第8話 跪くもの
風が止んでいた。
荒野では珍しいことだ。
常に砂を巻き上げ、音を立てて吹くはずの風が、
今はまるで様子を窺うように静まり返っている。
俺は、立ち止まっていた。
理由は単純だ。
――進行方向の先に、
魔物の群れがいたからだ。
数は五体。
どれも、下位ではない。
二足歩行の岩皮種が二体、
獣型が三体。
囲まれたら終わる。
「……さすがに、これは無理か」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
昨日、一昨日と、
奇妙なことは続いている。
だが、だからといって、
無敵だと勘違いするほど、
俺は楽観的じゃない。
逃げ道を探す。
岩場はない。
遮蔽物も少ない。
――見つかっている。
魔物の一体が、
こちらを指差すように動いた。
「来る……か?」
俺は、身構えた。
その瞬間。
魔物たちが、
一斉に――
止まった。
動きが、完全に止まる。
獣型の魔物が、
低く唸る。
だが、それは威嚇ではない。
戸惑い。
混乱。
「……?」
俺は、一歩、前に出た。
すると。
岩皮種の一体が、
ゆっくりと――膝を折った。
「……は?」
次の瞬間。
他の魔物たちも、
次々と地に伏した。
伏せる、ではない。
跪いている。
荒野の土に、
額が触れそうなほど、
深く、低く。
「……どういうことだ」
俺は、声を出していた。
返事はない。
ただ、魔物たちの体が、
小刻みに震えている。
恐怖。
はっきりとした、
本能的な恐怖。
俺は、魔物に近づいた。
最前列にいる獣型は、
完全に動かない。
逃げる気配すらない。
「……俺が、何かしたか?」
問いかけるが、
当然、答えはない。
だが。
魔物の“感情”だけは、
はっきり伝わってくる。
――敵意が、ない。
いや、
それ以前の段階だ。
逆らう、という選択肢が存在していない。
「……まさか」
昨日の狼。
今日の中位魔物。
そして、今の群れ。
共通点は一つ。
俺が、何もしなくても、向こうが退いた。
いや、退くどころか。
――従っている。
「……世界のルールが、違う?」
その言葉が、自然と浮かんだ。
俺は、ゆっくりと手を上げた。
何の意図もない、
ただの動作。
すると。
魔物たちは、
一斉に体を震わせた。
まるで、
「許しを請う」かのように。
「……もういい」
そう口にした瞬間。
魔物たちは、
はっとしたように顔を上げ、
しかし逃げなかった。
視線は、
俺から離れない。
「……行け」
指で、来た方向を示す。
一拍の沈黙。
次の瞬間。
魔物たちは、
一斉に走り去った。
だが、
その動きは奇妙だった。
背中を向けながらも、
何度も振り返る。
――確認している。
俺が、
そこに“居続けているか”を。
完全に姿が消えるまで、
俺はその場を動かなかった。
静寂が戻る。
俺は、膝に手をつき、
深く息を吐いた。
「……これは」
偶然ではない。
運でもない。
確実に、
俺自身が、何かの基準になっている。
加護。
神。
水晶。
王国。
そのすべてが、
俺を測れなかった理由。
それが、
少しずつ、形になり始めていた。
俺は、再び歩き出す。
荒野の奥へ。
しばらく進むと、
地面に、不自然な構造物が見えた。
崩れた石柱。
半ば埋もれた階段。
「……遺跡?」
近づくと、
明らかに人工物だ。
だが、
王国様式ではない。
もっと古い。
――神殿。
そう直感した。
壊れた壁面に、
かろうじて残る紋様。
見覚えはない。
だが、
不思議と“読める気”がした。
触れた瞬間。
空気が、変わった。
遺跡全体が、
俺を“認識”した感覚。
ざわ、と
音にならない振動が走る。
「……やっぱりな」
俺は、確信した。
神殿は、
俺を拒まない。
魔物と同じだ。
世界のあちこちに、
「俺を前提にした何か」が存在している。
ただ、
王国と教会だけが、
それを理解していない――
あるいは、
見ないふりをしている。
俺は、遺跡の奥へ足を踏み入れた。
暗闇。
だが、
恐怖はない。
この先に、
“答えの断片”がある。
そう、分かっていた。
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