天才?科学者登場
長期の出向依頼を終え、ハピネスに一人の男が帰還した。
自らを天才科学者と名乗る彼だが……。
三月に入り、少しずつであるが春の訪れを感じさせるある日。
ハピネスの事務所に、一人の男が帰ってきた。
「ハピネスよ、吾輩は帰って…………ぐべぇぇ!」
「煩いですよドクター。挨拶は静かにしなさい」
その様子を見ながらハルは思った。
ハピネスはひょっとして、変人ばかりなのではと。
「では改めて、どうぞドクター」
「う、うむ。喜べ愚民共。世紀の大天才、蒼井賢が今戻っ……がはぁぁ」
千景のひじ鉄が男の鳩尾にめり込む。
うずくまり悶絶する様子を、しかしハピネスの面々は慣れた様子で見ている。
「……何なのこの男?」
「俺も知らない」
「ハピネスのメンバーよぉ。ちょっと出張してたんだけどねぇ」
「帰って来ちゃいましたか……」
奈美の問いかけに、ローズと柚子が答える。
どうやら二人は面識があるようだ。
「さあドクター。仏の顔も……と言いますよ」
「はい。皆さんお久しぶりです。蒼井賢、ただいま戻りました」
フラフラの男は、小動物のように怯えながら三度目の挨拶を終えた。
「ドクターはハピネスの技術部門担当なんです」
「機械の修理や補修が主ねぇ。研究機関への出向なんかもあるわぁ」
挨拶を終えた後、初対面のハルと奈美は蒼井の説明を聞く。
「ふん。まあ吾輩の天才的頭脳を持ってすれば、造作もないことだがな」
「……ねえハル。こいつ殴って良い?」
「駄目に決まってるだろう。幾ら偉そうでも我慢しろ」
「ああ、別に構いませんよ」
「千景さん?」
何て事を言い出すのだろう。
「適度に諫めないと頭に乗るので。時に鉄拳制裁も必要です」
「遠慮しないでガンガンやっちゃってねぇ」
「はい、じゃあ行きます」
「待て待て待て待て」
笑顔で拳を握りしめる奈美を、ハルは何とか抑える。
「何もしてない人を殴っちゃ駄目だ。やるなら何かやった時にしろ」
「……ハルがそう言うなら」
良く躾てますね、と言う千景の言葉は無視する。
「それで何処に出張してたんです?」
「何、大した処ではない。ちょっとアメリカ航空宇宙局に三年ほどな」
自慢げに眼鏡をくいっと直す蒼井。
確かにそれは凄い。
偉そうな態度を取るのも仕方ないかもしれない。
「…………ねえハル」
「どうした?」
「アメリカ航空……って何?」
をいをい。
頼むぞもうすぐ高校生。
「宇宙開発をやってる機関だよ。そうだな、NASAって言えば分かるか?」
「ん~聞いたことがあるような、無いような」
どうやって高校入試を突破したのだろう。
小一時間ほど問い詰めたいが、それは後回しだ。
「まあ頭の良い集団が居る場所って思えばいいだろうよ」
「ふ~ん。こいつがね……」
そうは見えないとばかりに、挑発的な視線を蒼井に向ける。
手入れをしていないのか、髪はぼさぼさでだらしない。
切れ長の目をした顔はそこそこ整っているのだが、何故かいい男に見えない。
小さな丸メガネは知的な感じではなく、どちらかと言えばマッドなイメージ。
背は高いが、ヒョロッとした体躯から弱々しい印象を受ける。
「…………人は見かけによらないものだぞ」
「ハルちゃん、さり気なく言うわね」
「ドクターの場合、中身も大差ありませんが」
「同意します」
「ぐすん……」
軽く凹んだようだ。
何となく蒼井という人物の立ち位置が見えてきた。
「紹介はこれくらいにして、ドクターには早速依頼をこなして貰いましょうか」
「ほう、早速吾輩の頭脳が必要になったのか」
「ええ。もう三件も来てます」
「くっくっく、よかろう。どんな依頼だ」
「電子ジャー、ストーブ、ラジカセの修理依頼です」
ああ、確かに技術部門の依頼だ。
程度はともかく。
「そ、そんな些事に吾輩を使おうと言うのか?」
「ドクターにしか頼めないと、名指しで指名が来てます。如何ですか?」
「なるほど。この大天才の助けが必要と言う訳か。よかろう、引き受けた」
不満げな態度は何処へやら。
すっかり乗せられた蒼井は、意気揚々と立ち上がった。
「……なるほど。こうやって扱えば良いんですね」
「腕だけは一流だからねぇ。馬鹿とハサミは使いようよぉ」
ウインク一つ、笑みを浮かべるローズ。
これが大人なんだな、とハルは妙に感心してしまう。
「ならば早速出向くとしよう。……よっと」
「ねえ、それ何よ?」
「これか? これは吾輩の相棒とも言える万能トランクだ」
自慢げに胸を張ると、蒼井は手に持った鞄を机に載せる。
