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かいしゅうやさんのおしごと  作者: ヒゲ博士


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おとぼけバンビ前編

佐藤:ログを確認した。指輪、ありがとな。


男:どういたしまして。


佐藤:本当に荷台にはなにも?


男:報告通りだよ。


佐藤:わかった。察していると思うけど、荷台には大事なものが入ってたんだ。


男:やっぱり。近くの製薬会社から盗んだんだ。


佐藤:人聞き悪ぅ~。ちゃんと依頼された品だよ。直前過ぎて言えなかったんだ。悪かったな。


男:はぁ…。傷ついた。なんでもいいけど。てか今更じゃないですか?


佐藤:確かに。クライアントも今頃聞いてきたんだ。なんでだろうな?


男:わかんないよ。


佐藤:そらそうか。まぁ何にせよ、もしかしたら大掛かりな捜索隊になるかもって言ってる。準備しておいてくれ。






 






 3908と呼ばれる回収屋の男は、安アパートの湿った布団の上で、スマホの画面を睨んでいる。

 男は昨日のやり取りを見終えるとスマートフォンを放り投げ、天井のシミを数えた。


「……釈然としないな。」


 何かは知っているが隠している、そんな確証もない事を強く確信していた。だが問い詰めて巻き込まれるのも嫌。

 男は、知りたいと知りたくないのジレンマに喘いでいると記憶が蘇った。

 あの時、トラックの荷台に刻まれていた引き摺り跡。あれは単なる強奪者の仕業だったのか。それとも、佐藤自身が仕組んだ狂言の一部だったのか。あるいは、もっと異質な「何か」が、あそこには棲みついていたのか。

 考えれば考えるほど、胃の奥に冷たい石を詰め込まれたような不快感が広がる。


「考えても腹は減るし、何も始まらないってね。」


 男は起き上がって窓の外を見た。境界線の「壁」は、今日も鈍色の空を背景に、ただ黙ってそこに立っている。


「……道具、取りに行くか。」


 男は独り言を呟き、親父さんに預けた「相棒」たちを迎えに行くことに決めた。












 廃工場街にある親父さんの工房に辿り着き、バイクを置いてシャッターを叩く。トントン、トン、トトトン。


「………ん?」


 いつもならすぐに、親父さんの不機嫌そうな「生きてたか、バカ息子」という怒声が響くはずだった。だが今日は違う。

 数秒の沈黙の後、重厚な油圧の駆動音が響き、シャッターが機械的に、かつてないほどスムーズに持ち上がった。


「……親父さん?」


 男は訝しげに中へ足を踏み入れた。

 工房の中は、異常なまでに整理整頓されていた。かつての散らかったジャンクパーツや、オイルがこびりついた床は一掃され、そこには手術室のような、無機質な清潔感が漂っている。

 その中心で、親父さんは作業台に向かっていた。


「親父さ___」


 しかし、その背中は以前よりも幾分か小さく見え、それでいて不自然なほど静止している。

 親父さんの手元では、最新鋭のレーザー溶接機が、音もなく青白い閃光を放っていた。


「……来たか。」


 親父さんの声は、低く、掠れていた。以前のような荒々しさは消え、どこか遠い場所から響いているような、実体のない響きだ。


「親父さん、体調悪いのか? 工房、えらく綺麗にしたな。」

「なんで体調悪いと綺麗になるんだよ。……効率化だ。いつも頼んでる所と業務提携になってな。お前のオーダーを実現するには、古いやり方じゃ扱いきれん。」


 作業台の上には、男が預けた相棒がいる。スカイフック、コフィン、キャッツアイ、そして見慣れない物が1つ並んでいた。

 男が眺めていると親父さんは作業の手を止めて歩み寄った。だが俺の方を見ない。


「………ん?親父さん、なにこれ。」

「まぁまて。全部説明するから。一先ずはスカイフックを持ってみろ。」


 男は言う通りにスカイフックを手に取った。

 ずっしりとした重み。だが、グリップを握った瞬間、掌の形に合わせて素材が微細に変形し、吸い付くような一体感を生み出す。

 突然の生理的な感触に男は驚きを隠せない。まるで子供のように飛び跳ねた。


「なっ!なにこれ!?グリップの素材を変えたのか?!」

「形状記憶ポリマーの新型だ。お前のつけてるそのスマートウォッチと連携してる。心拍数と発汗量に合わせて、摩擦係数をリアルタイムで調整する仕様だ。」


 飛躍的な技術進化に驚いていると、地面にあてがった時の感覚に違和感を覚えた。

 グリップを回して、スカイフックの石突き部分を目の前に持ってくる。石突きの底面には以前になかった繊細な溝が刻まれていた。


「先端のチップも変えた。電磁誘導を多層化し、コンデンサの蓄電効率を300%だ。もうスタンガンじゃない。至近距離なら鉄板をも焼き切るプラズマカッターの出力が出る。」

