最終章4《ハルは静かに絆を確かめ》
最終章第四話です。
ハル帰宅から一時間後。
ボコボコにされたハルは、奈美と秋乃の前に正座をさせられていた。
「な、何で……」
「愛情の裏返しでしょ。それだけ心配してたって事よ」
秋乃が呆れ混じりに言う。
「ちょっと携帯の電源を入れ忘れてただけなのに……」
「違うわ。ここ一ヶ月、お兄ちゃんが隠してたことも含めてよ」
「…………」
「約束、守ってくれるわね」
「そのつもりだ」
傷だらけの顔で、ハルは静かに頷いた。
「まず心配させたのは謝る。ただ、本当に大事な試験だったんだ」
「何よ、その大事な試験って」
「これを見てくれ」
ハルはちゃぶ台に、封筒から一枚の書類を載せる。
「????」
「ドイツ語ね。えっと……えっ!?」
ある程度読み書き出来る秋乃は、そこに書かれた言葉に驚き目を見開く。
「お兄ちゃんこれって……」
「ああ。この試験を受けた。厳しかったんだけど、どうにか合格できた」
「じゃあお兄ちゃんは」
「も~」
勝手に話を進める秋乃とハルに、奈美は叫び声をあげる。
「私にも分かるように話して。この紙切れがなんなのよ」
「奈美、これは大学の編入書類よ」
「編入? ハルどっか別の大学に行くの?」
「そうだよ。その試験を受けたんだ」
「な~んだ。それで合格したんだよね、おめでとう」
笑顔で祝福する奈美に、ハルは少しだけ表情を曇らせる。
「でもどうして大学を変えるの?」
「……やりたいことが出来たんだ。その為の大学に行くことにした」
「やりたいことって何?」
「獣医師だよ」
「じゅういし?」
「動物のお医者さんだ」
言い直したハルの言葉に、奈美は成る程と頷いた。
「それはやっぱり、モノマネがあるから?」
「まあ、な」
「動物の仕事は沢山あるのに、どうしてお医者さんなの?」
「人は病気や怪我をしたとき、助けを求める事が出来る。でも、動物はそれが出来ない」
泣き声や仕草で、それを伝えることは出来るだろう。
だがそれは言語に比べて、あまりに不確実だ。
結果として、気づいたときには手遅れだという事態も多い。
「動物の言葉が分かってから、そんな動物達のSOSを俺は何度も聞いたんだ」
「だからお医者さん……」
「意思疎通がほぼ完璧に出来る獣医師なんて、多分世界でも少ないと思う。俺のモノマネが、役に立つことを見つけたんだよ」
「そっか……」
「勿論簡単な事じゃない。資格を取るのに何年も掛かるし、とってからも責任のある仕事だ。だけど、やり遂げてみせる」
力強いハルの言葉に、奈美は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それならそうと言ってくれれば良かったのに」
「いや~、本当に難しい試験だったから、結果が出るまでは黙ってようと思って」
「臆病者」
「返す言葉もない。心配させたことは本当に済まないと思ってる」
「良いわよもう。こうして話してくれたんだし」
もう奈美の中では、ハルへの不満はすっかり消え去ったようだ。
「……あれ、秋乃。どうしたの、難しい顔して」
先程からずっと黙り込んでいる秋乃に、奈美が問いかける。
「ねえお兄ちゃん。私と奈美に、言わなきゃいけないことがあるでしょ?」
「あ、ああ……」
「何?」
「実は、だな。その大学……ドイツにあるんだ」
「それで?」
「つまり……俺はドイツに留学する事になる」
「へ~…………っっ!!」
軽く相づちを打った奈美は、言葉の意味に気づき身体を震わせる。
「どんなに早くても、六年以上は掛かるだろう」
「……そんな……」
「長期休みには戻ってくるから……」
「もう良い! ハルなんか何処にでも行っちゃえ!!」
ハルの言葉を遮り、奈美は裸足のまま外へと掛けだしていってしまった。
「……今回は全部お兄ちゃんが悪いわよ」
「分かってる」
