ」
少なくともニコニコしながら言うことではない。
「ま、講義があるのは事実だけど」
「いや~本当に残念だ。あ、荷物はもう運び込んであるから、安心しろ」
「へっ?」
「もう向こうの家に着いてるはずだ。水道やガスの契約も終わってるからな」
抜かりはないぞ、とどや顔をする冬麻。
ここまで仕組まれては、ハルには抵抗する術がない。
ハルは理不尽な思いを感じながら、渋々納得するのだった。
「ここか……」
ハルがやってきたのは、二階建ての小さなアパートだった。
年季が入ったと言えば聞こえは良いが、実際かなりのおんぼろだ。
二階建てで全部で八部屋。住民は出かけているのか、明かりがついているのは一部屋だけだ。
「えっと、202号室だったな」
メモを確認し、階段を上がる。足を乗せるたび、不快な音が響く。不安だ。
鍵でドアを開けて、部屋に入る。部屋の中は、予想に反してかなり綺麗だった。
部屋は六畳、ボロアパートに不釣り合いなシステムキッチン、トイレ、風呂があった。
リフォームしたのか、畳も綺麗に張り替えられている。
冬麻の事だからとんでもない部屋を覚悟していたが、ハルは正直拍子抜けした。
「あの親父にしては、随分と優しいな」
安心したハルは荷ほどきを始める。
元々秋乃と二人部屋だったため、荷物は着替えや大学の教材など最低限の物しかなく、荷ほどきは一時間もしないうちに終わる。
「ま、家具は暇を見て買いに行くしかないな」
机もタンスも無く殺風景な部屋を見て、ハルは一人ごちた。
一息つくと、腹が控えめな音で空腹を主張する。時計を見ると、もう午後八時をまわっていた。
「飯にするか……たしか近くにコンビニがあったな」
来る途中に見つけたコンビニに行くかと、ハルはコートを羽織って部屋から出る。
二階の廊下を歩くと、
「……お隣さんはいるのか。……挨拶しておくか」
ご近所付き合いは大切だ。特にアパートでは、音漏れなどの関係から、隣人との関係は重要。もし怖い人だったら生活には細心の注意が必要となる。
ハルは隣室のチャイムを鳴らす。
「は~い」
部屋から聞こえたのは、女性の声。それも随分と若い。
「どちらさまです…………」
ガチャリとドアを開けて姿を見せたのは、
「…………何で、あんたがここにいるのよ」
「よう、一日ぶり」
ハピネス事務所であった、あの奈美だった。
「あんた、まさかストーカー?」
「冗談。ちょいと事情があって、ここに越してきたんだ。それで挨拶と思ってな」
ハルの言葉に、奈美は意外だと驚いた表情を浮かべる。
「わざわざここに引っ越してくるなんて……。あんたも物好きね」
「このアパートは何か変なのか?」
「契約の時、聞かなかったの?」
そもそも勝手に決められた部屋だ。聞くどころではない。
「何だよ、気になるな。何か訳あり物件なのか?」
「前ここで殺人事件があったのよ」
「……まあ割とべたな話だな。で、何処の部屋だ?」
まあ予想は着く。恐らくハルの部屋だ、とか言うオチだろう。
だが、
「何処って……全部よ」
奈美の言葉は、ハルの予想を遙かに上回っていた。
「おい全部って事はないだろ……」
「何でも夜に殺人鬼がやってきて、アパートの住人皆殺しにしたらしいわよ」
想像するだけで寒気がする。
「……このアパートの部屋が、外と比べて異常に新しくて綺麗なのは」
「殺し方も酷かったみたいだからね。リフォームしないと、とても人が住めなかったみたいよ」
「なるほどね。……色々納得できた」
何故部屋が綺麗なのか、何故冬麻はここに決めたのか。つまりはそう言うことだ。
「私は気にしないけど、やっぱり人気無いみたい。住んでるの私だけだったし」
「ああ、それも納得だ」
「……なんか気になる言い方ね」
「安心しろ。半分くらいは褒めてるから」
残り半分は秘密だ。
「ま、良いわ。住むのは勝手だけど、私の生活の邪魔をしないでよね」
「それも安心しろ。俺は数週間でおさらば。お前と関わる事なんて無いよ」
「だと良いけど。じゃあね」
それっきり、奈美は部屋のドアを閉めてしまった。
「……たまたま世話になった便利屋の所員が隣室。それだけのことだな」
ハルは頭を切り換え、コンビニへと向かう。
実はこれから先、長い付き合いになるのだが、今のハルには知るよしも無かった。
本当に長いプロローグになってしまいました。
いい加減次で終わらせようと思います。
数週間という期限付きですが、ハルは再び家から追い出されました。
しかも隣の部屋が天敵の奈美。お約束という奴ですね。
ここに来てようやく物語が動き始めた感じです。
ゆっくり話を進めていこうと思っております。
更新ペースが安定しませんが、最低一月一話で行きたいです。
次回もまた、お付き合い頂ければ幸いです。