「え…急に武装化するじゃん。」

「お前がバールみたいな使い方すっからだろぉが!!!毎回ハンダ割れ治すの俺なんだぞ!!2度とすんじゃねぇ!!……あっ因みに壁超え対策としては規定内だから気にすんな。」


 因みに「壁超え対策」とは、回収屋の鉄則となる。隔離地域に侵入する民間は武装してはいけないため、殺傷力がない【護身用】の域をでるようなものを所持していると逮捕される。

 そうならないようにギアを工夫し、かけ合わせで威力を上げるのがマスト。これが壁超え対策だ。

 

「次はコフィンだ。」

「なんかワクワクしてきた。」

「もう35だろ。子供みたいでみっともねぇぞ。」

「やめろよ…傷つくだろ…。」


 外装には、光を不自然なほどに吸収する黒い特殊繊維が編み込まれている。


「レーダー波を乱反射させるステルスコーティングだ。ずっと言ってた真空ポンプは無音駆動に換装した。これなら壁の向こうの誰にも気づかれずに済むはずだ。」

「マジで助かる。たまに死ぬ程煩かったんだよなぁ…。」

「そら宇宙開発の使い回しだったからな。冷媒がドロついて、駆動系がフルで回ってたんだ。全部小型化コンバートしてるからもう大丈夫だ。」


 男は、親父さんの言葉を一つ一つ咀嚼しようとしたが、その技術レベルの飛躍に脳が追いつかない。

 それ故に頭の中にある残高に危機感を覚えた。


「なぁ親父さん……これ、いくらかかるんだ? 俺の報酬だけじゃ、一生かかっても払いきれないだろ。」


 親父さんは、ようやく男の方を振り返った。

 その瞳は赤く充血し、目の下には深い隈ができている。それなら言い辛い様子でゆっくりと、言葉を繋げていく。


「金はいらん。決済を向こう持ちで済ませている。その…お前はこの道具たちの…『テスター』なんだとよ。」


 親父さんの言葉で、男の背筋に冷たい氷柱が走る。

 その会社が負債を持ってまで民間に頼むには臭すぎるからだ。

 親父さんに卸しているという「最新鋭の部品」。それは、単なる支援の枠を超えている。男という「唯一無二の生還者」に、最先端の、あるいは非道な技術を注ぎ込み、どのような反応を示すかを観察しようとする、歪んだ実験の匂いがした。


「親父さん。あんた脅されてるのか?」

「……何も。俺は、ただ……この技術の先にある景色を見たいだけだ。」


 親父さんの嘘はあまりにも下手だった。彼は作業台の隅にある、小さな家族写真を無意識に隠した。そこには、笑顔の幼い孫娘と、親父さんの姿が写っている。


「なぁ親父さん。」

「……すまねぇ。勝手に進めた俺を怒るのも無理はねぇよ。なんなら別でギアを作って___」


 取り繕う背中、無理やり作る笑顔。みすぼらしいのは親父さんの方だった。

 嘘がつけない頑固さが、あれほどの職人気質さが、剥がれ落ちる程に影響している。だから男は本心を開くことにした。


「なんか色々あるんだろうけど、気にしてないよ。」

「色々って…何を知って。」

「わかるよ。だって親父さんだもの。」    


 親父さんは男の目を見て言葉を受け止めた。それが本心である事が、瞳から、ぶれない姿勢から、そして気概から伝わった。

 