黒色の大きいトランクだ。
革張りなのか、少し高級そうな印象を受ける。
「最新の技術をふんだんに盛り込んだ、正に最高傑作なのだ!」
テンションが上がってきたらしく、大げさに手を広げて声を挙げる。
どう見ても危ない人にしか見えない。
「……別に普通の鞄じゃない」
「ふっ、これだから愚民は」
蔑むような蒼井の視線に、奈美は拳をギュッと握る。
ハルは肩を軽く叩き、何とか宥めていく。
「ならば触れて見ろ。吾輩の技術の一端が見えるはずだ」
蒼井の言葉に、奈美は鞄へそっと手を伸ばした。
瞬間、
バチバチバチバチバチバチ
「ななななな、何よこれぇぇぇぇぇ!!」
鞄に奈美が触れた瞬間、凄まじい電気が奈美を襲う。
それは何というか……非常にシュールな光景だった。
奈美の身体が青白く発光し、レントゲンのように骨が透けて見えている。
「お、おい奈美。早く手を離せ!」
「むむむ、りりり。手ががが、離れないいいい」
「はっはっは、驚いただろう。これが最新の防犯装置『感電君』だ!」
蒼井は満足げに眼鏡をくいっと直す。
「吾輩以外の人間が触れると、十万アンペア、五億ボルトの電流が不届き者を襲うのだ」
「そりゃ過剰防衛だろうが! てかそんなこと言ってないで、早く解除しろ!」
「………………」
「どうしましたドクター?」
「いや、何でもない。少し待て、今解除する方法を考えるから」
「大馬鹿野郎!!」
罵声を浴びせても、状況は改善しない。
どうすれば良いのだろうか。
頭を悩ませるハルだが、救いの手は意外な所から出てきた。
「……蒼井さん。貴方も鞄に触ってください」
「む、何故だ?」
「そのシステム、恐らく生体認証でしょう。貴方が触れば防犯機能は解除されるはずです」
冷静な柚子の言葉に蒼井は渋々従う。
蒼井が鞄の取っ手を握ると、
『対象ノデータヲ確認。防犯システム解除シマス』
機械音声が鞄から聞こえるのと同時に、奈美を襲った電気は解除された。
「……おい奈美、大丈夫か?」
「私は平気だけど、服が……」
奈美の服は高圧電流を浴びたせいで、所々焦げて煙を上げていた。
ハルとしては奈美が無傷なのに驚きだが……。
「認証すると防犯装置は解除されるのか。ふむ、これは改善の余地があるな」
「おい蒼井。それよりも、まず奈美に言うことがあるだろ!」
怒りを露わにして蒼井に強い口調で詰め寄る。
例え過失だとしても、謝罪は必要だ。
「ん、ああそうだな。……どうだ小娘、吾輩の技術力は?」
「……ハル?」
ゾッと底冷えするような、冷たい奈美の声。
意図を察したハルは、無言で頷く。
「ねえ蒼井。素晴らしい技術力を見せてくれてありがとう。お礼に、私も見せてあげる」
「ほう、何をだ?」
「私の…………破壊力よっ!!!」
渾身の右ストレートが蒼井の顔面にめり込んだ。
事務所の壁に吹き飛ばされる蒼井を、奈美が追撃する。
倒れた蒼井のマウントをとり、一方的な攻撃が始まった。
「……死んだかな?」
「残念ながら無理でしょう。あんな風体ですが、耐久力は凄まじいですから」
「それにしても奈美ちゃんは凄いわねぇ。普通即死ものよ、あれぇ」
「落雷直撃クラスですからね。医者としてはとても信じられません」
「それが、早瀬奈美なのです」
何とも深い千景の言葉に、みんなはただ頷くしかなかった。
「とにかく、ドクターは妙な発明をしますので、被害に遭わないよう気を付けて下さい」
「ま、ハピネスの所員は一通り犠牲になってるんだけどねぇ」
「よく首にならないですね?」
「技術力だけは一流、国家機関以上ですから……」
それさえなければとっくに、と千景は悔しそうな顔を見せる。
「心中お察しします……って、柚子は何やってるんだ?」
「治療の準備です。そろそろ終わりそうですから」
優しいな。
「依頼主が待ってますから。きりきり働いて貰わないと」
前言撤回。
ハルは蒼井の立ち位置を再確認することとなった。
今日、ハルは二つのことを学んだ。
蒼井賢と言う男は、天才だが変人で発明品には注意が必要だと言うこと。
そして、絶対に奈美を怒らせてはならないと言うことを。
蒼井賢の帰還は、流血事件を持って幕を開けたのやら閉じたのやら……。
トラブルメーカー&やられ役の登場です。
これからはトンデモ発明で、場を乱して貰いましょう。
因みに、普通の人が高圧電流を浴びると大変危険です。
よい子も悪い子も決して真似をしないで下さい。
次回もまた、お付き合い頂ければ幸いです。




