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かいしゅうやさんのおしごと  作者: ヒゲ博士


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9/18

心の準備だけはできていない

 隔離地域の分厚い防壁から数キロメートル。防衛省が管理する地下50メートルの極秘セクター「第零工廠」は、24時間止まることのない機械の唸り声に支配されていた。


 無機質なナトリウムランプの光が、埃一つない実験室を不気味なオレンジ色に染めている。

 その中央、強化ガラスで仕切られたクリーンルームの中に、サフミは三日間、一度も眠ることなく座り続けていた。

 彼女の目の前には、卵の形をした鉄の球体が座っている。『対・扉破壊爆弾ゲート・バスター』。

 直径一メートルほどの球体ユニット。その表面には、サフミが自身の指先を血に染めながら刻んだ超微細な回路が、生き物のようにのたうち回っている。

 中心部で青白く、時に禍々しい紫色に明滅するコアは、サフミがかつて盗まれた[想定存在顕現装置]の理論を、破壊のために逆説的に再構築したものだ。


「……サフミ博士、体調はどうでしょうか。バイタルに異常が見られます。」

 

 インターホン越しに、若き技術官の震える声が響く。

 サフミは返事すらしない。彼女の網膜には、常に数万行のコードが猛烈な速度で流れ落ち、その思考はもはや現実の肉体から半分切り離されていた。


「……黙ってて。回路が少しでもズレたら機能しなくなる。……作戦開始まで、あと七十二時間。……一秒も無駄にはできないわ」


 彼女の細い指がキーボードの上で舞うたびに、実験室内のサーバーが悲鳴を上げ、巨大な冷却ファンが火花を散らす。


 作戦名、『隔離地域扉除去清掃』。


 それは、サフミにとっては、自分が産み落としてしまった「悪夢」に対する、最後の落とし前だった。


「これで…私の間違いを正せる。」











 



 淀川の廃墟を望む、築五十年の古びた雑居ビル。その一室、看板さえ剥がれかけた「三九零八回収事務所」の内部は、静寂という名の毒に侵されていた。 


 男は、月の光さえ届かない闇の中に独り座り、使い古されたオイルの缶と、分解された『零式』のパーツを眺めていた。

 安物の煙草の煙が、換気扇の回らない部屋に澱んでいる。


「明後日には登山が始まるな。」

 

 男はゆっくりと、自分の生身の左手で、機械の右腕に触れた。

 冷たい。指先のセンサーが拾うのは、金属の無機質な感触だけだ。


(冷たい…まるで氷だな。)


 その冷たさは雪山の鋭利な風とにている。彼の意識を、3年前の、まだ世界に「色彩」が満ち溢れていたあの日へと引き戻した。





    


 そこは、北アルプスの峻険な尾根、標高三千メートルの世界だった。

 風は鋭いナイフのように頬を撫でたが、その空気は何処までも澄み渡り、肺の奥まで清められるようだった。

 隣には、雪に反射する太陽の光よりも眩しい笑顔があった。


「 見て! あそこに見えるのが槍ヶ岳。……あんなに綺麗。私、この国に生まれて、あなたと一緒にここに来られて、本当に幸せだよ」


 恋人の名は、美咲。

 彼女は古いライカのカメラを首から下げ、季節が変わるたびに日本の自然が放つ一瞬の輝きを記録することに、その短い人生の全てを捧げていた。

 彼女にとって、この国の景色は守るべき唯一無二の宝物だった。


「……ああ。そうだな、美咲。……約束だ。来年の年越しはあの尾根を越えて、もっと高いところへ行こう。」 

「なに~太陽と初の日の出ってこと?オヤジギャグ?」

「うるさいな。そんなつもりねぇよ。」


 若き日の「真田太陽」は、彼女の肩を抱き、心の底から笑いながらそう答えた。

 だが、山の神は、人間の傲慢な約束を許さなかった。

 

 突如として、足元の雪原が「ピキッ」と、世界の終わりを告げるような音を立てた。

 一瞬の静寂の後、大気を震わせる地鳴りが響く。表層雪崩。

 白銀の死神が、轟音と共に稜線から牙を剥き、二人の足元を根こそぎ奪い去った。


「太陽ッ!!」


 美咲の体が、重力から解き放たれるように宙を舞った。

 太陽は本能的に、剥き出しの、まだ温かかった右腕を伸ばした。

 指先が、彼女の赤いウェアの袖を捉える。

 

「離さない! 絶対に離さない!!」


 太陽は、岩肌に左腕を突き刺し、右腕一本で彼女の全体重と、雪崩の猛烈な圧力に耐えた。

 右肩の関節が外れ、嫌な音が響いた気がした。肉が裂け、神経が焼き切れるような激痛が脳を白く染める。

 それでも、彼は彼女の手首を掴み続けた。爪が剥がれ、雪の上に鮮血が飛び散っても、彼は離さなかった。

 

 だが、雪の奔流は容赦なかった。


 美咲の体を引き摺り下ろそうとする巨大な質量に対し、青年の細い右腕は、あまりにも無力だった。

 

「……太陽。……もう、いいよ」

 