「…やっぱ勝てねぇわな。」


 頭をかきながら、親父さんは顔を隠した。


「あ!!泣いてやんの!!」

「ダッ!!!うるせぇ男だなてめぇ!!いいから次行くぞ次!」


 いつもの調子を取り戻した親父さんを見て、男は安堵した。


「通信問題だったな。オーダーされていた衛星通信だが…現状単身での衛生通信はバッテリーの持ちを食いつぶすリスクがある。」

「え…そうなの?」

「衛星っていう中継基地局が成層圏のうえだぞ?いくら電波ほしいからってそれじゃあ、開発コストも行動的リスクも増える。もったいない。」


 そういうと、黒色の小さな箱を親父さんが太い指で示した。


「だからこれを作った。」

「……ポケットWiFi?」

「アホめ。中継アンテナ式小型ドローン【傘】、それらを格納し、箱自体もアンテナとして機能する【ゴーストライン】だ。」

「小型ドローン…ゴーストライン…。」

「このゴーストラインに内蔵している増幅器が受信体制を鋭敏にする。その上、近くにある媒介、例えば自衛隊回線なんかも経由して通信ができる。」


 それから男は親父さんの言う通りに多機能ゴーグル「キャッツアイ」を装着した。


「見た目は変わってないけど何が起き___」


 スイッチを入れた瞬間、視界が爆発した。何故なら以前の「二〇一九年の幻影」の投影とは、次元が違っていたからだ。

 網膜に直接映像を投射しているかのような、圧倒的な解像度。

 AR(拡張現実)のレイヤーはもはや「重ね着」ではなく、現実の廃墟と完璧に融合していた。

 壁の向こう側から漂ってくる僅かな熱源、空気の密度、さらには電磁波の波形までもが、可視化された情報として視界を埋め尽くす。


『はじめまして、ユーザー3908。現実化ディスプレイ適合を確認しました。貴方のお仕事のお手伝いをさせていただきます。』


 ゴーグルの内部で、無機質な合成音声が囁いた。


「えっ…嘘…喋った?」

「ゴーストラインによって構築された通信基盤を元に、AIによるアシスト機能を試験的に搭載した。お前の過去の行動ログから、最適なルートを提案する。」


 ダイブ(回収屋の用語で探索)ルートには自身があった。安全な経路を使って最短を望む。それを心がけ実践してきた。

 それを下にAIが学習しているのなら、相当余裕が生まれると男は考えた。そしてその先が見える。


「マジカ…。」


 男はゴーグルを外した。手が震えていた。何故ならこれは「道具」ではないからだ。

 これは、自分を隔離地域の生態系に抗う為の力。人間の域を超えるための「義体」の一部だ。

 親父さんの手によって、自分の意思とは関係なく、男という存在が「人間」の領域から少しずつ剥奪されていく。

 そんな恐怖が脳の裏側で爪を立てて、音を鳴らせている。


「親父さん。これ、本当に俺が使いこなせると思う?」

「寧ろお前にしか扱えない、俺が調整しているからな。だから……死ぬなよ。お前が死ねば、俺の仕事は本当の『悪』になる。」


 親父さんは、震える手で新しいコーヒーを淹れようとして、カップを床に落とした。

 陶器の割れる音が、静まり返った工房に不気味に響き渡った。















 男は改修されたギア一式を車体に積み込んだ。カブの荷台には、不気味なほど黒いコフィンが鎮座している。

 工房を去り際、親父さんは一度もこちらを振り返らなかった。ただ、機械の研磨音だけが、彼を見送る言葉の代わりだった。


 三日前の堺での一件。


 そして、このあまりにもオーバースペックな装備。


 佐藤の目的。親父さんの沈黙。全てが繋がっているようで、決定的なピースが足りない。


 男は夜の国道を走りながら、キャッツアイのバイザーを指先で叩いた。すると視界の隅で、不可視のネットワークが脈動している。

 佐藤が構築した、巨大な「見えない力」の回線だ。


「……何にせよ。仕事は仕事だな。」


 男は加速した。


 この先に待っているのが、命を賭けた救出劇なのか、それとも歴史の闇を葬るための掃除なのか、今の彼にはまだ知る由もなかった。

 ただ、背中で呼吸するように微かな駆動音を立てる「コフィン」が、獲物を待つ獣のように静かに、熱を帯びていた。























2026年1月8日 午前9時2分





 淀川を跨ぐ巨大な「壁」は、街を切り裂く剃刀の刃のように冷たく、湿った朝霧に濡れていた。

 男は検問所から少し離れた未舗装の空き地にスーパーカブを停め、エンジンを切った。静寂が耳に痛い。

 カチ、カチと冷却されるエンジンの金属音だけが、ここがまだ「人間の世界」の端であることを主張している。 


「コフィンは…煩くないな。助かる。本当に。」


 男は背中に背負った『コフィン』の重みを確かめた。

 親父さんの手によって、外装は光を吸い込むような漆黒のステルス・コーティングへと変貌し、内部には新たな冷媒サイクルが組み込まれている。重くなった。だが、それは単なる質量の増加ではない。まるで、得体の知れない生物を背負っているかのような、熱を孕んだ重圧だ。


