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かいしゅうやさんのおしごと  作者: ヒゲ博士


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例えば君が傷ついて

 スマートウォッチを見ると、男のバイタルと今日の時刻を示している。2026年1月1日19時30分。現在の淀川の南岸は世界で最も静かで、最も騒がしい境界線だ。

 かつて「水の都」と呼ばれた大阪の夜を支配しているのは、不夜城の喧騒ではない。高さ10メートルを超える巨大な防潮堤――通称『壁』の上に設置された、数え切れないほどの投光器が放つ、刺すような白光だ。

 男は背中の重苦しい鉄の箱を揺らしながら、登山用の杖をついて門の前に立った。


「また来たのか回収屋。」


 淀川検問所の鉄格子が行く手を阻み、その向こうには自衛官が小銃を持って立っていた。自衛官の乾いた声が、冷たい夜気に溶ける。


「3908。」


 男は短く答えた。何とも言われていないその4桁の数字は、男がこの場所を通り抜ける為の割り当てられた身分を証明するものだった。


「まだ何も聞いてないだろ。」

「3908。」

「はぁ…。年の瀬に死に急ぐなよ。」


 自衛官は気だるげに対応する。無線気に口を傾けてを何処かへと飛ば、男を舐めるように眺めた。

 男の見た目は、この場にはあまりにも不釣り合いだった。二十代前半と言われても誰も疑わないであろう、中性的な幼さを残した童顔。しかし、その瞳だけは三十五年の歳月がもたらした、濁りのない冷徹さを宿している。

 そして何より奇妙なのは、その背中とゴーグルだった。

 大きな四角いバッグ。かつて平和な街を走り回っていた配達員の象徴は、今やこの死の街において、別の意味を持つ呪物と化している。


「確認できたぞ『送り人』。もう少しで扉が開く。」


 自衛官の目がわずかに細められた。侮蔑ではない。それは、これから死地へ向かう「狂人」に対する、一種の弔いに似た視線だ。


「年始も『登山』か。別に金に困ってないだろうによくやるよ。」

「…さっさとすませてくれ。仕事なんだ。」

「はいはい。もっと愛想よくしてくれてもいいだろう2年の付き合いだぞ。」


 男にとって無駄な会話をしているうちに、鉄格子の横にあるポストから、ボードに載せられた用紙が出てきた。男が2度見していると、自衛官が説明を始める。


「あーすまない。今年から始まったんだ。一〇一五事件の免責事項が書かれているから、それ呼んで職業だけ記載してくれ。」


 男は無言でボードを取る。そこには、一〇一五事件以来、定型文となった免責事項が並んでいる。

『隔離区域内における一切の被害について、日本政府および自衛隊は責任を負わない』

『死亡時、遺体の収容は行われず、公的な捜査も行われないものとする』

『職業:アルピニスト(登山家)』

 男が職業欄にその文字を刻むとき、わずかに口角が上がった。

 行政が責任を放棄するための免罪符が、この国で最も危険な不法行為に「登山家」という気高い名前を与えている。皮肉なものだ。

 そのボードを書いてポストに投函すると、自衛官は品定めを始める。


「持ち物を確認する。ここはまだ日本の土地だ。武装は許されないし、猟銃も許可が無ければ通れない。」


 自衛官の促しに、男は手に持った一本の杖を掲げた。


「登山用だ。あと防塵ゴーグル。背中には回収品を入れる背嚢だ。」

「はいはい。それにしか見えないよ。」

「…。」

「へそまげんなよ。通してやってるんだから多少は柔らかくしてくれ。」

 

 自衛官は品定めを終えると、また無線機に口を寄せた。すると油圧の重低音が響き、鋼鉄の重厚なゲートがゆっくりと、わずか一人分だけ開いた。


 その瞬間、境界を越えて「風」が吹き抜けた。


 それは、文明の香りが一切しない、湿った土と、埃と、何かが永い時間をかけて腐敗した後に残る、甘ったるい死の匂いだ。2019年、あのパンデミックがあらゆる日常を止めた瞬間から、この街の空気は澱んだまま、熟成を続けている。

 ゴーグルの横についてあるボタンを押すと、視界の中でARディスプレイが展開される。


 防塵ゴーグルなんて嘘っぱち。男のつけているゴーグル『キャッツアイ』のレンズ越しにARマッピングが起動する。用意ができた。男は確信づいて歩き出した。

 