「分かってない。奈美の気持ちに気づいてたら、こんな事出来ないわよ!」
珍しく激しい口調でハルを責める秋乃。
「あの子は、お兄ちゃんのこと好きなのよ」
「…………」
「それがいきなり外国に行くって言われたら……どんな気持ちになると思う?」
「…………」
「私はお兄ちゃんも、奈美を想ってると思ってた。でも違ったんだね」
「違くない!」
「違うわよ。奈美の事何も思ってないから、あんな無神経な事言えるんだわ」
秋乃の口調は強く厳しい。
それはハルの本心を引きずり出す事になる。
「俺は……俺は奈美を大切に思ってる」
「大切? そんな曖昧な言葉で誤魔化すつもり?」
「……俺だって奈美の事が好きだよ。それはお前にも否定させない」
「本当に?」
「ああ」
キッパリと言い切ったハルに、秋乃はニヤリと小さく唇を歪める。
「なら、こんな所にいる場合じゃ無いんじゃない?」
「…………」
ハルは無言で頷くと、奈美を追って部屋から飛び出していった。
「ふぅ~、疲れた」
一人きりの部屋で、秋乃は大きく息を吐く。
「全くあの二人は。最後まで手がかかるんだから」
愚痴る秋乃だが、その顔は笑みの形に崩れる。
「あんな芝居までさせたんだから……しっかり決めてよね、お兄ちゃん♪」
これから起こるであろう事態を想像し、秋乃はハルへエールを送るのだった。
夜の芍薬公園。
奈美はベンチで一人項垂れていた。
「ハルの馬鹿、馬鹿……」
瞳からは意図せず涙がこぼれる。
信頼していた人、好意を抱いていた人からの、突然の別離宣言。
乱れた心はとても収まらなかった。
「でも、私はもっと馬鹿だ……」
そもそもハルに、自分の想いを伝えていない。
いわば片思い。
ハルからすれば、ただの友達だったのかも知れない。
考えれば考えるほど、溢れる涙は止まらなかった。
公園にたどり着いたハルは、奈美の姿を見て複雑な思いを抱く。
見つけて安心した気持ちと、俯く奈美に申し訳なくなる気持ち。
混じり合う感情を整理しながら、ゆっくりと奈美に近づいていった。
「奈美……」
呼びかけるハル。
顔を上げない奈美だが、肩が僅かに震えた。
「謝る事とか沢山あるけど……一番最初に言いたいことがあるんだ」
「…………」
「俺は……お前が……その……好きだ。一人の女性として」
「!?」
驚いたように、奈美は顔を上げ、涙で晴らした目をハルに向ける。
「本当……に?」
「ああ。俺の本心だ」
真っ直ぐに見つめるハルの視線を受け、再び奈美の目から涙がこぼれる。
だがそれは、先程までと違い暖かい感情が溢れたものだった。
「私も……ハルが好き」
立ち上がった奈美を、ハルはそっと抱きしめた。
落ち着いた二人は、公園のベンチに並んで座っていた。
「えへへ」
嬉しそうな笑みを浮かべる奈美を、ハルも嬉しそうに見つめる。
寒さを吹き飛ばす、バカップル状態だった。
「俺は向こうに行くけど、ずっと行きっぱなしじゃない。ちゃんと定期的に帰ってくる」
「うん……」
「終わったらちゃんと戻ってくる。だから……」
言い切ることは出来なかった。
ハルの唇に、奈美の人差し指が当てられていたからだ。
「その言葉だけで充分よ。生憎と、それで挫けるほど柔に出来てないから」
「そうか」
「だけど、浮気は駄目よ。金髪美女とか連れて帰ってきたら、フルボッコだからね」
「当たり前だよ。信じられないか?」
「信じさせて」
瞳を閉じる奈美に、ハルはそっと唇を重ねた。
その後。
ハルは関係者に事情を説明しに回った。
「優秀な所員を失うのは痛手ですが、男の旅立ちなら快く見送らなければなりませんね」
「迷惑を掛けてすいません」
「全くです。まあ、ここが道を見つける助けになったのなら……何よりです」
千景は姉のように、ハルを応援した。
「もうハルちゃんたらぁ。私に黙って決めちゃうなんてぇ、寂しいわぁ」
「ごめんよローズ。色々世話になったね」