「……キャッツアイ、起動」


 男が呟くと、装着した多機能ゴーグルが微かな駆動音と共に網膜投影を開始した。



『システムチェック完了。ユーザー:3908。外気温6度。湿度81%。……お早うございます。本日の体調は良好です』


 無機質な、それでいてネットアイドルの声をサンプリングしたかのようなAIの音声が脳内に響く。

 男は不快そうに眉根を寄せた。自分の思考の中に他人が入り込んでいるような感覚が、どうしても馴染めない。


「不必要なお喋りはいい。……依頼主を呼べ」

『了解。暗号化回線にて接続します。』


 数秒後、検問所のコンクリートの塊から、一人の男が影のように現れた。

 今日の彼は、制服のボタンを一つ掛け違え、瞳の奥には拭いきれない焦燥が滲んでいた。


「……本当にろ…来てくれたんだな。」

「仕事なんだから来るに決まってるだろ。」


 自衛官の声は掠れて幾晩も眠っていないことを物語っている。男は普段素っ気ない対応を心がけているが、流石に心配にはなってきた。


「仕事だと言ったはずだ。……それで、その『ガキ』の話を聞かせろ。俺の時間は安くないぞ。」

「あんまり強い言葉使わないでくれ…頭に響いて痛いんだ。」


 自衛官はゆっくりとした動きで、眠そうにノート程の幅がある大きいタブレット端末を取り出した。その仕草はふらついていて、危なっかしい。

 画面には、監視カメラだろうか、一人の少年が、どこかの更衣室に隠れている姿が映っている。


「名前は畠中裕二、17歳。2日前に自衛隊車両に紛れ__」

「お、おい!!」 


 まるで魂が抜かれたみたいに、白目を向いて、硬直したまま背中から倒れていく。その瞬間に男は自衛官を受け止めた。


「大丈夫かよ…。」

「へっ…やっぱり世話焼きじゃねぇか。」

「____い、依頼主死なれたら困るんだよ!!!うるせぇヤツだな!!」


 男は恥ずかしさのお陰で気づいていなかった。自身が親父さんに似ていることに。


「捜索が難航してるんだ…映像だって…昨日の物で現地にも…いない…。」

「そうか。わかったから休め。」

「そ…そういう訳には行かねぇよ!」


 突然、弾けたように自衛官は男の腕を振りほどいた。



 活気を取り戻した自衛官は、畠中裕二の詳細を聞いた。

 父親に似たという太い眉と、真っ直ぐすぎる視線が、かつての男自身と重なり、胃の奥がチリと焼けるような感覚を覚えた。


「彼は、一昨日出発した定期巡回車両の荷台に潜り込んだ」


 自衛官は周囲を警戒しながら、早口で説明を始めた。


「恐らく目的は父親、畠中一曹の捜索だ。……一曹は一ヶ月前、梅田の北側にあるデッドスポットで行方不明になった。軍は『殉職』として処理したが、遺体も遺品も回収されていない。息子には、それが耐えられなかったんだろう」


 男は鼻で笑った。


「ガキの無鉄砲か。だが、それを止めるのがあんたたちの仕事だろう。なぜ俺に回ってくる」


 男は我に返って自衛官を見る。言い過ぎたと謝ろうとした時、自衛官の口はゆっくりと動いていく。


「……上が、動かないからだ」


 自衛官の拳が、震えながら握られた。


「司令部は、この件を『存在しない事故』として処理したいんだ。」

「それは____」


 誰だろうと関係がない。行政から隔て、隔離したこの場所での有事というのは触れないものとなっている。

 それは看板を掲げて救出しても、生きて帰れる保証がない。寧ろ被害がでる可能性があるのだ。自衛隊なら尚更だ。


「あの街に忍び込んだんだ。法的にはもう死んだものとして扱われているだろう。……見捨てられたんだよ、隔離施設の中にな」


 男は数秒間、沈黙しする。その隙を突いてか自衛官は、男の前に跪かんばかりの勢いで詰め寄った。 


「あんたは『送り人』だ。地獄から思い出を連れ戻すのが仕事だろう。……だったら、生きた思い出も連れ戻せるはずだ。頼む、あの子を……裕二君を、生きて壁の外へ連れ出してくれ」