「おい、回収屋。」


 目の前に立つ自衛官が声をかけると、男は足を止めた。


「年始から知った顔が死んだ、なんて聞きたくないんだ。帰ってこいよ。お年玉にコーヒーでも淹れてやるよ。」

「……頂くよ。」

 

 男は足を進めていくと、背後のゲートが、重い金属音を立てて閉ざされる。


「忘れるな、ここはまだ日本だ。」


 通り抜け際に自衛官は男の右肩を叩きながら放った言葉に、反応せずにはいられない。

 そこから先は、日本であって日本ではない。警察も、救急も、良心も届かない、ただの「放置区域」だ。 

 現実の視界には、雑草がアスファルトを食い破り、骸骨の群れのように立ち並ぶビルの廃墟が広がっている。しかし、ARのレイヤーはその上に、二〇一九年以前の、きらびやかで騒がしい「大阪」の幻影を重ね合わせた。

 かつてここにあったローソン、信号機、立ち食いうどんの店。

 幻影の中を、男は音も足を踏み入れていく。
















 ゲートから獣道と変わった車道を歩き、梅田へと続く御堂筋に入る。その時点でスマートウォッチを見ると、時刻は2100 を示している。


「…少し時間は食ったが…まぁ許容範囲だな。」


 イチョウの木は手入れを失い、巨大な怪物の腕のように枝を広げ、街灯をへし折っている。

 見慣れた筈の光景は記憶と擦り合わない。違和感。それすら感じない程に、男はこの場所に何度も通っていた。 


「なんだ。」


 男の足が止まった。


「なんだ。何かいる気がする。」


 周囲に目線を這わせていく。息をしない建物、自然に戻っていくアスファルト、ツルに巻かれた標識に埃が積まれていく無人の車たち。


「変化無し。サーマル起動。」


 ゴーグルは熱源探知機能を起こす。青色になる景色は、熱を拾わない。機械に拾えない兆候を確かに感じた男は少しの間だけ身動きを止めた。自身の勘を、最新鋭の機械よりも優先したからだ。


(彼等…。そういえばここはテリトリーだったな。)


 感じ取ったそれは「生きた人間」の動きではない。人目を忍び、舌舐めずりすら聞こえてきそうな気配。人間が居なくなったこの土地は、獣にとって有意義な生活の場に回帰している。餌がないという点を除いて。

 彼らを刺激してはならない。彼らにとって、この街の「日常」を乱す生者は排除すべき異物でしかないからだ。

 時間は経っても変化がない。男は少しだけ安堵した。


(すぐに襲うような事はない…もう別の肉を食ったんだな。)


 男は背中のバッグのストラップを締め直した。


(さっさと仕事は終わらせないとな。)


 時はたったと男は足を進めていく。向かう先は梅田の地下街だ。




 今回の依頼は、梅田の地下街、あの「一〇一五事件」の爆心地に近い場所にある。依頼品は時価数億のダイヤなどではない。引き出しに入れられているはずの、一本の「思い出」だ。

 誰にも看取られなかった「思い出」を回収し、届けるために。




 頭の中で自身の現状を纏めている間に、目的地には辿り着いた。


「案外近い。」

 

 梅田の地上は、もはやアスファルトの森ではなかった。

 淀川から吹きつける湿った風が、崩落寸前のビル群を不気味に揺らし、男のコートを濡らす。キャッツアイのARマッピングは、かつての繁華街の賑わいを幻影のように映し出すが、その下には過去の残骸だけだ。


 今回の目的地は、梅田駅から徒歩五分に位置する「ラグジュアリー・コレクション・アベニュー」というビル地下にある商業スペース。

 生前はブランド品や高級時計を扱う、まさに富裕層の「聖域」だった場所だ。依頼品は、その一角にある老舗の宝石店「エメラルド・ガーデン」の金庫内にある。


「…潰れている。」


 目的地であるビルにたどり着くも、その出で立ちは過去の栄光すら残ってはいない。雨に打たれて塗装は剥げ落ち、入り口は崩壊が進んでいて、人が一人だけ通れそうなスペースだけを残している。


「やるか。」


 男は手に持っていた杖を逆手に持ち、石突きの部分を手で拭いて、そのまま建物内に向けた。すると石突きから緑色の可視光線が一閃、なにもない筈の空間に照射された。

 だがキャッツアイのディスプレイに変化はない。


「……生きてる気配はなし。いや…全く反応が無いわけじゃないな。おっさんのセンサーを信じないわけじゃないが…」


 かろうじて見つかるのは、水たまりに溜まった温かい雨水の反映、あるいは壁の裏側に巣食うドブネズミの群れだけだ。


(なんだこの嫌な感じは…。)