「うふふぅ、いい顔してるわねぇ。そのままもっといい男になって来てねぇ」
ローズは最後までローズらしく、ハルを送り出してくれた。
「まさか本当に道を開くとは、正直驚きました」
「柚子がくれた薬のお陰だよ。これまでの事も含めて、本当に感謝してる」
「諦めずに頑張って下さい。命を救う仲間が増えることを祈っています」
柚子は先輩っぽく、ハルにエールを送った。
「獣医師か。ハルには向いていると思うぞ」
「ありがとう。ある意味これも、紫音が居たから選ぶことが出来た道だよ」
「切っ掛けなど些細なものだ。身体に気を付けてな」
紫音は変わらない大人びた言葉で、ハルの身を案じてくれた。
「ふん、選別だ。持っていくが良い。向こうは物騒だからな」
「手荷物検査で引っかかるって。気持ちだけ貰っておくよ」
「……吾輩の力が必要なら声を掛ける良い。気が向いたら……手を貸してやろう」
蒼井は似合わないツンデレ風味に、それでもハルを気遣ってくれた。
「この馬鹿息子が。親に何も相談無しに決めるとは」
「あれ、聞いてないのか?」
「ん?」
「俺、母さんにはちゃんと連絡してたんだけど。一応大学変わる訳だし」
「ぬぉぉぉぉ。酷いぞ菜月ぃぃぃ」
冬麻は何時も通りだった。
「おめでとうハルちゃん」
「ありがとう母さん」
「ハルちゃんがちゃんと自分のこと考えてくれて、お母さん嬉しい♪」
「ははは、まあそんなわけだから、早く帰ってきて秋乃の事頼むよ」
「任せて頂戴♪ それはそうと、もう一つ報告すること……あるんじゃない?」
「え?」
「孫の顔、早くみたいな~♪」
「な、どうしてそれを!」
「母の愛に不可能は無いのよ。ドイツに着いたら会いに行くから、連絡頂戴ね♪」
菜月は相変わらず何でもありぶりを発揮していた。
「頑張ってねお兄ちゃん。寂しくても泣いちゃ駄目だよ」
「……悪いな、一人にしちまって」
「別に今と変わらないわよ」
「母さんには早く帰ってこいって言っておいたから」
「だから平気だって」
「……ありがとう。お前は自慢の妹だよ」
「……うん」
秋乃は涙を浮かべながらも、兄の旅立ちを祝った。
そして。
「いよいよね、ハル」
「ああ。見送りありがとう」
「毎日電話するから。メールも……頑張って覚える」
「……時差だけは覚えてくれよ」
「私もそっちに遊びに行ったりするからね」
「そん時は、あっちこっち案内してやる。美味しい物も一杯食わせてやる」
「それから……それから……」
「奈美」
そっと奈美の身体を包み込む。
もう言葉はいらなかった。
「時間だ、そろそろ行くよ」
「うん……じゃあハル」
「ああ」
「またね」
「またな」
そしてハルは、ドイツへと旅だった。
自分の夢を叶えるために。
ようやくネタばらし&最大の山場を超えました。
大学編入・転入については、大体予想通りだったかと思います。
獣医師というのは、実は最初から結末に考えていました。
本編で何度も会話シーンを導入していたのは、少しでもハルの決断に違和感を無くす為でしたが……かなり地味でしたね。
打ち切り(?)でなければ、この辺りのエピソードを入れる予定でしたが、何とも面白くない話になってしまい……技量不足を反省しています。
そして、小説の柱となっていた奈美との関係。
ここまでお読みになって下さった方は、二人の気持ちに気づいていたと思うので、結ばれた事にさほど驚かなかったかと。
まあハルがヘタレだったと言うことで。
最後も結局、秋乃の小芝居に後押しされた形でしたし。
何にせよ、二人が無事に結ばれて良かったです。
さて、いよいよ次で最終章の最終話です。
その後、を簡単ですが紹介したいと思っております。
果たしてハル達はハッピーエンドに辿り着けたのか。
それとも、失敗して全滅エンドで幕を閉じるのか。
最後の一話、どうかお付き合い下さい。