 佐藤から受けた「臨海部の依頼」の報酬は、すでに親父さんの口座へと振り込まれている。金のために働くなら、今の自分に無理をする必要はない。

 だが、この自衛官の目が男の想いを膨らませた。

 組織の歯車でありながら、その摩擦で火花を散らし、摩耗していく一人の人間の苦悩。それは、かつて後方支援として仲間を見送るしかなかった、男自身の「あの日の影」だった。

 こうなると、言葉の選択肢は決まってくる。


「任せろ。俺は回収屋だ。必ずもどってくる。」


 熱い目が自衛官の心に届いたのか、笑って返した。


「……そんなふうにいえるんだな。最初からそうしろ。そうすれば…人付き合いも楽になるぞ。」

「俺にだって事情ってもんがある。」

「……ふん。おもしろいな。だが感謝する。データは暗号化してあんたの連絡先に送った。」


 自衛官は希望に満ちた目を持って、男の手を固く握る。


「幸運を祈る。」

「こう言うのもあれだが、幸運なんてあの壁の向こうには一欠片も落ちちゃいない。」


 男は冷たく言い放ち、ゲートへと歩き出した。

















『現在梅田北、当該デッドスポットへ進入しています。……3908、心拍数が上昇しています。深呼吸を推奨し___』

「余計な事は話すなと言ったはずだ。」


 男はAIの警告を無視し、重厚な鋼鉄の扉の向こう側へと足を踏み入れた。

 たったその一歩で空気が変わる。都会の騒音も、人の営みの気配も、全てが「壁」によって遮断された世界。

 そこにあるのは、2019年から時が止まり、腐敗と野生化だけが進行した、静止した都市の骸だ。


「行くぞ。」


 男はスカイフックを手に取った。

 親父さんが施した最新の改修。石突きがアスファルトに触れる瞬間、キャッツアイの視界に微細な波形が広がる。


「ソナーポケット、展開」

『了解。全方位半径100メートルの構造解析を開始。……3908、前方200メートル、中宮交差点付近に微弱な金属反応。自衛隊車両から脱落した部品、あるいは……』

「……少年の痕跡か」


 男は影のように進んだ。今回の装備の凄まじさは、その「隠密性」にあった。

 コフィンから放射される微弱な音波が、男が立てる微かな足音を相殺し、周囲の音風景の中に溶け込ませていく。

 自分が立てる音すら自分で聞こえない。まるで、世界から自分の存在が削り取られていくような、薄気味悪い感覚だと。


「動物の反応は?」

『現在、半径500メートル以内に大型生物の熱源反応なし。……しかし、空気中の電磁波ノイズが異常です。何らかの「意図的な通信」が、このエリアで行われています』


 男は立ち止まり、周囲のビルを見上げた。

 かつてのオフィスビルは、蔦に覆われ、割れた窓が虚ろな目のようにこちらを見下ろしている。

 

「意図的な通信…。自衛隊が近くにいるのか。」


 言葉を噛み締める。だがそれは男の足を抑えるものにはならない。
















 少年の足跡は、泥濘の中に点々と残っていた。

 自衛隊車両から飛び降り、激しく転倒した跡。そこから、痛む足を引きずりながらも、迷いなく北へ向かった軌跡。

 その目的地は、キャッツアイの投影データと一致した。


 『旧・北野病院。一ヶ月前、畠中一曹が最後にGPS信号を発した地点です』


 巨大な白い廃墟が、霧の向こうから姿を現した。

 かつては命を救う殿堂だった場所は、今はコンクリートの皮膚を剥き出しにし、不気味に佇んでいる。

 男はスカイフックのグリップにある安全装置を外した。親父さんが言っていた「プラズマカッター並みの出力」という言葉が、不吉な予感として脳裏を掠める。


「……裕二。そこにいるんだろう。出てこい」


 男の声は、目の前に広がる空っぽのロビーに吸い込まれていった。

 