 だが、その「静寂」こそが、この街で最も警戒すべき要素だと教訓を得ていた。その為ここは迂回することにした。


「……迂回するか。」


 男は廃墟となったファッションビルの一階から、地下へと続く非常階段を探した。

 しばらく見て回るが殆ど崩落と浸水で、本来の入り口は塞がれている。だからこそ非常口なのだ。











「あった……」


 1時間の粘りが功を奏して、奇跡的に通れそうな非常口を見つけた。

 腐食した鉄骨と、泥と藻にまみれた階段を降りていくと、空気は一層重く、カビ臭くなった。湿気と錆びた鉄の臭いが鼻腔を刺激する。


「ちっ……」


 男は舌打ちし、足を止める。そして携帯しているマスクを口元に運んだ。

 鉄の匂いに騙されてはいけない。微かに鼻を突いた刺激臭には、寄せ集めた大量のチーズのようなしつこい匂いが紛れていた。

 これはアンモニア臭と硫化水素が大量に混ざりあった故のもの。つまりは腐敗臭。死の匂いだ。


(クソ…やっぱりデッドスポットか。)


 今の大阪にはデッドスポットと呼ばれる区域がある。種類としては2つある。

 パンデミック当時、治療ができず死亡した罹患者の遺体を安置する場所だ。これは身元引受け人がいないため、安置所が溢れた結果故にだ。

 もう一つはもっと不快な理由。それは狩り場だと言うことだ。様々な理由で野生化した獣が居着いた場所で、狩った獲物が集積されている。

 どちらにせよ、生者である男にとって身体に良い場所ではない。


(すぐに見つかるといいが。何にせよ、警戒は怠れないな。)


 口元に上がってくる生理的嫌悪感に蓋をして、男は階段を降りていく。

 ぐるぐると身体を軽やかに回すと、目の前に看板が現れた。地下二階という表示だ。


(ここを曲がって…通路を進む。)


 階段を離脱して、壁を曲がると地上の光すら届かない通路があった。


(暗いな。ナイトビジョンに切り替えないと。)


 慣れた手つきでキャッツアイの機能を選ぶ。ナイトビジョン。これによって鶯色に視界を広げられる。

 かつては煌びやかなショーケースが並んでいたであろう通路は、濁った水が膝まで浸かり、天井からは常に水滴が落ちている。

 キャッツアイのARマッピングが、当時のフロアガイドを幻影のように重ねる。目指す「エメラルド・ガーデン」は、この通路を抜けた先の十字路を右に曲がった奥だ。


(クソ…ただでさえマスク越しに臭うってのに、水浸しなんてついてないぞ。)


 その時、水面から微かな「音」が聞こえた。男は足を止めて耳を立てる。


 チャプン……、チャプン……。


 規則正しい水音。


 男は破竹の勢いで廃墟となったブティックの試着室の陰に身を隠す。そして顔をゆっくりと影から出す。


 いた。


 通路の奥、十字路の手前。影が水の中をゆっくりと動いて、静かに水面を歪ませていた。


(……。)


 寡黙に水面を眺めていると、硬い鱗に覆われた尾が水の中から一瞬だけ見えた。


(ワニ…だよな。多分。)

 

 彼らはこの隔離地域では珍しくない生物となっている。動物園、金持ちのペット、理由は何でも良いが、今や隔離地域に立つ生存者にとって最大級の障害だ。


(どうせ一匹だ。やり過ごせば…)


 男はワニのテリトリーが廊下だと踏んだ。気づかれていない今をやり過ごし、過ぎ去るのを待つとしたのだ。迂回ルートはこのフロアのほとんどが崩落しているか、浸水が深すぎて泳ぐしかない。

 男は呼吸を整え、心拍数を意識的に落とした。静かな中で聞こえる水の音だけが頼りだった。


「過ぎ去るまで……五秒。」


 男は心内でカウントを始めた。一、二、三、四、五――。


 ワニの尾ひれと波紋が目の前を通り過ぎたその瞬間、男は水面を蹴った。だがその直後に足を止めて、同じ位置に戻った

 通り過ぎた筈の鱗の塊がもう一体、通り過ぎたワニを追いかけるように泳いでいた。


(ワニって単独行動じゃないのか。今はいい。なんにしたってまずい。)


 ワニは単独行動を好むが、アリゲーターなどの種類には社会性を営むものもいる。もしそれらがコミュニティの覇権を握った場合、隷属するのはごく自然なことと言えるだろう。

 だがそんな事、男は知るはずもない。単なる民間人だった彼には専門知識などあるはずがない。唯一の救いは、それらを乗り越える危機察知能力を備えていることだ。

 彼は好機を待つ為に身を潜めたが、ワニの顎は激しい飛沫とともに開かれた。


(でけぇだけだな!!)