 美咲は、滑落していく絶望の最中で、なぜか微笑んだ。

 その瞳は、太陽を見つめ、そして、彼女が愛した遠くの景色を見つめていた。

 

「……大好きだよ、太陽。」

 

 彼女の指先が、じり、じりと、太陽の手の中から滑り落ちていく。


 「だめだ、だめだッ! 美咲ィィィッ!!」

 

 太陽の指先が虚空を掻いた。

 彼女の赤いウェアが、白銀の深淵へと吸い込まれ、一瞬で消えていく。太陽は後を追って奈落へと身を落とす。





 なんども身体を打ちながら落下したせいで、太陽は気を失っていた。


「くっ…ここは。」


 身体を起こすと、そこは絶望でしかなかった。

 ほぼ垂直な崖、登ることは不可能なほど高く、身体は傷だらけだった。そんなところに太陽達は、たまたま反り返ってできた足場となる小さな岩肌に乗りかかっていた。


「うっ…うそだろ…おい!美咲!」


 幸いなことに美咲もここにいた。だが彼女は背中から岩肌にぶつかったのだろう。仰向けになり、口から血を吐き、虚ろな目で太陽を見ていた。


「…着たんだ」

「あ、当たり前だろう…なぁ美咲。死ぬな…。頼むから…。」

「ロマンチック。………へへ…嬉しいなぁ。」


 助からない。頭にある知識が反り返って、諦めを促してくる。


「私ね…。太陽が…隔離地域に行くの反対してた…」

「そうだな。おれは、おれはここから帰ったら仕事を探すよ。そしたら。」

「でもね。こうやって…登山してる人が死ぬと………誰も覚えてくれないし…忘れられるの……」


 美咲は弱々しい力で男の手を握る。


「太陽…貴方は……そういう思い出を…………掬い上げて。」


 そして、力は抜け落ちた。


「いやだ!嫌だ美咲!!」


 どれほど力を込めようが、握り返すことも、返事をすることも無い。真田太陽は死ぬなと叫び続けることしかできなかった。

 救助隊が彼を発見したのは、それから六時間後のことだった。

 太陽は、真っ白な雪の中に膝まで埋まり、既に感覚を失い、どす黒く変色した右腕を空へと突き出したまま、声の出ない絶叫を上げ続けていた。

 






 男は、ふっと現実に引き戻された。

 闇の中で、自身の右腕を見つめる。

 


 あの日、右腕と一緒に「真田太陽」という人間も死んだのだ。

 

 彼が本名を捨てたのは、単純な理由だった。

 彼女が愛した日本の美しさを、自分は守れなかった。それどころか、彼女というたった一人の人間すら、救う力を持たなかった。

 

「……俺に、太陽を名乗る資格などない」

 

 彼は名前を捨て、シリアルナンバー『3908』へと成り下がった。

 感情を殺し、過去を消し、ただ依頼を遂行するだけの機械になる。それが、美咲の手を離してしまった自分に課した、終身刑だった。

 

 だが、今。

 隔離地域には「四枚の扉」が現れ、彼女が愛した景色が汚されている。思い出達を忘却へ連れて行く。だこら掃除をしないといけない。

 

「美咲。……お前の手を離した俺に、できることは一つだけだ。……あの扉を、ブチ壊す」

 

 男は『零式』の人工筋肉に電流を流した。

 ウィィィン、という駆動音が、事務所の静寂を塗り替える。

 それは、過去への贖罪を燃料とした、男の最後の鼓動だった。








 午前3時15分。

 事務所の隅、埃を被った古い固定電話が、静寂を切り裂いて鳴り響いた。

 男は迷うことなく、受話器を手に取る。


「どうした。」

『……所長ね。事態が変わったわ。』


 サフミの声だ。背後からは、軍用ヘリのローター音と、防衛省の慌ただしい暗号通信が漏れ聞こえてくる。


『「隔離地域扉除去清掃」の決行が早まったわ。』

「な、なんで急に。」

『淀川ゲートに動きありよ。偵察に出たメンバーが敵の銃撃にあってる。』

「銃撃だと…」


 隔離地域は厳正に統制されている。武器の持ち込みなどできようもないことを考えると、敵はサフミの装置によって作り出された存在だと、男は考えた。


「でもなんで今なんだ…。」

『爆弾が完成したのよ。もしかしたらこれは敵の防衛行動なのかもしれない。どちらにせよ、早く動かないと隔離地域から締め出される。』

「わかった。1時間後に向かう。」


 男は受話器を置き、机の上に置いてあった「3908」と刻まれた古いドッグタグを、義手で粉々に握りつぶした。

 

 彼は事務所の扉を開けた。

 そこには、いつの間にか戻ってきたサヤカが、冷たい雨の中、自身の愛車の前で待っていた。

 

「……珍しく、いい顔してますね。所長。」

「うるさい。行くぞ」

 

 男は、サヤカの問いを遮り、雨の降る街へと足を踏み出した。

 

 四枚の扉。黒い守護者。国家の陰謀。

 それら全てを粉砕するために。

 真田太陽という名を、再び暗い胸の奥底に、決意という名の楔で封じ込め。

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