「反応がない。隠れてるのか…。キャッツアイ。」


 音声認識によって、キャッツアイの感度を最大に上げる。


『二階、外科病棟の廊下に一つの熱源があり。心拍数120。呼吸は浅く、小刻みな震えています。』

「……見つけた」


 男は階段を音もなく駆け上がった。一段飛ばしで階段を昇る自分の体が、まるで自分の物ではないように軽く、速い。急な身体能力のブーストに違和感があるが、男は無視した。

 廊下の角を曲がった先、ナースステーションのカウンターの陰。

 そこに、泥だらけの学ランを着た少年、畠中裕二がいた。

 彼は、小さなナイフを構え、剥き出しの敵意を男に向けていた。


「来るな! 自衛隊の回し者か! 父さんを殺して、今度は僕を消しに来たのか!」


 少年の叫びは、悲鳴に近かった。


「……俺は自衛官じゃない。あんたの知り合いの自衛官に、あんたを『回収』するように頼まれただけの、ただの登山家だ。」

「登山家?回収屋だろ!!」


 男はゆっくりと手を上げ、敵意がないことを示した。


「嘘だ! 誰も信じない! 父さんは、あの時……無線の向こうで言ったんだ。『裏切られた』って! だから、僕が助けに来たんだ!」


 男は、少年の背後に広がる暗闇に目を凝らした。

 キャッツアイの警告アラートが、赤く点滅を始める。


『警告:地下階より、高出力のジャミング波を確認。……3908、後方から「複数の熱源」が接近中。人間ではありません。』

「裕二、伏せろ!」


 男は叫び、少年の体を突き飛ばした。


「急になに___うわ!!!」


 その直後、少年の背後から重力を無視した動きで何かが飛び出した。

 細くも毛深い四肢を床につけ、研がれ牙を剥き出しにしている。


「何だお前…」


 それは1頭の狼だった。だがその様相は外で見るような物ではない。

 毛が所々抜け落ち、皮膚が爛れて肉が見えている。男は思った。腐っていると。

 悍ましい立ち姿に裕二は泡を食っている。


「な、なんだよ!なんだよあれ!?」

「……これが、『新しいゲーム』か」


 男はスカイフックを突き出した。

 先端から放たれた高電圧の閃光が、暗闇を青白く切り裂く。

 ジジッ、という肉が焼ける音。しかし、狼は痛みを感じる様子もなく、機械的な動きで再び男へと襲いかかる。

 狼の口を開いて牙が見えた時、男は親父さんの言葉を思い出した。


  「死ぬなよ。お前が死ねば、俺の仕事は本当の『悪』になる」


 今、自分の目の前で蠢いているこの異形。それは、親父さんと同じような技術者が、誰かの「見えない力」に屈して作り上げた、最悪の完成予想図ではないのか。

 そして、自分もまた、この強力なギアに身を包むことで、その完成図へと一歩ずつ近づいているのではないか。


「……裕二、俺の背中に隠れてろ」


 男は少年の手を強く引いた。


「お前の父さんの居場所は、俺が必ず突き止める。だが、今は生き残ることだけを考えろ!」


 少年の震える手が、男のコートを掴んだ。

 その温もりだけが、狂気に満ちた廃墟の中で、男が「人間」であることを繋ぎ止める唯一のいかりだった。

 地下から、さらに多くの「足音」が近づいてくる。

 男はスカイフックの出力を最大に解放した。

 コフィンが唸りを上げ、周囲の空気がイオン化して紫色の火花を散らす。


「裕二、伏せろッ!!」


 男の怒号が、カビ臭い廊下の空気を震わせた。その直後、視界を覆うキャッツアイの網膜投影が、闇の奥から迫る殺意を鮮烈な赤色で描き出す。

 姿を表す狼の肥大化した筋肉が、不自然な痙攣と共に鋼鉄のような硬度で収縮し、四肢の爪は床のタイルをバターのように切り裂きながら迫る。

 特別、常人よりも男は危機察知能力がずば抜けており、攻撃のタイミングを掴んでいた。


「来る!」


 狼が跳躍した。重力を無視したかのような鋭い軌道。その顎が、裕二の喉元を食い破らんと剥き出しになる。

 男はスカイフックのグリップを逆手に握り直し、親父さんが施した最新の駆動スイッチを親指で跳ね上げた。


「出力解放……ッ!!」