 男は持っていた杖の石突きを、ワニの舌に乗せて、グリップの横にあるスイッチを押した。

 バチッ!という弾けたような音と閃光が煌めいて、ワニは固まったまま、水に沈んだ。


(別にモンスターハンターじゃないんだ。お目当てが見つかれ____)


 今度は水の上を慌てて走る。男の直感が働いたのだ。


「あっ!!!」


 慌てざまにマスクを落としてしまったが、手にとってほどの暇はない。鼻を突く異臭に気概を削られながら進む。


 無様に走り、十字の道を曲がって、入り口に入る。 


「クソッ!!!」


 すると背後から、水しぶきが上がった。男はとっさに身を翻すともう一頭のワニが姿を表していた。

 目に映るそれは、男が見るところ通常のワニではなかった。

 身長概ね3m。鱗がところどころ剥がれ落ち、爛れた皮膚が醜く露出していて、その全身には所々、奇妙な「苔」のようなものが生えている。目は血走り、口元からは泡のような唾液が垂れ、牙は異常に長く伸びていた。

 そのワニは大きな口で男に食って掛かる。

 

「ま、負けねぇぞ!!」


 その一撃は、まるで剃刀のように男の左腕を食いちぎろうとしていた。間一髪の所で避けるも、男のコートが破れ、制服の下から鮮血が滲む。


「クソッ……!」


 男は咄嗟に杖の先端を、ワニの目に当てて、高電圧を放った。閃光が放つ痛みは象すら気絶させるものだ。

 ワニは叫び声は挙げないものの、痛みによって身体を捩っている。そして水しぶきを上げながら後方へ飛び退いた。


「くそ…まだ嫌な予感がする。」


 直感は当たっている。ワニは一匹ではなかった。

 退いた後から、ワニは群れを成し、水面を歪めながら現れた。様子を伺う為に睡眠から覗かせた顔は三つ。その目が、一斉に男を捉える。


 状況は最悪だった。


「最悪だ。本当に、」


 男は即座にコフィンのサイドポケットから小型の発炎筒を取り出し、水面に投げつけた。

 シュゴオオオッ!

 水中で発炎筒が爆ぜ、赤と緑の火花が散る。変異ワニたちは突然の光と音に怯み、一瞬だけ動きを止めた。

 その隙に男はワニの群れを掻い潜り、十字路へとまた戻り、駆け抜けた。

 十字路を右に曲がり、目指す「エメラルド・ガーデン」の看板が薄暗闇の中に浮かび上がる。

 だが、その入り口は、巨大なスチール製のシャッターで閉ざされていた。

 男は急ぎ足でシャッターの表面を杖でスキャンする。

 内部に熱源反応あり。それも、複数の。

 しかも、シャッターの横には、泥で書かれた「聖域」という文字。


「……なんだ。なんでこんな文字が。」


 男は小さく呟いた。波及して考えが忍び寄ってくるのは、ワニは操られているという物だった。中で宝石を守るため、ワニを操っているのではないかと。

 最悪な状況に置いて、宝石店の金庫に待ち伏せ。依頼品は大したものではない。たが男は諦めない。仕事は確実にこなすのだ。

 シャッターは電動式だったが、電源は落ちている。

 杖に仕込まれたワイヤーをシャッターの隙間にねじ込み、手動でこじ開けようと試みる。

 ギィィィ……。

 錆び付いた金属の軋む音が、地下に響き渡る。その音は、まるで地下に眠る全ての怪物を叩き起こすかのようだった。

 苦労が奏してシャッターがわずかに上がった。


「よ、よし!!」


 男はゴーグルのサーマルビュー越しに、内部の光景を捉えた。店の中は、水没したショーケースが傾き、商品が散乱している。

 その中に、いた。

 1体の人影。人影は包丁を握り、ショーケースの中にある宝石を見惚れていた。


「やっぱりいたな。」


 男は唾を飲み込んだ。人影の動機は知らないが、ショーケースの中の宝石に執着している様子。その隙をつくしかない。

 シャッターを完全にこじ開けるには、さらに時間と労力がかかる。その間に、外のワニの群れがこの音に引き寄せられてくるだろう。 


「……逃げた所で退路はない。良し!!」


 男は決断した。


 シャッターの隙間から、無理矢理体をねじ込む。 


 ギギギ……、ドン!


