四月一日、目を閉じたまま
三月三十一日、午後八時。
別に意味なんてないのに、日付だけはやけに意識していた。
明日になれば、嘘をついていい日になる。
だからなんだって話だけど。
コンビニの前で、スマホをいじりながら時間を潰す。
既読のつかないトーク画面。
何回目だよ、これ。
送って、消して、また送って。
「元気?」とか「久しぶり」とか。
どれもこれも薄っぺらく感じて、結局全部消した。
……未練がましいのは分かってる。
でも、仕方ないだろ。
あいつは、俺のものだったんだから。
そう思ってしまう時点で、もう終わってるのも分かってる。
数ヶ月前に初めて手を繋いだ帰り道を1人で歩いていた。
「……あ」
視界の端に、見覚えのある後ろ姿が映った。
反射的に顔を上げる。
見間違えるはずがない。
あいつだ。
髪、短くなってる。
俺が好きだった少し長めの髪ではなくなってた。
隣には——自分よりも顔が良い男。
しかも、普通に距離が近い。
笑ってる。
あんな顔、俺の前でしてたっけ。
……いや、してた気がする。
してたから、余計に腹が立つ。
胸の奥がぐちゃっとする。
「……はは」
思わず、笑いが漏れた。
なんだよそれ。
もう次かよ。
切り替え早すぎだろ。
俺なんか、まだ——
いや、違う。
違うだろ。
あいつは悪くない。
別れたのは俺のせいだ。
束縛して、疑って、勝手にキレて。
「なんで他の男と話してんの」とか、
「俺のこと好きじゃないだろ」とか、
……思い出すだけで、吐きそうになる。
なのに。
なのに、だ。
「……ふざけんなよ」
小さく、吐き捨てた。
勝手に終わらせといて、
勝手に幸せそうにしてるのが、
どうしようもなく、気に食わなかった。
気づいたら、足が動いていた。
距離を詰める。
見られないように、でも見失わないように。
……我ながら気持ち悪い。
こんなところが良くないことは自分でも分かってる。
でも止められない。
「ねえ、それ似合ってる」
彼女の声が聞こえる。
ああ、やっぱりあの声だ。
あの日から変わってない。
「ほんと?ありがと」
男が笑う。
軽い声。
軽いやつ。
なんであんなやつなんだよ。
俺の方が——
「……っ」
思考が、どんどん濁っていく。
俺の方が長く一緒にいた。
俺の方があいつのこと知ってる。
俺の方が——
「……だからなんだよ」
小さく呟く。
そんなの何の意味もない。
今、隣にいるのは俺じゃない。
それが全部だ。
二人が立ち止まった。
信号待ち。
距離は、ほんの数メートル。
逃げるなら今だ。
でも、動けなかった。
見たくないのに、目を逸らせない。
彼女がふとこっちを見た。
一瞬、目が合う。
たぶん何秒か時間が止まった。
「……あ」
自分の口が、わずかに動いた。
たぶんあっちも気づいた。
思わず一瞬だけ目を瞑ってしまう。
でも——
すぐに、逸らされた。
何事もなかったみたいに。
隣の男に向き直って、
また、笑った。
……ああ、そういうことか。
もう、俺は「元カレ」ですらない。
もう、俺は「知り合い」ですらない。
ただの、過去だ。
ただの、他人だ。
「……はは」
笑うしかなかった。
勝手に期待して、勝手に傷ついてる。
ほんと、どうしようもない。
四月一日、零時。
スマホの画面の上で日付が変わる。
今日はエイプリルフール。
嘘をついていい日。
「……じゃあさ」
誰に言うのでもなく、呟いた。
「まだ好きってのも、嘘にしてくれよ」
指が動いてしまう。
久しぶりにメッセージを打つ。
『もう未練ない』
少しだけ考えて、最後に一言付け足した。
『これ、嘘だから』
送信してしまう。
既読はすぐには付かない。
当たり前だ。
……我ながら気持ち悪い。
もう俺の事なんて——
その時、画面が震えた。
新着メッセージが2件。
『じゃあ、ほんとのこと言ってよ』
『嘘つかないでよ』
心臓が強く打つのが分かる。
なんだよ、それ。
今さら。
今さら何を——
震える指で画面に打ち込む。
『まだ、好き』
送信してからの数十秒間がやけに長く感じた。
そして——
『そっか』
それだけだった。
たった三文字。
しかし続けてもう一通。
『でも、ごめん』
画面がやけに明るく見える。
その後しばらくしてから次のメッセージが送信された。
『さっき目が合った時、私も気づいてたよ』
一瞬、呼吸が止まった。
なんでその話が出てくる。
さっきの光景が頭をよぎる。
『なんであの時すぐに目、逸らしたの?』
こいつは何を言ってるんだ。
目を逸らしたのはそっちだろ。
『自分で気づいてないでしょ』
一拍、間があった。
『嫌なことがあった時、すぐに目を瞑るのあんたの癖なんだよ』
あぁ、そっか。
すぐに目を逸らしたのは俺だったか。
ずっと現実から目を背けて、逃げ続けてきたのは俺だったか。
視界が少し歪む。
あの時、自分から目を逸らした理由。
すぐに目を閉じた理由。
『私、好きな人できたよ』
——知ってるよ。
まだ淡い期待を抱いている。
『でも』
指が止まらない。
読みたくないのに、目が離せない。
続きが来てしまう。
もう逃げられない。
『もうあなたじゃない』
スマホを持つ手に力が入る。
嗚咽と涙が止まらない。
分かってた、分かってたはずなのに。
こうして言葉にされると、どうしようもない気持ちでいっぱいになってしまう。
四月一日。
今日は嘘をついてもいい日。
「未練なんてないよ」
誰もいない部屋で呟いた。
少しだけ目を瞑る。
「これ……嘘だよ」
もうそれを聞く相手はいなかった。