 突き出したスカイフックの石突きが狼の喉元に触れた刹那、親父さんの自信作である「多層化電磁誘導コイル」が、溜め込まれた全エネルギーをプラズマとして爆発させた。

 ゴォッ!! という、空気が焼ける凄まじい轟音。

 青白い閃光が、数年分の埃が積もった廊下を真昼のような白さに染め上げる。数千度の超高温プラズマは、狼の頭部を一瞬で蒸発させ、後に残った胴体は勢いのまま男の足元を通り過ぎ、壁に激突して炭化したつぶてとなって砕け散った。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

「おい!おいおじさん!大丈夫か!?」

「はぁ……はぁ……まぁな。」


 男は、激しく上下する肩を抑え、自分の右腕を見つめた。

 かつてのスカイフックなら、これほどの出力を放てば腕の骨が砕けるほどの反動があったはずだ。しかし、親父さんの改修は完璧だった。新設されたダンパーと衝撃吸収材が、すべての反動を機械的に相殺している。

 とはいえ、あれほどの威力を使った所で、無事ではすまない。焼き溶けた鉄が身体を貫いたような痛み、熱さが右肩を舐め回す。


(くそ…思ったより身体にくる。)

『警告:ユーザー3908。心拍数165。アドレナリン及び鎮静剤の経皮投与を開始します。戦闘継続時間は残り12分です』


 AIの、感情を排した声が脳内に直接響く。男は吐き気を堪え、ガタガタと震えながら腰を抜かしている少年の襟首を、強引に掴んで引きずり起こした。


「立て。……裕二、お前は父さんの場所は知ってるんだろ。」

「……あ、ああ。ここをでたところの…き、緊急用シェルターだよ。」

「だったらもっとしゃんとしろ!!こんなところで止まってたら、次に来る奴らに食い殺されるぞ!!」


 一撃で満身創痍となった男は、自覚無く焦っていた。だから荒い言葉で裕二を焚きつける。流石に言い過ぎかと考えたが、少年の目を見ると、そんなことはなかった。


「わ、わかった!!」


 裕二の瞳には、まだ親を想う真っ直ぐな希望が残っている。














 病院を脱出し、男と裕二は梅田の瓦礫地帯へと足を踏み入れた。

 かつて西日本最大の繁華街として栄えた梅田は、今や巨大なシダ植物がビルを締め殺し、錆びた鉄骨が巨大な肋骨のように天を突く、静寂の密林と化していた。

 男はキャッツアイが提示する「最適隠密ルート」に従い、瓦礫の山を音もなく駆け抜ける。親父さんの無音駆動ポンプが、男の存在を風景の中に溶かし込んでいた。


「裕二、休憩無しでここまで来たが大丈夫か?」


 まだ高校生となる裕二を男は心配したが、生き1つ荒げず、落ち着いた様子で頷いた。流石自衛官の息子と言ったところだろう。


「父さんが最後に出ていくとき、僕はいってらっしゃいって言ったんだ。だから父さんを…父さんを迎えに行くんだ。」


 瞳の中には炎があった。若くて青くも、猛々しい意思が宿っている。

 こんな時代が自分にもあった。彼の背中を押して守ることが自分の使命なら、男は言うことはないと、視線を目標まで伸ばす。

 絶対に守ってやるという強い想いを抱いて。


「よし。じゃあいくぞ_____」


 だが北区中津付近の広場に差し掛かった瞬間、視界の全情報が「ERROR」の文字と共に赤く点滅した。


『広域無音状態を感知。』

「え?」


 瞬間、耳が音の吸収を止めた。まるで水の中にでもいるような感覚に、足元を救われてアスファルトを転がる。

 自分の悲鳴すら遠く、無音の世界で擦りむいた身体の痛みだけが残る。

 裕二は大丈夫なのかと、振り向けば、なにか叫んでいることはわかっても、言葉が世界に載っていない。


(む、無音…。そんなもん軍事兵器でも聞いたことが。)

 

 手をこまねいていると、キャッツアイのディスプレイに文字が乗る。


『__周波数相殺不可。全神経を視覚に集中してください。敵性個体は不明。音波による情報集は不可。ゴーストラインによる情報収集開始。』


 辺りの情報はキャッツアイに任せ、俺は無音の世界で立ち上がり、裕二を抱えて近場のカフェに隠れた。


(頼む…頼むから何か情報を…。)