 シャッターが再び閉まる音。男は店の中、濁った水の中に着地した。

 すると人影が、ゆっくりと男の方を向く。

 人影は無表情だが、その目には、明確な「排除」の意志が宿っていた。そして何よりも右手に握られた大きめの包丁が俺を見ている。


「……おいおい、最悪だな。」


 男はスカイフックを構えて周囲を見渡す。店の奥には依頼品が眠るはずの金庫が見える。だが金庫の前には、ショーケースの残骸が山となって積み上げられており、容易には近づけない。


 その金庫の前に人影があった。だから男は声をかけた。


「よぉ。元気そうだな。」


 男はキャッツアイでその熱源を捉えた。その体温は周りの温度よりも明らかに違う。

 「生きている」。そんなもの見てわかる。だからこそ人間は悪事を働くんだ。


「気安く話しかけんなよ。お、おっさん!」


 男の目は徐々に闇になれ、相対する人間の顔が見えてきた。丸坊主に加えてピアスまみれの顔。

 服装も貧相だ。寄れたタンクトップに拾ってきたであろうカーゴパンツに包丁。この極限環境を生き抜くには頼りないが、彼が相手にしているのはきっと獣ではないのだろう。

 男は両手を上げてピアス顔を落ち着かせようとした。


「まぁ落ち着けピアス顔。俺はあるものを取りに着ただけ、それだけだ。」

「し、知らねぇよ!!お前の持ってるもん置いてきゃなんにもならねぇんだ。よこせ。さもねぇと俺の家族がお前を食い殺す。」

「全く…ワニはお前の仕業か。」


 男はため息をついて問いただした。


「お前ここで一体なにしてるんだ。」

「なにって。わかんだろ?回収屋。」


 ピアス顔はニヤリと笑って、男を見ている。その瞬間に男の心にあったざわつきは消えた。


「…お前は【逸れ者】だな。」


 逸れ者。この隔離地域に後から居着いた者達の事を指す業界用語だ。


「逸れ者?へへへへ…そいつは違う俺は回収屋狩りだ。」

「いやまてまてまて…。回収屋狩りは複数を指す言葉だ。お前は一人。それにプロなら俺はもう死んでる。」

「違う。絶対に違う。俺はお前ら回収屋を襲う回収屋狩りだ。」

「認めない。お前は逸れ者だ。」

「うるさいうるさいうるさい!!だから俺は_____」

 