 頼みの綱が自衛隊になるとは思わなかったが、デッドスポットと呼ばれるだけはあった。


『情報収集完了。』


 毛嫌いしていたAIは文句も言わずに仕事を終え、成果を可視化する。


『敵性個体:変異型アフリカゾウ。詳細不明。細胞変化により、音波を発し、無音地帯を作っているものとされる。戦闘、逃走共に推奨されません。「静止」してください。』


 世界から音が消えたこの場所において、逃げる以外の手立てが無いことを、男は自覚している。

 風の唸りも、瓦礫が崩れる音も、巨大な掃除機に吸い込まれたかのように完全に断絶された。


(これは流石にまずい…どうやって逃げるか。)


 男はカフェにいるため、裏口か勝手口を探す。すると、裕二は無表情のまま、外を眺めていた。つられて視線の先を追うと、男は到底受け入れられない現実が待っていた。 


 瓦礫の山の向こうから、ゆっくりとその姿を現したのは、生物の進化が狂った果ての「神」だった。

 アフリカゾウの変異種。しかし、その体躯は13メートルを超え、五階建てのオフィスビルを優に上回る。皮膚はコンクリートのように灰色に硬質化し、背中には墜落したヘリの残骸が肉と一体化して癒着している。


『高電圧の静電気によるジャミング効果を確認。分析不可。』


 男は息を呑んだ。象の顔面から左右に伸びる、5メートルを超える二本の巨大な牙は、紫色の雷を纏っていた。

 牙のシルエットが微振動を繰り返している。恐らくその振動こそが、周囲半径100メートル圏内のあらゆる音波を打ち消す「逆位相の結界」を作り出していた。


「……っ!?」


 裕二が恐怖に耐えかねて叫ぼうとしたが、空気は振動を拒絶し、声にならない。

 だがそんなことよりも男は、紫色に照らされた若い顔に危機感を感じた。

 男は咄嗟に裕二の襟首を掴み取り、カフェを出て、崩壊した高速道路の支柱の陰に身を隠した。

 突然の事に裕二は怒るが、男は聞こえなくとも口を動かす事にした。


(な、なにすんだよ!)

(光が入るって事は、向こうからも、見られるということだ!)


 まるで漫才のような動きだが、そうこうしている間に、キャッツアイが静かにテキストを網膜に映し出す。


 特性1:牙の振動の一段階により、無音状態を形成。音波の歪み、相殺振動数の変化で索敵能力あり。

 特性2 :二段階目に達すれば、摩擦による高電圧の静電気が周囲の物質を焼く。

 特性3:三段階目――自爆特攻。ソニックブームにより、エリア一帯を更地にする。



 巨獣がゆっくりと前脚を上げる。地響きすら無音。

 その足裏が地面に触れる瞬間、衝撃波だけが放射状に広がり、周囲の窓ガラスを音もなく粉々に粉砕した。

 象の巨大な瞳が、ゆっくりと周囲を睥睨する。


(これだけ派手に動いてて、何故バレな____そうか!コフィンのお陰でソナーを掻い潜ってるのか!)


 音に頼れないこの世界で、男を救ったのは親父さんの技術だった。ステルスコーティングを施されたコフィンは、象の鋭敏な空間把握能力すら欺いていた。

 無音の中、男の脳裏には工房の匂いが蘇る。


『お前が死ねば、俺の仕事は本当の「悪」になる』


 親父さんのあの声だけが、音が死滅した世界で唯一、鼓膜の内側で鳴り響いていた。


(なんにしたってあんなもの相手にしてられるか!やり過ごすしか…)


 男は裕二を抱き寄せて支柱に背を預け、後は神に祈るのみだった。

 冷や汗が顎を伝い、地面に落ちる。その雫すら音を立てない。

 体感で感じる無骨で、抗いようもない重苦しい振動。その歩幅は大きく、ゆっくりと遠のいていく。



 永遠にも感じられる数分間。巨獣は男たちの頭上をゆっくりと通り過ぎ、西の空へと去っていった。 



「_____聞こえる…。裕二、もう大丈夫そうだ。」

「ホントだ。」


 音が戻った瞬間、男たちは肺にあるすべての空気を吐き出した。

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