 男に全てを聞いている暇はない。杖から電撃を放って、ピアス顔を失神させた。


「たく…余計な時間使った。」


 水の中を進んで、指定の机に行き、引き出しを抜く。中に転がっているのはメモや鉛筆、それからおじいさんとにこやかに笑う子供の写真だ。

 男はそれを手にとって笑う。


「苦労も知らずに。幸せそうだ。」


 その写真を胸のポケットに収める。これで男の仕事の九割は終わった。彼の回収屋としての仕事は、人の思い出をここから持ち帰ること。それ以外にはないのだ。


「いくか…………。」


 男はその場を去ろうとした時、気絶して水に浮かぶピアス顔が目に入った。

 助けようかと悩む。悩む理由などいくらでもあるが、男は黙ってその場を去った。なぜならこのピアス顔を助ければ、次の回収屋も襲われかねないからだ。


「じゃあな。」


 男は机に乗って水面から上がり、杖のワイヤーをうまく使い、シャッターを正規の手順で押し上げる。


「ヨイショ!!うぉお…こわ…。」


 すると、かさを増した水と一緒に生臭さとワニたちが雪崩込んできた。そして気絶しているピアス顔の周りを囲み始めた。


「これは禊だぞ。そこで勝手に罪を償ってろ。」


 男は躊躇いなく店を出る。振り向こかと考えたが悲鳴が木霊した所で、それは諦めた。
















 男は検問所のインターホンに手を伸ばした。


「3908。帰還した。」


 男の声は疲労でわずかに掠れていた。


【早いな。ちょっと待て。】


 スピーカーから流れてくる声の後、いつもなら油圧の重低音が響き、ゲートがゆっくりと開く。だが今回は違った。


「悪い。ちょっと無線が入ってな。」


 ゲート隅にある茂みから数時間前と同じ自衛官が現れた。それからライフルを背中に回して、男の顔を見ると、満足気に息を抜いた。男はそれが少しだけ鬱陶しくおもった。


「なんだ?」

「邪険にするな。さすがは回収屋だと思っただ_____」



 自衛官の目が、いつの間にか破れたコートと、血の滲んだ腕を捉えた。自衛官の声には、尊敬の念と僅かな驚きが混じっていた。


「早く開けてくれ。」

「いやまぁ…そうしたいんだが。」


 嫌に言葉を詰まらせたのが気になって、男はスマートウォッチを見る。時刻は0300を示していた。


「嘘だろ…時間だから開かないってのか…。」

「怒るなよ。ルールなんだから仕方ないだろ。」

「ふざけん_____」


 言葉を強くした途端に背後の静けさが恐ろしくなった。振り返って眺めると、ゴーストタウンに座る暗黒がいる。

 暗闇の中から、居もしない視線を感じる。まるで自分の領域に入ってくるのを待ち構えている、というより招き入れてるみたいだ。

 黒色の世界が蠢くように見えた。渦巻いた死の匂いに身体と魂が運ばれる感覚。自分の意識が溶けていく。数多の残穢が男の魂を取り囲んでもみほぐすような


「おい。」


 男は自衛官が肩を叩いたことで我に返った。

 自分が意識的でなく、無意識に何故か隔離地域に戻ろうとしていたのだ。


「あと2時間くらいはある。話聞かせてくれよ。」 

「……。」

「コーヒー。」

「…え?」

「コーヒー、奢るって言ったろ?」


 自衛官は手品みたいに取り出した缶コーヒーを男に手渡した。僅かながらに暖かさを感じる。


「わかった。」 

「ならこっちこい。茂みに雨は避けれる場所を作ってる。」


 男は缶コーヒーを手にとって、自衛官の後を追った。

 すると茂みの中に人二人が入れる程のタープがあった。そこに座り込んだ自衛隊に並んで男も腰を据えた。


「それで…今回はどこまで行った。」

「梅田の地下街。宝石店の所だ。」 

「……おいまさか。」


 自衛官は慌てた様子でポケットからスマホを取り出す。


「あ、ルール違反。」

「うるせっ。テメーだって武器持ち混んでて見逃してるだろ。」

「俺はルール違反はしてない。」

「よく言うぜ……っていうか!宝石店って言ったら、デッドスポットだろ!!」

  

 気を張っていなかった、余裕だったと嘘でも言えない。この自衛官を見ているとそう思う。 

 スマホを見ながら自衛官は顎をなぞる。


「ここは最近できた新しいデッドスポットだな。」

「…驚くほどか?」

「回収屋が行方不明になってる場所だ。巡察組も被害出てるんだよ。こりゃ報告しとかないとな…何がいたんだ。」


 自衛官の言葉を耳に傾けながら、男はコフィンの中から、真空パックされた写真を取り出した。


「ワニ。」

「ワニぃ?!」

「あと逸れ者。」

「アウトローまで居着いてたのか…なかなかやばいな。」


 色んな事が想定外だった。


「それが回収したブツか?」

「言い方が悪いな。」

「気にすんなよ。その写真見た奴は、自分の勘違いで顔を赤くするだろうさ。」


 男の手の中にあるのは子供とおじいさんの笑顔。この一枚の写真のために、地獄を見た。男はその写真をじっと見つめる。


「そうだな。それはそうだ。」


 この「思い出」が、外の世界で、誰かの心を救う。その事実だけが、彼をこの狂気へと駆り立てる原動力だった。


 そして、男は、無意識のうちに自分の腰元に手を伸ばしていた。

 そこには師匠がいつも持っていたはずの、古いキーホルダーがない。


 彼自身の「未回収の思い出」は、まだあの街のどこかに残されている。




 明日、また新たな依頼が舞い込むだろう。

 そして彼は、再び『壁』の向こう側へと足を踏み入れる。

 「思い出」を回収するために。そして、彼自身の「未回収の思い出」を探すために。

 果てしない、孤独な「登山」がまた始まる。

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